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虫の声  作者: 3年2組 石田莉緒
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2日目

 今日のわたしは、上きげんだ。

 なんて言ったって、朝起きるとひとかじりもしていなかったゼリーが、少しだけへっていたのだ。カブトムシの大食いを知っている身としては、物足りなくも感じたけれど。少しだけでも、ヒメが元気になったようでうれしかった。

 お母さんは、――朝から嫌いな虫を見せられたら怒るから、お父さんにほうこくした。「りおのおかげだよ」とよろこんでくれた。――このまま、元気になってくれるかな。「そうだといいね」とお父さんは笑った。お父さんから、ほのかにコーヒーの香りがした。


 まだ、よわよわしくはあるけれど。これから少しずつ、少しずつ元気になって。――そして、ちょっとだけ、そう。ちょっとだけ、ヒメとながくいれたら。そんな願いをひとみにこめて、わたしはヒメの小さなひとみを見つめた。黒くてまん丸で、かわいいひとみだ。


 しいくケースを見つめながら鼻うたをうたっていると、インターホンの音がこだました。一階に下りて、鍵を開けると引き戸を静かに開けて、タツヤが入ってきた。


「今日、来なかったからよ」

「トオルくんとか、テツヤくんは?」


「い、いいよ……。最近あいつらと、もうつるんでいないしっ」


 たしかに、タツヤはここのところ、ずっとわたしとふたりきりだった。


「だ、だから。どうせなら、りおん家に――」


 タツヤがきまり悪そうに言った。ところどころ背伸びした低い声が、上ずって、まだ声変わりしていない声に戻っている。それを聞いていると、こっちまで少しはずかしくなってしまう。


「そ、そう」


 そっけなく聞こえたかな。けれど、心の中は少し浮ついていた。


「お昼も食べていいか」

「そうめんでよければ」

「この季節はそうなるよな」


 タツヤはぎょうぎよく、くつをそろえて、やけにきょろきょろしながら、ろうかへと足をふみ入れる。


「どうしたの」

「な、なにがっ」

「きょろきょろしてる」

「べつに」

「タツヤおかしい」

「おかしくねえよ」


 くすぐったい会話だ。


「お母さーん、今日のお昼、タツヤも一緒に食べるってー。いいよねー?」


 居間で洗たくものをたたんでいるお母さんに呼びかけた。


「あら、そう。じゃあ、多めにゆでとくわね」

「おじゃまします」


 わたしの背中から、そろりと出てきて、タツヤはやけに静かなあいさつをする。「はいよー」と返事をするお母さんは、少しにやついていた。


「こっちこっち」


 階段に上がりながら手招きすると、タツヤはびくっと肩をはね上がらせた。思わずこっちまでびっくりしてしまう。


「どうしたの」

「いや、居間じゃないのかって――」

「前にも入ったことあるでしょ」

「そりゃそうだけどさ」


 前っていうのは、たしか小学生に上がりたてかそれくらい。

 そのころと今とはちがう。そうとでも言いたげなタツヤのたいど。クーラーがきいていない、ねつのこもったろうか。じっとりと汗ばんだシャツが、肌にくっついていくのを感じた。――じれったいなあ。

 わたしは階段を下りて、下でまごつくタツヤの手を引いた。ふたりの手が汗でぬるりとすべった。もう一度、しっかりとたぐりよせて、ぎゅっとつかむ。――なんでだろう。少しだけ、息がつまるように感じた。暑さでまどろんだまぶたが、はっと開くのと同時に、タツヤがごくりとのどを動かしたのが見えた。


「すわって」


 いつもはしまってあるざたくを組み立てて、「ちょっと待ってて」とだけ伝えて下から麦茶とコップと、少しのおかしを持って来た。自分の部屋に入ると、なぜかタツヤの背筋がぴんっと伸びている。あまりにもおかしくて、少しふきだした。


「ぷっ」

「な、なんだよ」

「わたしの部屋で、きんちょうすることもないでしょ。ほら、図鑑とかひょうほんとか、そんなんばっかだよ。ぜんぜん女の子っぽくないし」

「――ああ、そうだな」


 その背中をひっぱたいてやった。


「ったぁあっ! なにすんだよっ」

「自分で言うのはいいけど、タツヤに言われるとむかつく――」

「はぁあ?」


 ふんっとふてくされつつも、タツヤと向かい合わせになって座る。あぐらをかいて、ちょうどうしろにあるベッドに背中をあずけて、真っ白な天井をあおぎみる。


「今日なんで来なかったんだよ」

「ヒメもいるしねー。それに、じわじわ宿題も追いつめられてきたし。タツヤはどこまでやったー?」

「夏休みのはじめに数ページやって、それっきり」

「はは、タツヤっぽい」

「なんだそれ――」


「――ヒメってあのカブトムシか。どこにいるんだ?」


 よいしょっとはね起きて、べんきょうづくえの上に置いたしいくケースをそおっとざたくの上まで運んだ。そおっと、そおっとだ。


「手に乗せたりとかできないのか」

「たぶんむり。できるだけ遠くから見るようにしてる」


 ふとしいくケースに目を移すと、ケースの中でひっくり返ったヒメが足をじたばたさせていた。背中がぞわっとして、息がつっかえる。大あわてで、ヒメを元のしせいに戻す。――少し、息が上がるくらいあわててしまった。


「どうしたんだ、そんなにあわてて」

「ひっくり返ると起き上がろうとして、体力をすっごく使っちゃうから。それで弱って、すぐ死んじゃうって!」

「じゃあ、りおが持って来たときに――」

「ちがうっ! ちがうもんっ! ――多分……」


 言い返したけれど、よく分からなくなってしまった。ヒメがひっくり返ったしゅんかんを、わたしは見ていない。タツヤも見ていない。わたしをせめることはできるけれど、それが正しいかは分からない。わたしもタツヤも、だまりこくってしまった。


「――なあ、りお」

「なに?」

「ごめん。あ、いや……、りおが気づいたときには、ひっくり返っていたなら、今考えてできることをしよう。ほら、ヒメは足が4本しかないから。――きっと、登り木があっても、ひとりじゃ起き上がれなかったんじゃないかな」


 タツヤに言われてはっとなった。カブトムシはひっくり返ると弱るので、自力で起き上がれるように登り木を入れておく。でもヒメは、それでも起き上がれないかもしれないと。


「他に気づいたことはっ?」

「――えっと、エサ入れが、高いところにあるからよじ登るときに転ぶかもしれない」


 それを聞いて、昆虫ゼリーはおがくずの中に直せつ、うずめるようにした。登り木はできるだけ、おがくずの地面と高さに差がないようにした。ヒメは多分、木を登ろうとはするけれど、うまくは登れないはず。

 物足りないかもしれないけれど、わたしはできるだけ、ヒメにやさしいおうちにしてあげたかった。

 

「――あ、ありがとう」

「いや、こっちこそ。ごめん。せめたりしちゃったみたいで」

「……、わたし、びんかんになりすぎだよね。ヒメのことで」


 自分で自分を笑うような、苦笑いがこぼれ出た。ヒメを傷つかせないために、誰かを傷つけているみたいな、自分のたいどに嫌気がさした。でも、タツヤはこっぱずかしそうに、「それは、りおが優しいからだろ」と言ってくれた。

 ――うれしかったけれど、すこしずつ気づき始めていた。

 優しいと言われて、すくわれたいのは誰なのかな。優しいと言われたいのは、誰なのかな。


「りお?」

「あ、いや、なんでもないっ。――あー、お腹すいたっ。タツヤー、一階でそうめん食べよっ」


 空腹の助けを借りて、わたしは話題をすりかえた。

 階段をかけ下りると、居間からなまあたたかいけど気持ちいい風がびゅうっと吹きぬけていた。涼しいわけではないけれど、冷たいクーラーの風とはちがった心地よさだった。ほんのりと草があおむようなにおいがして、セミの声の中で、氷がとけてぱきりとひびが入る音がした。


「あなたー、ごはんよ」


 テレビの前のソファーで父は左手で、あかねをなでていた。あかねは気持ちよさそうに目を細めて、のどをごろごろと鳴らした。あかねの灰色とこげ茶のしましまの毛並みは、さわっていても気持ちよさそう。お父さんは、右手で読んでいた文庫本、読んでいたページにひもをはさんでぱたりと閉じる。


「ちゃんとごはんの前に手洗うのよ」

「おいおい、子供に言うみたいに言うなよ」

「なにも、あなただけに言ってるんじゃないわよっ」


 手を洗って食卓につく。

 わたしのとなりにタツヤが座った。タツヤがこうして、わたしの家族とごはんを食べることは、小学校入りたてのころとかは、よくあった気がする。――かなりの久しぶりかもしれない。

 テーブルの上には、山もりの氷の上に、山もりのそうめん。めんつゆには、きざんだネギとミョウガが入っていてツンと涼しい香りがした。わたしの呼吸に合わせて、風がそよいで風鈴がちりんちりんと鳴った。


「タツヤくんは、夏休みの宿題は?」

「え、えっと……」

「最初のちょっとしかやってないって」

「ちょ、うっ! えほっ、えほっ。り、りお!」


 ――そうめんを食べていたタツヤがあわてふためいて、むせてせきこんだ。その様子が面白くて、お腹をかかえて笑った。

 

「あと2週間ちょっとだろ。あっという間だぞ」


 お父さんまでもが、タツヤをからかった。

 なんとなく、なつかしいやり取りだった。もっと小さいころは、こんなふうに、子供は子供だった。誰かが誰かといっしょになりたいから、他の誰かを遠ざけることなんてしなかった。――みんながみんなの子供だった。


「りお、今年の夏はどこに行きたい?」


 そんな家族の会話に、自然に友だちがいる。男の子も女の子も、家族も関係なかった。――でも、それがどうしてなつかしいなんて思えたのかな。わたしは、まだ子供なはずなのに。子供ってなんなんだろう。大人ってなんなんだろう。――自分の中にいた子供が、どこかに去っていくようで、少しさみしく感じた。そう、少しだけ、なんとなく。


「りお? 聞いてるか?」

「えっ」


 途中から、お父さんが何を言っているのかよく聞こえなくなっていた。今年の夏はどこに行きたいか。出かけたいけれど、ヒメをひとり家に置いていくことが心配だった。今日もそれで、タツヤが家まで来てくれたんだし。


「ヒメがいるから、あまり……」

「ああ、そうか――」


 そこでお父さんの声が、いっそう低くなった。


「ヒメは、わたしがひろったから。わたしが守らないといけないから」


 気を落としたお父さんの顔に、にっこりと笑顔を返した。もちろん、元気なカブトムシなら、おるすばんもさせてただろう。でも、ヒメはちがう。――だから、あそこまでびんかんになっていたんだし。


「そうか……」


 お父さんとお母さんは、どこかしみじみとした口調で声を合わせた。

 

 ――自分の部屋にタツヤと戻る。

 ざたくの上のしいくケースの中、ヒメはひっくり返ってはいなかった。さっきの胸に悪い光景がよみがえる。しいくケースの中のヒメの、黒くてまん丸なひとみを見つめた。


「ヒメ、勝手にいなくなったりしたらダメだよ。ヒメは、わたしが守るから」


「……、りおはヒメのことを大切に思ってるんだな」

「うん。――なんでかは、よく分からないけどね」


 危なっかしくて、はかなくて。今にも消えてしまいそうなヒメが、ゼリーをひとかじりでもしてくれたことがうれしかった。


「宿題は持ってきてないの?」

「いや……、やる予定はなかったから」

「お父さんにまで釘さされてやんの」

「りおだって、ちょっとやば――」

 

 少しむきになって、大きな声を出そうとしたところで、タツヤは口をつぐむ。


「あ、明日は持ってくるわ――。いっしょにやろうぜ」

「いいよー。教えてあげるっ」

 

 ――夏休みの宿題を持ってきていないタツヤ。最初から、タツヤはわたしと遊ぼうと思って、家まで来てくれたのかな。


「ねえ、お絵かきしよ」


 ひまを持て余した、わたしたちは絵を描きあった。

 絵しりとりから始まって、タツヤの絵の下手さかげんをさんざんからかったあと、ヒメをモデルにしてカブトムシの絵を描いた。――相変わらず、タツヤの絵は下手で、実物のヒメとも、わたしが描いた絵とも似つかなかった。けれど共通していることがあった。


 わたしも、タツヤも、足が6本のカブトムシを描いた。

 いつか、ヒメがげんきだったころ。いや、ヒメはきっとこうなるんだ。これから、わたしが守るから、ヒメはきっとこうなるんだ。そう言うと、タツヤは「ぼくもそう思う」と言った。――本当は、タツヤがわたしの絵を見て、足を2本付け足したことを知っているんだけど。わたしは、自分の中の子供がいなくなるのがさみしくて、もう二度と生えることのない足を2本、ヒメに生やしてあげた。


 ――そう、そうすればきっと、そのときが来るまでは、押しつぶされずにすむと思った。


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