第五章
月が雲に隠れて、闇を濃くした洋上。
眼下には、海底資源の採取用に偽装されていただろう海上プラントが浮かんでいる。
風も弱く、波も荒れていない、静かでなんともないような風景だった。
その空中に、異様な影さえなければ。
「よく来たね、ブラン。歓迎するよ。遂に君にこれを見せる時が来た……」
巨大な影から放たれた声は恍惚としていた。だけど、その声は辺りの空気を揺らしてはいなかった。私は、割り込んできた通信に向けて語りかける。
「人の名前を勝手に調べたのか……随分と趣味が悪いじゃないか。それに一体どうやってこっちの無線回線に繋げた? ――ヨハン」
間に合わなかった。既に敵のCAは起動されていた。
国際指名手配犯。殺戮と破壊の化身。ティアナの父を殺した男。
ヨハン・エックハルトはCAに乗りながら、笑いを堪えるようにククク……という音をもらした。それは次第に大きくなっていく。その声色は歓喜に打ち震えていた。
「ク、クク……ククク……! ひひ、ひははははははははは! そう、そうだよブラン、僕さ! 懐かしいよ……その声、その口調、その態度! そうさ、僕は帰ってきた。僕は君のために帰ってきたんだよ……愛しい愛しい君を壊すためにね……」
ヨハンは狂気、そして狂喜に満ちた溜息を吐く。悪寒が走るのを堪えながら、私は努めて冷静な声を出した。
「愛の告白にしては随分と遠慮したい台詞回しだな」
「ククク……二年ぶりの再会だっていうのに冷たいじゃないか……君は僕を見ていなかっただろうけど、この半年間僕はずっと君を見ていたよ……」
「なんだと?」
半年……それを聞いて思い出すのはイビュのことだった。
イビュがEURに現れたのがおよそ半年前。そのこととヨハンに一体どういう関係があるというのか。
私が疑問の声を上げると、ヨハンはインタビューをする記者のように私に話しかけた。
「ねえブラン、君はなぜここまで生きてこれたのか分かっているかい?」
「……どういうことだ」
「僕さ。全ては僕のおかげなんだよ、ブラン。君はどうしてタンカーでテロリストに勝てた? 調整中だったはずのCAに、なぜか弾が装填されていたからだ。君はどうして僕らの計画に気付いた? EURのデータバンクに、なぜか痕跡の残る形で内容の改竄がされていたからだ! それが全部偶然だと思っているのか? 君たちEURを裏切った男はずっと君を殺そうとしていた。そうさせなかったのは僕がそう仕組んでいたからだ! 馬鹿な奴さ、自分が利用されていることにも気付かずに簡単に口車に乗ってきた! もう用は済んだからとっくに始末したけどねぇ……。なあブラン……僕はずっと君の様子も、宇宙人の様子も観察していた。だからこそ、常に君たちが有利な状況になるよう設定されていたんだよ! 君は最初から僕の予定通りに動いていたんだ」
「なんだって……! っ、これは……!」
ヨハンの語りと共に、コルネイユに映像データが送られてくる。そこにはイビュとコエスの会話、私とイビュの会話の映像が映っていた。こちらの情報は筒抜けだったのだ。
しかし。だったらなぜ、ヨハンはこんな回りくどいことを……?
これだけこちらのことが知られていたならば、いつでも私を殺すことは出来たはずだ。
コルネイユを奪って、完全な優位を得ることも出来たはずだ。
私の思考を読んだかのように、ヨハンはその理由を語り始めた。
「分からないかい? 全てはこの時のためなんだ。これから始まる君とのひとときを楽しむための前座さ……ブラン、君は空き瓶を割って遊んだことはあるかい? 冒険映画で古代都市が崩壊する姿に、なんとも言えない哀愁を感じたことはあるかい? 悪役を主人公が倒した時にカタルシスを感じたことは? 全部とは言わない、だが一つくらいはあるはずだ。そう、人は怒った時、そうでない時も何かを殴ったり壊したりする。その行為に快楽を見出す。当たり前のことだ。僕はね、その欲望に素直なんだよ。ああ、もちろん知っているよ、これは悪いことだろう? だけどそれが一体どうしたって言うんだ? そうさ――」
一息。ヨハンは、息を吸う。
そして高らかに宣言するように、両手を広げ自分の存在を世界に向けて解き放つかのように、声を張り上げて叫んだ。
「――破壊は、美しい! 長い時間を積み重ねていたり、それが重要であればあるほど壊すというその行為に背徳的な快感を覚えるんだよ! 抵抗して抵抗して、それでも無理だった時の絶望した表情にカタルシスを感じるのさ! これってさあ……芸術だろ? 芸術っていうのはみんな娯楽なんだからさ。ブラン、違う? 違うかい!?」
――これが僕だ。これがヨハン・エックハルトだ。
自分に酔いながら、そう主張するように。自分の言葉に一切の疑問を持たずに、ヨハンは言い切った。
「異常者め……」
問いかけに答える気も起きず、私が呟くとヨハンは狂ったように笑う。
「あっははははははあ! そう、それでこそブランだよ! 教えてあげるよブラン、君は今僕にとって一番重要な存在なんだ! なにせ憎くて憎くてたまらない、それが愛情だと勘違いしそうなくらいに! さあ、抵抗してみせろブラン! ぼろぼろになるまで足掻いて足掻いた、その先にある絶望を見せてくれ! 君の心が折れて壊れたあとに、君の体もあとかたもなく破壊し尽くしてやるからさあっ!」
咆哮。そして、雲が晴れてヨハンの機体を照らし出す。
形容するならば、海月のようだった。ヨハンの駆る機体は、コルネイユの数倍の図体を持っていた。灰色の表面に、幾重もの光の線が走る円柱状のボディの周りを、シャボン玉のようなドーム状の光膜が覆っている。底面部には複数の長い〝足〟が蠢いて、赤い輝きを先端へと走らせる。
「壊してやるよ……このブラガレイで!」
「敵機、攻撃を開始します」
コルネイユのAIが警告する。
エネルスによる機関砲だ。海月の遥か下方、二つ目の月はその足をくねらせて、紅く鋭い矢を縦横に飛ばした。開幕と同時に張られた弾幕を、私は上空に飛びあがって避けていき、攻撃が止むと同時に、ブラガレイと呼ばれた機体の胴体に向けて残りのヘパイストスを全弾放っていく。
しかし、透明な被膜に触れた瞬間、全てのミサイルはほぼ垂直に軌道を逸らして次々に外れた。
「無駄だよぉ、ブラン! 僕のブラガレイにそんなちゃちな攻撃は効かないさ!」
「馬鹿な、どうなっている……!?」
「敵機周辺に強い磁場の乱れを確認しました。恐らく、ミサイルが逸れるのは電磁的な何らかの装置によるものと思われます。弾丸による攻撃も通じないでしょう」
歯噛みすると、アナリシスの分析が完了したようだった。
「どうやら便利なものがついてるみたいだけどねぇ、所詮は無意味さ!」
その間にも、私を狙ってアームから放たれるビームが飛び交う。問題は山積みだった。敵の機体――ブラガレイは、胴体を狙おうにも攻撃が通じない。アームからの攻撃は激しいうえ、そこにCIWSの弾を撃ち込んでみても効果がある様子はなかった。唯一効きそうなレールガンは、命中精度は高くないためアームを撃ち落とすには接近する必要があることに加え、弾丸の携行数も足りない。更に、敵はこちらの機体のことを知っているため、攻撃手段も筒抜けだ。アナリシスのことは知らなかったようだけど、会話が傍受されてしまっているために戦略を練るにしても向こうにばれてしまう。
「ほら、ぼーっとしている場合かい?」
ヨハンの声が聞こえ、ブラガレイがふわりと横軸の回転をする。遠心力で広がった何本ものアームが白煙に包まれて、その中から大量のミサイルが飛び出してきた。
私は舌打ちをしながら後退し、腰の機関砲と頭部の機銃をフルに稼働させ、ミサイルを撃ち落としていく。
爆発が連鎖する。弾丸に貫かれた弾頭が破裂し、その余波により他のミサイルも吹き飛んで相当数を落としたものの、幾つかは隙間を抜けてきた。私はそれをぎりぎりまで引き付ける。距離が迫るとスラスターを可変させ、出力を上げて左に急加速する。
戦闘機では有り得ない機動を取ったコルネイユに、目標を見失った弾頭はしばらくふらふらと飛び続けて、やがて燃料が切れ海に落下する。
直後、押し寄せてきたミサイル群を退けた私の耳に、笑い声が届いた。
「ク、クク……ふふ…………」
「…………?」
笑い声はヨハンのものだった。
攻撃が止み、辺りに不気味な静寂が訪れる。
二秒、三秒……やがて、その声はふと止まる。そして、
「……いい」
呟き。
「いいよ……! 最高だよブラァン! 美しいよ……君の破壊も美しい! 壊そう。さあ壊そう壊そう壊そう壊そう壊そう壊そう壊そう! 壊して壊して壊し合おうよ! 最後に君も綺麗に無残に粉々に破壊してあげるからさあ!」
突如ブラガレイが反転し、底部をこちらへ向けた。ばっ、と花が開くようにアームが広げられ、赤い光を花弁が帯びていく。
「危険です、逃げてください」
その警告よりも早く危険を察知した私は、既に動き出していた。一瞬前まで居た場所に巨大な光線が走る。私はブーストの出力をぎりぎりまで上げると、そのまま上空まで飛翔する。急激な加速に圧迫された身体の感覚に襲われるけど、止まっている場合ではない。
コルネイユが通った軌跡をなぞるように、視界の端で閃光が中空を薙いでいく。半回転ほどしたところで、コルネイユを飲み込まんとしていた光の奔流は収束し、ブラガレイは元の体勢へと戻った。
敵はその場から動かず、コルネイユの位置だけが逆になる。
まるで飛行する要塞だった。実際には感じるはずはないのだけれど、冷や汗が額を撫でた気がする。ヨハンの機体は自ら動くことなく、その圧倒的火力で敵を粉砕することに長けている。
実のところ、コルネイユにはエネルスによる指向性エネルギー兵器を搭載してあった。レクシルが作戦前に言っていた〝あれ〟……物理的な攻撃であるミサイルや弾丸とは違い、電磁波を気にせずダメージを与えることが可能な武器が。
しかし、これには使えない理由があった。
エネルスは燃料として使用する分には半永久的な飛行が可能だ。地球上に存在しない物質なので原理は不明だけれど、このエネルギー体はある方向に向けて熱線として撃ち出す際、通常とは比較にならないエネルギーを消費する難点があった。
更に、ブーストによる飛行中にこれを射出してしまうと、エネルギーの変換効率の問題もあり、コルネイユのブースターは停止してしまう。そのうえ、発射にはエネルギーをチャージする必要性まで存在する。
これを空中で撃とうとなどすれば、まず落下するだろう。チャージ中は無防備なので、その際に攻撃を食らうのは確実だった。なにより、敵から攻撃を受けずにこの武器を使えるのならば、とっくにアナリシスはそう分析するに違いない。
実弾で応戦するしかない。
敵の攻撃手段を絶ち、そこから反撃の手段を見出だすしかなかった。
「レック、聞こえるか!?」
『ああ、モニターしてる!』
そう呼びかけると、レクシルが応えた。ヨハン――ブラガレイは通信を終えるのを待つように、何もせずに浮かんでいる。何をしても無駄だと思っているらしい。
「レック、アナリシスで敵の攻撃の軌道予測は出来るか?」
『何だって!? まさかブラン――』
「出来るか出来ないを聞いてるんだ!」
そう叫ぶと、レクシルは一瞬黙ってから、
『出来る。だけど確実に出来るかどうか、まだ分からない。自信はあるけど……』
「ならそれを起動してくれ! このままじゃどちらにせよ負ける!」
『ブラン!』
「お前を信頼してるって言っただろう……任せたぞ!」
通信を切る。こうした方がレクシルは早く行動すると知っていたからだ。
「話は終わりかいブラン? 来ないならこちらから行かせてもらうよ……?」
「やるしかないか……行くぞ!」
気勢をあげて、鴉は要塞へ向け羽ばたいた。
再び揺らめいたアームの群れから、海月の幼生のように大量のミサイルが飛び出してくる。しかし直前に、私はそれを見越してアームに大量の弾丸を叩き込んでいた。
ブラガレイのアーム部分にはあのバリアはない。生まれ出ること叶わず散ったミサイルが次々引火して膨張し、敵の装甲内部で炸裂する。内側から破砕されたアームが千切れて、ヨハンが短く悲鳴をあげたのが聞こえた。
「敵機体、損傷軽微。まだまだ来ます」
「分かってる!」
爆発を逃れたアームからは、まだまだ大量のミサイルが飛んできていた。瞬間、アナリシスはそれらの予測軌道を視界に映し出す。私はそれらを普通なら無茶とも思えるアクロバティックな動きでどうにかかわしつつ、ブラガレイに接近する。
「く、う……っ!」
押し寄せる圧迫感に呻いてしまうが、これくらいの無茶をしなければ虎穴に入ることは出来ない。そのままなんとか無茶を通し、コルネイユはブラガレイの下まで辿り着いた。
だけど、まだだ。虎穴に入るだけでは意味はない。勝機──虎児を得るために、私は大腿部のホルスターからある得物を引き抜いた。
近接戦闘用の実体刀。敵施設破壊用に製作された巨大な刀剣が高速で振動し、その刃に超硬度の物質を両断する権利が与えられる。
真下に留まっていては的にされる。私は全てを切り落とすことは諦め、駆け抜けるようにすれ違ったアームを両断していった。切り飛ばされ、きりもみしながら落下していったアームからあらぬ方向へと光線が飛んでいく。七、八本ほど切り終えたところで、周囲のアームが光を帯び出す。ビームを発射する兆候だ。
私はそのまま加速して、最後に目の前にあったアームを切り飛ばしてブラガレイの足元から脱け出ると、思いきり機体を持ち上げた。その際、敵のビームが頭部を掠める。
「うぁ……!」
幸い重要な機能を司る部分は破壊されなかったようだった。私は被弾の衝撃に顔をしかめながらも、なんとかビームの射線から逃れる。
とりあえずの危機は去った。そこで、AIが分析した被害状況を報告する。
「頭部被弾。システム中枢の破壊は免れましたが、溶解した装甲が機体内部に侵入。索敵装置が故障したようです。今後、レーダーやそれを利用した機能は使用出来ません」
「問題ない。戦闘は続けられる」
私は答えると振り返り、敵の姿を見下ろした。
「ブラァァァァァ――ン!!」
耳をつんざくような怒号。その声は先ほどとはうって変わり、微塵ほどの余裕も感じられない。私は実体刀を脚部に戻して、降下を始める。
勝機が見えてきた。ミサイルを使うのは危険だと判断したのか、ブラガレイはエネルスによる攻撃しか放ってこなくなる。しかし、アナリシスはその攻撃の軌道も完璧に予測してみせた。攻撃が当たらないことに腹を立て、冷静さを失ったヨハンの攻撃にも粗が出てくる。そうなれば、後は一方的だった。
おそらくその巨体に大量のエネルスを詰め込んでいるのだろうか。ブラガレイは残量を気にもせず高威力の熱線を幾重もコルネイユに放ってくるものの、何本ものアームを破壊され、その弾幕は相当に薄くなっていた。
私はそれらを潜り抜け、着実にアームを破壊していく。勝利は時間の問題だった。空が白み出した頃には、数多くあったブラガレイの脚も残り数本となり、私は勝負に出る。
「次で最後だ。行くぞヨハン!」
「馬鹿なぁっ!? ふざけるな、なんなんだこれは! どうして当たらない、どうしてそんな動きが出来るんだ! くそ、くそくそ! ブラァァァァァァン!!」
ヨハンが絶叫しながら最後の弾幕を放ってきた。
しかし、たかが数本のアームで放てる弾幕など大したことはなかった。かわしながら私は決め手となる武器を抜き出した。
レールガン。コルネイユ用にカスタムされたこの電磁加速砲は、絶大な貫通力を秘めている。電力をチャージする必要はあるけれど、その間に飛行は出来るので問題はない。胴体を直接狙うのが不可能でも、攻撃の手段が減った今ならば真下から攻撃が可能だ。
そして私は怪物の身を貫く槍を突きつけようとして――気付いた。
視界の隅でアームが一本、赤く発光しているのが見えた。当然、闇の中で発光するアームは目立つし、タイミングをずらしたこの攻撃が自分を狙っていても、アナリシスでの予測は可能で、避けられる確信はあった。
けれど奇妙なのは、そのアームが全くこちらに向けられていないことだった。嫌な予感がして、私はコルネイユの背部カメラの映像を視界の端に表示する。
プラントが、あった。
このまま私がブラガレイの真下に潜りレールガンを放てば、怪物は沈黙する。しかし、ブラガレイの攻撃はプラントを破壊するだろう。
冷静に考えれば、プラントに居たのはブラガレイを作っていたはずの人間だった。彼らを殺されても問題はないはずだった。それよりもここでヨハンを逃して、奴を破壊衝動の赴くままにした方が危険だ。
――それでも。それでも私は、機体を急停止してアームに狙いを定めていた。
撃つ。距離が近かったこともあり、発光していたアームが千切れ、海へと落ちていく。他のアームの射線から離れようとしたところで、右手のレールガンが撃ち抜かれた。
「く、そ……!」
慌てて機銃で応戦しようとした刹那、左のスラスターが中ほどから閃光に持っていかれる。翼をもがれたコルネイユが、制御を失い徐々に落ちていく。
「姿勢制御不能。墜落します」
回転する視界の中で、その声が奇妙なほど頭に響いた。
空が遠くなっていく。ブラガレイの影が小さくなる。
落下の感覚に包まれながら、私は左手を空に伸ばして――その腕を、赤い光が貫いた。
強い衝撃に私が眼を開くと、たくさんの気泡が真上に昇っていた。
――ああ、墜落したのか。とぼんやり考える。
ふと腕を伸ばそうとして、私は左腕がないことに気付く。
ぼろぼろだった。私は、ヨハンに負けた。もう、空は飛べないし左手もない。
――もう、いいんじゃないか? そんな考えが頭をよぎる。
「ふざ、けるな……!」
まだだった。まだ、終わってはいない。
私は抗うことはやめない。翼をもがれて、片腕を失くしても。私には、その理由がある。
私が、抗う理由は――
「やあ、ブラン……残念だったねぇ」
「卑怯者め……!」
通信回線に、ヨハンの声が割り込んでくる。
憎しみを込めた声でそう呼ぶと、ヨハンは嬉しそうに溜息をついた。
「何を言おうと、最終的に負けたのは君さ……馬鹿だねぇブラン、あんなプラントの馬鹿どもを守ってやられるなんてさあ! だけどそれも無駄になるんだ……」
「やめろ! 何をする気だ!」
「壊すのさ、ブラン。安心してくれ……いきなり全部は壊さないよ。誰も死なないように少しずつ、少しずーつ、壊してやるのさ。そしてあと一撃で、というところで一度に壊すんだよ……素敵だと思わないか? 君が守ったものが無意味に壊れてく瞬間、君がどんな表情をするのか見せてくれ……君の心が破壊される瞬間を見せてくれ。そうだな……長く楽しみたいしあと二十発だ。二十発で壊そう。発射までのカウントも二十でいいかな……それじゃ、いーち、にーい……」
「くそ……!」
恍惚としながら、ヨハンは一発目を発射するまでのカウントダウンをしていく。
何か方法はないのか――とその時、私はまだ武器が残っていることに気付く。
「背部シェル――展開」
背中を覆っていた装甲が開く。内部に収まっていた空気がこぽこぽと音を立て水面に上がっていく。私は右腕を背に伸ばし、それを手に掴んだ。
「背部超射程対物狙撃砲、ディオニューソス――起動」
攻撃の準備を開始する。だけど、ヨハンは一切動じることはなかった。
「ははっ、いいねブラン。悪あがきかい? 知ってるよ、レーダーは使えないんだろう?」
そうだ。最初に被弾した時、コルネイユのレーダーは既に使いものにならなくなっている。だから水面が揺らいでブラガレイの位置が分からない今、私は攻撃の準備をすることしか出来ない。撃つことは、出来ない。
「あらかじめ言っておこう。君のお仲間に救援の連絡を取ったら今すぐ君を殺すよ。その機体の分析プログラムはなかなか厄介みたいだからね。はい、二発目だ。ははっ、人が何人か逃げてるよ、怖がらなくてもいいのにねぇ、まだ殺さないんだからさ!」
唯一の可能性も潰され、私は唇を噛む。これで可能性は、一か八か勘で撃つしか――
その時だった。
「はいはーい、再びみなさん大好きコエスさんの登場でーす」
「な……!」
陽気な声が緊張感をぶち壊して割り込んできた。
呆気に取られて私が声を出してしまうが、ヨハンからの反応はなかった。
「彼は気付いていませんよ。これはご主人――マスターがタンカーでこの機体のプログラムに組み込んだ特殊回線ですから、私と話す分には向こうには聞こえません」
「本当か?」
声を荒げても、ヨハンが反応する気配はなかった。よく考えてみれば、これは私が実際に声を出しているわけじゃない。向こうに知られていない回線なら、会話は可能になる。
そうだ。私にはまだこの手段があった。だけど、コエスはすいません、と謝罪する。
「ご協力したいのですが、今のマザーシップの位置からは敵の位置を確認出来ないんです。私はこの星の端末にはまだ体内端末にしか対応出来てなくて……。それにEURのデータバンクも体内端末を借りてでしたし、今はそこへのアクセス権限も……」
「なんだって……くそ、どうしようもないのか……!」
突然現れた僥倖だったけれど、その可能性も潰されてしまった。
コエスは申し訳なさそうに、もう一度すいませんと謝った。声色からして、どうにも出来ないと知りつつも話しかけずにはいられなかったのかも知れない。
「体内端末があれば、気付かれずに通信は出来るのか……?」
「はい、しかし相手のアドレスが分からないことには……」
どちらにせよ、もう手はなかった。レクシルは体内端末を入れていないし、伯父さんも同じだ。私と交流のある相手は、この二人しかいない…………いや。
「待て……そういえば……」
最初の一撃から既に、ヨハンは十八発の攻撃をプラントに与えていた。その間、私はただ待っていることしか出来なかった。終わりの来る、その時を。
「さあ、遂に次で最後だよブラァン」
ヨハンの声が木霊する。
最後のカウントダウンが開始される。もう時間がない。
「待ってくれ」
足掻くように、私は口を開く。そして、カウントダウンが止まる。
「どうしたんだい? 命乞いでもするのかな?」
「違う、最後に言っておきたいことがあってな」
「ふーん、諦めちゃうのかい? まあいいや。ブラン、聞いてあげるよ。僕は優しいからね」
ヨハンは残念そうに言うと、私の言葉を待つ。
まだだ。時間を、稼がなくてはならない。
「あの時の問いに答えておこうと思ってな」
「ふむ、あの時って?」
「二年前。お前は私に聞いたな。自分の判断は正しいと、私に言えるのかと」
「ああ嬉しいよブラン、覚えててくれたんだね!」
子供のようにはしゃぐヨハン。私はそれを無視し、更に続ける。
「確かに、私は人の命を奪う時もあるだろう。だが、決してそれを望んだわけじゃない」
「それは詭弁だねブラン。そのことが免罪符になると思っているのかい? 望んで殺したのでなければ幸せになる権利があるとでも?」
ヨハンの言葉は、的を射ているように聞こえる。だけど、この言葉は言葉でしかない。
私はもう、それを知っている。惑わされたりはしない。
「そうは言っていない。だが私は何かを感じることに、義務や権利が必要だとは思わない。たとえお前の破壊によるカタルシスでも、だ」
「ということは、僕のことを理解してくれるのかな?」
既に二十秒は経った。ヨハンの意識は完全に私に向いている。私の解答に興味を持っている。二年前には言えなかった答えを、私はヨハンに突きつけた。
「いや、私はお前とは違うよ。私は屍の上を歩いている以上、殺される覚悟はある。戦場に出ている人間はそうでなくてはいけないからな。だがな、自分の欲やエゴのために、何の関係もない存在を理不尽に踏みにじって、他者の命や権利を奪うお前のような奴を、私は絶対に許さない」
「だから僕を裁くとでも言うのか? 判断する資格が自分にあると? 傲慢だねブラン、神にでもなるつもりか!」
「違う。私は……人間だ!」
叫んだ瞬間、コルネイユにブラガレイの位置座標が送られてきた。
「馬鹿な!? いつの間に……どうやって連絡を取ったんだブラン!!」
「アナリシス起動。座標情報、リンク完了」
視界にブラガレイの位置が表示される。反撃をしようとしているようだけど、もう既に遅かった。ディオニューソスの照準はもう終わっている。
「ブラァァァァァァァァァァァァァァァン!!」
「これで――終わりだ!!」
直後。ディオニューソスの銃口から、弾けるように極太の閃光が迸る。それは一瞬海に飛び込んできたブラガレイの赤い光線をも飲み込んで、稲妻のように空へと突きぬけていった。
その緋い光に身を焼かれたヨハンが、断末魔を響かせる。
破壊の化身が最期に唱えたのは――おそらくは、滅びゆく自らに向けられた……美しい、という言葉だった――