24 癒
第二章 もう戻れない
「泣くのを一休みして、お茶を飲んだら……」
蛍にティッシュペーパーを渡し、健斗が優しく言う。
「うん」
蛍は答えるが、すぐに泣き止めるものでもない。
が、ティッシュペーパーを目に当て、涙を拭き取る。
わたしが泣いてもどうにもならない。
蛍は思うが、自分が葵の気持ちに応えるには、それ以外に方法がない。
そう思うとまた目頭が熱くなる。
気づくと蛍の心から山口翔の姿が消えている。
次に思い出しても涙が出ない。
葵が自分を想う気持ちが、自分が翔を想う気持ちよりも強いから……。
蛍は惑うが答えが出ない。
ただ時間だけがゆっくりと流れて行く。
いろいろな意味での癒しの時間だ。
それは健斗が蛍に与えたもの。
そもそも健斗に理解がなければ蛍に癒しの時間などあるはずもない。
「ゴメンね、健斗に余計な心配をさせて……」
暫く経ち、やっとのことで気持ちを落ち着かせた蛍が健斗に言う。
「余計な心配か。でも蛍を中村さんに取られたら余計な心配とは言えないぞ」
そんなことを健斗が言うので蛍の心は複雑だ。
思い出しても、もう泣きはしないが、蛍の心には翔がいる。
本来、健斗がいるはずの場所に翔がいるのだ。
単にマズイという話では済まされない。
人として、あってはならないことだ。
「まあ、中村さんの気持ちに応えられなくて蛍が泣いているわけだから、やっぱり余計な心配なのかな」
穏やかな声で健斗が言い、それで、この話題を終わりにする。
「テレビか、映画でも見よう。お酒でも飲みながら……」
健斗が次に、そう続けたからだ。
蛍に異存はないが、健斗に優しくされると胸が痛む。
チクチクと針を刺されるように……。
「蛍は何が見たい」
「テレビは煩いから映画がいい。健斗が選んで……」
「コメディーがいいかな」
「気をつかってくれなくていいよ」
「じゃ、ちょっよ重いけど、『本当の嘘』でもいい。ヨルク・シュタンケ監督の……」
「クリストフ・ベーレンスが原作の映画でしょ。わたし、原作を読んでる」
「知ってるよ。それで買ったんだから……」
『本当の嘘(Wahre Lüge)』は第二次世界大戦当時のヨーロッパを舞台に子供の罪をテーマとした作品だ。
『その日、唯一吐いた嘘だけが本当のことになった(Die einzige Lüge, auf der ich diesen Tag erzählte, wurde die Wahrheit.)』という冒頭のナレーションで内容自体は要約できるが、映画の面白さは、また違うところにある。
原作にある諧謔的な要素が、コメディータッチに変えられているが、それが原作の意味を毀さない。
また予算の関係なのか、ほとんどの場面が白黒だが、嘘のシーンで挿入されるカラー映像では青/赤/紫が強調される。
「お酒は何が良い……」
健斗が問うので、
「今日はもう飲んでるから薄いのでいい」
と蛍が答える。
「とことん呑むって手もあるぞ」
「健斗が先に潰れるわよ」
実際、蛍の方が健斗より酒が強い。
なお健斗は酒に呑まれるのが嫌いなので量を飲まない。
「じゃ、ビールかな」
健斗が再度、蛍に問い、
「ビールを好きなのは健斗でしょ。わたしはウィスキーを割って飲むわ」
蛍が答える。
お酒とDVDの用意ができ、健斗が部屋の照明を落とすと、
「あっ、ちょっと待って……」
蛍の頭にふと考えが浮かぶ。
「映画の前に蛍光を見ない……」
部屋の中が暗くなり、蛍が『candle ladys』で飲んだファンタスティック•レマンを思い出したのだ。
「それはいいけど、また何で……」
健斗が問うので、
「今日、お店で飲んだお酒の中に蛍光ドリンクがあったのよ」
と蛍が説明。
「でも、ウチにブルーキュラソーはないよね」
「何それ……」
「リキュールの名前」
「おれは見たことも聞いたこともないぞ」
「まあ、ブルーキュラソーは光らないけど……。栄養ドリンクは……」
「まだ飲む歳でもないし……」
「確かに……。トニックウォーターもないし……。じゃ、お酢くらいかな」
「あれっ、お酢も光るんだっけ……」
「わたしも最初は知らなかったけど醸造酢にはビタミンやアミノ酸なんかが多く含まれてて、それが光るらしい」
「ふうん」
「あとは飲み物じゃないけど、蜂蜜、バナナ、飴やドロップの一種、豆類、ピーナッツ、クルミとか……」
蛍光飲料(及び食品)について話すうち、蛍の表情に張りが戻る。
もうすぐ笑みさえ浮かべそうだ。
健斗はそのことに逸早く気づくが一言も口にしない。
ただ、じっと蛍の言葉を聞くだけだ。
その夜、健斗は蛍の山口翔に対する恋心に気づかない。
蛍に一途の健斗のことだから中村葵の件がなければ気づいたかもしれない。
が、葵の蛍への告白という事実、またそのことにより自らも涙を流した蛍の様子が、健斗に蛍の心の変化を気づかせない方向に働いたのだ。
「柿の種ならあるぞ」
「ああ、じゃあ、それも……」
そう言い、蛍が自分の机の引き出しから大学生のときに買った小型のブラックライトを探し、見つけ、取り出す。
その夜、華野家の照明を落とされたダイニング・キッチンでは黄色や青白い光たちが愉しげに、また悩まし気に競演する。
強く、弱く光り、現れ、消え、また現れる。
まるで人の恋心のように……。(第二章・終)




