第一話 「冒険開始」
――さて。ここで一つ、この世界について説明をしておきたいと思う。
この世界には誰もが知る「創世の神話」が存在する。それによると世界は、一人の「創世神」を苗床に創られ、彼によって生み出された五つの精霊王。即ち「地の精霊王」「水の精霊王」「火の精霊王」「風の精霊王」「霊の精霊王」が管理しているという。
そして、それによって世界は永遠に平和を享受し「世界に生まれた物は全てが祝福される」。
世界はそんな素晴らしい世界になる筈だった。
――だが、それには一つの問題があった。
創世神には「破壊神」と言う、自身の対になる宿敵が存在したのである。
この破壊神は、世界そのものとなった創世神を汚すため、自身も世界の一部と変化した。また、世界の管理者にして創世神の子供である、五つの精霊王を滅ぼす為、破壊神は自らの存在を分け、魔の精霊王を生み出したのだ。
こうして、永遠の平和を享受する筈の世界に、混沌と災いがもたらされた。それから、五つの精霊王と魔の精霊王との、長い戦いが始まったのである。
始めのうち精霊王達の力は、破壊神の力を分けられた一つの存在として生まれた、魔の精霊王に比べて劣っていた。その為に戦いは終始、魔の精霊王が優位のまま進んでしまう。
だが、精霊王の子供である存在。つまり「人間」が生まれた事により、状況は変わった。
人間一人一人の力は、とても小さい。
だが、人間の織り成す「信仰」と「意思」の力は、精霊王達に力を与え、その結果遂に、精霊王は魔の精霊王を打ち破ったのである。
その後。宿願をなし、同時に衰弱した精霊王達は、世界を外側から見守る事にした。
そして、精霊の意思を継ぐ人間はその加護を受け、少しづつ世界を統治していったのである。
――と、ここまでがこの世界に伝わる創世の神話なのだが、残念ながらこの神話には続きがあった。そう、現実と言う名の物語が。
魔の精霊王は確かに打ち破られた。
だが、世界の一部と化した破壊神の欠片と魔の精霊王の欠片は一つとなり、世界には新たな種族である魔族が生まれてしまったのだ。
更に、魔族はその魔力と破壊神の加護を利用して、己の下位種族である魔獣を作り出した。これにより、世界は新たな戦いの舞台へと進む事になったのである。
――俺はまどろみの中を冒険していた。
どれだけ大言を吐こうが構わない。旅人なんて所詮、責任のない自由人なのだから。
「……んぅ」
カーテン越しに強まった日差しを浴びて、俺の意識はゆっくりと覚醒した。そして、壁に掛かった時計を見て、溜息を吐く。時計の針は既に、お昼過ぎを指していた。
まあ、急ぐ理由など何もないので、問題はない。俺はベッドの中で大きく伸びをしながら、シーツを撫でる。清潔なシーツの手触りが心地かった。野宿を経験する事もある俺にとっては、この感触は最上級の絹よりも尊い物だと言えるかも知れない。
さて、この宿は一階で定食屋を営んでおり、食事は各自が食べたい時に注文すると言う仕組みだ。なので俺は「食事の用意が出来た」という理由で快眠を妨げられる事がなかった。これは、不規則な生活に慣れている俺には、全く持ってありがたい事だ。本当は直した方がいいのだろうが、生活の根本を変えるような出来事でも起きない限り、この生活スタイルは変えられないだろう。
例えば、王属のお抱え魔術師にでもなれて、安定した収入が入るようにでもなれば、話は違うのだろうが。
残念ながら、俺のような異端を雇うような酔狂な王族は、存在しないだろう。
何せ、死霊術師等という物が連想させるのは、この世界においても敵役くらいの物なのだ。始まりの人間の子孫、つまり英雄の子供たちである王族が、俺を手元に置きたがるわけがない。
「取りあえず、起きるか」
俺は、徐々にネガティブになっていく思考を、断ち切るように小さく呟くと立ち上がった。そしてそのまま、簡素なシャワールームへと向かう。
昨日もしっかりと風呂に入ったのだが、それでもやはり潤沢なお湯で身体を洗えるというのは、素晴らしい。俺は寝汗を落とし、ついでに歯を磨きながらそう思った。シャワー付きの宿に止まるにはそれなりの金が必要なのだが、これなら払ってよかったと思う。
――まあ、その後。
熱いシャワーを浴びながら、昨日の事を思い出してしまった俺は、その流れのあまりのテンプレート具合に大いに悶える事になるのだが、それは全くの予断である。
「さてと、どうしたものか」
火の加護を与えられた、始まりの人の子孫が治める国。「聖炎王国ヴァルフレア」の領地である町、アルティア。
実は昨日の朝方、この町に着いたばかりの俺は、しばらく観光と探索を続ける心算だったのだが、それには必要な物がある。
つまり、金だ。
先立つ物は金。何をするにも金。お付き合いに必要なのも金。結婚に必要なのも金。
この理は、どこの世界でも変わらないらしい。
と言うわけで、俺はバルフレア王立軍の、アルティア支部へと足を伸ばす事にした。王立軍の支部では、軍が手の回らない任務や、町人からの依頼などを、外部に委諾している。つまり現代風にいうのなら、この場所では「クエスト」が受けられるのである。
財布の中にはまだ、今の宿ならひと月は泊まれるだけの金はある。だが、定職についていない以上、金があるに越した事はない。
従って、俺は今回もそれなりの案件を受注しようと考えていた。当たり前だが、危険度が上がれば報酬も増えるのである。
そんな事を考えながらも、俺はようやく白色の大きな建物へとたどり着いた。軍旗も掲げているし、間違いない。王立軍の支部だ。俺は服を軽く整えると、中に入った。支部の中は、何らかの魔術による物か、外よりも快適な温度に保たれていた。
俺は案内板を頼りに軍務委諾課にたどり着くと、早速受付の女性に軍務の受注を申し込んだ。
提示するのは「傭兵認定証」。級と登録番号の書かれた銀色のプレートだ。これは自分がどれだけの案件をこなし、どれだけの実力があるか、という証明になる優れものである。ちなみに、これは国家公認の資格でもあり、戸籍がある場合は持ち主の職業欄に「傭兵」として記載される事になる。
さて、受付の女性はその級と登録番号を確認するとそのまま、極めて事務的な口調で「しばらくお待ち下さい」と告げ、俺を待たせた。
そして数分後。彼女は俺に該当する書類を手元に持ってくると、その書類の内容を確認。これまた事務的にてきぱきと、俺が受けられる依頼を提示していく。
俺は若干、その他人行儀すぎる態度に寂しさを抱いたが、支障は無いので諦める事にした。
さて、俺の現在の級はA級。一流傭兵の中ではまだ、高位級に成り立ての坊やと言う扱いだ。
勿論、最下位がE級だと言う事を考えれば、A級だということは普通に誇れる事なのだ。だが、B級に比べると難易度が遥かに上がる、この級に上がったばかりの者は、それと平行して死亡する確率も高くなる為、より高位の傭兵からはそんな扱いを受けているのである。
「――という訳で、A級傭兵資格認定者、エルデュニオン・ダエリオスさんが受けられる依頼は以上になります」
しまったと、俺は内心で冷や汗をかいた。くだらない事を考えていた所為で、依頼に関する情報を見事にすっぱり、全て聞き逃していたのである。
ちなみに、残念ながらA級からの依頼は、機密保持の為に外に持ち出す事が禁止される為、聞き忘れた依頼の詳細の写しを貰う事は、出来ないことになっている。かくなる上は、恥をしのんでもう一度説明をお願いするしかないのだが、相手が女性である事もあり、馬鹿な男のプライドがそれを許さないらしい。口が開かなかった。
こんな時、鉄面皮で格好付けの自分の性格が、えらく恨めしい。
そんな風にめまぐるしく思考を展開させていると、目の前の女性は此方の目をしっかりと見据えて「――ただ」と言葉を続けた。
「……これはA級資格認定者の、一部にのみ提示される情報ですが、現在この町では今言った依頼の他に、最低A級以上のメンバーで構成されたチームで当たる任務が依頼されています。危険度はS級。命の保障はありませんが、依頼者の身元が確かな事もあり、報酬はかなりの物が保障されています」
俺はその言葉を聞いて、いつの間にか溜まっていた唾をごくんと飲み込んだ。今ならば他人から見ても、俺の顔色が悪くなっている事は確認できるだろうと思う。それもその筈だ。
――こんな依頼が自分に来るなど、ありえないのだ。
そう、チームで受ける依頼というのは、別段珍しいものではない。警護の依頼などは大抵チームで受けるものだし、そうじゃなくても巷にありふれた依頼だ。だが、それがS級となると話は別だ。
級は通常、E・D・C・Bといった順に上がっていく。だが、A級を超えると上がり方は変わり、A・AA・AAA・S・SS・SSSといった順に上がるようになる。
つまり、この依頼はA級の傭兵である俺が本来、絶対に扱ってはいけない物なのである。それは規律的にもそうだし、安全性を考えてもそうなる。現に、これまで支部はその規律を破った事などない筈だった。
だが、向こうもそんな事は百も承知で、此方に依頼してきているのだ。
という事はこの依頼、身分が相当に上の者からのごり押しを受けており、可及的速やかに解決する必要がある、国家存亡レベルの任務だと言う事の証明になってしまうのではないだろうか。
考えすぎだと笑う者もいるかもしれない。だが、俺にはこの依頼が恐ろしいものに感じてしょうがなかった。
――そして、それは俺が冷静だったのならば、間違いなく断る筈の案件だった。普段の俺だったら、絶対に断っている筈の依頼だった。
だが。
「受けます」
何故か俺は、その依頼を受けてしまっていた。一瞬の後に我に返った俺は、そのことを後悔し、受注を取り消そうとしたのだが、重々しい雰囲気の女性の頷きと共に、書類は受理されていってしまう。
後に俺は当時を思い返して、その理由をこう結論付けた。
――あれはきっと、運命に導かれたのだと。