鈴屋さんとリーン!〈10〉
リーン編ラストです。
どうぞ。
「アークさん……?」
両手を後ろについて見上げるリーンに、冷たい笑顔を浮かべてみせる。
ショックよりも、驚きの方が強そうに見えた。
一方、騎士たちは、突然の展開に言葉を失っている。
いま目の前で、何が起きているのか。
この場にいる全員が、理解できないでいるのだろう。
「聞こえなかったか? お前には無理だって言ったんだよ」
語尾を荒げて、もう一度リーンの腹部に鋭い蹴りを放つ。
「あぅっ!」
リーンがたまらず、体をくの字に曲げて悶絶をした。
言っておくが、俺は一切の手加減をしていない。
鎧越しとはいえ、練った気も叩き込んでいるのだ。
その重い衝撃音が、俺の本気度を周りに示す。
「な……なんで?」
呻きながらも絞り出す声を、カカカと笑い飛ばす。
「薄汚い鼠が、騎士団になんて入れるわけねぇだろ。最初から、騎士の皆様が困っていることに気づけよ、馬鹿がっ!」
どよめく声が、ざわめきが、徐々に強くなり広がる。
エメリッヒは、怪訝な表情で俺を睨んでいた。
まだ動向を探っているという感じだ。
「ラット・シーの住人が騎士になれるってんなら、俺は騎士団長になっちまうぜ?」
今度はエメリッヒに向けて、問いかけてみた。
挑発だとわかってか、さらに双眼から鋭い光を放つ。
「……そんな差別、この騎士英雄エメリッヒがするわけがない。試験は等しく公平だ」
これのどこが公平なんだよ、と内心で笑ってしまう。
どこまでも厚顔無垢で、むかつく野郎だ。
「どうだかな。俺の目からみても、種族差別は感じたぜ?」
ざわついていた騎士たちが押し黙る。
こうも声高らかに図星をつかれては、何も言えまい。
「まぁ、同情はするぜ。いくら公平にっつっても、スラムの……それもワーラットを騎士にするわけには、いかねぇもんな?」
これも、挑発だ。
それを理解してか、エメリッヒは口を真一文字に結ぶ。
しかしそれは認めているのと同じだ。
そんな種族差別が黙認され、当たり前の日常として押し通ってしまう……それが貴族社会なのだ。
「アークさん……」
リーンが動揺で声を震わせていた。
その瞬間、胸の奥が、心臓が、真っ黒な悪魔に握り潰されるかのような感覚に陥った。
心が折れそうで……揺らいで、倒れそうだ。
その感覚から逃げるように、リーンの兜に手を掛ける。
俺はリーンの声を一切無視し、兜の顎にあるベルトをゆっくりと外した。
「意味がなかったんだよ、エメリッヒ。お前らの試験は、とんだ無駄骨だったのさ」
そしてその場で兜を持ち上げて、後ろへと投げ捨てた。
「……え?」
赤髪の少女が、涙を流して俺を見上げていた。
「こいつは、女なんだからな」
再び騎士たちの、どよめく声が広がる。
今度は先ほどよりも大きい。
「むかついてたんだよ。キラキラした目で騎士になりたいとか。分不相応って言葉しってるか?」
今度は直接、拳でリーンの頬を殴る。
鈍い音と嫌な感触が手に残り、思わず手を振ってしまう。
「ちょっ、ちょっと、きみ……」
騎士の一人が声に出すが、俺は構わずリーンの頬に拳をぶつけた。
「女でっ! しかもそれを嘘ついてっ! で、しかもワーラットとかっ! 無理に決まってんだろっ!」
ゴッゴッと、鈍い音だけが鳴り響く。
リーンの頬はみるみると晴れ上がり、愛らしい口元から赤い筋が流れ落ちた。
「うっ、うっ……あぁ……く、さ……ひっ、うぅ」
リーンはまったく反撃をすることなく、ただただ殴られ続けていた。
俺の態度が急変したことや、吐き出された言葉に傷つき、混乱をしているのだろう。
……あぁ、くそ、最悪だ。
最悪だ……まったっくもって、最悪だ。
「いい加減、あきらめ……」
そこでようやく……振り上げる腕を掴まれた。
「いい加減にしろ。これ以上、神聖な試験を汚すな!」
グイッと強引に胸ぐらを持ち上げられ、籠手のついた手で殴り飛ばされる。
俺は、首から頭が取れるのではと思えるほど、派手に体を回転させて吹っ飛んでしまった。
「い、いってぇ!」
立ち上がろうとすると、さらに鉄の拳が追撃してくる。
「冒険者風情が、試験は常に公平だ!」
声でやっと気づいたが、殴りかかってきたのはエメリッヒらしい。
そうでなくては困るのだが……籠手付きとか、ちょっと痛すぎだろうよ。
「この者がワーラットだろうが、女であろうが、有能であれば私は認める!」
「……カカッ、嘘だね。お前の騎士団に女なんていないだろ。そうやって、この場での体裁を守ってるだけだろ?」
「この騎士英雄、差別などしない!」
そして何発目かの鉄の拳が、頬にめり込んだ。
さすがはフェミニストだ。
種族差別はできても、女性差別はできないか。
……いいね……堅物老騎士とかより、よっぽど扱いやすくて助かるぜ。
「誰か、彼女の傷の手当てをしてやれ!」
「カカカ、いびり倒してポイ捨てか?」
さらにエメリッヒが、文字通り鉄拳を振り落とす。
音が鈍すぎて、骨がいくつかいってそうな気がするぞ、ちくしょう……
「お前のような奴こそ、反吐が出る。彼女にはラット・シー初の、騎士の爵位を授かれるよう、この俺がしてみせよう」
……言ったな。
思わず腫れ上がった口元が、斜めに歪んだ。
それがよほど気に入らなかったのだろう。
今度はマフラーを引っ張り、腹に膝を叩き込まれる。
「カハッ!」
たまらず呼吸が止まり、力が抜けそうになるが、エメリッヒはまだ逃がしてはくれない。
そのまま入口の方へと押しやり、耳元に口を寄せてきた。
「今回だけは、おまえの策に乗ってやる……」
エメリッヒがそう呟くと、最後にもう一度、俺の頬に向けて拳を叩きつける。
俺はもろにそれをくらい屋敷の外の通りへと、派手に転がってしまった。
何の騒ぎだ、と行き交う住人からの奇異の目が、俺に突き刺さる。
「二度と来るな、クズが!」
このエメリッヒの一言で、俺が不届き者として認定されたようだ。
もちろん、誰も心配などしてくれない。
俺は腹を押さえて、よろよろと立ち上がると、もう一度敷地の中に目を向ける。
そこには騎士たちに傷の手当てをうける、赤髪の女戦士が一瞬だけ目に映った。
海からの風が、腫れた頬をチリチリと突き刺す。
「あの野郎、鉄籠手つけたまま殴りやがって……」
よほど酷い顔をしているのだろう。
すれ違う人たちが、あからさまに目をそらしていた。
「騎士道とはなんぞや、だぜ……」
カカカ……と、虚しくも乾いた笑いを絞り出す。
あぁ……大通りは、なんかきちぃな……
そう感じ、路地裏へと進んだ。
そして、あまりの痛みに足を止め、壁に寄りかかった。
「くっそ……いってぇ……」
頬の腫れ具合を確認しようと指を近づける。
その指先が小刻みに震えていることに、初めて気づいた。
リーンの血がついていることに、初めて気づいた。
「あぁ、サイテーの気分だ」
思わず壁を殴る。
「我ながら、くそったれすぎる」
拳から血が浮かび上がるが、それでも壁に叩き続けた。
「くそっ、くそっ……くそっ」
できるなら、このまま拳を砕いてしまいたかった。
感触が、まだ残っているのだ。
あの愛らしい少女を傷つけた感触が、はっきりと残っているのだ。
俺はそれを消したい一心で、壁に拳を打ち続けて──
「あーちゃん、もういいん」
不意にうしろからふわっと、抱きしめられる。
それでも拳を壁に向けると、今度は力強く両腕ごと抱き止められた。
「もう、いいんよ」
その優しい声に、張り詰めていた緊張の糸が切れていった気がした。
『鋼と戦争の神ジュレオ様、愛しき戦士に天命の奇跡をお与えください』
僅かに震える神聖語に反応し、身体の痛みが消えていく。
「ありがとう、あーちゃん」
柔らかで優しい温もりが、背中越しに伝わってきた。
「リーンには、あとでちゃんと説明しとくん」
この安心感は、どこからくるのだろう。
ミケが彼女を母親らしく育てたのだろうか。
孤独だった戦いに一人の理解者がいるだけで、気持ちが少し安らいでいく感じがした。
「嫌な役……ごめんね」
「なんのことだよ」
見ていたのか、と聞きそうになるが今はまだ飲み込む。
「俺は現実を見せて、あきらめさせようとしただけだぜ?」
アルフィーの腕に力が入る。
背中に押し付けてくる頭が、小刻みに震えていた。
「まぁ結果的に、入団できちまったみたいだな。おかげで、このザマよ」
アルフィーが背中越しで、首を横に振る。
「まぁなんだ。俺のクソっぷりに比べて、リーンのほうが、よほど騎士っぽかったからな。夢が叶ってよかったんじゃねぇの?」
カカカ、と笑う。
「あーちゃん……」
「……殴られた時のあいつなんてさ」
「あーちゃんっ!」
あまりの大きな声に、その先の言葉を飲み込む。
「もういいんよ」
思わず、身体が震えてしまう。
激しい情動が溢れ出そうになり、必死に押さえ付けた。
そうしないと……
「そんな悪者にならんで、もういいんよ」
堪え切れずに、頬に熱いものが道を作っていく。
「あいつ、あいつをさ……殴って……心もさ……ズタズタにしてさ……」
「うん」
「最低なんだ。本当に……俺は、最低なんだ」
「……うん」
それからは言葉にならなかった。
ただ、何度も体をひくつかせて──
そのたびに、アルフィーが頷いてくれた──
それから、どれくらいかの時間が流れたのか。
俺を抱きしめる腕に、ぎゅうと力が込められてくる。
そしてアルフィーが、ぽつりと呟いた。
「あたしのあーちゃんは、誰よりも誇らしい人なん」
慰めの言葉に対し、返事は出来なかった。
「あーちゃんが、リーンを助けてくれたんよ」
その名前が、再び心を締め付ける。
「あたしは知ってるから……」
アルフィーはそう言って、優しく包み込むように、いつまでも抱きしめてくれた。




