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20 涙

第二章 もう戻れない

 結局二時間ほどを蛍と葵は『candle ladys』で過ごす。

 店に入ったのが午後七時くらいなので、すでに九時……。

 遅くはないが早くもない時刻だ。

「あたしが離さなかったって健斗さんには言っといてね」

 地下鉄駅で電車を待ちながら心配そうに葵が言うと、

「友だちと出かけて午前様になったときだって健斗は怒らなかったよ」

 蛍が葵に説明する。

「理由がわからなければ心配するだろうけど、今夜は葵からの事前連絡もあるし、それに言うほど遅くもないし……」

 蛍が続ける。

 同時に電車到着のアナウンスがホームに流れる。

「S駅まで一緒だね」

 と蛍。

「そこから蛍はK線。あたしはO線……」

 と葵。

 地下鉄車輛内は込んでいる。

 金曜日の午後九時過ぎという事情があるのかもしれない。

 大勢の乗客に押されながら蛍と葵がターミナルのS駅に辿り着く。

 先週、翔と歩いた同じ地下通路を今夜は葵と歩いている。

 より手前に改札口があるのが、蛍が乗るK線だ。

 葵の乗るO線は、そこから一、二分ほど先……。

「じゃ、今夜はこれで。良い、週末を……」

 蛍が言うと、

「そうか、週末なんだよね。一瞬、忘れてたよ」

 葵が蛍に答える。

 その声が少し弱々しくて、また葵らしくなくて、蛍は自分の胸の痛みも忘れ、葵のために胸を痛める。

 が、蛍にできることは何もない。

 黙って葵の傷心が癒えるのを待つしかない。

 蛍は思う。

 もし自分が結婚していなくて且つ恋人もいない立場であれば、葵のことを愛せたのだろうか。

 考えても、すぐに答は出ない。

 仲の良い友だちから始めよう、と提案するのが、自分にできる精いっぱいだろう。

「じゃ、来週ね、蛍……」

 K線の改札が見える広場の前で葵が言う。

「ねえ、葵……」

 蛍が葵に言葉をかける。

「大丈夫……」

 すると葵が大声で、

「それはこっちの台詞だろ。蛍、アンタこそ大丈夫なの……」

 葵が本気で蛍を心配する。

 ついで声を潜め、

「あたしは家に帰って一人だけど、アンタの家には健斗さんがいるんだよ。二重に大変じゃん」

『candle ladys』での蛍の文句を思い出し、葵が続ける。

 葵に指摘されるまでもないが、蛍も確かにその点が大変だと考えている。

「ねえ、いっそのこと……」

 蛍が急に頭に浮かんだアイデアを葵に述べる。

「翔くんを好きになったことを健斗に打ち明けちゃおうかな。それで、もう諦めたって……」

 蛍が自分のアイデアを述べると葵の目が丸くなる。

 ついで口までもO字型になり、言葉が出ない。

 が、それも僅かな間のことで、

「蛍、アンタはバカか」

 葵が蛍を叱る。

 その勢いに周りを歩く通行人たちが、瞬時、ギョッとして二人に注目する。

 けれども葵はそんなことは気に留めず、

「それはあんたが楽になる方法だよね。アンタだけが……」

 と静かな声で蛍を諭す。

「そりゃあ、蛍の気持ちが健斗さんに筒抜けって言うんなら、それも手だよ。でもきっと、それはまだだ、って、あたしは思うんだ。いくら蛍の幼馴染の健斗さんでも気づくには早過ぎるから……」

 葵は真剣そのものだ。

「……だとしたら、知りもしない妻の恋心を聞かされる健斗さんの身になってよ。健斗さんに同じ事言われたら蛍はどう感じる。未遂だから許すにしても複雑でしょ。健斗さんのことは知らないけど、ヤキモチ焼きだったら大変だよ。それ以上に執着する人間だったら、マジ、蛍が殺されるかもしれない」

 葵に指摘され、まさか、と蛍は思うが、可能性は否定できない。

 健斗が自分を殺すとは思えないが、物凄く、心を痛めるだろう。

 自分ではない、わたしのために……。

 夫婦とは言え、所詮は他人でしかない、わたしの恋心のために……。

「わかった、葵……」

 蛍が葵に言い、口角をキュッと引き締める。

「葵が言う通りだわ。わたしが間違ってた」

 蛍が言うと、

「わかればいいのよ。でも、ちょっと言い過ぎたかな」

 葵も蛍に、そんな言葉をかける。

「でももう早く帰ったら……。健斗さんが心配するといけないし……って、今S駅って連絡しときなよ」

 葵に言われ、蛍が気づく。

 まったく、そんなことさえ考えていなかった自分に……。

 翔くんに恋をし、諦めて、わたし、頭が可笑しくなったのかな。

「じゃ、本当にこれで……」

 葵が蛍に別れを告げ、O線の方に歩み去ろうとするので、

「うん、じゃ、月曜日に……」

 慌てて蛍も葵に別れを告げる。

 ついでスマホを取り出し、一瞬躊躇った後、健斗に通話をする。

 その同じ頃、中村葵の目には涙が溢れている。

 道行く人が振り返るほど悲しげな表情だ。


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