道中
ケイの言葉にいいなりとなった翌日。オーマは目覚めた。起床する意味でもあり、あの酩酊感から解き放たれたことでもある。そして苦渋の日々の始まりでもあった。
「ちくしょう、なんでこんなことになっているんだ」
初日に身ぐるみはがされて以来ようやっと与えられた腰巻一枚で隊列の中ほどをあるく。美しい男ケイの生業は奴隷商人だった。今のオーマは彼の所有物であり商品だった。
ケイの一行はケイをはじめとしその子弟らしきケイに似た金髪緑眼が一人。その二人の世話や御者をしている黒髪の少年と中年、オーマを襲った武装集団である護衛は十名、馬車の中に何名かとそれにつづく徒歩の奴隷が二十三名であった。
オーマは目覚めてからすぐ、脱走を考え始めた。自分にはめられた首枷は金属の錠こそついているがほぼ木製であり壊すのは容易だろう。そして驚くほどに監視の目は緩い。まるで奴隷が逃げ出すことなどありえないかのようだった。事実、夜になると、不寝番がたつがもっぱら外に向けて目を光らせていた。
オーマは考える。逃げ出すことは簡単だ。しかし、どこへ逃げる。自分がどこにいるのか、どこへ逃げれば安全なのか、誰に助けを求めるのか、果たして言葉が通じる善人に出会えるのはどれほどの確率なのか。そうしてあふれ出る危険になすすべなく行き倒れる自分の姿を幻想し、つらくとも、すぐさま死ぬことの無い現状に甘えていった。
日のあるうちは歩きづめ、日没前に野営をはじめ、日がのぼればまたあるきはじめる。
言葉が分からないままのオーマがわかったことは、
自分たち後方を徒歩で移動する奴隷の扱いは著しく悪いこと。
馬車内の奴隷は見目美しい若い女ばかりでその扱いは丁重であること。
初日以来ケイの言葉すら意味不明になり、奴隷に話しかけても何を言っているか分からないこと。
三日歩いても裸足での移動は痛むこと。
武装集団の前で話し続けると小突かれること。
金髪と黒髪の間にはかなりの権力差があること。
日に一食の具のほとんど無いすえた臭いのするおかゆもどきは不味いこと。
そしてハエのたかるそれを奴隷たちは平然と食していること。
疲れていても空腹感と虫たちに苛まれれると寝付けないこと。
そして何より、決してこの地が地球でないことを確信させるあることをしった。
ことは四日目の夜。一行は熊に襲われた。思い思いに寝ていた奴隷たちは逃げ惑い、あっさりと蹴散らされていた。その混乱のさなか、同じく逃げ惑っていたオーマは悠然と熊に向かうケイを見つけた。ケイはむき身の剣を熊に向けると短く叫ぶ。するとその剣先から炎がほとばしり、熊の顔を焼き焦がした。先ほどまでの勢いが嘘のように消えた熊はもはや骸だった。
これが魔術の知覚であり、ほんのすこしだけ残っていた手の込んだ悪戯という希望を打ち砕いた出来事であった。