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第三章

 ──タンカー襲撃の五週間前。

 時刻は丁度、零時零分を回った所だった。

 私はアトモスの自室で、椅子に座っていた。私の髪と同じ色をした白い椅子。机の上にはルビー色の液体が入った瓶が置かれていて、右手は栓抜きを握っている。栓抜きを手の中でくるくると回し、私はその時が来るのを待つ。

 くるくると。回していく。

 アナログ時計の針のように。

 時を告げたのは、左手の端末だった。ピピピ、ピピピ、という簡素な電子音が私に日付の変更を知らせる。

 そのまま私は小さく、

「おめでとう」

 と一言を送り、栓抜きを刺し瓶からコルクを引き抜いて、片手で一気飲みをした。下品だとは思うけど、誰が見てるわけでもないしいいだろう。一度もつかえることなく葡萄酒を飲み切り、空になった瓶を床に置く。

 そして。

「…………誰だ」

「おや、ばれたか」

 背後から男の声が聞こえる。振り返ると、いつの間にか後方の壁にはすっかり見慣れた男が寄りかかっていた。

 宇宙人、イビュは薄く笑みを浮かべて右手を軽く挙げる。

「……なんだ」

 まただった。

 また、というのも、この宇宙人は最初の来訪以来ちょくちょくアトモスフェールを訪れていたからだ。曰く、景色が気に入ったとのことだが、来る度に私に絡んでくるのはやめて欲しい。しかし今回はどういったことか、景色の見えない曇った夜に現れた。

「いやあ、奇妙な言葉を感じ取ったもので」

 イビュは私が置いたワインの空瓶を一瞥し、

「〝おめでとう〟ってなんだ?」

「辞書でも読んでろ」

「冷たいなぁブラン」

「何しにきた」

「なぁ、一ついいか。俺の翻訳機によればお前の言ったのは『Felicitations』じゃなく、誕生日を祝う『Bon anniversa──」

「うるさい黙れ」

「……はぁ」

「なんでアンタが溜息つくんだ」

「ブラン。お前、友達はいないのか?」

 友達。イビュの言葉に面倒臭いものを感じて、私は舌打ちする。

 私は定義の曖昧なものが好きではなかった。なぜって、はっきりしないものはどうにも理解しづらいし、扱いにくいからだ。友達という言葉もその手合いで、「仲が良い」という状態が、どういった間柄を指すのかが分からない。

 そう、私は人との距離を測るのが苦手だ。兵器にされるために生まれ、育てられてきた私には、血縁関係――あるいは、それに近しい存在――のない他人とどう接すればいいのかがさっぱり分からない。そのため、邂逅以降えらく親しげに話しかけてくる宇宙人との会話もぎこちなくなってしまう。

 居心地悪く、机を指でタップしながら私はぼそっと呟く。

「……だから?」

「寂しくないのか?」

「…………それは」

 どうなのだろう。分からない。感情というのは、曖昧なものだから。

 ふと、背後でイビュが声を出す。

「お、その顔は元々友達なんていなかったから感覚がわからないって感じだな」

「見えてるのか?」

「いんや、勘だ」

「ふざけるな」

「せっかく訪ねてきてやったのに冷たいな。それで、どうなんだ。友達いらないのか?」

「別に」

「レクシルとは随分と仲良さそうだが」

「あいつは……馬鹿なだけだよ」

「知ってるか、類は友を──」

 冗談じゃない。椅子から立ち上がり、頭を抑えてふらりと移動する。こめかみに皺が寄るのを感じた。あれ(レクシル)と同類だって? 冗談じゃない。

 そんな私にイビュは笑って、

「そんな怖い顔すんなよ」

 イビュの発言を無視しれ、私は部屋の隅のダブルベッドに倒れる。

「……なんでダブルなんだ?」

「寝相が悪いから」

「何だ、てっきり俺はレクシルとでも──」

「貴様、それ以上言ってみろ……」

「……スイマセンデシター」

「…………ったく」

 ぼすっ、と枕に顔を突っ込む。脇目で見ると、イビュは頭をぽりぽり掻きながら、私が座っていた椅子を借りようとしていた。

「租借金、一分につき五○ユーロ」

「おおっと」

 なんとなく呟くと、椅子にガムがはき捨てられていたのに気付いたかのように、イビュは慌てて立ち上がった。実に楽しそうにしている宇宙人がよく分からず、私は質問する。

「……アンタ、何しにきたの」

 顔を半分ほど枕に埋めた状態で聞いてみる。広がった髪がさらさらと手の甲を撫でた。

「あー……。遊びにきたの」

「またか。帰れ暇人」

「だってEURなんか行っても胡散臭ぇ髭爺ばっかだし。地球に滞在してる間はすることがないんだよ」

「火星に帰れタコ」

「おいこらそれは偏見だぞサル」

「誰が猿か。ホモ・サピエンスだヒューマンだ」

「意味的にはこっちも同じだろ」

「タコはタコだろう」

「俺はヒトだよ」

「知るか。イカでもタコでもいいからさっさと故郷ほしに帰れ」

「酔ってるのか? 子供があんま酒飲むなよ」

「私はもうとっくに成人してる」

「それにしては小さいが」

「ああもう、アンタなんなんだよ……」

 本当に面倒臭い。出来る限り鬱陶しそうな顔をしてやる私を尻目に、イビュは空瓶を拾い上げた。何をする気だ――と思った瞬間。イビュは。瓶の口を。嗅いだ。

「………………………検出結果によればお前は今までに一一六本のワインを──危なっ」

「ふざけんなキモいキモいキモいキモい死ね変態消えろタコの星に帰れイカ海に帰れ二度と地球に近付くなタコてめえ滅びちまえ」

「だからって物を投げるな。あとタコ二回言った。二回言った」

『あららなんの騒ぎ?』

 突然聞こえた声にお互い無言になる。

部屋の前に取り付けられたインターコムからだった。レック、もといレクシルだ。

「……入れ」

 と、私が一声かけると音声認識が作動し、部屋の扉の鍵がカシリと音をたてる。

 ドアを開けたレクシルはベッドに伏している私を見るより先に、部屋の中央に立っていた長身の男に視線をやる。

「おおっ。意外な先客だね」

 するとイビュはわざとらしく会釈をし、

Enchanteはじめまして

 と少しぎこちない発声で挨拶した。おそらく翻訳機を使わず肉声で話したのだろう。

「いやいやこちらこそ」

 とレクシルが手を差し伸べる。イビュはレクシルの顔と手に視線を往復させてから、唇の端を僅かに上げて握手を交わした。

「で、お前はなんなの」

 一人増えた男に対し私が聞くと、レクシルは満面の笑顔で答えた。

「そりゃあブランの誕生日祝いさ! やったねブラン、ハッピーバースデー!」

「この時間にくんなよ……」

「一人ででも祝ってた癖に」

「──――ッ!」

 イビュの呟きに顔が熱くなるのを感じ、慌てて奴に一睨みを利かせる。誤魔化すようにそっぽを向いた宇宙人を確認すると、私はすぐさま話題を戻した。

「いいっつったろ」

「冷たいなぁブラン」

「お前もそれか……」

 自身と一言一句違わぬレクシルの発言がおかしかったのか、イビュはくつくつと笑う。

「ほうらブラン、お前は何がほしいんだ? 宇宙人のお兄さんに言ってごらん」

 とイビュ。

「……平和」

 と、私。

「却下する!」

 と……レクシル。

「お前がすんなよ!」

 思わず叫んだ。だがレクシルは退かず、

「ブランのばか! 宇宙船て頼めばよかったのに!」

「お前の趣味など知らん! 貰ったとしてもお前は乗せんわ!」

「いやはや、楽しそうなパーティで」

「うるせえタコは帰れよ」

「いやタコじゃねぇよ」

 そうこうした結果。

 私の今年の誕生日プレゼントは、「お前ら二人とも出ていけ!」に決まった。





 廊下の空気まで震わせた声から数秒後。

追い出された二人は、部屋の外で会話を始めていた。

「ううむ、反抗期かなぁ」

 自称、俳優ばりの演技でわざとらしくレクシルは哀しそうに呟く。

「あいつはいくつになる」

 初老のふざけ調子を無視し、イビュは取り留めのない質問をする。

「ついさっき、十九になったよ」

「……そうか」

 息を吐き出すように、イビュの声が呟いた。

「色々あったんだ。彼女の身体は、外見的に明らかに未発達だろう? だけど、内面は違う。彼女は精神的に歳相応……いやもしかしたら、それ以上に成長してると断言できる。まあ、それが少し不安でもあるんだけどね。抱えなくてもいいものを、表に出さずに溜めこんでしまっている気がしてさ」

「確かにそんな感じはするな」

「ねえ。君、友達と友人の違いって分かるかい」

 文脈を無視したレクシルの問いに、イビュは何の話だ、と返す。

「あくまで僕の見解だけどね。友達っていうのはさ、何でも気がねなく話せる間柄だと思うんだ。友人っていうのも遠慮はいらないさ。けれど、たとえお互いに信頼関係があろうともそこまでは踏み込まないし、踏み込めない。僕もブランもアトモスという組織に馴染んでる方じゃないけど、それでも僕は彼女にとって友人だろうと自負してる。でも、そこまでだ。僕はブランにとって友人以外にはなれない。彼女には友達が居ないんだ。家族に言えない本音を、表に出せる相手が」

「俺にそんな話されてもな」

「あれ、そう? 気にならない?」

 長年の友人と話すようにあっけらかんとしたレクシルの態度に、イビュは苦笑しながら答えた。

「ま、それはともかく……指名した俺が言うのもなんだが、あんな小柄な奴が巨大兵器に乗るとは思わなんだ」

「ゴリアテに乗るダビデだね」

「あー……すまん、なんだって?」

「ごめん、地球の作り話だ」

「なるほど。そりゃあ、わからねぇわ」

「そうだねぇ」

 会話が終了し、沈黙が始まる。空気を揺らすのは僅かな呼吸音、そして衣擦れの音だけになる。静寂というのは、いつの時代も同じ空間に同居する相手へと思考を巡らせる効果があるもので、その例にもれずレクシルはイビュへ質問したようだった。

「ねぇ、宇宙人さん」

「なんだよ」

「君は、何しに来たんだい?」

「何しにって」

 わけがわからない、といった声色で聞いたイビュだったが、レクシルからの返事は訪れなかった。どうやら根負けしたのはイビュのようで、溜息とともに息を吐き出す。

「……はぁ。お前を最初に見た時から思っていたが、変な奴だよ」

「まあね。僕は四十年以上生きてきたんだ。それに、経験なら人一倍積んださ」

「ああ、そうかい」

「で、こんな辺境に忘れ物かい?」

「なんだと?」

「何か、取り戻しに来たのかな? 抜けてしまった穴を、少しでも埋められるような」

 レクシルの声には、ほんの微かに、同調の色が宿っていた。

「……………………お前は……」

 続く言葉を探すように、その言葉だけがイビュの口から漏れる。

 再びの沈黙が空間を支配し、そして――

「…………は」

「あ?」

「ははっ、あっはははははは!」

 間の抜けた声を上げるイビュ。一方、レクシルは声を震わせながら、

「ごめ、カマ、掛けた、くく……」

 と笑い続ける。

 溜息一つ、イビュはやれやれと面倒そうに声を出す。

「全く、何がカマだよ。馬鹿らしい」

「でも、かかったろう?」

「あーはいはい。負けましたー」

「ははっ、まだまだ若いねぇ、君は」

「おめぇよりは歳上だ」

「見た目はそうは見えないけどなあ。それにしても、なんだか君とは初めて会った気がしないや。なんだろ、親近感? というか、似たものを感じる」

「……傷の舐め合いならする気はないぞ」

「あれ、別に傷とは言ってないよ。やっぱり僕のプロファイルも見たのかい?」

「またカマ掛けか。今度は乗らんからな」

「ありゃ。で、何しに来たの? ただの外交とは違うんじゃない?」

「……まあ、そうだな」

 するとイビュは一拍ほど間を空けて、冗談めかして呟いた。

「地球侵略をしに、かな」

「へえ。そんな重要事項を僕に伝えた意味は?」

「ん、宣戦布告じゃね」

「布告。広く一般に知らせる事。残念だったね、地球語は用法を守り正しくお使い下さい」

「馬鹿か。お前は目ぇ付けるトコおかしい」

「君、ブランみたいな事言うね」

「宇宙人でも常識はあるからな」

「常識に囚われない人の事を世は天才と呼ぶのですよ」

「微妙に納得」

 中学生ほどの子供のようなやり取り。しかし妙に意味深な掛け合いに疲れたのか、レクシルが大きく息を吐く。

「ねぇ、どっちがボケ?」

「漫才じゃねーよ。俺はお前より経験豊富なんだ」

「ふぅん、何歳?」

「俺より生きてる人間は地球上にはいないな」

 その言葉に、レクシルはうーん、とうなってから、

「百二十歳くらいかな」

「これ以上はノーコメント。流石に亀や鶴には負けるが」

「? 亀はともかく……鶴?」

「ん? いや、そりゃお前、地球の鶴と亀は千年、万年生きるんだろ?」

 イビュの台詞に、はい? とぽかんとした声をあげるレクシル。

「なんだその顔は」

 イビュは怪訝な声色になり。


(可哀想な子……)


 そこで女性の声が響いた。

「む」

「ん? どうしたんだいイビュ」

「あ、いや。気にするな」

 イビュは誤魔化すようにレクシルを制する。

 再度、女性――コエスの声が木霊する。しかし、レクシルは何の反応も示さない。

(あ。彼には聞こえてませんね。体内端末を持たないようです)

(そうだな)

「どうかしたのかい? イビュ」

「ああ。ちょっと連絡がな」

 そう言うとイビュは黙りこくった。

「――体内端末の通信かな? いや、もっと高度な連絡手段を持っていそうだな……」

 聞こえないほどの声量で興味深そうに呟くレクシル。その間、イビュは見えざる相手と会話を続ける。

(なんだよ)

(こちらの台詞です。貴方は何処をほっつき歩いてるのですか。夕飯冷めちゃいますよ)

(お前の飯なんか食わねーよ)

(飯なんざ用意していませんよド阿呆。一体私に何を期待しているのですか?)

(うん、やっぱ壊れてるよお前)

(仕方ないですねぇ。本国から高級ディナーパックを買っておいてあげますよ。貴方のツケで三ヶ月分ほど)

(いやいらねぇから。で用件は?)

(お願い、早く帰ってきてね? ダブルベッドに一人は寂しいから……)

(会話終――)

(ごめんなさいすいません。本当は例の件の報告です)

(ほう、どうだった)

(はい。――――――――の様です)

 地球の発音と思えぬコエスの言葉に、イビュはなるほど、と返す。

 その様子を見たのかレクシルが疑問符を浮かべる。

「ん?」

「マズイことになったな……」

(あらごめんなさい貴方。ちょっと塩が強すぎたみたいね)

「レクシル。突然だが今日はここで退かせてもらうわ。急用ができたんでな」

(無視ですか)

「んー、了解。わかったよ。でも、急用って?」

「ふ、五週間もすりゃわかるさ」

「うん?」

「じゃあな」

 イビュがふっ、と気配を消した後、レクシルは不意に声を出した。

「さて。盗み聞きかい、ブラン」

 その言葉に、ドアを開けて廊下に出る。

「……私の部屋の前だぞ」

「でもねぇ。趣味がいいとは言えないよ」

 こちらを見て薄く笑う初老。けれど、私の頭にはある言葉が引っかかっていた。

「……五週間、と言っていたな」

「え?」

 先程のイビュの言葉を反芻し、私は思案する。

 そのまま私は左手の端末をタップして、可能性を確かめるように問いかける。

「五週間後はCAをこっちに輸送する予定の日だ。あいつ……何かする気か?」

 端末にはアトモスフェールのスケジュールが表示されていた。丁度五週間後、CAはタンカーでこちらに運ばれてくる予定になっている。

「ふむ、その週は他に目立ったイベントはないね」

「お前はどう思う」

「うーん、わからないなぁ。残念だけど」

「なんだ、所詮はカマかけか」

「え? もしかしてあれで期待してたの?」

「ああ、少し」

 レクシルは苦笑する。

「まったくねえ。僕には予想つかないよ」

「そうか。わかった」

「不安なのかい?」

 からかうように聞いてくるレクシルに飽きれつつ、私は率直な感想を返すことにした。

「まあ、私が乗る訳だしな」

「よし、何も起きないように祈っておくよ」

「神にか? お前が?」

「似合わないかい? じゃあ……宇宙人にでも」





 というのは、五週間前の話。

 これから五週間の間、あれだけアトモスを訪れていたイビュはめっきり姿を現さなくなった。その期間の内に私の中でイビュへの警戒心は徐々に膨らんでいった。

 意味深な台詞を残し、姿を現さなくなった宇宙人。CAという強力な兵器。胡散臭い相手と物騒な物に関わるのだから、警戒しておくに越したことはなかったからだ。

 そしてあの日。遂にタンカーの襲撃事件が起こった。これを偶然だなんて捉える方に無茶がある。しかしイビュと事件の関連性のさしたる確証なんてなった。

もどかしい状況のなか、時間はそれからまた一週間が経ち、私は自室で伯父さんと通話をしていた。

『ブラン、CAの搭乗者をやめるつもりがないというのは本当か!?』

 体内通信により、頭のなかに響く伯父さんの声。

「うん、私はあれに乗るよ。それに伯父さんだって私に頼んでたじゃない」

 室内に私の声が微かに反響する。本当は頭で考えるだけでも話せるけど、出来る限り生の会話に近付けたかった。その方が、意思が伝わる気がしたから。

『それはテロリスト相手の簡単な任務だと思っていたからだ! 事態はもうそんな簡単なものではないのはもう分かっているだろう!? EURの内部に裏切り者が居る……信用が出来るのは極少数だ。CAが狙われた、タンカーに居た者達もだ。あれの関係者を奴らが野放しにしておくとは限らない。私もお前も殺されかけたんだぞ!』

「だからこそ犯人を突き止めなくちゃいけない。このままだといつ殺されるか分からないのなら、こちらから動かないといけない」

『その件ならもうこちらでやっている、なのになぜ最も危険な役職を続けるのかと聞いているんだ。ブラン、どうしてなんだ? 今まで私の言う事を素直に聞いてくれていたじゃないか。私はお前が心配で……』

 不安そうな伯父さんの声。その声を聞くと、伯父さんの言葉に甘えてしまいたくなる。

 だけどそれは出来ない。甘えていられる時間はもう過ぎている。私のせいで伯父さんは撃たれたのだ。今度こそ私が守らなきゃいけない。そのために使える力が私にはあるのだから。

「ありがとう、伯父さん。でも、私は大丈夫だから。それじゃあ、また」

『待てブラン、話はまだ――』

 最後まで聞かず、私は通信を切った。回線をオフラインにして、部屋を出る。

「話は終わったのかい?」

 すると扉の真正面、白塗りの壁にもたれてレクシルが待っていた。

 廊下の窓から陽射しが射し込み、白衣と白髪、白尽くめの男を照らしている。

「ああ」

「コンテもすっかり親バカだね。僕には子供が居ないからよく分からないけどさ」

「……あの事件以降落ち着いて話せたのは、これが初めてだったしな」

「そうだったね」

 タンカーの事件から一週間。

 私が伯父さんのところに辿り着いた後、アトモスの部隊は付近の状況を確認し、事件は一端の収束を迎えた。その後、私たちは事件の後処理や本部から来た連中に話を聞かれたりして、伯父さんとまともに話すことが出来たのは今日がようやくだったのだ。

 その間、共に居た同僚である初老に私は問いかける。

「……なあ、お前は私を止めないのか」

「ん? 止めて欲しかったの?」

「そうじゃない。お前にも私を説得するように連絡が来ていたんじゃないか」

「確かにね。でも僕は親友を殺されかけて黙っていられるような人間じゃないよ。いくら人に興味がないっていってもね。友達は特別だ」

「……そうか」

 そう言うレクシルの声色は強固な意志を滲ませていた。普段ふざけてはいても、感情をあまり表に出すような人間ではないレクシルの瞳には強い怒りの色が浮かんでいる。

 ――友達、か。私が視線を逸らそうとすると、

「だけどね」

 と、レクシルは大きな声を出し、私は逸らしかけた視線を戻す。

「だからって君を利用するわけじゃない。君を信頼して君に託すんだ。僕も全力でバックアップする。これから先に何があろうとも絶対に君を死なせやしないよ、コンテに誓ってね。っと、お客さんみたいだ」

「こんにちは、お邪魔してしまいましたか?」

 太陽が雲に隠れたのか、廊下がふっと薄暗くなる。

廊下の先を見ると、そこには女が立っていた。見た事のある顔だ。そこには相変わらず薄気味悪い笑みが浮かんでいる。

「状況に進展がありました。報告に参ったのですが、ここでは少し場所が悪いですね」

 アストリッド・ハルトマンは、そう言って笑みを深めた。





「やや、悪いね。大した歓迎も出来なくて」

「いえいえ、お構いなく」

 微笑み、会議室の簡素な椅子に座るハルト。室内は赤を基調とした壁紙やカーペットなどがあるが、それ以外はちょっとした椅子や机しかない。あまり客人を迎えるような内装ではないけれど、この部屋は防音になっていて、他の人間に何かを聞かれる心配はない。

 さて、とハルトが前置きを入れる。

「それでは、世間話でも致しましょうか」

「ふざけるな、さっさと本題を言え」

「冗談ですよ」

 こちらを見てくすくすと笑うハルト。その態度に思い切り舌打ちをしてやると、

「おや、嫌われてしまったようですね」

 とわざとらしく悲しそうな表情をする。どうやら私は根本的にこの女と相性が悪いらしく、一挙一同に苛々してしまう。ハルトは苦笑しているレクシルに視線を移すと、

「では、怒られてしまったので本題に入りましょうか。昨晩、尋問していた件のテロリスト達が情報を漏らしました。これに関しては彼らを拘束していただいたブランさんに感謝をするほかありませんね。どうもありがとうございます」

「礼はいらない。それより、奴らは頑なに黙秘していたはずだ。なぜ急に?」

 そう、あの事件から一週間が経ったなか、状況は全く進展していなかった。タンカーが襲撃された時、私が無力化した男たちはEURに拘束された。しかし彼らは高度な訓練を受けていたのか、尋問に対して一切の情報を話す事がなかったのだ。

 私の問いを聞いたハルトは、ああ、そのことでしたら、と淡々と告げる。

「私が彼らに聞いてきたのです。宜しいでしょうか」

「待て。……お前、何をした?」

 軽い口調で次の話題に移行しようとするハルトを制止し、再び問いかける。

 するとやはりハルトは朗らかに微笑み、

「聞いたら答えてくれましたよ?」

 と何事もなく言った。

「……分かった。続きを話せ」

 私はそれ以上の追及を諦めて、次の話をするよう促す。

「了解しました。タンカー及び、脱出艇の回収地点を襲撃したテロリスト達ですが、彼らはクロアチアの反政府組織『自由の種子』の構成員であることが拘束した捕虜の証言から判明しました。同時に、彼らの拠点の位置も判明しています。他の様々な情報から検討した結果、この情報の信用度は非常に高く、ほぼ間違いないと言って良いでしょう」

「なるほど……それで、彼らの装備の方は?」

 レクシルが疑問を投げかける。ハルトはそれを受け取り、すぐに投げ返した。

「はい。調査によると、やはり内通者の横流しであるようです。ある施設の武器庫の記録が改竄され、訓練用に残してあった旧式の銃が全てなくなっていました。その当時の施設の担当者らに話を聞きに行きましたが……残念ながら、全ての情報は彼らの頭に空いた穴から辺り一面に吹き飛んでいました。既に手を回されていたようで、関連する記録も一切が抜けています。また、尋問したテロリスト達はどうやら武器の提供者の情報は知らされていないようです」

「ふむ……旧式の武器を選んだのは発覚を遅らせるためかな」

 レクシルが唸る。

内通者が誰であれ、相当念入りに計画されていたのは間違いなさそうだった。

「他に内通者に通じる手掛かりはないのか」

「ありません。が、

 その、名前は……!

 驚愕する私の反応を楽しむように眺めると、ハルトはスーツの胸ポケットから小型の端末を取り出し、ホログラムを起動した。空中に文字や映像が浮かび上がり、ヨハンに関する資料が次々に提示されていく。

 ヨハン・エックハルト。ドイツ、シュトゥットガルト出身の国際指名手配犯。構造学や爆発物、戦術など様々な分野の知識に明るく、持ち前の知識を用い歴史的建造物の破壊、政治的な重要人物に対する殺人を行う。自国の高官を暗殺し指名手配を受けて以降、その活動は国外にまで及び、各地の紛争地帯を巡っては現地のテロリストを組織、訓練し破壊活動を繰り返す。しかし、それも数年前に途絶える。

「その理由は……おや、どうやら貴女はご存じのようで」

「茶番はやめろ。どうせ知っていたんだろう」

「ええ、こちらに来る前に確認していましたから」

「っ!」

 悪びれるでもなく、ハルトは認める。

 そして反応に窮した私を一瞥すると、事の概要を話しだした。

「ヨハンは一年ほど前、自身の訓練した武装集団を率い、活動資金確保のためにとあるデパートを占拠。その場に居た客と店員を人質に身代金を要求。表向きは警官隊による解決とされました。が、実際は偶然居合わせたブランさんにより、武装集団と共にヨハン達は無力化され、その後はEUR管轄下の刑務所に収監されていたようです。しかしどうやら数カ月程前に脱獄していたようですね。記録が改竄され、前述した武器庫の件と同様に関係者は全員射殺されていました」

「なるほど。黒幕は彼を使って自分の軍隊を組織したわけだ。目的はどうあれ、何かを行うには力が要るからね。でも、それだけじゃまだ弱い。だからこそO3が狙われた」

「だがそれは失敗した。O3は今此処にあるんだからな。警備もより厳重になって以前のような襲撃も困難なはずだ。現状、向こうには打つ手がないんじゃないか」

 この事件の裏に居る人間はまさに、O3を手に入れるために行動を起こしたと考えるのが自然だ。控えめに見ても、CAは行動を起こすための「力」としては十分過ぎるほどに強力なカードだ。エネルスという無尽蔵に近いエネルギーがもたらす恩恵は、歴史上類を見ないほど大きい。それこそ、「個人」が「国家」を相手に出来るくらいには。

 なにせ、CAは現時点で地球上に一機しか存在しないのだから。

「果たして、本当にそうでしょうか?」

 しかし、そこでハルトが横槍を入れてきた。

 予想していなかった反応だったのか、レクシルは驚いた表情でハルトを見る。

「どういうことだい?」

「改竄されていた記録は前述した二つだけではないのです、ムシュー。今回行った調査によって何者かによる大規模な資金横領も発覚しました。更に、研究用にイタリアの施設にて保管していたエネルスがタンカーの事件とほぼ同時刻に奪われているのが分かりました。そして、その場に居た研究員も皆行方が分からなくなっているのです」

 その瞬間、なんだって、とレクシルが立ち上がった。その顔には珍しく焦燥の色が浮かんでいる。

「ちょっと待ってくれ、どうしてそんな重要なことが今までこっちに伝わってないんだ!」

「エネルスの存在は最高機密です。この件は発覚後すぐに箝口令が敷かれました。特にタンカー襲撃事件に関わった者には、コンテ氏までもがその対象となっていました。どうかご理解を」

 あくまで冷静に対応するハルト。しかしレクシルは納得いっていない様子だ。勿論、私もそうではあるけれど、科学者たるレクシルには余計に何か思うところがあるのだろう。

「まずいことになった……相手が身内なら、CAを制作するノウハウも知っている可能性がある……もし奪われたエネルスの用途がそれなら……」

「私たち自身がCAを相手にすることも有り得るわけか……」

「はい。希望的観測はしない方が賢明でしょうね。最悪の事態を想定しつつ、この件には臨まなくてはいけません」

 とりあえずこれで、我々の得た情報は以上です、とハルトは締めくくる。

 しばらくの間、この部屋に沈黙が横たわる。レクシルも私も、事態の重さ、敵の脅威に何も言えなくなってしまった。相手が身内で、CAを所持している可能性があるとなると、考えることが多すぎた。いつ、誰が自分に銃を向けてくるかも分からないうえに、相手に対するアドバンテージすらなくなってしまうのだから。

 しかし、確実に分かることが一つある。

「話は分かった。それで、いつになる」

「いつ……とは?」

 私の質問にとぼけて返すハルト。その態度が癪に障るが、無視して続ける。

「とぼけなくていい。さっきテロリストの拠点の位置は分かっていると言ったな? 例え罠があろうが、誰かがそこに行って情報を得る必要がある筈だ。さっき私たちに機密情報を開示したのはそういうことだろう」

「話が早くて助かります。ええ、あなた方には出撃を願いたい。あの、巨大兵器を使って」

 来たか――とレクシルと私は身構える。事件が起きた一週間前から、この時が来ることは覚悟していた。未だ姿の見えない敵と、戦う時が来ると。

「作戦概要は三日後、追ってお知らせします。何か質問は?」

「ああ」

 軽く手を挙げると、ハルトは問題を解く生徒を指名する教師のような所作で、どうぞ、と告げる。私は一拍置いて、


「宇宙人……イビュはどうしている?」


 簡潔に、そう聞いた。レクシルも気になっていたのか、私と同じ方向へ視線を向ける。

 おそらくは私の言葉を額面通りに受け取っただろうハルトは小首を傾げている。とは言ってもその仕草はやはり、芝居っ気に溢れていた。

「どう……とは? FOSは緊急事態のため、退避しています。またFOSは彼の国から内政干渉を禁じられているため、この件には関わらないと以前そちらにも連絡が届いたはずですが」

「……ああ、そうだったな」

 言って、レクシルと視線を合わせる。レクシルは頷くと、

「さて、忙しくなりそうだ。君はもう帰るのかい?」

「いえ、少し資料の整理をしてから帰ります。こちらを使わせていただいても?」

「いや、構わないよ。どうせ使わない部屋だしね」

 ごゆっくりどうぞ、と告げてレクシルは立ちあがる。

 ハルトを残し、私たちは部屋から出る。

 すると既に日は傾いていて、茜色の光が廊下を満たしていた。

 硝子張りになっているこの廊下は、外側から見ると窓以外は白い外壁にしか見えないようになっている。だからこちらからは太陽は見えているけれど、きっと太陽は私のことなんて見えていないだろう。

「レック……どう思う?」

 射し込んでくる光に、瞬きをしながら聞く。

「イビュのことかい?」

 そんな主語も脈絡もない問いに、レクシルは正確に主旨を把握して返してきた。

「僕は、彼は今回のことには関わってないと思うよ。ここ最近は彼だって忙しかったはずだから顔を見せなくてもおかしくはないし、タンカーの件は偶然居合わせただけなんじゃないかと思う。確かに怪しいところがないわけじゃないけど……それでも、彼にはこんなことをする理由がない。いや……もしかすると、そう信じたいだけかもしれないけどね」

「そうは言うが、もし奴が関係ないのなら妙な行動が多すぎる。そもそもが、私をCAの搭乗者に選んだことも不可解だ。他に代わりはいくらでも居たなか、なぜか奴は私を指名した。奴は……イビュは何を考えているんだ?」

「……どうだろう。分からないよ」

「まあいい。どちらにせよ、数日後には作戦が決行されるはずだ。なるようにしかならないだろう。しかし、あの雌狐め……」

 作戦の話と同時に先ほどのやり取りを思い出し、私はぼやく。するとレクシルも誰のことを言っているのか察したようだった。

「なるほど、狐か。言い得て妙だね。確かに化かされてはいるだろうね」

「人のことを言えるのか。お前は道化だろ」

「おっと、それは褒めてるのかな?」

「いんや全く」

「あれま」

 互いに遠慮のない会話に私はふっ、と笑ってしまう。

「――――!」

 だけどその瞬間、私は〝あの日〟のことを思い出してしまった。


 ――どうして、彼女が……! 友達だったのに、僕は何も……――


 そうだ。私は、五年前に……

「レクシル、私を……恨んではいないのか」

「どうしたんだい、いきなり」

「今日、お前は親友を殺されかけて黙っていられるような人間じゃないと言っていたな。それと一緒に、私を死なせない、とも。でもそれは――」

「ブラン」

 言いかけた私を、レクシルは遮る。

「五年も前に済んだことだよ。それに、君はもう僕にとって大事な友人だ。違う?」

 有無なんて言わせない、とでも言うかのように、レクシルは私を睨んだ。

「そう……だったな。感謝する」

「はは、相変わらず硬いね、君は。……っと、むむ? ブラン、あそこの人誰だか分かる? 僕は目が悪くてね」

 急に窓の外を指したレクシルにつられて私も外を見る。すると、施設の一角に人影があった。三階の通路からは些か遠いけれど、目を凝らしてみれば、見知らぬ女性がしゃがみ込んでいる様子が見える。

「……知らないな。警備を抜けてきたなら部外者ではなさそうだが」

「そうだね……少し見て来ようか……ってあら。もう行ってるんだね」





 アトモスフェールの本棟は四階建てになっている。先ほどハルトから報告を聞いていた会議室は内陸側の三階にあり、女性が居たのは入口付近、監視塔辺りだった。

 最寄りのエレベーターから降りて行き自動ドアを抜けて外に出ると、女性の影はまだそこにあった。

「おい、そこで何をしている?」

「わわっ! は、はい……って、ブランさん?」

 話しかけると女性は飛び上がり、こちらに素早く振り向いた。なにもそこまで驚かなくてもいいんじゃないかと思うけれど。

「どうやら私を知っているようだが……誰だ? 名前は?」

「はい、ティアナ・ブレメルです。今回の作戦にあたり、例の兵器の整備をするために他の技術者と共に派遣されました」

 ティアナは敬礼し、セミロングの赤毛をさらりと揺らす。どうやら彼女はEURの支給しているグレーの制服――地域によって幾つかのバリエーションがある――を着用しているようだ。見たところ年齢は私よりも少し上に見えたけど、純真そうな表情からは十代の少女のような雰囲気も感じられた。

「……なるほど。派遣された、ね」

 ハルトが作戦の説明をしに来たのはついさっきだ。つまり、EURは私たちが作戦を引き受けることを確信していたらしい。そしてハルトもそれを言わないあたり、なんともいやらしいやり口だ。

「ふむ、今日か明日あたりに技術者が送られるって話は聞いていたけど、こういう目的だったか。どうやら本当に化かされていたらしいね。さて、よろしく。ここの責任者のレクシルだ」

 レクシルが挨拶し、ティアナも返す。

 その時だった。なにやら「くあ」と鳴き声のようなものが聞こえ、私とレクシルはその発生源であるティアナの背後を覗き込む。

「鴉?」

 そこに居たのは鴉だった。黒く艶々とした羽を持つ鴉がコンクリートの上に鎮座していて、漆黒の目は警戒心を孕んでこちらを見据えている。けれどその眼光はどこか弱弱しい。

「羽、怪我しているみたいなんです。それで飛べないみたいで……」

 なるほど、と私たちは頷く。確かに左の羽には赤黒い血液が薄く付着し、それは灰色のコンクリートにも斑のように貼り付いていた。

「うーん、可哀想だけどねぇ。ここには動物の治療用の設備はないし……それに治療器具を勝手に動物になんて使えない。悪いけど放っておくしかないんじゃないかな」

「そうですか……」

 とティアナが申し訳なさそうに顔を伏せ、鴉を見つめる。レクシルの言う事はもっともだった。確かに鴉が怪我をしているさまは痛々しいと感じないこともなかったし、ティアナの気持ちも分からなくない。

 だけど、軍事施設の一面を持つアトモスでは人間がもっと酷い状態になっているのを見たことがある。万が一ということも有り得るため、治療用の道具を鴉になんて使えるわけがない。そのため私もその場を去ろうと思った。

 しかし、その瞬間。

 鴉と、目が合った。矛盾している目をしていた。目の前の相手が信用出来る相手なのか測りかねているくせに、それに縋ることしか出来ないモノの目を。

 ――知っている。私はこの目を、この眼差しの持つ意味を知っている。

 そうだ。この、鴉は――

「――いや」

「ブラン?」

「私の部屋に治療用のキットがある。人間用だが、消毒して包帯を巻いてやるくらいは出来るだろう。ティアナはその鴉を連れてきてくれ。レック、私の部屋に案内しろ。私は先に行って準備をしておく」

 それだけ言って、私は自分の部屋へ向かう。

 どうしてそうしようと思ったのか、自分でも分からない。哀れみかもしれない。もしかすると、あの眼差しに懐かしいものを感じたからかも。

 だけど、今はただ……この気まぐれに従いたいと。そう思えた。


 数分とかからず部屋に着く。鴉の治療はおよそ滞りなく進んだ。研究施設には、動物を入れるに丁度いい大きさの箱はあちこちにある。そこに鴉を入れて傷口を消毒し、包帯を巻き終えた頃には、外は月の光を享受して薄闇に包まれていた。レクシルは仕事が残っていたため既に退室し、この部屋には私とティアナ、そして鴉だけが居る。

「あの……ありがとうございます」

 私がベッドに腰掛けると突然そう言われ、びっくりしてしまった。なぜなら、礼なんて言われるとは思っていなかったからだ。

「えっと……その、別に礼を言われるようなことはしてなくないか?」

「……? この子、助けてくれたじゃないですか」

「助ける? あー……一応助けた、ということにはなるのか?」

 助ける……そう、助けたのか。私は。……私が?

「あはは、なんで疑問形なんですか」

 ティアナはくすくすと笑う。普通に答えたつもりが笑われてしまい、なんだか頬が熱くなるのを感じる。どうにか誤魔化そうと、私は努めて冷静な風を装うことにした。

「そういえば派遣されてきたんだろう。仕事はいいのか」

「いえ、正式な配属は明日からなので、今日一日は施設の下見だけだったんです」

「……そうか」

 しかし話題を逸らすことに失敗し、代わりに視線を逸らした。特に家具を置いていない白い壁紙の部屋から、星屑を散りばめた黒い夜空へと。

 部屋に唯一の窓。嵐の前の静けさなのか、外からは虫の鳴き声ひとつ聞こえなかった。静かであることがそのまま平和であるわけではないけれど、少なくとも静かであるうちは平穏を願いたいと思う。戦いなんて、ないほうがいいのだから。

 ふと、背後で立ち上がる音がした。首だけで振り向くと、私が座っているベッドのそばにはティアナが来ていて、穏やかな笑みを浮かべている。

「すいません。隣、よろしいでしょうか?」

 そう言ってベッド脇の小さな椅子を指す。別に私はそれを断るほど狭量であるつもりはないので、二つ返事で頷いた。そこで、私は奇妙な感覚に気付く。

 一種の緊張……とでも言えばいいのだろうか。しかし何故だろう?

 歴戦の兵士とまでいかずとも、私はいくつかの場数は踏んでいる。死線も数多く潜ってきたが、いずれの時もこんな感覚を感じたことはなかった。

「ブランさん、優しいんですね」

「なんだって?」

 と、そこでティアナが突然そんなことを言った。違和感しか覚えない言葉に、私は思わず聞きかえしてしまう。私が優しいなんて、そんなことがあるわけがない。

 だって、私は……兵器として生まれたのだ。自分の本質を嫌というほど実感させられた今となっては、ティアナの言葉を素直に信じられそうにはない。

 しかしそんなことを言うわけにはいかず、代わりに当たり障りのない言葉を吐き出す。

「いや、私は単に気まぐれなだけだよ」

「気まぐれで誰かを助けられる人は、きっと優しいんですよ」

 そう言うと、ティアナは嬉しそうに笑った。よく笑うんだな、と思う。自分の感じることに素直なのだろう。ティアナの笑みは、ただ純粋に自分がそうしたいから笑った、という印象だった。人が行う、最も自然な行為の一つであるように、そう思える。

 自然に生まれた存在ではない私には、出来ないことのように。

「でも私、今はこんなこと言ってますけど……正直、最初はブランさんのこと……ちょっと怖い印象があったんです。勝手なんですけどね」

「そう、なのか」

 その方が正しいと思う、という言葉は出てこなかった。

「ここに来る前にブランさんについての報告書、というかプロファイルを見たんです。タンカーでの事件のことも。こんなことが出来るなんて凄いな、って思って。きっと私とは違う世界に居る人なんだって。そう思いました。私には出来ないことが出来るから、私とは根本から違う人だって、そう、勝手に……」

 そこで、私はティアナの声が震えていることに気づく。すぐさっきまで笑顔で話していた彼女は、今は申し訳なさそうに、そして泣きそうな顔をしていた。

「すいません。少し、自分の話をしてもいいですか?」

 どうしていいか分からなかった。だから、構わない、とだけ伝える。

「……ありがとうございます」

 一言礼を告げて、ティアナは語り始めた。


 ――私、戦争孤児なんです。

 生まれた時から母は居ませんでした。どういう人で、どういう顔なのかも。だから、私には父の存在が全てでした。ですが、私が居た国である日、紛争が始まったんです。最初は小規模だった戦いも、段々広がってきて……私が居た街も襲われたんです。父は目の前で殺されました。体中に空いた穴から血を噴き出して。

 父を撃った男は、恍惚とした表情をしていました。その顔が頭から離れないまま、いつの間にか紛争は終わっていました。

 私が引き取られた場所は、EURの管理する孤児を集めたスクールでした。そこで私は、情報工学を学びました。許せなかったんです。父を殺した男が。情報工学を学べば、いつか見つけ出せると思って。いつしか私は成績を評価されて、EURの人に引き抜かれてこの組織のことを知りました。

 あの男を一刻も早く探し出すために、体内端末まで入れて……そして仕事をする間、必死に世界中の傭兵や兵士の登録情報を調べました。時にはハッキングまがいのことまで。

 そして、遂に見つけたんです。父を殺した男を。

 ヨハン・エックハルトを。


「――! そいつは!」

 ティアナはただ静かに頷く。

「すいません、ブランさん。私、最初から貴女のことを知っていたんです。ヨハンが起こした、デパートの事件を調べているうちに……」

「……それで今回、CAに?」

「はい。でも、図々しいことだって分かっていますけど、それでも、ブランさんにお願いしたいことがあるんです……!」

 次の瞬間、ティアナは身を乗り出して、とんでもないことを言った。


「私を、ティアって呼んでくれませんか!?」


 一体なぜ、という声は出なかった。代わりに、

「……は?」

 というひたすら純粋な疑問の声だけが出た。目の前の人物は、一体全体何を言っているのだろうかと。さっきまでの流れからどうしてこんなことになったのか、私には理解出来そうもなく。私の混乱を察知したのか、ティアナはわたわたと慌てだす。

「あ、いえ、そうではなくて! その、友達に……なりたいんです。貴女と……」

 言われて、私の心に今までに感じたことのない感情が溢れてくる。

 それでも、戸惑いよりも先に疑問が浮かぶ。捕捉されたが、やはり意味が分からない。どうしてCAに関わったことと、このことが繋がるのかが…………いや。

 ――近いうちに、私はまた貴女に――

「……一つ聞いてもいいか」

「え? は、はい」

「CAには、開発の段階から関わっていたのか?」

「…………はい。私は、機体の制御プログラムを」

 プログラム、か。なるほど、やっぱりそうか……。

「もういい、分かったよ。私に任せてくれ」

 告げると、ティアナは驚いたような表情をする。

「えっと、それは、どういう……」

「復讐したいんだろう。あの男に。つまり、そういうことだ」

「あ、いや、その……」

 と狼狽するティアナ。私は立ちあがり、鴉の入った箱を差し出す。

「私は鴉を部屋に置いておく趣味はない。連れて、行ってくれ」

「あ…………はい。分かりました……」

 彼女は申し訳なさそうな顔をする。結局は――そういうことだった。さっきも、今も、ティアナが申し訳なさそうにしていたのは私を復讐に利用する罪悪感からだったんだろう。それを少しでもやわらげるために、あんな事を言ったんだろう。だから、狼狽していたんだろう。結局は、そういうことで。

「少し、疲れた……」

 誰に言うでもなく、私はベッドに倒れ込む。

 少しして、ティアナが部屋から出ていった音がした。

 足音が遠ざかっていくのが聞こえた。いつの間にか、虫が鳴き始めているのが聞こえた。

 ただ一つ。睡魔の足音だけは、いつまで経っても聞こえてこなかった。


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