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第四章 どうしても伝えたい

 その後も蛍が山口俊に告白する機会は得られない。

 不思議なことに翔が残業などで遅くなる日に限り、健斗も種々の事情で家に帰る時間が遅くなったからだ。

 まるで蛍が山口翔に告白する気でいるのを健斗が知っているみたいに……。

 そのことを葵に話すとニヤニヤしながら、

「それが健斗さんの愛なのよ。蛍に対する……」

 と蛍に言う。

 葵にそう言われてみれば、蛍にもそんな気がしてくるから不思議だ。

「本当に健斗さんは蛍のことが好きなのね」

「うん、それは知ってる」

「だから困ってるんだよね」

 葵は言うが蛍は答えない。

 暫くだんまりを決め込んでから、

「来週には社員旅行ね」

 と話題を変える。

「そこで告るか」

「どんな顔をして、朝、家を出ればいいのよ」

「まあ、そうなるか。いろいろと厄介だな」

 その同時刻、健斗が会社でクシャミをする。

「また誰かが、おれのことを噂しているな」

 健斗が独り言ちると、

「おう、どうした華野、風邪か。そういえば、最近めっきり寒くなったもんな」

 職場の同僚が健斗に言う。、

「確かに、そうだな」

 健斗は言葉では同意する。

 が、心の中では誰かが噂をした説を捨てきれない。

 噂の主は誰だろうか。

 もしかして蛍か。

 おれの行動を怪しんでいるのだろうか。

 いや、蛍がそんなことを考えるとも思えない。

 あの夜、蛍は今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 健斗が胸を痛めながら思い出す。

 理由はわからない。

 わからないが、酒に酔っていた健斗にも、すぐに気がつけるような泣く寸前の顔だったのだ。

 が、蛍は自分でそれに気づいていない。

 無防備に健斗を出迎え、

『お水がいい、それとも、お茶かコーヒー……』

 と甲斐甲斐しく、健斗の世話を焼こうとする。

けれども健斗にはわかってしまう。

 蛍の心の中に自分ではない誰かがいることを……。

 本棚に戻された折り紙本の一件で健斗は蛍の初恋を疑っている。

 一時は蛍を好き過ぎる健斗自身の勘違いかとも考えてみる。

 が、そう考えることで自分で自分を騙していたのだと気づいてしまう。

 間違いない。

 蛍には想い人がいる。

 初恋相手がいる。

 それが自分でないことがどんなに悔しいか。

 どんなに悲しいか。

 どんなに切ないか。

 が、それを言っても始まらない。

 蛍は恋に落ちたのだ。

 もう、おれの力ではどうすることもできない。

 けれどもこうなることがわかっていれば、おれは無理にでも蛍に初恋を経験させてやれば良かった、と健斗が悔やむ。

 もちろん蛍がおれに恋心を感じてくれれば、それに越したことはない。

 が、かなり昔の時点で健斗はそのシチュエーションを諦めている。

 寂しいが仕方がない。

 蛍にとって、おれは恋愛の対象ではないからだ。

 だから卑怯なおれは蛍の初恋を阻む。

 その根となりそうな状況や人間をできる限り蛍の前から排除する。

 今にして思えばバカバカしい努力だ。

 いや、蛍にとっては精神の蹂躙だろう。

 そんな酷いことを、おれは蛍にし続けたのだ。

 二十二年以上の長きに渡り……。

 それでも人は恋に落ちる。

 おれは、そのことを知っている。

 蛍に対する自分の気持ちを知りながら健斗に告白してきた何人もの女性たちがいたからだ。

 彼女たちの健気な姿を見れば、それがわかる。

 けれども奇跡が起こり、蛍は恋を知らずにおれと結婚する。

 最後の砦の結婚……。

 蛍は常識的な人間だから結婚後の自分の恋愛感情を許さないだろう。

 が、同時に蛍は正直な人間だ。

 自分の気持ちを夫であるおれに包み隠さず伝えようとするだろう。

 当然それは自分が恋した相手に対しても同じだ。

 けれども蛍は気持ちを伝えるだけで、その恋を終わらせようとするだろう。

 すべては、おれが蛍に仕かけたトラップだ。

 蛍の性格を知り尽くした卑怯者のおれが……。

「おい、どうした。暗い顔をして……」

 不意にそう話しかけられ、健斗が驚く。

「いや、別に何でもないよ」

 健斗は否定するが、

「最近、おまえ、情緒不安定だぞ」

 なおも同僚が健斗を気遣う。

「おれで良ければ話を聞くぞ」

 とまで続けてくれる。

「ありがとう。でも本当に大丈夫だから……」

 そう言い、健斗は同僚の気遣いを無にしてしまう。

 すぐに別のことを考え始める。

 蛍の内心は簡単に見抜ける。

 況してや初恋が確実となれば、それを疑う目で蛍を見るから尚更だ。

 蛍はおれに自分の恋心を伝え、その後すぐに想い人に告白する計画のようだ。

 おれには相手の見当はつかないが、入社した会社の人間である可能性が高いと踏んでいる。

 その日の相手の行動計画がわからなければ、蛍の計画は実行できないからだ。

 そこまで考え、健斗は毎日蛍の顔色を読む。

 読めば忽ち蛍の計画実行日が予想できる。

 ……となれば、健斗はその日の夜に用を入れる。

 健斗が家に居なければ蛍の計画は実行できないからだ。

 けれども、そんな綱渡り的な日々が永遠に続くわけがない。

 それならば、どうしておれは蛍の会社の人間を調べ、相手を特定し、蛍の気持ちとおれの気持ちを伝えようとしないのだろう。

 そうすれば相手も納得し、蛍を避けてくれるというのに……。

 相手が避ければ蛍には、もうできることが何もないというのに……。

 蛍の初恋は告白未遂で潰えるのだ。

 が、健斗にはそれができない。

 とても簡単なことだと思えるのに……。

 何故だ。

 健斗は惑う。

 おれはそこまで自分を卑怯者にしたくないのか。

 それとも実は、おれは心の中で蛍の初恋を応援しているのだろうか。


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