鈴屋さんとリーン!〈8〉
ゴールデンウィーク終盤です。
息抜きに、暇つぶしにどうぞ!
フェリシモが「さぁ、おいで」と両手を広げて、笑みを浮かべる。
紫色のナイトキャミソールという、一見そういった夜の職業を思わせる格好で、目のやり場に困ってしまう。
この人のことだから男の目など気にもせず、部屋着のまま出てきたのだろう。
「この程度の色香に惑わされるようじゃ、いい男を気取るにはぁ〜まだまだ早いねぇ〜」
ついでに視線誘導の罠だったらしい。
うるせぃ、こっちはそういう経験ねぇんだよと、眉を寄せて訴えかける。
「走術、ナンバ」
アジリティアップの術式を発動させ、さらにマフラーを口元まで上げる。
これだけ身体能力強化のドーピングをしても勝てる気がしないのだから、心底化け物だ。
目を閉じ力を抜いて、トントンとジャンプをする。
ふっ……ふっ……ふっ……
徐々に息を短く刻んで吐き、集中力を研ぎ澄ませる。
すると一瞬だけ、思考が静かな凪を迎える。
その瞬間、タンッと地面を蹴って間合いを詰めた。
シメオネのようなステップとまではいかないが、それに肉薄する緩急をつけたリズムで足を運ぶ。
「へぇ……」
感嘆の声を漏らし冷笑を浮かべ、指先を地面につけて低い体勢で身構える。
フェリシモの戦い方は、徹底した『後の先』だ。
彼女は常に、こちらの行動を見てから、その後の攻撃を読み、応じる。
初めて対峙した時もそうだったが、彼女から仕掛けてくることはない。
冷静さと反射神経、身体能力の高さ、経験、そのどれもが化け物だからこそ、後出しじゃんけんのような戦い方ができるのだろう。
何をやっても勝てない、そう思えてくる原因はそれだ。
攻撃する意思すらないのだから、先手潰しの『先の先』も通じない。
まさに、最強の待ちキャラなのだ。
それならば……
タタタンッと、間合いを詰めていく。
射程に入った瞬間、右足を低い高さでまわし蹴る。
牽制のために放った初撃は、当たり前のようにかわされ、スッと半歩ほど距離を詰められる。
俺はまわした右足で地面を蹴り、体を一回転させて空中で左回し蹴りを放つ。
これもきっと、当たらない。
その予想通り、フェリシモは鼻先をかすめさせながら蹴りをかわし、俺へと左手を伸ばしてきた。
──読み通りだ。
いかに極められた『後の先』でも、そのカウンター自体を読んでしまえば、こちらに幾ばくかの勝機が生まれる。
フェリシモは、伸ばした左手で俺の胸ぐらをつかむと、ぐいっと引いて体勢を崩させた。
そして、そこから足をかけ、投げの体勢に入る。
俺は投げられる前に自ら飛び上がり、彼女の左手首をつかむと、両足で左腕を挟みこんだ。
変形の『飛び腕十字固め』という技だ。
「あははぁ~!」
たまらずフェリシモが笑う。
そう、彼女はここまで読んでいたのだろう。
左手をひねるようにして抜き取り、俺の首筋めがけて右手で突きを入れようとする。
その指先が、ダガーの剣先よりも危険に感じた。
──しかし、これも読み通りだ。
相手のカウンターに対し、さらに先読みで攻撃をする『対の先』……フェリシモ相手には、ここまで読まなくてはいけない。
俺は逆立ちするかのように、地面へ向けて上半身を大きくひねる。
そしてそのまま地面に左手をつけると、九の字に曲げて力をためた。
「弧月蹴り!」
ためた力を一気に解放させて腕を真っ直ぐに伸ばし、フェリシモの顎めがけて右踵を突き上げた。
片手逆立ちから、上方向への飛び蹴り技だ。
例えるならば、地面から放たれた一本の矢である。
まさに、一矢報いるための必殺の一撃だった。
それでも……
「しょぅぅねぇぇぇん!」
嬉々とするフェリシモの顎は、捉えられなかった。
わずかに、頬をかすめただけだ。
「カカッ! これをかわすのかよ、ねぇさん」
笑みが引きつってしまう。
あぁ、ほんとうにこの人は化け物だ。
この嬉しそうに笑みを浮かべる暗殺者相手に、俺はあとどれくらい善戦できるのか。
考えただけで、頭が痛くなりそうだった。
──十分後。
俺は空き地で、大の字になって空を見上げていた。
まるで、少し前のリーンのようだ。
「どうッスかね、ねぇさん」
息を切らせながら聞いてみる。
「わたしぃ~、三十回は少年をころしたよぅ~?」
「……デスヨネー。全然、勝てる気がしねぇ」
フェリシモが、気持ちよさそうに両手を上に伸ばす。
こうしてみると、ただの美人な姉さんなのだが……ほんとに恐ろしい。
「んん~、私は満足だよぅ? だってぇ、二回くらいは殺されそうになったものぅ~」
おぉ、もしかして褒められたのか? と喜びそうになるが、さらっと物騒なことを言っていて、やっぱり怖い。
それでも、少しは成長できたのかと思うと、やはり嬉しいものだった。
「たまに私と、こうして遊んでくれるかぃ?」
「う……俺的には怖いんだが……なんでさ?」
「まぁねぇ、少年とこうしていれば、教団とのアレも効いてくるからねぇ」
アレ……俺の仲間に手を出すと、窮鼠の傭兵団が黙ってはいないっていうアレか。
「そうすれば、ミケも外で安全に遊べるだろう?」
腕を組んで、僅かに笑みを見せる。
それはいつもの冷笑と違い、どこか自然なものに感じた。
「まぁいい機会だぁ。精進したまえぇ~」
そう言ってフェリシモは、手をひらひらとしながら去っていく。
俺はそれを横目で見送り、大きく息をついて体を起こした。
パチパチパチ……
いつの間に観戦していたのか、シメオネとリーンが拍手をしてくる。
ラスターはまるで関心がないのか、腕を組んで目を閉じたまま立っていた。
「なんで見てるんだよ、お前らは」
ジト目の俺に対し、シメオネが頭を掻きながら、んにゃぁと鳴いた。
「フェリシモ大姉さまの模擬戦なんて、滅多に見れないにゃ。アーク様、すごかったにゃ」
「二人とも、人間の動きじゃなかったッス……」
いや、どちらかと言えば、後半の俺は一方的にやられていたのだが……
「そっちはどうなんだよ」
「……それ聞くの? もしかしてアークさん、デリカシーゼロッスか?」
「でも見込みは、あるにゃ。少し鍛えてやるにゃ」
「カカ、頼むぜ。慣れたほうが早いからな」
ガシャンと項垂れるブリキの人形に、妙な愛着がわいてくる。
どうやら本当に、手も足も出なかったようだ。
それでも、この二人とやり合っていけば、かなり強くはなれるだろう。
「頑張りたまぇ~カカカッ!」
俺は声を出して笑いながら、この愛らしいブリキの人形の頭を乱暴に撫でるのだった。
その後は騎士団からの連絡がこないため、ほとんどの時間をリーンの修行に費やした。
最初の数日は手も足も出なかったリーンも、徐々に立ち回りを覚え始め、最後にはラスターの攻撃をいくつか凌げるようになり始めていた。
正直、かなりの進歩である。
その成果をアルフィーにも見せてやりたいところだが、とりあえずそれは試験の後でもいいだろう。
そして、それから二週間が過ぎた夜──
「アークさん」
リーンがベッドの上から、少し緊張した声色で呼びかけてくる。
俺は相変わらず、寝袋に潜り込んで背を向けている。
「……寝た?」
このまま寝たふりでもしようかと考えたが、仕方なく顔をベッドの方へと向けた。
初日と同じ、ノーショルダーのシャツにハーフパンツ姿だ。
「どうした?」
「夕方、次の騎士試験の通達がきたッス」
おぉう……なぜに、みなの前でそれを言わない。
「明日の昼に、騎士団の詰所で模擬戦をやるッス」
リーンが膝を抱えて小さくなる。
「なんだ、緊張してんのか?」
「だって……」
口元を膝で隠して、じっと見つめてくる。
明らかに不安の色が、見て取れた。
強気な時と、弱気な時の差が激しい娘だ。
「いつもなら、受かるわけないけど……今回はみんなのおかげで、いい感じなんスよ」
「まぁそうだな……だけどよ、まわりの期待を背負う必要なんてないぜ」
リーンが赤い髪をいじりながら、視線をそらせる。
「明日……一緒にいってくれるッスか?」
ずっと、それを頼みたかったのか。
変なところで気を使うよな。
「当然だろ。最初から、そのつもりだったぜ?」
「ほ、ほんとッスか!」
そして、この笑顔だ。
よほど、不安だったのだろう。
「アークさんがいてくれるなら、心強いッス!」
随分と可愛らしいことを言ってくれるが、明日はリーンにとって辛い日になるはずだ。
俺は今から、憂鬱な気持ちでいっぱいだった。




