第四章
「本作戦は三日後、クロアチア領海内にて開始されます」
薄暗い部屋の中、作戦の説明が始まる。プロジェクターに照らされた光の中で、ハルトは淡々と述べた。その手元にある装置を操作すると、クロアチア近辺の地図が映し出されたスクリーン上に光点が二つ現れる。
私は足を組み、簡素な椅子の背もたれに身を預ける。室内を見渡すと、今回の作戦に関わる技術者たちが集まっていた。その中にはレクシルや……ティアナの姿もあった。
「こちら、アドリア海上にあるポイントが作戦の開始地点です。そして、クロアチアの領土内にあるこちらが……テロリスト達の基地と思われるポイントです。何か質問は?」
ハルトがスクリーンから視線を外し、室内を見渡すと、すっと手が挙がった。挙手したのは若い、まだ成人して間もないとおぼしき女性。ティアナだ。
「あの……」
「何でしょうか?」
「クロアチアはEURの加盟国ではありませんが、作戦に関する許可などはどうなっているのでしょうか……。それと、O3で出撃するとなると、目標に気づかれて情報を隠蔽する時間を与えてしまうのでは?」
「なるほど、いいでしょう。最初の問いですが、クロアチアは加盟こそしていませんが、我々の援助を受けています。過去に起きた紛争の被害は甚大であり、未だ国政は不安定なままですから」
「つまり、間接的な同盟国だと……」
「そういうことです。また当該作戦地域は過去起きた紛争により封鎖された地区の一つであり、テロリストはそこに潜伏しています。居住区域からは離れているため、クロアチアの人々にも影響を与えることはないでしょう。そもそも自国のテロリストが我々を襲い、それをこちらで処分してあげようというのですから、彼らに文句はないでしょう」
皮肉気な笑みを浮かべ、ティアナを見るハルト。
そうして黙々と進行していく説明を、私は黙って見ていた。今回は作戦要員全体のための説明だったので、わざわざ私がハルトに質問をしにいく必要はなかったからだ。
何もせずとも私の考えは脳内で纏められると、体内端末を経由して左腕のBMIに記録されていく。つまりは説明が終わるまでの間、私がするのは話を聞くだけ、ということで、少々退屈ではあるけれど。
「さて、次の質問ですが、我々は既に偵察機を送っているのです。いや……送っていた、が正しいでしょうか。現在こちらが送った偵察機は、二機とも反応をロストしたのが確認されました。内通者により、既にこちらの情報はあちらに回っていると考えるのが妥当でしょう。ターゲットにこちらの動きが知られている以上は、たとえ罠だとしても我々にはあの巨大兵器を送ることしか出来ません。来ると分かっていても止めることが出来ないような、圧倒的な戦力を有する物はあれ以外にありませんから」
そう、情報を消されている可能性があろうとも、手掛かりはそこにしかないのだ。エネルスが盗まれ、敵がCAを製造しているかもしれない以上は猶予もない。
だから、
「そこでまずは使い捨ての駒が要るわけか……」
小さく呟く。EURとしては、あまり大事にしたくはないのだろう。なにせ仮にも極秘である一組織が宇宙人と接触し、強力な兵器を製造した挙句、内部の反逆者がそれを使いかねない状況になっているのだから。更にタチの悪いことに誰が裏切り者なのか、その目的すらも分かっていない。早めに不穏因子を取り除きたくとも、大きな動きを見せればその痕跡は必ず残ってしまう。
EURの人間にも家族が居る。そんな人間を使って作戦が失敗し、欧州極秘組織の構成員が次々と殺されている……なんてことが他国の諜報員に何らかの形で知られでもしたら、CAや宇宙人の存在が明るみに出かねない。何事にも、タイミングというものがある。
宇宙人との接触というだけでもインパクトが強いのだ。もし、強力な軍事兵器の開発が世界に公表されれば、それをきっかけとして大規模な戦争に発展しないとは、誰にも断言出来るはずがなかった。
とどのつまり、EURが欲しているのは使い捨てられる人材だ。私なんかはうってつけの駒だった。血の繋がりや親交のある相手は皆EURの人間、本人自体の戦闘能力も高いことが証明されていて、CAの搭乗経験までもがある。不確定要素の多い今回の作戦において、これほど組み込むに丁度いい『部品』もそうそうないというわけだ。
勿論、そんな思惑を隠そうともしない上の人間に従うのは癪だったけれど、断る理由はなかった。伯父さんが殺されかけて、敵の幹部は私自身にも因縁のある相手なのだから。
ともすれば世界の危機とも言える状況で、相当プライベートな理由で作戦に参加することに、私は今更ながらに可笑しなものだな、と思った。
時は過ぎ、作戦当日。
クロアチアへの輸送船に偽装したタンカー内部。波に揺られる船体の各部が小さく軋む音を立てている、狭い通路の中を私は進んでいた。通路の壁は金属がむき出しで、客船のような乗員への気遣いに満ちた構造は一切ない。
私は今、特殊作戦用の黒いアーマーのような戦闘服を着用していた。関節の内側や頭部以外を覆うこのアーマーは、しかし金属的な質感ではなくて、伸縮するゴムのような感覚だった。ちなみに私の髪は背中側で僅かに盛り上がったフードのような収納に固定されている。だからたとえ激しい動きをしたとしても、この髪が邪魔になることはない。
そしてしばらくして、私はふと歩く足の動きを止める。
正面には、重厚な水圧扉があった。私が通路脇のスロットにカードを通すと、大袈裟な擦過音を立てて扉は開く。
内部に一歩を踏み入れると、そこは船内に広がった巨大な空洞だった。多数の兵器を格納する容量を携えたその場所は異様に広く、天井は遥か高みから私のことを見下ろしている。そして、その空間すらも窮屈そうに巨大兵器――O3は鎮座していた。
人型の体を折りたたんだ、狐色の光沢を持った鉄塊。まるで空へと飛び立つのを今か今かと待つ鳥のように、巨大兵器は言葉もなく佇んでいる。
と、そこで男の声が無音の空間に木霊した。
「――ColossalArmes、『O3』。コードネームは『コルネイユ』……」
背後を見ると、私の来た扉から、よく見知った男がこちらへと歩いてきていた。
「……レックか」
レクシルはいつもと変わらない白衣を着ている。私の隣に立つと眼鏡の奥の双眸はO3、もといコルネイユを見上げた。
「Corneille――、つまり『鴉』か。なんの偶然なんだかねぇ」
鴉。そう、先日ティアナが見つけて、治療したのも鴉だった。あれから様子は見ていないけど、怪我は良くなったのだろうか。
「機体の調整はもう終わったのか」
私が問うとレクシルはまあね、と短く言ってずれかけた眼鏡を直し、コルネイユへ視線を移す。
そのボディを眺めると満足そうに口元をつりあげて、レクシルは説明を始めた。
「今やコルネイユの状態は万全だ。僕の作った情報解析プログラムとAIのアセンブルも間に合ったし、安心して君を送り出せる」
「AI……前にも言っていたな。そういえば何故無人兵器でもないのにそんなものを付ける必要があるんだ?」
「アシスト用さ。IBMIで同調すると、搭乗士はCAの視点で体を動かすことになる。当然だけど、武装や敵の攻撃への対処の仕方も異なってくるよね」
「まあ……な。確かに、普通なら生身で対空ミサイルに対処するってことはないだろう」
「そ。つまりその隙を埋めるためにこのアシストAIはある。僕の自慢の解析プログラムから送られた情報を、状況に合わせて視覚化、言語化する。敵戦力の残存数、機体に迫る危機の察知から対処法までね。たとえば搭乗士の意識外、機体後方に迫る危険因子を感知して、統合的な情報を高速処理、最適な解決方法をパイロットに提案したりしてくれる。他にも、戦況に応じて使用する武器のアドバイスもしてくれるよ」
「……ビデオゲームのお助けキャラみたいだな」
皮肉を込めて言うと、レクシルは苦々しく笑った。
「仕方ないさ。自分たちの側の人に危険が及びにくくなるほど、戦争っていうのはゲーム体験に近くなる。コルネイユのシステムはまだマシなほうだよ。搭乗者が直接出張る必要があるんだから。今じゃ戦場に送り込んだ無人機を、安全な場所でピザでも頬張りながら操作してる人たちだって居る」
「だからと言って戦争という事実がゲームになるわけじゃない」
「うん。そして逆もしかり、ってね。戦争ゲームをやる人間が戦争をするか、って言ったらそうじゃない。有名なゲームをやってる人がみんな配管工になったら困る……と、まあ世論についての雑談はここまでにしとこうか」
「妙な話にまで飛んでたのはお前だけだ」
「あら、そうだったっけ?」
頭をぽりぽり掻きながら、レクシルはコルネイユの脚部に寄りかかる。
私は手首の端末を覗き込む。作戦開始の時刻までは時間があるけれど、そう余裕のあるほど長くはなさそうだった。
「さて。そろそろ装備の確認をした方がよさそうだな。部屋に戻るか」
「ああ、それじゃ。僕はもうしばらくコルネイユを見てるよ。いやはや、作戦の結果如何に依っては見納めになるかも知れないからね」
「呑気なもんだな。人が戦場に行こうってのに」
「信頼の表れさ」
肩をすくめるレクシル。相変わらずの調子だった。
呆れて、私は小さくため息を吐く。
「どうだか。お前は道化だからな」
「キツイね。もしかして僕って信頼されてない?」
「いや、信頼はしている。信用はしてないがな」
「おっと、これは一本取られた」
「ふん。じゃあな」
「あ、ブラン、ちょっと待って」
背を向けた直後にそう言われ、振り返るとレクシルは白衣のポケットから何かを取り出し、私に投げてきた。片手を上げてキャッチすると、それは左手のBMIに差し込むためのデータチップだった。
「彼女……ティアナの連絡用のアドレスだ。もし鴉の様子が気になったら、ってデータを渡されたから、チップに移しといたんだ。すっかり忘れてたけど、今のうちに渡しとく」
「……作戦前にか」
「帰ってくるなら大丈夫だろう?」
「…………」
私は何も言わず、一応BMIにチップを差し込んでおく。データが入れられたのを確認すると、チップを抜いてレクシルに投げ返した。
多分、このアドレスは……使うことはないだろうと思いながら。
窮屈なコックピットに納まると、体を固定する。IBMIでの同調中は運動を司る神経回路が遮断されるので、固定が甘ければ酷いことになる。
ジェル状の特殊な衝撃緩和剤の詰まった操縦席にと同時に精神を引き締め、ブランはコルネイユを起動した。
「準備が完了した。いつでも出撃出来る」
私が告げると、聞き慣れた初老の声がコックピットに響いた。
『了解。じゃあブラン、僕たちはタンカーからアシストさせて貰うよ』
作戦に関わるメンバーは、全員タンカー内に居た。だからおそらく、ティアナもタンカー内のどこかで作業をしているのだろう。……私には、関係のないことだけれど。
『さて。ブラン、念のため武装の確認をしておくよ。まず、頭部に対小規模戦闘用の機関砲が二機。腰部には近接防空用の機関砲、CIWSが搭載されていて、次に腕部には小型誘導弾が各十二基ある。それと脚部に収納された近接用の実体剣。これは弾がなくなったときに使ってくれ。あと、これまた脚部先端には突出式の小型実体剣もある。小型、とは言っても数メートルはあるから対兵器戦闘にも使えるよ。それとアシストパーツには、腰部に換装したレールガンと、背中のシェルに例のあれを搭載しておいた』
「なに? あれは隙が大きすぎる上に、使える状況だって限られているだろう」
『もしも、っていうこともある。あってもコルネイユの出力なら飛行能力に支障はないし、持っていって損はないと思うよ』
「まさか、本音はロマンがどうだとかって理由じゃないだろうな」
『……………………ソンナコトナイヨ―』
……呆れてものも言えなかった。私は出来るだけ大きく溜息をついてやると、巨人に変身するための呪文を口にした。
「IBMI――同調開始」
同調剤が投入される。意識を手放すと睡魔に導かれ、束の間の闇へと落ちていく。次に私が目を覚ますと、視界に広がったのは宵闇に染まる空だった。
コルネイユに搭乗する直前、機体はまだ船倉内部にあった。どうやら同調するまでの間に、床が上昇して甲板まで押し上げられていたらしい。
『ブラン、聞こえるかい?』
「ああ、聞こえる。同調は完了した」
しゃがんだ状態から立ち上がり、辺りを見回す。海も空も、ノイズやもや一つなく鮮明に映っている。カメラから送られた偽物の視覚信号とは思えないほどにクリアな視界だ。
それに、前回は緊急事態だったので意識していなかったけれど、四肢の同調にも違和感はなかった。指を動かすと、生身の自分と同じような滑らかさで可動する。さすがに触覚までの再現は出来ないようだけども、十分すぎるほどの動かしやすさだ。贅沢は言っていられないし、慣れるしかないだろう。
「O3、起動完了。続いて機体情報の確認を開始します」
タンカーの時も聞いた女声がそう告げる。レクシルたち技術者の調整のためか、合成音声は幾分か滑らかになって人間味のある声色になっていた。
「機体情報の確認が完了しました。続いてアナリシスの説明を開始しますか?」
「アナリシス?」
『僕が作ったプログラムのことさ』
とそこでレクシルの声と映像が視界に割り込んでくる。
『前も言ってた解析プログラムだよ。アトモスや各地の研究施設から選りすぐったレーダーやセンサーをフル稼働させて、敵の位置から数、武装や兵器の解析、更には攻撃の兆候を察知したり出来るんだ。ちなみにAIとも連動しているから、さっきも話してたように最適な対処方法まで教えてくれる』
「なるほど。分かった、説明はもういいぞ」
「了解しました」
AIがそう反応すると、レクシルはこほんと咳払いをした。
『じゃあ作戦の説明をするよ。目的はクロアチアのテロリストの鎮圧、及び内通者に関する情報の確保だ。まず海上からクロアチアに上陸し、 封鎖地域に侵入。目的地に到着次第、必要ならばコルネイユで戦力を減衰させたのち、AIに操縦を任せてブランは離脱。基地内に潜入する。クロアチアの政府にはEURが許可を取っているし、目的地までは居住区域はない。遠慮せず飛ばしちゃっていいよ。それと……ブラン』
「なんだ」
『今回の作戦には不確定要素が多い。君なら大丈夫だとは思うけど……気をつけてくれ』
「了解。だが大丈夫だ、心強いアシスタントもいるようだしな」
『ははっ。まあアナリシスがあればワケも分からないうちに撃墜されることはないよ。断言してもいい』
「期待しとくとするよ。では、作戦を開始する」
「背部スラスター、展開します」
AIの声と共に、背中で何かが動く感覚がした。もし例えるとするなら──翼が広がるような、そんな感覚。私に翼はないけれど、宗教画で度々見かける天使たちは皆、こんな感覚を味わっているのだろうか……。
そんなことを思っていると、雲が晴れて月がその姿を覗かせた。レクシルが思わず感嘆の声をあげたのが無線越しに耳に届く。
視界にはタンカーから見たコルネイユの状態も映されていた。客観的に見るコルネイユの姿は、ある種幻想的でもあった。欠けた月から注ぐ光を艶やかに反射させ、海の上に佇む巨人の姿。まるで機械仕掛けの神が、天から地へと降り立ったかのようにも見える。
けれどここにいるのは神なんかではなくて、腹に人を抱えただけのテクノロジーの結晶だった。無論、絶対的な力なども持ってはいない。
全ては私の手に委ねられている。この先に何があったとしても、失敗は許されない。
息を大きく吸って、私は気勢をあげた。
「――行くぞ!!」
瞬間、背部の安定翼と腰部にあるブースターが火を吹く。エネルスの放つ緋色の光と熱風が翼のように広がり、鴉の名を冠した巨体を持ち上げた。
膨大な質量を失った船が大きく揺れる。そしてそれが収まる頃には、コルネイユは遥か上空まで飛翔していた。そして、機体の姿を捉えなくなったカメラの映像が途絶える。
「くっ……」
急激な加速に、私は呻きをあげてしまう。過度な加速による慣性で搭乗者の体が潰れないよう、ある程度の衝撃は私の脳に感覚としてフィードバックされるため、コルネイユと同調していても完全に一体であるわけではないのだ。
ややあって静止し、ホバリングをしながら私――つまりコルネイユが下方を見下ろすと、タンカーが豆粒のように小さくなって見える。その高さに来てなお、コルネイユが飛翔を始めて数秒しか経過していなかった。
ここにきてようやく、私はエネルスという物質の恐ろしさを痛感した。地球の物質では成し得ない高出力とエネルギー量。レクシルによれば、燃料としての使用ならばコルネイユの巨体でも半永久的な飛行が可能だという。
こんなものが支配欲に取り憑かれた人間の手に渡れば。そうでなくとも、目的のためなら無差別な暴力も辞さない人間に渡ったら。その結果は想像に難くない。
急いで止めなくてはいけない。私は目的地へと飛翔を開始する。
「………………静かだな」
ややもして、海岸線を越えた私は呟いた。
事前のブリーフィングで聞いてはいたけれど、かつて世界規模で起きた紛争の爪痕は、今もクロアチアの土地に深く根を張っていた。眼下には人の生活の光を失った街が広がっていて、未だひたすらに沈黙を守っている。
虐殺や徴兵により多くの国民を亡くしたクロアチアには、主を失った街が今も修繕されることなく各地に残っている。勿論、都市部や被害の少なかったドゥブロヴニクなどの沿岸地域には人はいる。でも、今私が見ているような田舎には人が居る様子はなかった。
長い紛争で疲弊し、さしたる天然資源も持たない国家の幾つかは、欧州連合や同盟国の援助を受けて生活を保っている。クロアチアもその中の一つだ。
そんな国家のテロ集団と手を組んで、EURの裏切り者は何を考えているのだろうか?
そう考えていた時だった。
「正面から攻撃。回避してください」
声を聞いた瞬間、半ば反射のように私は右に飛び退く。それが、直後の私の状態を分けた。死んでいたか、生きていたかの単純な二択。
鈍い鳴動が体に伝わる。赤い閃光が走ったかと思うと、コルネイユの左前腕部がかすかに焦げていた。いや、焦げているだけじゃない。ほんの僅かではあるけれど装甲が溶解して、平面であった場所に歪な曲線を加えている。
「…………」
私は闇に包まれた空間を見つめる。今の挙動はコルネイユの高出力だからこそ成し得た横方向への急激な加速だった。
これがもし、単なる戦闘機であればどうであったか。そんなことは考えるまでもない。
『ブラン、大丈夫かい!?』
「問題ない。少し腕を削られただけだ」
状況をモニターしていたレクシルの慌てた声が響く。しかし、私の心に動揺はない。
それが、兵器としての本性だからだ。そして、今その本性を剥き出しにする時が来た。
「レック……どうやら早速お前のプログラムに頼る機会が来たらしい」
「アナリシス、起動。敵戦力の分析を開始します」
AIの音声と共に、私の視界に電子的な表示が多数出現した。赤いマーカーと青いマーカー、そして各マーカーの近くには対象との距離を示すだろう数字が出ている。
「敵戦力、およそ二十。うち、空中の十五機は無人戦闘ヘリ、地上の五機は熱量反応からエネルスを利用した兵器であると思われます」
やはり、先ほどの攻撃はエネルスによるものだったようだ。
だけどそんなことは関係ない。私は私の仕事をこなすだけだった。
兵器としての仕事を。
「了解。殲滅を開始する」
刹那、私は弾かれるように飛び出す。
前進すると、闇に紅い光点が幾つも浮かんでいるのが見えた。照準を示すレーザー光。それらは風を裂いて突き進むコルネイユに、光の尾を引いて焦点を合わせていく。
「敵各機、機銃の駆動音を確認。来ます、避けてください」
「言われずとも!」
突撃しながら私は背部スラスターを上方に大きく開いて前傾姿勢を取る。上半身に下方へのベクトルを与えられた力が加わっていき、足が胴よりも高い位置へと来た瞬間。私は腰部ブースターの出力を上げた。機体が空気を蹴ったように急加速し、勢いよく地上へと向かう。辺りの空間に目標を失った弾が吐き出される音が虚しく響き、その間にコルネイユは体を翻して徐々に軌道を変え、中空を滑るように敵の真下へと潜り込む。
仰向けの状態で飛びながら見上げると、光量を調整したアイカメラの映像に敵機の様相が表示された。見覚えのある姿は間違いない。EUR製の、無人戦闘ヘリだった。
「敵機、こちらの機影をロスト。腕部小型誘導弾、『ヘパイストス』の使用を推奨します」
「了解」
背後に回り、両腕を広げて意識を集中させるとコルネイユの前腕部、外側の装甲が開いた。途端、内部に詰められていた大量の小型誘導弾――有り体に言えばミサイルだ――が放射状に飛び出していく。
煙を引いて目標へと向かっていくミサイルにようやく気づいた敵機は回避行動を取ろうとするが、既に遅かった。ヘパイストスは次々に命中し、派手な爆煙と共に敵の機体を蹂躙していく。ミサイルの直撃を免れながらも、制御を失ったヘリたちは爆風に煽られながら他の機体に衝突し、そのほとんどが一気に墜落した。
「今の攻撃により十三機が沈黙。残りは空中の二機、地上の五機です」
爆煙はまだ晴れていなかったけれど、アナリシスによってその中の二機は視界に薄く光って示されていた。そのため、私は爆発の粉塵の中を一直戦に突き進んでいく。飛翔しながら機体を捻って半回転させた瞬間、私は煙の中から敵の眼前へと躍り出た。
まるでオーバーヘッドのシュートを決めるサッカー選手のように、片足を伸ばす。同時、踵付近から実体剣が突出する。コルネイユの足底が撫でるようにヘリの腹を通過すると、刃はその中へと潜り込み、火花を散らせながら切断していった。そして私はヘリのボディが完全に両断される前に、対空用機銃『CIWS』を発動させる。直後、正面に居た最後のヘリは、その弾幕の圧倒的な運動エネルギーに完全に屈して爆散した。
「――準備運動に付き合ってくれて助かったよ」
そうして全ての対空戦力の殲滅が完了する。
足を振り抜いた勢いのまま空中で一回転し、体勢を整えた私が地上の五機を迎撃しようとした時だった。
「地上の五機、エネルギーダウン。沈黙して行きます」
その言葉に耳を疑ってしまう。
あまりにも唐突すぎる話に「どういうことだ」と短く訊く。その間も、地上への警戒は緩めない。しかしコルネイユのAIは既に危険はないと判断したのか、視界に表示した脅威に対するマーキングを解除していった。
「これまでに確認した情報から推測したところ、基地内の無人兵器の制御装置を停止させられたか、破壊されたものだと思われます」
「……意味がわからない。順を追って説明してくれ」
「了解しました。戦闘中なので報告をしていませんでしたが、先ほどから地上の――おそらく建造物内部から悲鳴のようなものがあがっています」
一体どういうことなのか。私はコルネイユに搭載された集音マイクを聴覚に繋いで耳を澄ませる。ノイズ混じりに聞こえてきたのは銃声だった。火薬が破裂する乾いた音、何か硬質なもの同士のぶつかる金属音、そして――
『――の、化け物め、ふざけるな! なんで、なんでこん――あがああぁぁあああああぁ!? 腕、俺の腕がああああああああああああ!! い、ひぃ……ひ、あ、来るな……来るなよ、来るなやめ――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
その叫びを最後に、マイクからはノイズしか聞こえなくなった。私は聴覚への連結を解き、静かに地上を見下ろす。
月明かりに照らされる廃虚。不気味な静寂の中、無線からレクシルの呟きが耳に届く。
「これは……ブラン、一体、何が起こっているっていうんだ……?」
「さあな。だが……行くしかない」
言って、コルネイユの高度を下げていく。
不確定要素の多い作戦のなか、この冷たい廃虚の足下で、今まさに『不確定要素』は進行していた。それでも、私には進む以外に道はない。
少なくとも、この下で『何か』が起こっていることは間違いないのだから。
地上に降りると、私は敵基地への入口を発見した。
コルネイユに搭載されたアナリシスの力もあって、発見するのは簡単だった。悲鳴の聞こえた位置を割り出して、私の装着しているゴーグルに位置情報を送信、視界に投影すれば、どんなに偽装された入口も分かりやすいことこの上なかった。
とは言っても、アナリシスの情報がなくては分からないほどよく隠された場所ではあった〝はずだった〟。目の前……元は廃墟の床に巧妙な偽装をされていただろう金属の扉は、大きくひしゃげてしまっている。
私は梯子の付いた暗い縦穴を一瞥して、戦闘服のポケットから一センチほどの大きさをした銀色の球体を取り出す。それを穴の奥に落とすと、二、三秒ほどで腕のBMIに地下の情報が送られてきた。
地下の深さ、施設の構造。球体に仕込まれた様々なセンサー類が、この奥の空間に何があるのかを暴いていく。そして最後に、センサーはとあるものが〝ない〟ことも暴いた。
「生体反応はたった一……しかも相当奥だ。無人機やトラップの類も見当たらない……」
この生体反応が先ほど聞いた「化け物」のことならば、この基地に居たであろう他のテロリストは全員死んだことになる。しかも信じられないことに、地下は奥の扉までは完全な一本道だった。銃弾から身を守る死角なんてものは全く見当たらない。
装備を確認する。今回の作戦において、携行してきた武器は三種類だ。背中にアサルトライフルを一挺、左右大腿部のホルスターにハンドガンが二挺。コルネイユの飛行中に故障していなかったか確かめると、息を吸って呼吸を整える。
私は暗視装置を起動し、覚悟を決めて私は梯子の下へと降りていく。降りれば降りるほど増す硝煙の臭いが鼻について、暗い視界も相まって地獄の底にでも向かっているような気分だった。やがて下にまで着くと、硝煙の中に別の臭いが混じり始める。
血錆の香り、死の気配だ。
歩みを進めると、その気配が間近に近づいてくる。下手を踏み、私までその気配に飲み込まれてしまわないよう、慎重に先へと向かう。
一歩。足を前へ。また一歩、先に進む。敵の気配はない。
そして、気配を構成していた存在が姿を現してきた。テロリストたちの死体だ。
「レック、聞こえるか」
『うん――……んとか……聞こえて……』
レクシルの声が途切れ途切れに聞こえる。地下も深くなっているのもあるけれど、妨害電波が出ているのが原因だと考えられた。戦闘服に搭載されたセンサー類からゴーグルに送られてきた情報を見るに、奥に行くほど強くなっているようだ。つまり、ここから先は孤立無援になる。
「テロリストたちの死体を発見した。ここから先は妨害電波が出ているようだ。調査が済んだら報告する」
さて……と私は周囲を観察する。テロリストの死体は少なく見積もっても二、三十はありそうだった。奥にある部屋より先はスキャン出来ていないので、まだそこには生き残りが居るかもしれない。私はトラップがないか警戒しつつ、死体の群れに近づいていく。
「……タンカーで見た装備と同じだ。それにこの死体……銃で撃たれたんじゃないな。骨が折れて腹部が腫れ上がっている。内臓破裂か」
死体の状況をBMIに録音する。しかし、問題は死因ではなく殺害方法だった。言うまでもなく、この世で一番手っとり早い攻撃方法は銃を撃つことだ。目標に銃を向けて引き金を絞れば、その先に居る人間が倒れるからだ。
だけどこのテロリストたちを襲った人間、あるいは集団は、わざわざ打撃なんていうアナログな方法を使って、この人数を殺してみせたのだ。
そんなことが出来るのが人間だとは私には思えなかった。
人間ではない存在。たとえば宇宙人とか――
「――まさか、な」
頭に浮かんだ冗談みたいな可能性を、私はかぶりを振って排除する。
それでも、あまりに現実味のなさすぎる状況は、すべて現実だった。この先にテロリストたちを殺した存在がいるのは間違いない。
廊下の終わりはすぐ先にあった。そこに佇む扉は閉まっている。ゆっくりと歩を進めて行って、少しだけそれを押し広げると、隙間から光が漏れた。どうやら、ここだけは電源が作動しているらしい。私はポケットから細長い棒状の装置を取り出して、隙間へと差し入れていく。
小型のカメラだ。暗視が切られ、先端に取り付けられたカメラが私の装着するゴーグルに映像を同期させ内部の情報を示しだす。
中には人影が一つあるだけだった。おそらく、この存在がテロリストたちを片づけたに違いないだろう。私は背中から、携行してきたアサルトライフルを取り出す。
そして意を決し、室内に飛び込んだ。
「動くな!」
開け放たれた扉。
その奥に居たのは、銀髪の男だった。
男は数世代前に使われていた、旧式の戦闘服のようなものを着ている。手にはグローブを嵌めているけれど、銃は携帯していなかった。手前には崩れ落ちた機械のようなものが転がっていて、足元は見えない。
その男――装備からして奇妙な風貌だったけれど、なにより目立つのはその銀髪だった。私のように白くはなくて、中途半端に色の抜けたような銀色。
「両手を挙げて、ゆっくりこちらを向け。質問に答えろ」
得体の知れない男に銃を突きつけつつ、私は命令する。
そして――静かに、緩慢な動作で。
男は、振り向いた。
「お前、は……」
そう呟いた男は若かった。
精悍な顔つきをしているけれど、まだ成人していない――私と同じくらいに見える――ような外見。男はラップアラウンド型のサングラスを装着していて、その奥の瞳は窺えなかった。それでも、何かに驚愕している表情をしているのは分かった。
「これは……どうなっている?」
男が問う。私は銃を向けたまま、
「質問しているのはこっちだ。お前は一体? ここで何をしている?」
「俺は……俺、は………………いや」
私の問いに、男は両手で頭を抱えたかと思うと、
「――お前は、何だ?」
その一瞬の予備動作を、私は見逃さなかった。呟きの刹那、男が脚を僅かに振り上げ、床に転がる機械を蹴飛ばす。いや、蹴飛ばす、などという生易しいものなんかではなかった。撃ち出された、とでも言ったほうが正しいと思える速度で飛んで来た鉄塊は、すんでのところで避けた私の脇を抜けた。
そのまま轟音を立てながら扉を巻き込んで、遥か廊下の闇の先へと転がっていく。
「くそ…………なっ!?」
倒れながら、反撃のためにライフルを構えなおそうとした時には、男は既に目の前に居た。後ろに振り上げられた足が、攻撃の宣言をしている。銃を持っていては間に合わない――コンマ数秒で反射のようにそう判断した私は、ライフルを捨てて床に手を着き、強引に体に与えられるベクトルを変える。直後、べきゃ、という信じられないような音を立てて、折れ曲がったライフルが天井に叩きつけられた。
なんとか攻撃をかわした私は受け身を取って立ち上がり、右ホルスターから早撃ちの要領で三発の弾を叩きこむ。けれど、それらが目標に命中することはなかった。男の眼前で三つの火花が散り、全く見当違いな場所で壁や床が弾け飛ぶ。
「馬鹿な、一体どうなって――」
言いかけた瞬間、男は電光石火の速さでこちらに走ってきた。物理法則を無視したのかとも思える突進と共に、鋭い正拳を放ってくる。私は舌打ちして、突き出された右腕に横から手を当てて起動を逸らし、バランスを崩させたところで懐に潜り込んだ。突進の勢いをそのまま利用して、重心をずらすと同時に全力で投げ飛ばす。
投げられた男は空中で体勢を立て直し、着地した。飛ばされた勢いで床を滑り、甲高い音をあげながら床が削られて跡が残る。
ここで、私は男の超人的な動きの理由を知った。男が装着している靴は、恐らく最新製のパワーアシストブーツだ。厳めしい金属の鎧は、柔らかい人間の足を覆うように張り付いている。さきほどの銃撃もこれで弾いたに違いない。しかし勿論のこと、目測だけで自己目掛けて放たれた銃弾を弾く男が、只者でないことなどは明らかだ。
「…………」
息をつく間もない戦いはここで束の間、静止状態へ移行したようだった。私は警戒する神経を最大限に尖らせたまま、周囲の状況を確認する。
分析開始。室内状況の観察を行う。部屋は広く、機械類、机等が乱雑に配置され、入口の反対には貨物用らしきエレベーターがある。そしてその隣には階段であろう扉があり、その真横に貼られている見取図は、この基地が地下五階まであることを示していた。
分析終了。私は再度、男に視線を戻す。
そうして観察を終えるまでのあいだ、男が動く気配はなかった。それは単純に余裕の現れで、こちらの動きを見てなお勝つ自信があるということに他ならない。そう、さきほどテロリストの言っていた通り、この男は人間ではないのだろう。目の前にいるのは化け物なのだ。それを確信出来る根拠が、私にはある。
なぜなら自分も――この男と同類なのだから。
「兵器と化け物、か……どっちが強いのか、試してみようじゃないか」
私は構えを取る。
そして、男は再び攻撃を開始した。
いつまで戦闘が続いていたのか。室内は男の攻撃によってボロボロになっていた。貨物エレベーターは入口の金網が飛ばされ露出し、床には幾つも穴が穿たれている。
勿論、私もただそれらをやり過ごしていたわけではなかった。ブランは男に関する情報を纏める。男は身体能力こそ異常だが、戦闘の技術は低い。稀に拳を使っての牽制が入るけれど、基本的に足技しか使ってこないので見切るのは容易だった。
しかし。決め手がないのは、こちらも同様だった。ハンドガンの銃弾は当たらず、他に携行してきた突撃銃は既に使えなくなっている。
だからこそ。私は男を倒すための罠を、相手自身に作らせていた。
重要なのはタイミングと位置取りだ。それを計りかねていると、再び男の攻撃が来る。
疾駆の勢いを利用してのハイキック。まともに食らえば頭が砕けたであろう蹴りを、私はギリギリでかわす。反撃に繋げるため、無理な体勢で回避行動をとったおかげで、関節がぎしりと軋んだ。
それでも私は、もう少しだけ自分の体に無理をさせることにする。退いた体を更に捻り、振り抜いて減速した男の脚に手をかけた。自分の小柄な体躯を利用して、片手の力のみで体を持ち上げる。そのまま足を思いきり振り、特殊繊維で出来たヴァンプローファーの爪先から仕込みナイフを突出させた。
吸い込まれるように首に向かう刃は頸動脈を裂くかと思われた。が、切っ先が皮膚に触れる寸前で私は振り落とされてしまい、男は距離を取る。
やはり、これでは駄目か……。
しかし体勢を立て直すと、私は条件が整ったことに気付いた。
私が居る場所と、男が居る場所。位置取りは問題なかった。あとは、私自身の射撃技術の問題だ。そして、私にはそれが可能な自信がある。
次が、勝負だ。
「おい」
銃をホルスターに仕舞い私が声をかけると、男がこちらに向き直る。ひたすらに無感情さを感じさせる男に、私は迎撃の構えを取る。
「そろそろ終わりにしよう、化け物――――来い」
瞬間、射出されるような速度で男がこちらに向かってきた。凄まじいスピードで空気を切り裂き、迫りくる蹴りを見切る。その攻撃にタイミングを合わせ、勢いをそのままにベクトルをずらして男を投げる。
その体は吸い込まれるように、入口の破壊されたエレベーターの中へと入りこんだ。
だけど、まだだ。
私は男がエレベーター内部に着地する直前、ホルスターから銃を抜き出していた。たっぷりと弾を詰め込んだハンドガンを絶え間なく撃ちこむ。それらはやはり弾かれるけれど、私の攻撃はこれだけで終わりじゃない。
「――チェックメイトだ」
私は空いた左手でもう一つの銃を抜く。そして右手から放たれる銃撃に釘付けになった男の真上――エレベーターを吊るワイヤー目掛け、数発の銃弾を放った。
そのうちの二発が、正確にワイヤーを切断する。
「…………!」
男が驚愕の表情を浮かべた。しかし時は既に遅く、そこはもう自由落下を開始する棺桶と化していた。万物は下に向かって落ちる、という単純な、それゆえに強力で覆せない法則が、明確な脅威を以て男を死に導いていく。
金属の削れる壮大な音と火花を撒き散らしながら、エレベーターは落下していった。数秒もしないうち、ひと際大きな爆音が空気を揺らして、戦いが終わったことを告げた。
静寂が訪れる。私は銃をしまい、エレベーターのあった空間に近づくと、階下を確認した。最下層から漏れる光が、ぐしゃぐしゃになった残骸を微かに照らしている。あれに入っていた人間は確実に生きていないだろう。
緊張が解け、私が息を吐いた瞬間だった。
「お見事だ。まずはお疲れさま、と言っておこうか」
「――――――――!!」
有り得るはずのない声が、私の耳に届いた。振り向いたとき、そこには――
「久しぶりだな、ブラン。タンカーで会って以来か」
宇宙人、イビュは……静かに、そこに佇んでいた。
誰も居る筈のない場所に、居てはならない人物。イビュは小さく笑う。
「どうして、ここにアンタが……」
「なぜだと思う?」
すっ……と足を動かすイビュ。私は銃に手をかける。
「おっとストップ、ストップだブラン。暴力はなしだ。話し合いで解決しよう」
「……なら質問に答えてくれ。どうして、アンタがここに居る?」
「お前が気になって着いてきちまったのさ」
「冗談は求めちゃいない。やっぱり……アンタはこの件に絡んでいたのか」
「そう、だな。よくある言い方だが――半分正解で、半分は間違っている」
どういうことだと私が聞くと、イビュは近くにあった、横転した机に腰掛けた。
「まず、なんで此処に俺が居るのか話そうか。転移装置を使ったのさ。タンカーであったときのことを覚えているか?」
「ああ」
「あの時、最後に俺はお前に近づいただろう。その時、お前のBMIにマーカーをつけさせてもらったんだ。お前が無線の使えない場所に行くと、位置情報を送信するマーカーさ。お前が電子的に孤立するタイミングを狙う必要があった。少なくとも、地球の技術では探知出来ないような場所に訪れるタイミングを。アトモスには、ハルトとやらが監視装置を仕掛けていたからな」
「なんだって? あの女も一枚噛んでいたのか?」
「いや、あいつは上の命令に従っただけだ。俺が最初にお前とあった日に色々してたらしい。つまりはアトモスが信用出来る連中かどうかの捜査だな。調査報告に一週間かかったのもそれが原因だろう。敵が身内のどこに居るのかが分からんからな」
「くそ、あの女狐め……」
私が憎々しげに呟くと、イビュは苦笑する。
「ま、とにかく俺がお前に協力するためには裏で動く必要があった……おい、出てこい」
イビュがそう言うと、頭の中にノイズが響き始める。そして――
「お久しぶりです」
無機質な、聞き覚えのある奇妙な女声。タンカー事件の時聞いた、あの声だ。
「この声…………まさか、お前は!」
「そう――――私ですよ、ブラン」
ノイズの声が鮮明になり、やがてよく見知った――いや、聞き知った声になる。それはまさしく、
「みんな大好きコエスさんです。どうです、私の演技上手かったですよね? よね?」
「いやな、お前黙ってろ。真面目な話してんだから」
いつも通りにコントのようなやり取りをするイビュとコエス。タンカーで私に通信をしてきたのは、コエスだった。ティアナでは、なく。
「……じゃあ、ティアナは……」
小さく呟く。あの時、ティアナは私に友達になりたい、と言ってきた。ティアナは事件の裏側に居る存在を知らなかった……あの時点で、敵側にヨハンが居ることは作戦に深く関わる私とレクシルにしか伝えられていない事実だった。ということは、ティアナは敵にヨハンが居ることを知らなかった……?
それでは、私にああ言ったのは復讐心からじゃなく……
「さて、ブラン」
イビュの言葉に、私の思考は途中で中断される。そうだ、今気にするべきはそんなことじゃなくて、イビュが何を知っているか……だった。
「先にもう一度確認しておこう。俺は、自分の国で内政干渉が禁じられている。だから、今こうしてお前に話しているのは違法になるんだが……お前ならこれを他の人間に話さないと、そう信じていいな?」
その言葉に、私は頷いた。イビュは満足そうに微笑むと、話を続ける。
「よし。俺がこの事件の計画を知ったのは偶然だった。こいつ……コエスが許可を貰ってEURのデータバンクを漁っていた時にな、記録が改竄されていることに気付いた。俺はその話を聞いて、それを命令した人間を調べだしたんだ」
「調べたって、アンタ……」
「違法だって言うか? 今更だよ。法律ってのは正しい時もあるが……そうじゃない時もある。正しいか、正しくないかを決めるのは結局のところ人間だ。法律でも、ましてや神なんかじゃない。選択出来るのは、人間だけの特権だよ」
「選択は、人間だけの……」
「続けるぞ。そして、俺はそいつをマークしてた。そして、俺たちが渡したエネルスを利用した計画に気付いたんだ。だが、俺は干渉を禁じられてる身だ。代わりに動いてくれる人間が必要だった……それがお前なんだよ、ブラン」
「私、だって……?」
思わず聞いてしまう。その言葉が、どうしても信じられなかったからだ。
私には罪がある。普通なら、許されないような罪が。選択してはならない行為を、選択してしまったという罪が。
「そうだ。この計画を止めるには、絶対に間違った行為を許さない信念と、それを実行に移せる能力のある人間が不可欠だった」
「だったら……だったら尚更、どうして私を選んだ! プロファイルを見たんだろう? 私は――」
張り上げた声が地下の空間に反響する。
そして、私は自分の罪を、口にする。
「私は――自分の母親を、殺したんだ……」
五年前。私は、自分の母親を施設ごと爆破して、殺した。
母はレクシルの友人で……伯父さん――コンテの、実の妹だった。私がそのことを話した時、伯父さんとレクシルは一瞬悲しそうな顔をしてから、笑ってそれを許した。
私は母に兵器として育てられた。そんな状態から脱却したくて、私は母を殺した。けれど、それは私が「人殺しをする」兵器だということを、決定づける出来事でしかなかった。
そんな誤魔化しを二年前、ヨハンに看破されて……結局、またそれを誤魔化しながら生きてきた。だけどそれももう駄目だった。私はタンカーの事件で人を殺した。
何も感じなかった。罪悪感は、私の中に決して生まれることはなかった。
「私は、人殺しに罪悪感を感じない……ただの、兵器なんだよ……」
どこまでいっても、どんなに誤魔化そうとも――私は、兵器だった。
「ブラン」
俯いている私に、イビュが声をかける。
「お前は俺を、兵器だと思うか?」
予想外の質問に、私は顔を上げる。黄色の瞳が、真剣な感情を湛えて私を見据えていた。
私は、ゆっくりと首を振る。イビュはそれを認めて、口を開いた。
「ブラン、俺は軍人だった。だから勿論、何度も敵を殺した。どんな相手であろうとも、罪悪感がなくなるまで。だから、罪悪感なく人を殺すことが出来る人間が兵器なら俺もそうさ。……なあ、ブラン。老婆心かもしれないがな、人間と兵器を分けるのは、罪悪感の有無じゃない。感情があるかないかだ。お前が俺を兵器じゃないと思うなら、それは事実だと思わないか?」
「私、は……」
イビュを見る。そこには、未だ強い感情を湛える目があった。
兵器には出来ない、人の目だ。そう信じられる力が、その眼光にはある。
今までのことを思い出す。伯父さんが手を差し伸べてくれた時の、胸を埋め尽くすような温かい気持ち。あの雨の日、伯父さんが撃たれてしまった時に溢れた怒りと悲しみ。
そして、ティアナに友達になろうと言われた時に感じた、名前も知らない感情。
ふと、足元に転がった壊れた端末に気がついた。黒く染まった画面の中に、私の姿が映っている。その中の瞳には確かに、感情を携えた光が宿っていた。
「さっきお前を襲った奴は人体実験を受けていた。お前と同じく、兵器になるように……ただ無感情な道具として。おそらくは、用済みになったテロリストの後始末に送られたんだろう。奴を見てお前はどう思った? 奴に、感情を感じたか?」
感じなかった。私は先ほどの男に、言い様のない虚無しか感じることはなかった。
私の脳裏に、男の言葉がよぎっていく。
――お前は、何だ?――
「私は…………」
「まあ、じっくり考えるといいさ。さて、ブラン。残念だが話している時間の方はあまりない。もうすぐCAが起動するはずだ」
その言葉に、私は気持ちを切り替える。そうだ、今は考え事をしている場合ではない。
「やはりもう一つ作られていたのか……」
「そうだ。これが、その場所の情報を記録したデータチップだ。俺の介入を察知されずに教えられる情報はこのくらいだが……上手くいけば起動する前に破壊出来るかもしれない。さあ、早く行ってこい」
私は首肯して、イビュに渡されたチップを持って地上への入口に向かおうとする。けれどその直前、歩みを止めた。
一つだけ、イビュに聞きたいことがあったからだ。
「なあ、一ついいか」
「なんだ?」
「アンタは……どうして私に協力を?」
「……いいだろう。お前には、聞く権利があるからな」
イビュはそう言って、顔を伏せた。
遠い過去を回想するように、その目は閉じられている。
「俺には昔……娘が居た。快活でな、生意気で我儘で……俺を驚かせるのが好きな奴だった。だがなによりも、父親として俺を愛してくれていた。俺もそんなあいつを愛していた……だが、その娘は殺された。殺したのは……娘の母親、俺の妻だった」
「…………一体、どうして?」
「さあな。今になっても分からん。俺は妻を殺そうとしたが……出来なかった。妻も、愛していたからな。だがその妻も死んだよ。もうだいぶ前だ。あいつらは二人とも、弱かったんだ……だから、俺が守ってやらなくちゃいけなかった。お前を助けるのは、その罪滅ぼしなのかもしれない」
そう語るイビュを見て、タンカーで会った時のことを思い出す。あの時も、イビュはこんな表情をしていた。あの時、イビュは私に自分の娘と私を重ねていたのだろう。
同情と憐憫ではなく、同調と後悔。あの眼差しは、自分自身に向けられていた。
そしてやはりイビュは沈黙を嫌うように、再び声を出す。
「昔話は終わりだ。もう時間がねーぞ。ブラン、行ってこい」
頷いて、私は走り出す。背中に、見送る瞳を感じながら。
「レック、レクシル! 聞こえるか!」
地下入口に向かって走りながら通信する。やがて妨害電波が途切れるエリアまで来たのか、レクシルからの反応が返ってきた。
『――ン、無事かいブラン? 状況はどうなった!?』
「ああ、敵のCAのある場所が分かった! 今からそこに向かう!」
『何だって!? やはりもう一つ作られていたのか……分かった、他に情報は?』
「いや――だがそこに向かえば黒幕も分かるはずだ」
『了解、気をつけてくれ!』
通信が切れる。梯子まで着くと、息を大きく吸って私は上へ上がり始めた。
この手で、全て終わらせる。因縁も、兵器としての宿命も。そのための言葉はもう充分受け取った。今度は、私がそれに答える番だ。
――CAが作られていたのはイタリア南東、ギリシャ南にある海上プラントだった。
待機していたコルネイユに乗り込み、私は夜の闇に紛れて雲の上をひたすら一直線に目的地へと突き進んでいく。コルネイユの出力なら、時間はあまりかからなかった。
そしてプラント上空に到着し、私は徐々に高度を下げていく。
雲の下に抜けた私を待っていたのは、
「やあ、どうやら無事だったようだね?」
聞き覚えのある声と、巨大な――緋色の光を放つ影だった。