鈴屋さんと鍋奉行っ!〈2〉
ハチ子さん、大暴走の回です。
無数の小さな星々が、夜空を美しく彩っていた。
それは繊細なイルミネーションのようで、人工的な灯りがないこの雪山から見上げれば、緻密な光の粒が海となり広がって見えた。
まさに、息を呑む美しさだ。
「綺麗です……」
隣で肩を並べているハチ子は少しお酒が回っているのか、ほんのりと頬を朱に染め上げている。
やばい……これは、やばいぞ。
テントの中で、妙な焦りを覚えているのは俺だ。
ハチ子はいつものワンピースではないものの、その可愛さに一点の陰りもない。
俺への気持ちも、常にストレートで素直だ。
そのハチ子が頬を上気させて、ぴっとりとくっついて座っているのだ。
このあと同じテントで眠ることになるのだから、やばいとしか言いようがない。
まさに俺の紳士が試されるのだ。
「ゲレンデ・マジック……おそるべし……」
思わず口にする。
「マジック? 何の魔法ですか?」
「……いや、こっちの話……」
首を傾げて見上げてくるその表情が、純粋そのものだった。
鈴屋さん、この試練はきついですぞ。
そう呟かずには、いられない。
鈴屋さんなら、こうなることも予測できていたはずである。
なんなら、みんなで身を潜めて、こっちを覗き見ているとか本気でありえそうで怖い。
「アーク殿……」
甘えるような……しかしそれでいて、どこか切なげな声だった。
「アーク殿は……いつまで、ここにいてくれるのですか?」
視線をそらすことなく、真っ直ぐに聞いてくる。
その質問に、はっきりと答えられないことも承知の上なのだろう。
「どうだろうな……明日かもしれないし……帰れないのかもしれないし……」
右の肩にハチ子の頭が、控えめに乗せられてくる。
「明日とか……そんな急なのは寂しいです……」
お酒のせいだろうか……いつも以上に心の内を開けてくる。
もし元の世界に戻れてもハチ子と会える状況を……とは思っているのだが、そんな方法あるのだろうか。
いずれにしても此処にいては、それは見つからない。
「それは俺もだけどよ。ハチ子さんは、ここに残ってほしい?」
恐らくこれは禁句の領域だ。
それ故に、ハチ子も即答はしない。
長考に長考を重ねて、慎重に答える言葉を探している。
しかし、どの言葉も飲み込んでしまったのだろう。
やがて、一度だけ小さく頷いた。
「ずるいです、アーク殿……」
「だよな」
己の意地悪さに苦笑する。
それでも悩んでくれたことが、嬉しく感じられた。
「あのですね、アーク殿」
「……ん?」
「ハチ子は……アーク殿は帰るべきだと思っています」
無言で頷いて応える。
「でも……もし、ここに残るとか宣言されてしまったら、ハチ子は譲りませんからね」
いたずらっぽく目を細めて笑うハチ子が可愛いくて……危ない。
こんな仕草や感情を見せるハチ子が『泡沫の夢』だということを、いまひとつ受け入れられない。
ハチ子に限らず、この世界の住人は『人』そのものだ。
それなのに俺や鈴屋さん、南無子やセブン以外、みんな『泡沫の夢』だというのだろうか。
ハチ子が言うには、『泡沫の夢』はプレイヤーではない。
つまり、俺や鈴屋さんがいた元の世界……現実世界には存在しない『AIのようなもの』だと考えることが妥当だろう。
そんな高度なAIが箱庭のような仮想世界で自由に暮らしているなんて、よくあるSF話じゃないか……まったくもって笑えないぜ。
だとしたら、そこに放り込まれた俺は何なのだ。
「アーク殿?」
俺が変なタイミングで考え込んでしまったため、自分が迷惑なことでも言ってしまったのでは……とか思ったのだろう。
ハチ子の綺麗な双眸には、不安の色がありありと見えた。
「いや、嬉しいよ。ありがとう」
笑顔をみせて、頭を撫でる。
するとハチ子は、犬が尻尾でもふっているかのように、無邪気に喜ぶのだった。
数時間後──
ハチ子とあれやこれやと会話をし、さて明日に備えて寝ようと焚き火を消火する。
年代物のワインのおかげか、体はすっかり温まっていた。
テントの入り口を閉め、ランタンを灯し、寝る準備をするのだが……
「アーク殿は、そのまま寝るのですか?」
俺がハチ子に背を向けて丸まろうとすると、そう呼びかけてきた。
「んあぁ、マフラーあるしな」
「その魔法のマフラーですか?」
「おう。地味に『寒さ・暑さの緩和』する魔法も付与されてんだ。まぁ、あとはマントにくるまれば……」
そう言って再び丸まろうとすると、ハチ子が慌てて腕を掴んできた。
「だ、駄目です! 言ってるそばから、丸まってるじゃないですか!」
「いや、まぁ……さすがにこの雪山じゃ、ちょっとは寒いけど……」
「風邪をひきますよ!」
「……ってもなぁ……寝袋とか持ってきてないし……」
そうなのだ。
俺は雪山をなめていた。
もしくは、このマフラーの力を過信していた。
今は酒の効果で温かいが、そのうち冷房の効きすぎた部屋程度には寒く感じるだろう。
「寝れないくらい寒いってこともないと思うが……」
「駄目ですって! ちょっと待ってください」
そう言いながら奥の荷物から、ごそごそと何かを取り出す。
何だろうと覗き込むと、どうやらぐるぐるに巻かれた青い厚手の布のようだ。
「待っててくださいね〜♪」
そしてなぜか上機嫌のハチ子は、縛っていた紐をほどいてバッと布を広げた。
それは予想以上に大きく……あれ、どっかで見たことあるな……と言うか……
「なにそれ?」
「ジャイアント・マンタですよ。アーク殿!」
無邪気な笑顔を見せるハチ子に、いや、そうじゃなく……と心の中で突っ込む。
なぜにマンタなのだ。
いや、よく見てみればマンタの口のところに大きな穴が開いてるな……
そこでようやく、それが何なのか気づく。
「もしかして寝袋?」
「はい、そうです!」
「作ったの?」
「はい!」
水着や浴衣に続き、チェック柄のマフラーを編み、遂には寝袋まで作ったのか。
なんて器用なんだ。
「ていうか、なんでマンタなの? ハチ子さん、マンタなんて知ってたの?」
「それはですね、鈴屋に野営用の毛布を買うかどうか相談した時にですね、寝袋というものを教えてもらいまして……寝袋にはオーソドックスな封筒型というものと、動物の口の部分から頭を出して、食べられてるみたいに見える可愛い形があって、その時に、サメ、ジンベエ、ジャイアント・マンタなるものを聞いたのですよ」
なるほど、鈴屋さんの入れ知恵か。
いや、たしかにかわいいけども……
「それでですね、野営の時には鈴屋も入りたいというので、このジャイアント・マンタを作ったのです。これなら二人で入れて、あったかですよ!」
なるほど、なるほど。
二人でね……って、意味わかって言ってるのだろうか。
「いや、やっぱり俺はマントで寝たほうがいいと思うんだが……」
しかしハチ子は、また慌てて止めに入ってくる。
「駄目ですって、風邪を引きます! どうして、使ってくれないのですか!」
「どうしてって……ハチ子さん」
「もういいです。アーク殿が使わないというのなら、ハチ子も使いませんから」
それはどんな意地の張り方だと、ため息をつく。
せっかく作ったアイディアグッズだし、どうしても使って欲しいんだろう。
「わかったよ。でも、どうやって二人はいるの、これ」
俺が床にジャイアント・マンタを広げてみる。
いかにこのテントが狭いとはいえ、端から端まであるぞ……これ。
口は大きいから、二人くらい頭は出せるんだろうけど。
「こうやって入るんですよ、アーク殿」
ハチ子は四つん這いになり、ジャイアント・マンタの口をぐいっと持ち上げる。
そして、ハイハイをしながら頭から入っていった。
「中で向きを変えるんです」
そう言いながら腹の中で、もぞもぞと動く。
おそらくは、方向転換をしているのだろう。
「どうですか、アーク殿!」
ジャイアント・マンタの膨らんだ腹の中から、丸呑みにされたハチ子の声が聞こえてくる。
かなりシュールだ。
「どうというか……顔出さないの?」
「いま頭を出したら入口が狭くなって、アーク殿が入れなくなります。同じように入ってきてください」
「同じように……」
俺は仕方なく膝を折ると、四つん這いになってジャイアント・マンタの口の中へと潜り込んだ。
イラストはロジーヌさんより。
まだ暴走は続きます。




