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38 迷

第四章 どうしても伝えたい

 短い夏休みが終わると、まだまだ暑い八月後半。

 朝夕も暑く、台風も来る。

 今年の台風は迷走型で各地に大きな被害が出る。

 けれども当事者ではない多くの人々にとっては単なる夏の風物詩だ。

 テレビのニュースを見ながら、そんなことを考え、蛍は独りギョッとする。

 心をどこかに置き忘れてしまった人のように……。

 置き忘れたといえば健斗に対する自分の心も同じかもしれない。

 山口翔に出遭い、蛍は初めて恋を知る。

 知れば、それまで健斗に対して抱いていた感情が恋ではなかったとわかる。

 では何か。

 愛情の一種には違いない。

 確かに蛍は健斗を愛している。

 それに間違いはない。

 が、それは家族愛だろう。

 結婚した今となっては……。

 健斗と結婚する前は友人の愛だ。

 正直で正義感が強い健斗を蛍はとても頼もしく感じている。

 いつも頼るばかりで悪いと思うが、自分にできる限り支えたいとも考えている。

 実行できるかどうかは、また別の話だが、少なくとも蛍はずっとそう思い続けている。

 今でもその気持ちに変わりはない。

 変わりはないが、心に占める面積が減る。

 いや、面積ではなく容積かもしれないが、とにかく減る。

 代わりに違う気持ちが紛れ込んでいる。

 それは紛れもない実感だ。

 否定したいが否定できない。

 想うと心の中で、その人の姿がキラキラと輝く。

 蛍に笑顔で振り向いてくれる。

 別の課の人間から聞いた話だが、山口翔が親し気に話しかける相手は少ないという。

 多くの社員が抱いている翔のイメージはクールだ。

 蛍も初めて翔を見たときには、好みじゃない、と感じている。

 女子社員に向ける翔のクールな態度にそう感じたのだ。

 が、止めようのない流れで一緒に帰りの電車に乗り、会話をすると最初はぎこちなかったが、すぐに打ち解ける。

 元気の良い声で蛍の発言に笑う。

 翔のクールな面が、あっという間に消し飛んでしまう。

 全然、冷たくない。

 寧ろ、子供のようにやんちゃな感じで喋る。

 蛍に対する言葉遣いは丁寧だが、その中に蛍は翔が持つ自然なやんちゃさ、あるいは真っ直ぐな子供の心を感じている。

 が、そういった翔の面は、あまり知られていないらしい。

 もしかしたら、わたしが特別……。

 そう思うと蛍は一気に盛り上がる。

 が、次の瞬間、どん底に落ちる。

 文字通り、どん底=rockbottomだ。

 心が岩となり、湖の底で蹲る。

 わたしには健斗と言う夫がいる。

 夫婦間の営みもある。

 今はできない努力をしているが、やがて子供も生まれるだろう。

 健斗と健斗の両親、佐江と陽介が待ち望む子供。

 妹の江里ちゃんだって望むだろう。

 もちろん、わたしだって望んでいる。

 社会人になったばかりで数年は無理だが、いずれは……と、これまで考えて来たはずだ。

 漠然と、ではあるが……。

 当然、今でも考えている……いないわけではない。

 が、その面積は狭い。

 いや、面積ではなく容積か。

 それに薄い。

 まるで現実感が伴わない。

 それというのも……。

 わたしの心の中で翔が輝くからだ。

 翔の容積が増えたからだ。

 健斗ではなく……。

 蛍は自分の心の容量がそんなにも小さいと知り漠然とする。

 健斗も翔も、どちらも心の中で大きく輝かせれば良いではないか。

 健斗は夫として翔は仲の良い友だちとして……。

 そうすれば良いだけの簡単な話だ。

 が、現実は……。

 蛍の心の中心で翔が輝く。

 物心着いたときから、ほとんどすべてを知っている健斗ではない。

 蛍がほとんど何も知らない翔が輝くのだ。

 輝き耀き、蛍の胸をキュンとさせる。

 息を苦しくさせる。

 顔を赤くさせる。

 ほとんど何も知らないというのに……。

 会社での顔と、家に帰るときの顔と、親戚の甥っ子と話すときの顔しか知らないというのに……。

 知らなくても蛍は恋に落ちてしまったのだ。

 なるほど、恋はする、ものではない。

 落ちるものだ、と蛍は合点する。

 それを知らずに、いや、その気持ちを通過せずに蛍は健斗と結婚してしまったのだ。

 山口翔に恋するまで蛍は自分の選択肢を疑っていない。

 いずれ、健斗と結婚すると思っていたし、結婚した今もだ。

 その気持ち自体に嘘はない。

 だから、それを守るのだ。

 さらに翔は結婚している。

 蛍が顔さえ知らない女性と……。

 翔が愛し、選んだのは、翔の妻なのだ。

 翔の妻と翔との関係に蛍が入り込む余地はない。


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