ハチ子と鈴屋さんの露払いっ!〈3〉
何だこの話はまだ続きます。
休憩がてら、気軽にどうぞ〜
「どうしましょうどうしましょうどうしましょう、すずやぁ〜」
「ハチ子さん、落ち着いて!」
そんな簡単に、落ち着けるわけがない。
未婚の女性ならともかく……
「だってだってだって、既婚者ですよっ!? しかも、あんな大きな子供までっ!」
「待って、待って。エリーチカがあー君のことを、一方的に想っているだけかもしれないでしょ?」
それでも、これは……と、私の心中は穏やかになる兆しすらない。
「とにかくここは一度、あー君がエリーチカを知ってるか探ってみるべきかな」
そう言って、鈴屋が再びシルフを呼び出す。
彼女は、もう落ち着きを取り戻している。
私はといえば、空を飛んで碧の月亭へと向かう途中も、頭の中はパニック状態だった。
「予想外です、予想外です、予想外です」
「まぁ、たしかに予想外だけど……」
「どうしましょう、鈴屋。み、水着にでもなりますか?」
「……な、何を言ってるのかな?」
鈴屋が顔を引きつかせる。
「だって、アーク殿をこちらに惹きつけないと……」
そうだ、人妻の醸し出す大人の魅力とやらに勝つには、それくらいしないと……
「とにかく落ち着いて。まだ手紙は、私たちのもとにあるんだから」
「そ、そうでした。そうですよね!」
本当に彼女は、ここぞという時に頼りになる。
この時ほど鈴屋を巻き込んでおいてよかったと、心から思えたことはない。
こと“アーク殿”の事となると、彼女の存在は揺るぎない。
彼女の根底にある自信が、そうさせるのだろう。
そうこうしているうちに、碧の月亭が視界に入ってきた。
さすがは風の精霊、その速さは馬をも超える。
私もこんな魔法が使えれば、もっと彼の力になれるのに……と、羨ましく感じる。
鈴屋は大通りに着地をすると、そのまま小走りで入り口へと向かっていった。
私もそれに倣い、鈴屋の横に並ぶ。
「アーク殿は、ちょうど朝食の時間くらいでしょうか?」
彼女の長い耳に、小声で耳打ちする。
「あー君、いつも起きるの遅いからね~」
言いながら、入り口から顔だけをひょっこりと出してみる。
ふたり並んで中の様子を窺うその様は、エリーチカと変わらぬ不審者っぷりだろう。
「ひとりでいてくれれば、よいのですが……」
しかし、私達の円卓で繰り広げられる光景を目にした私達は……
『あぁぁ……またぁぁぁ……』
2人して声を合わせ、力なく項垂れてしまった。
「パパぁ~」
「んだよ、早く食え、ほら」
「やぁ~! ママぁ!」
「なん~? ママは今なぁ、朝肉たべるんで忙しいんよ~」
「うわ、ミケ。床にジュースこぼしまくってるじゃん。いつの間に……」
「なぁなぁ~ママぁ。のど~」
「パパに頼みぃ~」
「おま、育児放棄だぞ、それ!」
「あたしはまだラブラブな新婚気分を、ちぃとばかし楽しみたいんよぅ~♪」
「やめないか、ミケが見ている……って、この漫才、鈴屋さんが見たら不機嫌になるんだからな」
「ここでしっかり見てますけどねー」
鈴屋につられて、自然とジト目になってしまう。
このところアルフィーが碧の月亭へ向かう途中に、ミケを預かってくることがある。
その都度、碧の月亭では、こうした幸せ家族劇場が繰り広げられているのだ。
さすがに鈴屋と私も、この世界にだけは入り込めない。
アーク殿と新婚の空気を味わうとか、本当に羨ましい。
できれば一度、変わってほしい。
……なんなら……本当に彼のお子を……
「ハチ子さん、また顔赤いけど?」
「ふぁっ!? そんなことより、あそこにミケがいたら何も言えませんよ?」
「ほんそれ〜」
さて、これはどうしたもの……?
そうは言っても私だってミケは可愛いし、あの空気は壊したくない。
自然にミケを遠ざける方法……
「これはもう、W不倫の一歩手前なんじゃないかな?」
「な、なんて不純なことを言うんですか!」
「いよいよダメ主人公になってきたなぁ〜。そろそろ修羅場イベ開催かなぁ〜」
怒ってる。
鈴屋が、かなり怒っている。
このままでは話がこじれる一方だ。
「と、とにかく中に入りましょう」
言ってる側から、鈴屋がどんどん目を細めていく。
私は彼女の機嫌がこれ以上悪くなる前にと、強引に腕を掴んで中へと引っ張るのだ。
午前中の碧の月亭は、お客の数も少ない。
私はいつも通り、3種混ぜのフルーツジュースをカウンターで受け取ると、みなが集まる円卓へと向かう。
アルフィーには買い物を頼み、そのついでにミケを連れて行くようにそれとなく促した。
つまり円卓には、鈴屋、アーク殿、私の三人だけとなっている。
「あのぅ〜」
彼が引きつった表情で、極めて気まずそうに声を上げた。
明らかに、何かを察している。
それがまるで、怒られる前の子犬のように見えて……とても可愛い。
「あぁ〜、えぇ〜っと……ミケとアルフィーのやつ……ですか?」
鈴屋が不満げに、ブクブクとミルクを泡立てる。
暗に『ハズレ』だと訴えているのだろう。
「……なにか、怒ってます?」
「さぁねぇ〜」
ものすごくわかりやすく『イエス』と言っている。
この2人のこういったやり取りは見ていても楽しくて、好ましく思える。
「ハチ子さんも怒ってます?」
……私?
私は怒っているというよりも……なんだろう、嫉妬?
心配……不安……?
なんだろう……?
「……さぁ?」
答えが浮かばない上に、とても意地悪をしたくなってしまった。
さらに顔を強張らせる彼を見て、少し楽しく感じてしまうのだから、私もかなり底意地が悪い。
「あのぅ……」
「嘘ですよ♪ ただちょっと、聞きたいことがありまして」
彼はそれだけで少し安心したのか、ほっとした表情を浮かべる。
ほんとに可愛い人だなぁ……
「ほら、鈴屋」
「やぁよ。ハチ子さんが言って」
この女はぁぁ……
相変わらずズルいとも思ったが、そもそも手紙とプレゼントを持ち逃げしたのは私だ。
それに、このモードの鈴屋に口で勝てるとは思えない。
ジト目で「ほら、早く」と促してくる鈴屋に、思わずため息が出てしまう。
「あのですね、アーク殿」
「……はい?」
「エリーチカという名前に心当たりはありますか?」
結局、直球で聞いてしまった。
「……エリーチカ?」
彼が眉を寄せて、首をひねり考え込む。
「栗色の髪をした女性です」
できれば、知らないでほしいのだけど……
しかし私の思いは虚しく、彼は何かを思い出したのか、あぁっと手を打った。
「知っているのですか?」
「……って、お二人はどこで、その名を?」
「知っているのですね?」
「うっ……まぁ……はい」
こちらの剣幕を読み取ってか、またしても萎縮してしまう。
「いやでも、そんなやましい関係とかじゃないからね?」
「あー君、正直に言ってね?」
「いやいやいや、何かあったら、それこそ問題だろうよ!」
「何かあったら問題だから、こうして聞いてるの」
鈴屋の追撃にも、彼は首を横に振って否定する。
嘘はついていないように見えるけど……
「では、どのような関係なのですか?」
「お祭りの時に酔っ払いに絡まれてるのを、ちょっと助けた程度の……」
……出た。
鈴屋も同じ思いか、二人して大きめのため息を漏らしてしまった。
彼は悪くない、悪くはないのだけど……
そこはとても魅力的で、むしろ好感が持てるのだけど……
「そのあと偶然に街で会って、立ち話をしたくらいだぜ?」
それだけで、“結婚したい”とまで思わせてしまったのだろうか。
あの騎士英雄ならともかく、アーク殿の良さを知るには、それなりの付き合いがないと……
そこで思わずハッとして、頭をブンブンと横にふる。
いや、決してアーク殿に魅力が足りないのではなくっ!
むしろ最初から、かっこよかったですからねっ!
後ろから、だいしゅきホールドをされた時とか、もうびっくりして死にそうだったんですからねっ!
「ハチ子さん?」
「ふぁっ! だいしゅきっ……!?」
反射的に、声に出てしまった。
頬がみるみると熱を帯びていくのがわかる。
「い、今なんて?」
「だ……だいしゅきホールド……とか、いま頭によぎってしまってて……」
ものすごいドン引きされている。
「なぜに、今……てか、なんでそんな……下品なネットスラング知ってるんだよ」
「下品なのですか?」
彼がぎぎぃと首を動かし、鈴屋の方に視線を移す。
「あんただな。ハチ子さんに、変な言葉教えたの!」
「さぁて、私はちょっとお出かけしてきまぁ〜す♪」
「うぉぃ!」
鈴屋がすい〜〜っと、お店から立ち去ってしまう。
それほどに、変な言葉を使ったのだろうか。
「あの……あれって、アーク殿が使う“蜘蛛絡み”って技の別名ですよね? 足で胴を締めしながらの……」
「違うぞ。ちょっと……というか、ぜんぜん違うぞ。そして、二度と人前で言わないほうがいいぞ」
しかしそれでは、私が鈴屋に聞かされた話と違うみたいなのだけど……と、不思議そうに見つめていたら、彼がやれやれと説明をし始めた。
その内容を聞かされた私は、鈴屋への恨み節よりも、死んでしまいたいくらいの恥ずかしさでいっぱいになってしまった。
【今回の注釈】
・だいしゅきホールド……え、説明無理っ。18歳未満の方はググらないでくださいね。




