51 決
第五章 後は消し去るだけ
翔の知識に恐れ入る夏海……。
ついで翔が夏海の小説を読みたいとせがむ。
人が抱くおれのイメージが知りたいから、と……。
小説を仕舞ったUSBメモリは持っていたが、それを貸したら、わたしが困る、と夏海が思う。
ファイルを複製するにも公園にはPCがない。
「次の機会でもいいかな」
それで、夏海は言ったのだろうか。
それとも、あの時点で既に夏海は翔に恋をしていたか。
「いいですよ。何時にします」
「翔くんの都合に合わせるよ」
「学校が終われば暇ですから、いつでもいいです」
……ってことは友だちがいないのか、と夏海は思うが言葉にはしない。
「わたし、明日は用事があるから明後日の木曜日で良い……」
「オーケイです。時間は……」
「今くらいで……」
夏海が言うと翔が時計を見る。
「じゃ、十七時ということで……」
「わかった。じゃあね」
夏海が翔に別れを告げる。
あの日、夏海は母の使いで親戚が住むI駅までやって来る。
何のことはない、母の実家から菓子が送られたので、それを届けに行ったのだ。
翔と出会ったのは、その帰り。
十月初旬の日の入りは十七時くらいだから、辺りがそろそろ暗くなる。
怪しい土地ではないから暴漢の心配はない。
が、夏海には母の結婚に対する心の揺れがあるので心細い。
翔と出会った公園を出、記憶を頼りにI駅に向かう。
大通りに出れば駅まで真っ直ぐだが、親戚の家が込み入った場所にあり、更に街灯が暗いので少し怖い。
早く、大通りに出ないかな、と夏海が思っていると思わぬ助っ人が現れる。
いや、思わぬではないか。
何故なら夏海が淡く期待していたからだ。
「駅まで送りますよ」
「ああ、翔くん……」
「夏海さん、この辺り、慣れてないでしょ」
「ありがとう。助かるわ」
二人の会話がそこで止まる。
けれども夏海に不満はない。
自分の勘違いでなければ、翔の自分に対する気遣いがヒシヒシと伝わって来たからだ。
まるで夏の日のシャワーのように……。
が、そんな陳腐な言葉を口にしたら、また翔に笑われるかもしれない。
本当に作家志望なんですか、と揶揄られて……。
が、それもまた愉しいような気が夏海にはする。
ふとそう思い、わたしはどうかしてしまったのか、と首を捻る。
山口翔は中学生だ。
正確な年齢は聞いていないが、おそらく三歳くらい年下だろう。
「ところで翔くん、彼女とかはいないの……」
だから夏海は訊いたのだろうか。
自分の恋心を隠すために……。
「いませんよ。おれ、女の子に興味がないから……」
「ふうん、勿体ない。そんなに美形なのに……」
「人は顔で恋をするんですか」
「実際のところ、そういう人は多いわよ。上手く続くかどうかは別として……」
「お金の方がまだわかる気がするけど……」
「マセたことを言うのね。でも、それも本当……」
「じゃ、夏海さんは……」
「お金があってイケメンなら言うことない」
「……って、夏海さん、現金で笑える」
「そりゃ、お金だから現金よ」
が、あのときの夏海にはまだイケメンの彼氏を持つことの意味がわかっていない。
「翔くんだって、お金はともかく、美人で明るくて頼りになる彼女なら欲しいでしょ」
「いや、オレ、そういうの、本当に興味ないから……」
まさか、あんなことを言われた翔に、やがて告白されることになるだろうとは……。
夏海は一ミリも考えていない。
が、翔に告白された時点で夏海は翔が自分を想う以上に翔のことが大好きになっていたのだ。
ついで始まる恋人関係……。
どちらも初恋だから初々しい。
が、見る人によっては夏海がイタイ。
翔の見かけが子供過ぎたからだ。
そんな状態が翔の中学生時代の終わりまで続く。
その間も翔にアタックする女子は多い。
翔が相手ならば、恋人がいようがいまいが構わないと思うようだ。
どうやって調べたのか、時には独りで過ごす夏海の前に女子が現れ、このババア、翔と別れろ、などと叫んだりする。
明らかに見た目だけで翔にアタックする相手ならば気にならない。
夏海が単に往なすだけだ。
が、相手の気持ちが翔に真っ直ぐな場合、夏海は何も言い返せない。
少し前の自分がそうだったから……。
けれども気分は悪くなる。
美形の翔は恋愛音痴だから、夏海が言うか、自分の目で揶揄の現場を見なければ、夏海に何が起こっているか気づけない。
翔の見え方では順風満帆な二人の恋愛が夏海の見え方では少し違う、というのは。そういう意味だ。
とにかく翔はモテ過ぎる。
だから時に夏海を不安にさせる。
翔の気持ちが自分だけに向いていると思えば気にならない、その程度の不安なのだが……。
けれども翔の気持ちが僅かでも自分以外の誰かに向かっていると気づいたら……。
喫茶店『一日』で翔に涙を見せた、あの小柄な会社の同僚に、おそらく翔は恋をしている。
現時点で、自分ではまったく気づいていないが、夏海にはわかる。
少しもわかりたいとは願わないのにわかってしまう。
翔とは十六歳からの付き合いだ。
既に九年もともに時を過ごしている。
性格的には一本気で単純な翔のことなど、夏海にはすべてわかってしまう。
……とすれば、自分はこれから翔にどう接すれば良いのだろうか。
中学生の頃から自分を大切に守ってくれた翔を遂にわたしから解放するときが来たのだろうか。
夏海は想い、空恐ろしくなる。




