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第五章 後は消し去るだけ

「丁度週末だし、一杯、呑みに行く」

 定時が終わり、女子更衣室のロッカー前で葵が蛍を誘う。

「でもウチに帰らないと……」

 それを蛍が頑なに拒む。

「今日は健斗が食事当番だから帰って食べないと……」

 蛍は健斗を気遣っている。

 自分が大それたことを仕出かしたのだから、それが当然と思っている。

 そんな蛍の気持ちがわかるだけに葵は一時的にでも蛍を救い出そうと試みる。

「……だとしたら、早めにあたしと呑みに行くって連絡しないと」

「だからウチに帰るって……」

「辛いだけだろ……」

「……だとしても、わたしの義務だから」

「健斗さんの方だって、きっと息が詰まってるよ」

「たとえそうでも、今の状態で、お酒なんかを呑んで帰れない」

「あたしが無理矢理、蛍を誘うんだよ。いいからスマホを貸しな」

 葵が強気に出ると蛍も逆らえない。

 友人として気遣ってくれているのがわかるからだ。

 それでスマートフォンを通勤鞄からガサゴソと取り出す。

 が、あくまでも渋々と、だ。

 健斗が、家に帰れ、と命じれば、それに従うまで、と蛍は思う。

 蛍がスマートフォンを取り出せば、厭でも二匹のアクセサリーが目に入る。

 黄色いカピパラとピンク色のウサギが並んで揺れる。

 翔との出会いのアクセサリーだ。

 これが始まりだ、と感慨深く蛍は思う。

 けれども直後、何故これを始末しなかったのだろう、と深く息を飲む。

 スマートフォンは昨夜、翔と別れてから今まで一度も使っていない。

 が、その存在を忘れていたわけではない。

 忘れていたわけではないが、故意に忘れたふりをし、蛍は今まで本当に忘れていたのだ。

 おそらく翔から貰ったアクセサリーを始末したくないという想いを胸に……。

 カピパラとウサギ、この二匹を始末してしまえば、もう自分と翔を繋ぐモノは何もなくなってしまう。

 おそらく、そんなふうに考えたのだろう。

 蛍が自分の無意識な心の動きに気づいてしまう。

 気づけば目に涙が溢れてくる。

「ホラ、泣いてんじゃないよ。スマホを貸しな」

 葵が蛍の手からスマートフォンを強引に奪う。

 勝手知ったる手つきで健斗の番号を押していく。

 呼び出し音が鳴り、やがて健斗がスマートフォンに出る。

「あっ、健斗さんですか。あたしです。中村葵……。ええと、今晩また蛍を貸してくれませんか。勝手を言って済みません。ちょっと蛍に愚痴りたいことがあって……」

 後半は葵の作り話だ。

 が、それが華野健斗にわかるはずもない。

「それはいいですけど、蛍の様子はどうですか。いつもと変わりませんか」

「ちょっと元気がないみたいですね。理由は知りませんが……」

「じゃ、愚痴はアレですけど、蛍を元気づけてやってください。今日は金曜日ですし、多少、遅くなっても構いませんから……」

「わかりました。では、しばらくの間、蛍をお借りします」

 葵がスマートフォンを切り、蛍に向き直る。

「健斗さんのお許しが出たよ」

 屈託のない笑顔を見せ、葵が報告。

 それを聞き、蛍が少しだけ顔をホッとさせる。

 蛍は健斗と別れたいわけではない。

 この先、ずっと一緒にいたい、と思っている。

 だけどもう少しだけ、わたしに時間をください。

 蛍がと内心でそう思う。

「そうと決まれば、早く行こう」

 スマートフォンを返し、葵が蛍を急かす。

「うん。じゃ、わたしも気持ちを切り代える」

 漸く葵の想いが伝わったのか、蛍の顔に、いつもの笑顔が浮かんでいる。

 昨日の今日だもん、無理はしない……でも消すための努力はする。

 口許を引き締め、蛍が力強く決意する。

 簡単なことではない、と蛍にはわかる。

 が、健斗のために、それをしなければならないのだ。

 ノロノロとしていた着替えを素早く済ませ、蛍が葵と女子更衣室から通路に出る。

 エレベーターまで歩き、待ち、到着したので中に入ると翔がいる。

「あっ、蛍さん」

 翔が律儀に蛍に声をかける。

 それに葵が呆気に取られる。 

「これから中村さんと何処かに行くんですか」

 あくまで気易い翔の態度に葵は呆れたり、感心したり……。

 人に振られるのは辛いが、人を振るのも辛いことだ。

 それなのに翔の態度はどうだろう。

 まるで蛍の友だちではないか。

 山口翔は余程人間ができているのか、それとも何も考えていないのか。

 葵にはどちらかわからなくなる。

「まあ、そんなところ……」

 蛍に喋らせ、また泣かれでもしたら面倒だ。

 そう考え、蛍が口をモゴモゴとさせている間に葵が翔に伝える。

「いいな、オレもご一緒させて欲しいくらいだ」

「えっ、翔くんが……」

 声を裏返らせ、叫んだのは蛍だ。

「今すぐ帰っても今日は独りだし……」

 ……ということは翔の妻は今晩、残業か、出かけているのか、と葵が考え、すぐに確認をする。

「翔くんの奥さん、って忙しいの……」

「うん、まあ……」

「翔くんの奥さんは作家さんだって聞いてるけど……」

「へえ、中村さんは情報通だな」

「そっちの仕事かな……」

「うん、そうだ。今はまだ二足の草鞋だけど、近いうちに有名になるってオレは本気で信じてる。そのための修行……」

「ふうん。じゃ、一緒に行こうか」

 葵が軽く翔に言う。

「えっ、うそ……」

 すると蛍が大声で叫ぶ。


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