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第二章

『さあブラン、来なさい』

 私は変化を拒絶されてきた存在だった。

 常に最良のパフォーマンスを求められ。決められたスケジュール通りに行動し。ある期間からは肉体的な成長すら化学的に否定された。

 自然は、人は常に変化する。変化を求めて思考し、行動する。その速度は千差万別だが、例え変化しないように見えてもその変化はゆっくりと、だが着実に進んでいる。

『じゃ、次のテストを始めるわ』

『はい』

 だが人が造ったモノは?

 車は、機械は、銃は?

 それは変化することを他ならぬ人によって否定される。摂理に従い変化するその身にメンテナンスを施し、修理し、補強し、可能である限りの間は最適なパフォーマンスを維持し続ける。変化を拒絶され、劣化してしまえば使い捨てられるのが人工物、神の真似事の産物だ。

『準備は出来た?』

『はい』

 私もそんなふざけた遊びによって生まれてきた。そのことに疑問なんて持ったことはなかった。自分の目の前にあるものを疑いもせず、するべきことを淡々と消化していた。

『ブラン、あそこにラットが固定してあるでしょう。銃の使い方は分かるわね』

『はい』

 今の自分が大事だ。

 自分は自分でしかない。

 そんな言葉はよく聞くけれど、私はそんな言葉で自分を誤魔化せるほど上手に生きられそうもなかった。女々しいと分かっていても、過去に縛られてしまうことはやめられそうになくて。

 それでも、手を差し伸べてくれた人が居た。造られた命じゃなく、子として愛してくれた人が居た。自分の生を、自分のために使いなさいと、そう言ってくれた人が。

 だからこそ、私は考えてしまうのだ。

 私は、どうあるべきなのかと。

『それじゃあ、構えて』

『はい』

 私の存在意義。私を、私たらしめるもの。

 変化を望む自分と、変化を恐れる自分。私は私であるために、何をするべきなのか。

『殺しなさい』

『はい』

 ────────私は。





『じゃあ、あと数時間で着くんだね?』

 レクシルの声が私の頭の中に響く。

 イビュとの邂逅からおよそ六週間。九月、某日。

 私は地中海上を走る、物資の輸送船に偽装したタンカーの中でレクシルと連絡を取っていた。今、この船には巨大兵器CAのパーツが積まれている。仮にも搭乗者である私は、自分の仕事道具の完成度を事前にこの目で確かめるため、このタンカーに乗船していた。本来ならわざわざ見に来る必要はなかったのだけれど、やっぱり自分が乗る以上は早めに確認しておきたかったからだ。

 輸送物資の格納庫脇に位置するこの部屋は船内の情報を閲覧出来る端末が室内の両端にあり、それ以外には何もない。強いて言うならば窓があるけれど、そこに映るのは夜空と月に照らされる海面……なんていう洒落た景色ではなくて、窓枠はただ格納庫内の無機質な構造を見せるだけだった。

 室内の青白いLED灯と格納庫の橙色の光を受けながら、私は窓の奥に存在する褐色の「山」とでも形容すべき鉄塊を眺めて、レクシルに返答をした。

「ああ、もう少しだ」

『そうか。あとニ時間くらいかな? うん、分かったよ』

 話す私の口元にマイクはない。

 ついでに言えば耳にイヤホンもなかった。レクシルの声は私の体内に埋め込まれた端末を通じて脳内で再生されている。神経を経由して脳に信号が送られているため、端から見れば独り言を呟いているようにも見えるだろう。

 そんな風に余計なことを考えていると、そのまま切れると思っていた通信に再びレクシルの声が割り込んできた。

『あー……あのさ、ブラン?』

「なんだ」

『その、例のやつなんだけど……アレは頭部にメインコンピュータがあるんだ』

「知っているが」

『ああ、そうじゃないんだ。つまりメインパーツ以外の、要するにアシストパーツは回路を繋いで連結するだけだから、今のそれ単体でも動かせるんだよ』

「……何が言いたい?」

 嫌な予感に頬が引きつるのを感じる。間違いない。こいつは今まさに、私の頭痛の種を増やそうとしている。

 次の瞬間、わざわざ面倒な言い回しをしてきた初老の男は、意気揚々と種蒔きを開始した。

『だからさあ、ちょっと動かしてみない? もう僕ワクワクしちゃってねえ! 日本のフィクションみたいに合体はしないけど、巨大兵器は男のロマンってね!』

「馬鹿かお前いいや馬鹿だろこの馬鹿」

『酷い! 馬鹿って三回も言った!』

 もう駄目なんじゃないだろうかこの男は。

 半ば説得を諦めつつ、しかし常識人としての立場を捨てきれない私は一応このふざけた花咲か爺さんを叱責することにした。いや、そうしなければ自分の中で何かが壊れそうな危機感を覚えた、と言った方が正しいかもしれない。

 勿論、そんな色はおくびにも出すつもりはないけれど。

「いいか、アレは試作兵器だ。万が一にでも壊れたらどうする!」

『だって気になるじゃない? 人類史上初となる超大型兵器だよ? それに真面目に言えば、確認がてらに動かすのもいいと思うよぉ? あくまで起動のチェックだけだし』

 詭弁で押し通すつもりかこいつは。そもそも私が動かしてもアトモスに居るお前は何も見れないだろうに。

 とにかく、これ以上の議論は無駄だ。

 私は呆れて額に指を添えつつ、適当に受け流すことにした。

「はあ……。まあいい。一応覚えておく。通信終了」

『オッケー』

 返事を聞いて通信を切る。

 改めて言えば、今この船は製造された巨大兵器《O3》の部品をアトモスフェールへと運んでいる最中だった。O3は『対大規模戦闘制圧用大型有人機動兵器』という正式名称の通り、非常に巨大である。そのため、重火器を中心に開発しているアトモスフェール内の工場だけでは製造は不可能だった。なので、各パーツを別所で製造してからアトモスフェールにて組み立てるという計画になったのだ。

 さて。このO3は大きく分けてメインパーツとオプションパーツで構成されていて、先ほどレクシルが言っていた通りメインパーツだけでも稼動できる。メインパーツは人型の本体を指し、各部位により移動、制御、動力、攻撃など兵器としての活動の核となる部分に分けられている。

 一方、オプションパーツは主にO3の武装面を強化するパーツだ。背部の追加装甲及びエネルスによる火力、機動強化を兼ねた武装を収容するためのシェル、腰部に搭載する換装式の武器等がそれに該当する。

 勿論メインパーツにも多数の武装は施されているけれど、大規模戦闘の制圧をより迅速に行うため、また、地形や敵兵器の種類に合わせた戦術を可能にするため、豊富なアシストパーツが造られたということらしい。

「それにしても……」

 大きすぎやしないだろうか、と私は思う。

 格納庫を見下ろすように設置された窓の外に映る褐色の山。これこそが、現在運搬している件の巨大兵器『O3』だ。機体の全高はおよそニニm、人間がリアルな存在感を認識出来る高さがおよそ十m弱だというのだから、これがいかに馬鹿げた大きさなのかが分かる。でも更に驚くべきことは、この巨体がエネルスを積むことにより、半永久的な飛行が可能になることだろう。

 この巨大兵器は各所にエネルスを燃料とする最新の可動式ブースターユニットを搭載することにより、垂直離着陸、ホバリング、低空での地形追従飛行に高速での飛行。また、戦闘機ではなしえない瞬間的なバーニアの出力増大による緊急回避及び急激な移動方向の転換──無論、慣性による相応の負担は搭乗者に強いることになるが──なども可能になっているという。

 ……正直、巨大兵器のパイロットなんて言われてもいまいち実感は持てなかった。けれど、こうして目の当たりにするとその存在感に圧倒される。

 宇宙人。エネルス。そして巨大兵器。

 私は今、未来に生きている。過去の創作家達が空想の産物として描いてきた未来の、その当事者となっている。しかし違うのは、別に私は物語の主人公のように信条なんてないし、絶対に私がやらなくてはならない、という使命も持ち合わせてはいないこと。

 避けられない戦いも、差し迫った人類の危機もない。

 そう、これは強制なんかじゃない。本当は断ろうと思えば断れたけれど、そうしなかった理由は二つある。一つは必要とされたこと。必要とされればそこは私にとっての居場所になり、そして仮初めの存在意義が提供される。その大義名分で、私は幾ばくかの安心を享受出来る。

 そしてもう一つは──

「伯父さん……」

 私が呟いた時、

「ブラン……?」

 え──と私は慌てて声がした方向に顔を向けた。

 いつの間にか開いていた扉。私が安心出来る声。聞き慣れた、しわがれたその声を発した人が、部屋の入口に立っていた。

 背広に白髪混じりのブロンド、精悍な顔付きをした壮年の人物はレクシルの親友にしてEUR最高幹部の一人で、アトモスフェールを創った……私の伯父さん。

 私の恩人、コンテだった。

 優しげに細められた碧眼が私を見据える。見たところ伯父さんは、二人の護衛を連れて部屋を訪れたみたいだった。

「おぉ、ブラン……まさかお前が乗っていたとは……ここまで来ることはなかったんじゃないか? あそこで待っていればよかったろう」

「うん……。でも私、一応パイロットだしさ。早く見ておきたくて。そう言う伯父さんはどうして?」

「いやいや。私もお前と同じだよ」

 伯父さんはそう言って元気そうに笑う。その姿を見ると、自然に口元が緩んでしまう。私を救ってくれた人。私が唯一、素顔で接することが出来る人。

 この人に恩を返すために……私は、ここに居る。

「しかし大きいな……これが噂に聞くCAか」

 ふと、伯父さんは窓の外を見て呟く。

「このような兵器になったのは遺憾でもあるが……。だが、これは間違いなく地球上で最高の兵器だ。破壊する為ではなく、新たに──一つの状態を創るための。……いや、最高と呼ぶにはまだ足りない。それにはブラン、お前の協力が必要だ。操縦者の。献身とは言わないが……お前の力を借りたい。地球の為に力を貸してくれないか」

 真剣な表情でそう告げる伯父さん。

 いきなり大袈裟なことを言うものだから、くすくす、なんて笑いが漏れてしまった。

「叔父さん、なんか言ってること重い」

「はは。まあかなり大仰な話だからな、実際は地道な任務になるが──これを使うことで人類はきっと、いい方向に向かうはずだ。例え、多少の犠牲が出ようとも……」

 小声になり、伯父さんは目を伏せる。伯父さんは変化には犠牲が出ることを知っているのだ。他ならぬ、私のために起こった死を…………知っている。

「ふっ……打倒すべきは宇宙人、か?」

 突然部屋の隅から声がした。

 全員が驚いて声の方向に視線をやる。

 先程まで何もなかった空間に、長身の男が立っていた。

 黄緑色をした奇妙な髪。そして黄色の瞳。それらの持ち主たる男は堂々とこちらを見つめている。その姿はまさしく、宇宙人、イビュだった。

「おお、イビュか。いつの間にいたのかね? それと今のは……」

 訊かれると、イビュはジーンズのポケットに突っ込んでいた左手を取り出す。その手には奇妙な形をした、黒い小型の機械が握られていた。

「これは転位装置さ。ボタン一つで好きな所に現れられる。簡単な事前情報は必要だがね。で、今のはあれだ、俺もこっちのメディアは多少見ているからな。ジョークのつもりだったんだが……」

 通じなかったか? とイビュは頬を掻く。

 いや、確かに宇宙人やエイリアンを扱うSFじゃあ彼らの侵略に新兵器を開発して対抗する、なんて話は多いけれど。当の宇宙人にそう言われるのはなんとも反応し難い冗談だった。私を含め、全員がそう思ったに違いない。

 咳払いと共に、今度は伯父さんが話しかけた。

「それは……EURに来た時にも使っていたものか」

「まあな」

 イビュはそれだけ言うと、部屋の中央を通って私のすぐ横、観察窓の前に立つ。

「あれがメインパーツか」

 どうやら私に聞いているらしい。

 疑念。何を考えているのか分からない目の前の男に抱いている、そんな不信感を悟られないよう私は端的に答える。

「そうだ」

「お前に乗り熟せるのか?」

 挑発するように笑いながら訊くイビュ。

 その問いに、私に代わり伯父さんが答えた。

「ああ勿論だ。彼女は私の自慢の〝娘〟さ」

「娘、ね……」

 呟きながら窓から離れるイビュ。

 その姿は何処か……寂しげだった。

「決まっている。例え本当の娘でなくとも。……詳しくは言えないが、彼女は幼くして両親を亡くしたんだ」

「…………」

 私は何も言えなかった。

 伯父さんの言葉の指す意味。脳裏に浮かぶたび、胸の内に鈍い痛みが走る記憶。それを言葉にした途端、苦痛が現実のものとなって襲いかかるような、そんな恐怖があったからだ。

 そんな私を見て、同情とも憐憫とも取れぬものを含んだ、複雑そうな声をもらすイビュ。

「へぇ……」

「それでも私はこの子を愛している。娘であり、親子だと……私は、そう思っている」

 イビュは沈黙して目を閉じる。

 その表情の奥に、一体どんな思いと過去を携えているのか。

 私には、知る由もなかった。

「そうだイビュ、君に家族はいるのか?」

 ふと出たその質問の答えには私も興味があった。〝五週間前〟……そして今、私の前に現れ意味深な言葉を吐く宇宙人の男。その真意が僅かながら計れるような気がした。

「居る…………いや、居ないな。過去に居たこともあったが、皆死んだ」

 間をあけてから、イビュはそう言った。

 その表情に浮かんでいたのは喪失感だった。

「……すまないな」

 謝罪。しかしそれを気にしていないのか笑いながらイビュは返す。

「はは、気にするな。自然の摂理っていうもんだよ。弱い奴らが死んだだけだ。強い友人なら居る」

「そうか……」

 それきり、沈黙が訪れる。

 二秒、三秒……続く気まずい雰囲気を嫌ってか、両手を上げながらイビュは軽く笑った。

「おいおい、悲しんだり悲観してばっかじゃ人生つまらねぇぞ? 俺はもうこの船を出るが……気持ちを切り替えておけよ? それとブラン」

「……なんだ?」

 急に話題を振られ、困惑しながら答える。

 イビュは私に近づき、一瞬視線を下に移すと、

「いつ、なにがあるか分からないからな。ちゃんと使えるようにしとくといい。特に──今日は雨が降りそうだしな」

「――――!」

 聞こえるか聞こえないか、というほどの声量でそう告げた。確実に私以外には聞こえていないだろう。

 私の睨みを視界に入れる前にその体は反転し、扉へと向かう。その背中を伯父さんは親しみの込もった声色で送り出した。

「ではイビュ、また会おう」

「……ああ、そうだな。じゃ、また」

 直後、イビュは白い発光体のようなシルエットになると、次の瞬間には姿を消していた。私はスカートの下に隠している銃の硬質な感触を汗ばんだ手で感じながら、彼の消えた扉を見つめていた。

 なにか、嫌な予感がする……。

 イビュが居なくなってすぐ、護衛らしき人物の一人が伯父さんに話しかける。伯父さんは何度か言葉を交わすと、私に笑顔を向けた。

「ブラン、どうやら時間のようだ。迎えのヘリが到着したらしい。私はこの船を立つが、お前はこのままアトモスフェールまで行くんだね?」

「え…………」

「なんだ、寂しいのか? 私もだが、これも仕事だから──」

「ち、違うから。そうじゃなくて、その……」

「ははは、冗談だよ。それじゃ──」

 座っている私に伯父さんが手を差し伸べたのと、船内に警報が鳴り響いたのはほぼ同時だった。

 私は咄嗟に立ち上がり、スカートの下の銃に手をかけた。すぐさま、驚きに目を見開いた伯父さんが声をあげる。

「何が起きた!」

 護衛がすぐに船内の人間へ連絡をとる。しばし間を置き、片耳に手を当てながら彼は告げた。

「甲板に侵入者です。船内へ侵攻しています」

「何!? 馬鹿な、このタンカーが狙われたと言うのか!」

 VIPに余計な不安を与えないように訓練されているのだろう。護衛は努めて冷静な声色で淡々と現状を述べた。

「恐らく。到着したヘリは味方ではなかったようです。とにかく今は脱出を」

「伯父さん!」

 突然声を荒げた私に、伯父さんが振り向く。

 目が合う。私は何かを伝えようとして、瞳を覗き込む。けれど声は出てこなくて、唇は言葉を探すようにほんの僅か揺れるだけだった。

「……ブラン」

 焦る私に、伯父さんが声をかける。

「私は大丈夫だ。ブラン、お前は私よりも自分を心配しなさい。この船はまがりなりにもEURのものだ。緊急時の為の脱出装置がある。最新式だ、とてもじゃないがそこらのソナーに追跡出来る代物ではない。それより、お前はあれで脱出しなさい。連中の狙いは分からんが……奴等がセキュリティを突破するには時間がある筈だ。外にある脱出挺に向かうよりは安全だろう。何より、これの存在を外部に知られてはいけない」

「でも……!」

 窓の外を目で示し、伯父さんはそう語る。

 それでも、私は首を横に振った。私なら、いくらでもなんとかなる。CAなんてどうでもいい。それより、もしも伯父さんに何かがあれば……。

「私は、そっちじゃなくて──」

「わかってる」

 ぽん、と手を肩に乗せられ、私はそれ以上何も言えなくなった。

「ブラン、よく聞いてくれ。いいか、私はお前が私の事を心配する以上にお前が心配なんだ。わかってくれるな?」

「あ…………」

 返す言葉がなく、私は頷く。

 分かっていた。伯父さんの言うことの方が正しくて、安全だと。今、この巨大兵器の存在が知られることが、どんなに危険なことであるかも。だからこそ、私は何も言うことは出来ない。伯父さんがどれだけ平和な世界を願っているのか、私は今まで充分すぎるほど知っていたから。

「私はもう行く。どうか無事でいてくれ、ブラン」

 返事を待たず、伯父さん達は立ち去る。

 俯き、床を見つめながら、同時に今の状況を見直す。私にはやるべきことがある。私がやらなければならないことが。

「……大丈夫」

 自分に言い聞かせる。その一言だけを部屋に残して、私は観察窓の隣にあるもう一つの扉から飛び出した。船が揺れるなか、通路を走る。私の眼下には、比較する物がないために、その巨大さが際立つことなく佇む褐色の〝山〟が鎮座している。

 警報は鳴り止まない。格納庫の端を駆ける私の脳裏に、自分が人間として生きる事の出来た日々が星屑の煌めきのように瞬いて……そして消えていった。






 昔の話だ。

 信頼、愛情という言葉の意味が、私には理解出来なかった。

 その言葉の指し示すもの、という意味では分かっていた。だがその意味が表すものを、自分のものとして体感したことがなかった。私にとって信じられるのは自分ですらなく、人は必ず死ぬという摂理であり、愛情とはつけ込んで利用するための嘘だったから。

 今思えば、ずいぶん歪んでいたと思う。

 目に映る全ての生き物は命令で殺す可能性のあるもので、全ての物体は命令で破壊する可能性のあるもの。元凶である研究者の母が吹き飛んで死に、一人生き残った私はEURに保護された。

 当時、私は十四歳だった。その年齢になるまで、私は命令を疑う、という行為の存在を知らずに育った。命令されるままに的を撃ち、動物を撃ち、殺す。疑問なんて抱いたことはなく、淡々と食事と睡眠を取り、薬を打たれ、教育と訓練することを繰り返す毎日。

 だけどある日、私の中に一つの疑問が生まれた。


 ――私は、何のために生きている?


  薬の効果が切れたのか、それとも投薬による脳の変異が原因か。それまでさしたる疑問も感情も持たなかった私は一気に変化を始める。一度疑問が浮かべば、穴の空いたダムが水圧に耐えきれず崩壊するように、それは様々な形で溢れ出てきた。私はなぜこんなことをしているのか。母はなぜ私にこんなことをさせるのか。普通の生活とは、親とは、愛情とは。

 そして母が死んだ時……あるいはその前から、私の疑問は自分を取り巻く世界への不信と失望に変わっていた。

 ――気づくのが遅くなってすまない。もう、大丈夫だ──

 絶望の中に居た私にそう声をかけたのは……母の兄である男だった。





 脱出を開始してから程なくして、私はCAの眼前、積み荷を管理する大型端末の置かれた部屋に着いた。現在その端末はCAの起動する媒介としての役割も担っているため、まずはここからパスコードを入力しなければならない。

 窓を見ると鉄の巨人の顔が丁度眼前に鎮座していた。前面に向け鋭く尖った、流線型のメタリックな質感を持つ外郭。仮面のような装甲の奥には、光を宿さぬ機械の瞳があった。

 ――これが、私のもう一つの体になる。

 予定よりも早い起動に私はレクシルの言葉を思い出した。図らずも「ちょっと動かしてみよう」というレクシルの要望が実現することになり、なにやら言葉にし難い感情が沸き上がってくる。……脱出に集中しなければ。雑念を振り払い、端末を操作する。

 画面が切り替わると、私は音声コードの入力を開始した。

「《Colossal Armes》起動シーケンス。パスコード『1282222』」

 私が呟くと、O3はハードディスクが立てるシーク音のような、巨体に見合う音量の機械的な騒音を立てる。

 そして、無機質で丁寧な発音の──合成音声だ──女声が彼女の耳に届く。

〈音声入力による認証を確認。起動準備開始〉

 機械の瞳に紅い光が宿る。

 目が、合う。O3はまるで搭乗者である私を品定めするかのようにこちらを見下ろしていた。そんな錯覚を感じさせるほどの圧力が、この兵器にはある。

〈起動準備を完了。パスコードを確認しました。次に、パスワードを入力して下さい〉

 その音声と共に、端末の巨大な画面の中央にパスワードの入力を促す表示があらわれる。

 契約の呪文だ。私は息を吸って、この巨人を従えるための文字列を入力した。

「O……いや。《EUR-Oxygene/Unite Deux:O3》」

〈パスワードを確認しました〉

 端末の表示が入れ替わる。

 権利の入れ替わりが開始し、O3の管理の全権はパスコード、そしてパスワードを入力した私の体内端末へと移行した。全てのプロトコルを終えてこちらを主と認識したO3に、私は起動の命令を下す。

〈ColossalArmes:O3、起動します』

 機械がそう告げた瞬間、全体が先程以上の振動音を立て始めた。

 軋みながら頭部が駆動する。金属の摩擦が生物の鳴き声のような甲高い音を立て、関節が唸り、整備用のデッキが役目を終えて機体から離れていく。

〈O3、起動完了〉

 声が響き渡る。

 全ての準備は完了した。あとは私が乗り込んで船外へと脱出し、そのままアトモスフェールに向かうだけだ。私は心を決めて、機体背部の入口へ向かうため足を動かそうとし、


「動くな!」


 その直前、制止させられた。

「そうだ、両手を挙げろ。そのまま、ゆっくりとこちらを向け」

 私はその言葉に従い、無言で手を上げて緩慢に振り返る。

 声をかけてきたのは重装備の男だった。フルフェイスのヘルメットを装着し、黒い戦闘服を着用している。すぐさまあとに続き、同様の格好をした兵士達が室内に入り込んできた。

 男達の動きを追いながら、私は思考する。

 当然ながら、奴らはタンカーを襲撃した存在で間違いないだろう。ここまで到達するのがいくらなんでも早すぎるが……それを考えるのは今の最優先事項ではない。早急に目の前の男達を無力化し、この状況を切り抜ける必要があった。

 が、動けない。無数の銃口が私に向けられている。よく訓練された兵士であるのは彼らの動きから見てとれた。妙な素振りを見せれば殺されずとも、足や腕は撃たれてもおかしくはない。

 冷や汗が一筋、頬を撫でる。

「子供か……? 何故ここに?」

「いや待て、アレが既に起動している。おかしい……パイロットはいない筈だ」

「聞いた話と違う! そこのガキ、説明しろ!」

 兵士の一人が怒鳴ってナイフを取り出し、生殺与奪の権利を誇示するようにぶ厚い刃をちらつかせる。

 アレ……ということはやはり狙いはO3らしい。どこから情報が漏れたかは分からないが、CAは試作機であるこれだけだ。決して渡すわけにはいかない。

「…………」

「だんまりか……お嬢さん、我々としても女性の肌に傷跡を残したくはないんだが」

 黙っていると、リーダー格らしき男がそう言った。

 まずい……覚悟を決めた瞬間、あるものが私の視界に飛び込んできた。

「…………!」

 男の持つナイフ……その研ぎ澄まされた刀身に反射するもの。それに伴って脳裏をよぎる、白髪の相棒の言葉。

 ――やるしかない。敵の数を減らして同時に隙を作れれば……!

 そして私は口元を吊り上げる。

「アンタら、今どき海賊ごっこは流行らないぞ。乗り込む船でも間違えたんじゃないか?」

 私は両手を下ろして肩をすくめ、挑発する。

 相手はまだ油断している。

 小柄な女なら銃を使わずとも組み伏せられると思っている筈だ。

「……どうやら自分の立場がお分かりになっていないようだ。構わん、やれ」

「了解。覚悟しろ、ガキ」

 ナイフを持った男が迫る。

 一歩……そして二歩。ナイフの加害範囲が徐々に近づいていく。

 手を伸ばせば届く範囲まで。

 するとヘルメット越しに男がくぐもった声をもらした。

「お前、いいぜ……そういう綺麗な顔をぐちゃぐちゃにするのがたまんねぇんだよ」

「……下衆め」

「ハッ」

 男は短く息を吐くとナイフの切っ先をこちらの顔に向けて伸ばす。

 ――その手首を、私は掴んだ。

 そこからは、コンマ以下での判断がこの空間の状態を規定した。捻り上げた手を起点に男の背をこちらに向ける。当然男は抵抗しようとするが、純粋な力で以てそれをおさえつけた。直後、私に向けられた銃口が一斉に火を吹く。私を「非力な少女」と思ったことによる代償を支払うことになった哀れな男は、断続的な衝撃をその肉体越しに私に伝えると気絶し、脱力した。

 瞬間、味方を撃たされたことに気づいた男達が叫ぶ。

「貴様あッ!」

 しかし、状況はまだ打開出来ていない。

 一人が倒れても、部屋に居る侵入者は九人残っていた。九つの銃口は依然としてこちらに向けられている。だが、向こうは気づいていないだろう。

「感謝するぞ──レクシル」

 ──私の背後で、死神が大口を開けていることを。


「〝撃て〟」


 左腕のBMIを起動させ、その言葉を発すると同時、死神は咆哮した。

 O3の頭部の左右に装着された二門の機銃が唸りをあげる。高速回転する銃身から毎分三千発放たれる超速度の弾丸が、その圧倒的な威力を持ってして窓を貫き、男達を蹂躙する。同時に砕けた硝子片が室内に降り注ぎ、先ほど私に覆い被さるように倒れた男に幾つかが弾かれる。

 僅か数秒。その数秒は、状況を一転させるには充分過ぎる効果を発揮した。機銃の掃射が終わった刹那、私は次の行動を開始する。

 O3の射角から逃れた者は四人だった。

私は頭の上の男を押し退け駆け出すと同時、脚のホルスターから銃を取り出す。

 拳銃というカテゴリには不釣り合いな程に大きい口径を持つ銃はデザートイーグルにも似た外見をしているが、その性能は段違いだ。

『VIN‐BLANC』。それがこの銃の名だ。

 私専用に製作しカスタムした漆黒のハンドガンは、戦闘の気配に呼応するかのように手に馴染み、間髪入れず撃った弾丸は正確に眼前の男のヘルメット上部に焦げ跡を付けた。昏倒する男の背が床面に接する前に、私は腹を蹴り飛ばし奥の一人に激突させると、右側から接近しナイフを突き刺そうとしていた男の腕を掴む。そして捻るようにして力の行き先を変えると、刃の切っ先を男の左の肘窩に打ち込んだ。

 いくら全身を防弾、防刃の装備で覆っても、稼働する部位──関節の防御は脆弱だ。

 自らを刺してしまい苦痛に絶叫する男がくずおれて、その腹へと膝を入れる。一瞬浮き上がった体が力なく揺らいだのを視認すると、私は蹴り飛ばした男の下から這い出た男の元へと駆けた。

 間合いはおよそ五メートル。敵の得物はライフルで、こちらはハンドガン。撃ち合いになれば不利になる。ろくに防具も着けていない私は、近接格闘に持ち込むことを決定する。瞬時に判断し距離を詰める。男の反応は迅速だったが、遅い。相手が取り落としたライフルを手にして構えた瞬間、私は右足を軸に回転。腕をしならせ、遠心力で加速させたハンドガンの銃床を、ライフルの側面に叩きつけた。その衝撃に弾かれた銃口から数発の弾丸が飛び出し、不安定な体勢で発砲したライフルが男の手で暴れる。

「くっ……!」

 私はそのライフルを持つ腕を右手で抑えつけ、手前に引くと同時に鳩尾に向け、左肘を渾身の力を込めて喰らわせた。腹に沈めた肘先の衝撃が肺を貫き、男は喘鳴するようなこひゅっ、という音を漏らして、唾液を散らすと共に崩れ落ちる。

 瞬間。私は振り向き、銃を構えて辺りを見回す。周囲に転がるのは死んだか意識を失った男達とガラス片……そして、沈黙。咽せ返るような硝煙と血の香りの中心には、私だけが立っていた。

 ──戦闘終了。

 銃をホルスターに戻し、気絶した男達を拘束すると、私は脱出するために駆け出した。






 扉を開けると、真っ直ぐ伸びたデッキの先には開かれたハッチがあった。目の前の巨大有人兵器「O3」は機体背部を入り口とし、胴体中央を操縦室としている。私は歩を進め、腰の位置から鉄の巨人の腹に侵入し、内臓を通って奥へ向かう。

「……っと」

 通路であるという、それ以外の要素を完全に省いたような狭い空間を抜けると、淡い光が灯る狭い場所に辿り着いた。すぐ前にあった、ジェルの詰まった大きなシートに腰かけると、操舵室を満たしていた淡い光は消えた。代わりに、はっきりとした明るく青い光がシート前方を照らす。

〈搭乗を確認。IBMIを起動しますか?〉

「ああ」

 機械に返事を返し、ひじ掛けに腕全体を委ねて先端のレバーを握る。

「IBMI……起動」

 呟くと、突如操舵室が狭くなる。どうやら一部の壁や天井が稼働し、近付いてきたらしい。そして私の頭の辺りまでボウルをひっくり返したような半球状の装置が降りてくる。

〈IBMIを起動。体内へ同調剤を投与します〉

「ん、くっ」

 突然、眠気が体を襲った。

 眠い。頭が回らない。感覚がなくなっていく。重力を感じない。意識が……浮いている。

 …………眠い…………。

「…………ん……う」

 ――意識が帰ってくる。

ずいぶんと永い間眠っていたような気がしたが、たぶん数秒も経っていないのだと思う。

私の目の前に映っていたのは壁だった。さっきまで私の目に見えていた操舵室の壁ではなく、格納庫の壁。それも、非常に小さくなっている。

「……これが……」

 これが、IBMI。

 BMIの発展型と言える、巨大兵器「CA」を動かす為の機能。O3の機体に搭載された数多のセンサーが感覚器官となり、そこから送られた信号を操縦者の神経にリンクさせ、CAを自らの体のように動かすことを可能にする。

 起動中、操縦者は体内に流れる電気信号を遮断され肉体の感覚を失うが、代わりに説明も訓練もなくCAを操る事が出来るようになる。

 つまり、感覚的には『巨大兵器になる夢』を見ているようなものだ。

 実際に操縦中の操縦者は身動き一つとれず、睡眠に近い状態になる。

「ん、やっぱり自分の体とは大分感覚が違う……かなり慣れが必要だ」

 私は辺りを見渡す。実際に動いているのは、O3の頭部とカメラセンサーのはずだけど。

「暫く動かして慣らすしかないか。O3、出撃準備完了」

〈了解。プラットホーム下降。隔壁を下ろします〉

 合成された音声が告げた後、私が佇んでいる床が下がり始める。同時に格納庫の壁のランプが赤い光を回転させ、先ほど私が居た制御室の前に隔壁が降り、船内にはサイレンが響き渡った。そして左右の壁に存在していた隙間から分厚い板が出現する。それらは金属の擦れる轟音を立てると、プラットフォームの下降が完了するのとほぼ同じタイミングで、視線の数メートル上の位置で接合された。

〈下降完了、船内に浸水を開始します〉

 次の瞬間、部屋の四方のパイプが開いた。濁流のように海水が吹き出し、巨体が窮屈そうにしている室内が徐々に浸水していく。やがて格納庫からは空気がなくなり、濁った水で満たされる。

〈浸水終了。出撃準備、完了しました〉

「…………よし」

〈スキャン中……制御室に生体反応が確認されませんでした。ハッチの開閉権限を操縦者に依託します〉

 足元を見る。どうやら呼吸の感覚は残っているらしい。私は大きく息を吸うと、

「ハッチ、オープン」

呟くと、声帯の代わりの拡声器が辺りを満たす水を揺らした。

途端、タンカーの底部が開き始めた。後ろ向きに傾いた状態の体は、急斜面になっていく床の上を滑りだす。そのまま機械の肉体は、宵闇に染まる大海へと投げ出された。

海の中は黒が支配していた。今日は月が隠れているからだろう。見渡す限りの闇が、私を囲んでいた。まるで、孤独の空間。果てなんてないような。私は、そこに浮いている。

 だけど、それは真実じゃない。

 ここはただの海で、私の体はこれではなく、腹のなかで眠りについている。

 私は脱出に成功した。伯父さんは、無事だろうか。

 そんなことを考えた瞬間だった。


『――聞こえていますか?』


 突然、無機質な女性の声が響き渡った。何の前振りもなく。

「……誰だ?」

 答えながら私は視界に通信情報を呼び出し回線を確認する。CAにはリアルタイムでの戦況把握、及び敵施設への工作を行うためのハッキングが可能な高性能CPUが搭載されている。が、奇妙なことに相手の周波数は表示されず、そればかりか、通信相手の情報の一切が非表示になっている。

『無駄です。システムの根幹にプログラムを埋め込みました。貴女からは私の情報は一切知る事は出来ません――いえ、教えることが出来ない、と言った方が正確でしょうか』

 相手の言う通り、こちらからは全く相手の情報にアクセス出来なかった。自分で言うのもおかしなものだが、決して過大評価ではなく、私はハッキングの技術は標準以上の水準であるのを自覚している。そのための訓練も受けている。

 しかし思いつく限りのあらゆる操作を実行しても、通信相手の情報へのアクセス手段は存在しなかった。それはつまり……

「これは……権限がないどころか、そのための機能が初めから存在しない――いや、封じられている……?」

『正解です。更に言えば、そのプログラムは私との通信のみに有効なものです。通常の作戦行動に支障をきたすものではありません。私は貴女の味方であり――少なくとも、こちらはそう認識しています――可能であれば全面的な協力をしたいと考えています』

「馬鹿な、得体のしれない相手を信用しろって言うのか。それに今はそれどころじゃない」

『知っています。この機体を輸送していたタンカーが襲撃されたのでしょう? 私はそのために貴女に接触したのですから』

 その言葉に、私は逡巡する。

「……どういうことだ』

『質問を返したということは、聡明な貴女ならもう理解しているのでは?』

 その通りだった。私はこの問いの解に、心当たりがある。

「……襲撃してきた連中の使っていた銃――あれはWD社の『171 Ophelia』だった。その前の『170 Maria』を室内戦用にカスタムした――数年前まで使われていた、EURの部隊の制式採用銃だ」

『正解です。彼らはEUR内部の者から横流しされた武器を使用しています。そして貴女が私に対しその名前を出したということは……』

 そう――彼らの早すぎる制御室への到達。そして「聞いた話と違う」「パイロットはいない筈だ」という言葉。普通ならば知り得る筈のない情報。

それらを提供し得る存在は、一つしかない。

「襲撃犯を指揮したのはEUR内部の人間、そしてお前も何らかの形でCAに関係している。そうでなければ、国家機密の塊にこんなふざけたプログラムは埋め込めない」

『正解、その通りです』

 相手の女は淡々と告げる。

「どうしてこんなことを? 内部告発か?」

『それにお答えすることは出来ません。代わりに一つお教えしましょう。脱出艇の回収地点に今すぐ向かってください。手遅れになる前に』

「回収地点……? おい、どういうことだ! まさか――」

『問答をする時間はありません。近いうちに、私はまた貴女に接触するでしょう。その時、貴女の伯父さんがどうなっていようとも――きっと貴女は私を信用してくれているだろうと信じていますよ』

「おい、待て! 一体どういう――くそっ!」

 通信は既に途絶えていた。私はあらん限りの悪態を吐き、虚空に向けて叫んだ。

「レック、レクシル! 聞こえるか!」

 無線を開くと、すぐにレクシルから返事が来た。

『ブランかい? 無事で良かった。さっき本部から連絡があってね。状況は聞いてる』

「今すぐ脱出艇の回収地点にアトモスの部隊を回せ! すぐにだ!」

『回収地点にだって? そんなのEURがもうとっくに――』

「だからこそ私たちが行くんだ! 急がないと手遅れになる!」

『待ってブラン、説明を――』

 レクシルが言いきる前に、回線を切断した。その方が奴は早く行動する。

 時間が惜しかった。私はO3の拡張現実を起動させて動きだす。ソナーで把握された空間情報が視界にリンクし、障害物の位置を表示する。手足を使わない機能は私がイメージするだけで発動した。海中での移動も。手足を使えない、使う必要がないというのが、私の焦燥をかきたてた。

「お願いだから……間に合って……」

 どうしようもなく怖くなって呟いた一言は、暗い海に吸い込まれて消えた。





 私は、弱かった。

 孤独が怖いくせに他人が怖くて、自分を助けてくれた人の手を振り払った。差し伸べられたその手を拒絶した。そんなことをされる意味が、分からなくて。

 ――私は貴方に酷いことをした。

 ――私は貴方を拒絶した。

 なのに、どうして貴方は私に関わろうとするのか?

 ある日、私はそう聞いた。

 その人は、当たり前のように微笑んで。

「分からないなら、知ればいい。私にとって君はもう家族で、娘なんだよ、ブラン。よく覚えておいてくれ。愛というのはね、惜しみなく与うんだよ」

 家族、娘…………そして、愛。

 その言葉を私は知っていたけれど、感じたことはなかった。でも、伯父さんのその言葉は温かくて、心地良くて──

 伸ばされた手を、私はとった。

 以来、私は伯父さんの言うことを聞くようになった。少しでも伯父さんの役に立ちたいと思った。それが、私の生きる理由になった。

伯父さんの言うことはずっと正しかったから。

 だから私は、タンカーを出る時に、伯父さんの言うことを聞いたのだ。

 そして今、私はそれを心から後悔している。

「伯父さん!!」

 叫んだ私の視界に飛び込んだのは、銃声がこれでもかと鳴り響いている脱出艇の回収地点だった。コンクリートで固められた港。私が現れたことにより、大量に並ぶコンテナのそこかしこでちらついていたマズルフラッシュが一瞬にして止まる。傍から見れば、私の登場は異様な光景に違いない。

 当然それが目的だ。

こちらに注意が向いて、伯父さんを襲っているだろう連中の手が少しでも緩めばいい。

 海中から中空へと躍り出た私は、広い空間に無防備に引き上げられた脱出艇に向け発砲していた眼下の連中にありったけの弾丸を叩き込む。数秒の掃射ののち、撃っていた連中が静かになると、私はO3の機銃を自動稼働にし、脱出艇の前の広い空間に着地させた。これで少しは遮蔽物が出来る。アトモスの部隊が来るまでの時間稼ぎになるだろう。

 そのまま銃声が完全に途絶えたのを確認し、IBMIの接続を切る。

 瞬間、世界は色を無くす。薄闇の世界が消えて全てが透明になっていく。

 意識が、体が消えていく……。

 ……目覚めた私は、生身になっていた。いや、戻っていた。宙に浮かぶ意識が帰ってくると、私は拘束を解除して飛び出した。ハッチへの狭い通路を駆けて、スイッチを押す。扉が下がっていき、すぐ下にある脱出艇を見下ろした。

「ブラン!? どうして此処に!?」

 聞きなれた声が耳に届く。

――良かった。無事だった。

「伯父さ――」

 私が安堵の息を漏らしたのと。

 伯父さんの体から赤い飛沫が舞ったのは、同時だった。

「え……?」

 自分の心臓が止まったのではないかという錯覚が襲った。

 衝撃を食らった伯父さんの左半身が後ろに向けて仰け反る。そのまま体はふらっ……と傾いて、次の瞬間、一気に倒れた。

 港を照らす白い光が、コンクリートに散る血飛沫の色を映えさせていた。伯父さんはそのまま動かなくなる。血がどくどくと流れ、白い地面に広がっていく。

 撃たれた。伯父さんが。目の前で。

 真っ白になった思考の中に、男の声が飛び込んできた。

「当たったか!?」

 当たったか、だと。この声の主は、一体何を言っている……?


 ――――ふざけるな。


 突如、私の頬を雨粒が濡らす。

 雨が降ってきたのだ。それと同時に、私の中に一つの感情が生まれる。

 懐かしい感覚。その感情は波紋のように広がっていき、あっという間に私の思考をもどす黒く埋め尽くした。

 ──殺して、やる。

 殺す、殺す。殺す殺す殺す、殺してやる……!

 飛び降りる。着地の衝撃を瞬発力に移行させ、走り出す。伯父さんが撃たれた。目の前で。殺す。殺すしかない。撃った奴を、殺す。

 外灯が照らす白いコンクリートの上を駆けた。二、三○メートル先、赤茶けたコンテナの角に銃を持つ男が居た。奴は遮蔽物のない場所を走る私にライフルを向けている。

 奴だ。奴が、伯父さんを撃った。伯父さんを。

「貴、様ぁぁぁあああああッ!!」

 叫んだ直後、私は地面を思い切り蹴って左へ跳んだ。すぐさま私の居た場所の地面が弾け、弾痕が出来る。受け身を取り転がった後、私はホルスターから銃を取り出す。

 一瞬で狙いをつけ引き金を絞ると、強い反動と発砲音の後に金属音。何が起こったか分かっていない様子で、弾かれたライフルの飛んだ方向を見た男に私は接近する。そして反応される前に腹に肘を入れ、腕を掴んで男を投げ飛ばし、コンテナに渾身の力で叩きつける。

 倒れた男の胸ぐらを掴み上げる。そのまま全身を使って振り回し、再度コンテナに体を押しつける。腹に膝を入れると、男はげほげほと咳き込んだ。気絶していたのか、所在なげに頭をきょろきょろと左右に揺らす。

 私は男の被っているヘルメットをハンドガンの銃床で殴り付けた。ヘルメットの前面にひびが入ると、ようやく男は状況を理解したようだった。

「あ、ひ……あっ! や、やめ……」

「――黙れ」

「が、あぁああぁああぁぁああああっ!?」

 腹に五十口径の弾丸を撃ち込む。

 絶叫して倒れようとする男を首を掴んで無理矢理立ち上がらせた。防弾着が優秀なのか、弾頭は貫通せずにぽろりと真下に落ちて転がる。

「何を、勝手に、気絶しようとしている! 貴様……撃ったな。伯父さんを、伯父さんを撃ったな!」

「あ、が、ひ、ぐぇっ、ぎぃっ」

 私は銃を再び腹に突きつけると、そのまま立て続けに残りの弾を吐き出させた。鉄をも砕く弾丸が凄まじいまでの力で腹を殴り付ける度、男の体が揺れる。それを四回ほど繰り返したところでハンマーはカチ、カチという音しか出さなくなる。

「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」

 気がつくと男は倒れ、私は立ち尽くしていた。雨はいつの間にか本降りになっている。息が苦しい。発砲の衝撃の残る手のひらから力が抜けて、銃を取り落とす。


 ――やあ、無事だったようだね?――


「――――――――っ!」

 今、私は…………何を、していた?

「私は……あいつが言ったように……」

 雨のなか、呟いたときだった。

「ブラン……」

「……伯父、さん……?」

 振り向いた先には、伯父さんが立っていた。

 伯父さんが、そこに居た。生きていた。でも、その左肩には包帯が巻かれている。雨に濡れ、浮き出た血は赤黒く滲んでいる。オールバックの髪は崩れて、眉に何本か前髪がかかっていた。その下の目は……私を心配そうに見つめていて。

「他の連中は撤退したらしい。もう、大丈夫だ」

 ──なんで。

 どうして、どうして伯父さんは、自分が怪我をしたのに私を心配しているんだろう。どうして肩から血を流しながら、無傷でいる私をそんな優しい目で見られるんだろう。

 訳が分からなかった。伯父さんが生きてくれていた嬉しさと、そんな疑問がぐちゃぐちゃに混ざって、喉の奥から声が漏れそうになる。それでも瞳から零れるものは抑えきれそうになくて、私は伯父さんに抱きついた。

「っと……ブラン。血が……髪に……」

「……構わ、ない」

 もう、どうしようもなかった。

 伯父さんが撃たれた時に思い出した、懐かしくて、忌まわしい感情。今感じている、名前も知らない初めての感情。そして今日、人を殺して〝何も〟感じることはなかった、私の心。

 そして――完全に我を忘れてしまっていた、さっきの私。憎しみに身を任せて、ひたすら敵に弾を撃ち込んで。兵器として生み出された、その本性をどうしようもなく晒してしまっていた。醜い、私という存在の本質を。

「伯父さん…………遅れて、ごめん……」

 その全部を頭から洗い流したくて、私は降りしきる雨に身を任せる。今は、何も考えたくはなかった。その間ずっと、雨の音は……私の口から漏れる音を、覆い隠してくれていた。


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