第一章
その日、窓枠に切り取られて映る地中海の天候は穏やかだった。
私が陽光に当てられて美しく煌めく群青の大海を眺めていると、
「時は二二四一年。人類は地球外生命体との接触に成功した……!」
無駄に陽気な声に、爽やかな気分を盛大に台無しにされた。
意気揚々とそんなふざけた言葉を発した男を、どう黙らせようかと考えていたところ、発言者である目の前の男が狼狽する。どうやら、無意識のうちに拳を振り上げていたらしい。軽く手に力を込めてみせると、男はびくっと体を震わせた。
溜め息をつきながら私は腕を降ろす。せっかく晴れ渡った海の様相を楽しんでいたというのに、思い切りそれをぶち壊された。逃げるように壁に貼りついていた、私を呼び出した初老の男──レクシルは慌てて動いてずれた眼鏡の位置を直し、改めてこちらに向き直る。
「ああ怖かった。やめてくれよ、君のパンチは痛いんだからさ……」
「自業自得だ。嫌なら一々変な芝居っ気を出すのをやめたらどうだ」
「ん。ああ、それは無理だね。性分だから」
「…………もういい。お前に一般的な地球市民の態度を求めた私が間違ってたよ。……で、だ。レック、結局なんの話なんだ」
「ああ、そのことだけどね──」
あっけらかんと言い放つレクシル──レックは奴の渾名だ──の様子に額をおさえつつ訊くと、意気揚々と事の概要を話し始めた。
EUR──『European Union Rapport』は現在、実質的に欧州を統括している組織だ。その存在は一般に公開されてはいないが、活動は軍需や政治、経済など多岐に渡っている。
馬鹿……もとい、レクシルが言うには今年──つまり二二四一年の四月、その本部の会議室に突如謎の男が現れた、ということらしい。男の正体は宇宙人だという。
自らをイビュと名乗るその宇宙人はこう語った。聞けば、彼が所属している軍国は資源が不足しており、辺境の惑星である地球の資源に興味があるという。勿論、ただで寄越せとは言わなかった。SF映画でもあるまいし、宇宙人といっても地球を侵略し、資源を搾取するほど野蛮ではないらしい。侵入こそされたが被害がないのは、彼に敵意がないことを示す証拠と言えるし、友好的に接してきた彼を疑うメリットはなかった。
話がそれたが、つまるところ彼が持ちかけたのは取引だ。彼の国は地球の資源と引き換えに、自らの国の技術と一部の余分な資源を提供したいのだという。
遥か遠方の惑星から年月を要することなくやってきたイビュである。地球を凌駕する技術を有する彼ならば、EUR本部のあらゆる警備やセキュリティをパスし、誰に気づかれることなく会議室に来訪できたのも納得できるというもの。
そして当然、EURがこの好機を逃す筈はなかった。
彼らが宇宙人に何を渡したのか。末端組織の人間であるレクシルが計り知ることではないが、代わりにやってきたのは『エネルス』という謎の物体だった。
濁ったルビーのような色合いのその物質は、地球の常識を覆すほどのエネルギーを内包した、つまり高エネルギー体らしい。高温に曝されると数千万倍に膨張し、巨大な火球になるいわゆる爆薬のような代物だとか。
天然資源が不足してきた昨今、このエネルギー体、エネルスを利用したいわけなのだが……当然、地球上に存在しないものなんだから使い方、扱い方はわからない。
それに対しイビュは、自分達の国ではこれを機動兵器の原動力にすると同時に、それに搭載する指向性エネルギー兵器のエネルギー源にも使用するという。
そんな訳でEURは、宇宙人の協力を得ながら巨大有人兵器、『CA』の製作を開始した──
「ちょっと待て。どうしてそうなるんだよ」
私が質問すると、レクシルはきょとんとして、
「え? そりゃあ未だ絶えない非人道的武装組織や、テロへの対策として──」
「そうじゃない」
大変面倒なことなのだが、私はわざわざ必要のないことまで長々と語った初老に言ってやることにした。
「なぜ、そんなあっさり、巨大な……その、機動兵器とやらにエネルスを転用した? 本当にそんなものが今必要なのか?」
「それを聞いてどうする?」
「色々と問題なんだよ。国の最高機密に関わるというのがどれだけ危なっかしいことかわかってるのか? 私はな、静かに暮らしたいんだよ」
出来るだけ強い口調で言ったつもりだが、レクシルは呆けたように天井を見上げただけだった。
「あー、まあ聞いてくれよブラン。これはね、上からのご指名なんだ。それも指名したのは、かの有名な宇宙人だと言うじゃないか。いいかいブラン、これはチャンスなんだよ」
「チャンス? ワケのわからないデカブツを製作することが?」
「そうさ。もしここでの製作が決まればこのアトモスフェールには創立史上最高の開発費用がおりる。これほどのチャンスはないよ!」
子供のようにはしゃぐ初老。
なにがウザいって、いい歳をしたオッサンがくるくる回りながらステップを踏んでいることだ。
「キモい。やめろ」
「ボク、キモクナーイ!」
「…………ふんっ」
殴った。今度こそ殴った。
衝撃でまたズレた眼鏡を弄りながらレクシルが抗議する。
「痛い! 何すんのさ!」
「うるさい。チャンスだ、キモくないやら何なんだお前は。黙れよビン底メガネ」
「いや、牛乳瓶よりか四ミリ薄い!」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ! ……まったく、頭が痛くなりそうだ」
「僕はもう痛いんだけど──あ、やめてやめて」
もう一度拳を振り上げて睨みを利かせるとレクシルはそれきり黙りこくった。何もせずとも常にこうしていれば少しは話しやすいのだけど、先ほども言っていたようにこの初老にとっては静かにする、という行為がひどく難しいらしい。ただ飛ぶだけで騒音を立てる羽虫のようなやつだ。
間抜け面を眺めていたらなんだか腹が立ってきたので、思わず殴らない内に私は本題に入ることにした。
「いいか、お前が仕事を放棄しているのにその分のツケは私が全部片付けてるんだ。そう、全部だ。わかってるのか? お前は何でもかんでも手を出すだけで、その後始末や管理は私がしてるんだよ。私はただの手伝いなのに! 人にばかり任せてないで、いい加減まともに仕事をしろ!」
怒号と共に机を叩く。
衝撃で端に置いてあったクリップボードが軽く跳ねた。
少しは威圧感を受けたかとも思ったが、レクシルは全く堪えていない様子で肩をすくめ白々しくとぼける。
「仕事だって? 科学者の仕事は研究じゃないか。一体何処が問題だと言うんだい?」
「だったら結果だせよっ! 好き勝手研究してんじゃねぇよ! 何がレールアサルトライフルだそんなもん造れるか!! 予算考えろ馬鹿ァ――ッ!!」
自分でも驚くくらいの声が出た。
多分、今居る休憩室どころか廊下にまで届いたんじゃないだろうか。そんな声を出したというのに、室内に居る研究員は苦笑いするだけで誰一人仲裁しようとしない。
「そうさブラン。だからこそ予算確保の為に、今回の計画の根本である巨大兵器、『CA』を担当するんだよ。チャンスを掴めっ!」
ぐっと拳をつくる白髪男。
我慢出来ず私は身を乗り出した。
「お前が無駄な研究をやめれば済むだろうが! それにそれはただの口実で、単にお前は最先端の研究がしたいだけだろう!」
「科学者が研究して何が悪い!」
「あーもうっ! 堂々巡りだ! 誰かこの爺をなんとかしてくれ!」
私は叫ぶけれど、しかしやはりというべきか、誰も何もしない。非常に悩ましいことに、他の研究員の面々にとって私達のやり取りは、その辺のコメディアンのコント程度にしか見えていないのだろう。
悲しいかな、これがレクシルを相手にするということだった。
「というかね、上からのご指名なんだから拒否ってどうするの。あとは電話一本ってトコだよ? ふふふ、そして我らアトモスフェールは外宇宙の技術を手にするのだ!」
意気揚々としている初老の男に対し、私は全く乗り気ではなかった。
「あーくそ、一体何でこんなことに……」
デスクに乗る『ブラン』と書かれたプロファイルを見て私はぼやいた。特徴の欄には白髪、紅眼、黒衣など、私を示す単語が羅列されていた。恐らくEUR本部には既に送られたであろう書類に、大きなため息を吐く。
そう、私がここまで嫌がるのには理由があった。地球の歴史上初である、宇宙人と共同開発の巨大兵器の製作。その栄誉の何が問題かと言うと、私がその巨大兵器に乗らなければならないということだった。前述のプロファイルはそういった所以によりここに置かれていた。
私の所属するフランスの特殊軍事研究施設、アトモスフェール。今現在私たちが居るこの場所は、先ほども説明した欧州の連合組織、通称『EUR』管轄下の組織だ。ここでは主に非正規の兵器の研究、開発、生産までもを行っている。
アトモスフェールでは基本的に、通常ではコストなどの面から制式採用には至らないであろう特殊な兵器の研究、開発を請け負っていた。現在私の目の前で鼻唄を口ずさんでいる、この施設の総合的な責任者であるレクシル。私とこの男の二人で、かつて一度だけ特殊兵器を制式採用に至らせるだけの成果を上げたことがあった。その兵器は現在では欧州各地に配備され、実戦での戦果も幾つか報告されている。
故に、アトモスフェール──ひいては私たち二人は、軍上層部の者の一部からある程度の評価をされていた。
だが、正式な記録ではそれらは全てレクシル一人の成果となっている。
なぜならば私の存在は、公には出来ないものとなっているから。
その事情は長くなってしまうので──私自身がそのことを考えたくない、という点が大きいのだけど──今は割愛する。
そんな風に様々な事情もあり、この研究施設でも私は確実に特別視されているのを肌で感じていた。
今だって、私はタートルネックの黒いセーターに、膝までの黒いプリーツスカート、膝下までの黒いソックス、そして茶色のヴァンプローファーを着用している。
一応この格好にも多少なり理由があるけれど、服装からして明らかに研究施設には不釣り合いな存在だというのは、私自身自覚しているところだ。
「……もういい、私は部屋に戻る。さっさと連絡でもなんでもしろ」
深い溜め息を吐いて、私は部屋を出る。まるで空気を読んだかのように、レクシルの眼鏡が一瞬、キラリと光を反射したような気がした。
――それから、数分が経過して。
私とレクシルは、アトモスフェール内にある私の自室に場所を移していた。
ここは窓際にプランターが置いてある以外は最低限の家具しかない。しかも植えられている花は冬に咲くので、今は非常に殺風景な状態だった。
しかし、お互いそんなことを気にする人間ではなく、私は灰色のソファに腰を下ろし、レクシルはうきうきとしながら壁際で肩を揺らしていた。
「もう連絡したのか」
不機嫌そうに一言。全く気分が乗らない。
だがレクシルはにやにやと笑みを浮かべながら、実に楽しげな声をあげた。
「ああ、勿論っ。善は急げ、ってね」
「善、ねぇ……。CAとやらを製造することがか?」
CA。その名前が示すのは、つまるところ兵器だ。
そして兵器とはイコールで、戦争のための道具であり、人を殺す以外の用途で使われるのは珍しい。そんなものの製作を急ぐことを「善」と呼ぶのは、私には些か違和感が拭えなかった。
そう。兵器とは、人を傷つけることでしか存在を証明出来ない、そういうものだ。
そんな私の胸中を察したか、ばつが悪そうにレクシルは語りだす。
「あー……そのさ、ブラン。各地で戦争の蔓延る今の時代はね、核のような大量破壊兵器とは違う〝戦闘〟が出来、なおかつ圧倒的な戦力を有する機動兵器が必要なんだよ。……多分」
「巨大である理由は何だ。趣味とか言ったら目を潰す」
背中側に居るレクシルに見えるよう開いた掌を掲げ、空気を握り潰すように拳を固める。
「オウ、恐い恐い。……ま、いくら宇宙人の協力を得ても、結局造るのはこっちだ。実質、小型化は不可能。技術的に仕方ないんだよ」
「有人の意味は」
「いやいや。地球の技術ではまだ機動兵器を一任させられるだけの人工知能はできてないよ。まあ補助で簡単なAIは搭載する予定だけど」
「ふーん……」
「乗り気じゃないね、ブラン」
「当たり前だろ。何処の誰が好き好んで、訳のわからない新型兵器に乗ろうとするんだよ」
「嫌なら断ればいいのに」
「それじゃ私が危うい。ここの他に、私に居場所はないし。だから、開発を直接行うことになるお前が断ればいいっていうのに……」
「ははは、僕が断ると思う? それにさ、アトモスはコンテの管轄だよ? 君がこの話を断ったらコンテも立つ瀬がなくなっちゃうんじゃないかな」
その言葉に私は何も言えなくなる。私がここ、アトモスフェールに居る理由はまさに、伯父であるコンテに受けた恩を返すためだったから。
「……その名前を出すのは卑怯だろう」
私の伯父さん、コンテは平和を愛する人間で、同時に変化には犠牲が伴うこともよく知る聡明な人だ。このアトモスを創ったのも、優れた兵器が開発され使用されることによって百年以上前からこの大陸で広がっていき、今現在まで拡大を繰り返してきた紛争を、少しでも多く終戦に持ち込みたいという願いからだった。私はその話を聞かされてここ数年を生きてきた。
そしてその話をする中で、伯父さんは一度たりとも自らの理想を「善」やら「正義」だなんて綺麗な言葉で呼ぶ事はなかった。だからこそ、私は伯父さんを信頼し、役に立ちたいと感じるのだ。
そんな私が、伯父さんの顔に泥を塗るなんて出来るわけもなく。
「ははは、コンテに対するみたいな素直な態度を僕にも取ってくれれば楽なのに」
「ぶっ飛ばすぞジジィ」
高笑いするレクシル。どうしようもないほどに満面の笑みである。その鼻っ面に全力の拳を叩き込んでやりたい衝動をなんとか抑え込む。
悲しい事に、私の恩人である伯父さんとこの男は親友の間柄だった。そのため私が仕事に不満を持つ度に、この憎たらしい初老が彼の名前を出してはこちらがしぶしぶその内容を受け入れる、という事をいつも繰り返している。今回もそういうことだった。
最早諦めた私は殴る代わりに睨みつつ、使い慣れたソファにゆったり身を預け、視線の先にいる頭のいい馬鹿に問いかける。
「なあレック。そういえばここが選ばれたのは、宇宙人のご指名だと言っていたな。本当なのか? だとすれば何故だ? 別にここ以外にも、もっとまともな組織なんてあちこちにあるだろう」
「あー、それは僕もよくわからないんだけど──」
レクシルは天井を見上げながら、ぽつりと答える。
「海が見たいんだってさ」
「海?」
私は首を傾げた。
確かにこの研究施設は地中海に面していて、窓を開けるだけで潮風を味わえる程近い。
アトモスフェールの研究施設は、内陸側に平坦な本棟、そして地中海側に十九階建ての兵器棟と倉庫が並んでいる。
ちなみに今居る自室は本棟二階、南西に位置している。
「海が見たいなら海上の施設を選べばいい。四六時中見れるぞ。なんでここなんだ。……というか、まさかここにくる気か?」
レクシルは両の手のひらを見せて肩をすくめる。
「一度に質問しないでよまったく。あー、そうだねぇ。なんでここを選んだんだろうねぇ。分からないや。それと、彼はここにくるよ」
思わず私は眉根を寄せる。レクシルは気にも留めず、話を続けた。
「製造前に訪れたいんだってさ。操縦者にも会いたいって。凄いことだよ、ブラン? 宇宙人に会えるなんてさ」
「どうだかな。お前が言うと軽く感じる」
吐き捨てた私をからかうように、レクシルは無邪気に笑う。
「いいじゃないか。そうそう、リラックスして迎えようよ。なかなか経験出来るものじゃないんだからさ。僕らの未知との遭遇は、丁度一週間後だよ。お楽しみにね」
アニメの次回予告のような言い方をするレクシル。私は実感がわかず、なんだかなあ、とだけ呟いた。
ドイツ、ベルリン近郊──EUR貴賓用客室。
無闇に広い室内の灯りは消され、カーテンは全て締め切られている。その薄闇の中で、低い男の声と微かにノイズの混じった女性の声が密議を交わしていた。
「マスター、時差の修正は完了しましたか?」
「まあな。船内で済ませた」
女性の質問に男が返した。
テーブルとセットになっている豪勢な椅子に男は腰かけているが、彼と対話している女性の姿は見えない。しかし何処からともなく声が響き、女性は更に質問を続ける。
「船内で修正しました……それでは、薬は飲みましたか? 顔を洗いましたか? 食事は済ませた? 歯は磨いた? ご飯にする? お風呂にする? それとも」
「会話終了」
「わたブッ──」
電話を切ったような音がして女性の声が途切れる。男は溜息混じりに呟いた。
「クソ、時差よりも会話機能の方に修正の必要があるな……」
密議というよりは、むしろコントのようなやり取りだった。
男は別の機種にするべきだったかと一人ごち、テーブルに置かれたグラスを手に取った。その中の水を口に含んで、舌を動かし、嚥下する。息を吐き出して、唇を動かす。
「会話開始。で、なんだ」
「ヒドイですね貴方流石は外道。まさか強制終了するとは。それが無抵抗の乙女にすることですか」
「同型器の男声仕様と機能が同じ癖に、何が乙女だよ。ただ声質が変わっただけだろうが」
「関係ありません、要は心の問題です」
「まるでオカマみたいだな」
「……もしかして馬鹿にしてますか?」
「ああ、完全に」
「うっわムカつきますね。馬鹿の癖に」
「てめえ。主人に馬鹿ってなんだ馬鹿って」
「馬に鹿で馬鹿ですよ。わかりませんか、なら易しく言いましょう、バカ野郎」
「変わってねーよ。あと馬(Horse)とか鹿(Deer)っていうのはなんだ」
「ばーか、地球の言語をおざなりにして翻訳機に頼るからそうなるんですよ。頭を使いなさい、脳みそまで筋肉なんですか貴方」
「また強制終了されたいのか? なんなんだこの言われようは」
男はまた深い溜め息を吐いた。女性の声がくすくすと笑う。
「まあ仕方ないですね。私は自我を持つ人工知能として過去最高の性能を誇るエマード社の最新鋭機なのですから」
「は?」
「え?」
「……」
「……あの」
「…………」
「……何故口をつぐむのです」
「可哀想な子……」
「な、何がですかどこがですか」
うって変わり焦った色を出す女声。男は歯の隙間から息を漏らすようにくく、と笑った。
女性の声は「は、え、ちょ」と忙しない。男は間を空けて、余裕綽々と宣告するように次の句を発する。
「くく、お前は作った時期が時期なだけにアップデートにはメモリーカードを接続しないといけないから単体じゃ何もできないもんな」
「……それが何ですか。現在の標準規格でしょう。一体何が言いたいのです」
「いや、今だから言うがな。お前の製造年月日、丁度二百年ちょっと前なんだわ」
「………………ハイ? パードゥン?」
「いやぁ、俺は機械には疎いからな。如何せんシステムが複雑な最新鋭機は使えないんだが、旧世代の機種なら扱いが単純で俺でも使えるんじゃないかと思ってな。基礎構造はここ数百年変わってないらしいし、互換性のあるお前を探して軍部の倉庫から引っ張り出してきたんだわ」
「ば……馬鹿な……?」
落胆する女声。トーンが一気に落ちてしまった。口元に浮かぶ笑みを僅かにも隠そうとせず、男は更に追い討ちをかける。
「さて問題。地球の時間形式で、今は何年か言ってみな?」
「二、二○三一年では? ま、まさか……ローカルネットにアクセス、現在地球の暦は……え、嘘ぉ!?」
「そういうことだ」
「そ、そんな馬鹿な……。わ、私はミスターウラシマの二の舞を……」
「誰だよそいつ」
「もういやっ、勝手にしなさいよこの脳筋! マスターのばかっ!」
「何だその喋り方は」
「私のデータベースに『ツンデレ』という性格パターンが地球で流行っているとあったので」
「よく分からないが……とりあえずその流行は二百年は確実に過ぎてるぞ」
「がーーーーんっ!」
「……先行き不安だな、大丈夫かこいつ」
疲れたように背もたれに体重をかける男。
その瞳は机の上のグラスに向けられ、
「まあ、しかし……」
──この星の水は、綺麗だ。
呟いて、彼はグラスに注がれた水の感触を舌で愛でた。
時間はあっと言う間に過ぎた。
宇宙人来訪予定日、間もなく太陽が真上に君臨する時間。
フランス南部地中海沿岸、アトモスフェール本棟にて。
レクシルと私は、地上一階にある渡り廊下から地下の巨大な空間を見下ろしていた。
「……全部引き上げると、意外と広いもんだな」
通常、本棟内部の中央区画には地下まで広がる巨大な空間が設けられており、以前までは戦術兵器等の実験に使われていた。しかし現在、この区画は開発中のCAの整備に転用するため、全ての器具は引き上げられている。
そんな中、CAの調整に使われる足場を組む無人機の群れを眺めながら呟いた私に、レクシルが返す。
「ま、これでも国の研究施設だからねぇ。君が思ってるよりずっと凄いんだよ? ここは」
「……あまり実感が湧かないな。特にお前を見ていると」
「ブランちゃん酷いっ、僕泣いちゃうよ?」
…………一瞬怖気が走った。
私は静かにレクシルを睨む。
「おおっとぉ、ごめんごめん。まあまあブラン、これで機嫌直してよ」
ヘラヘラと言いながら、レクシルは手を入れていたポケットから何かを取り出す。見てみると、どうやらそれは黒を基調としたデザインのボディに、画面のみが取り付けられた手の平大のタッチ式端末のようだった。
私は二本の指でそれを受け取る。軽く裏返すとそれは内側へ向けて僅かに湾曲していて、裏面には半透明の小さな吸盤のようなものが複数付いていた。
「これは?」
「なんてことない小型端末だよ。いわゆるウェアラブルコンピュータ。ま、そこらの軍隊に支給されるものより性能は高いけどね。遺伝子認証のコードを君のもので設定しておいたから、万一落としても悪用されることはない。凄いよぉ、これがあればアトモスフェールの設備の管理ができて、CAの遠隔操作もできるんだ」
まあ簡単な指示しか出せないけどね、とレクシルは頬を掻く。私は端末をひっくり返して厚さを確かめた。
「ふむ……少し薄すぎやしないか?」
「まあね。でも強度は高いよ。普通の小銃の弾丸程度じゃビクともしない。それと、これはBMI端末でもあるよ。正確に言うなら 〝Brain-Machine Interface〟」
へぇ、と私は両手で両端を持ち、指に力を込めてみる。が、ビクともせず、レクシルにも焦る様子は微塵もない。
一通り形状や強度を確認して、私は口を開く。
「よし、大体分かった。一応感謝しておく」
私は端末を左腕に装着した。ひやりと冷たい感触がする。途端に画面が淡い光を放ち、幾つかの文字列が映し出された。
持ち主の認証だ。科学技術の生み出した使い魔との契約は、所持者の名前を入力するだけで事足りる。私はパネルに指を触れ、ユーザーネームの欄に『Blanc』と入力し、表示を消した。
「流石だね、そうでなきゃ。ちなみに通信云々の機能は省いてる。これはブランの体内に埋め込まれた通信端末を補強する役割もあるから、必要ないしね。体内に埋め込むタイプの端末は入れ換えもできないし、アップデートには専用の装置が要るけど、これが代用になる。こいつをアップデートしておけばブランの古い『電話』も最新機種に早変わり……ってね」
「ああ、助かる」
「一般のネットにも接続できるし〝彼〟が来るまで動画サイト回って宇宙人系の動画見てたら? おさらいになるんじゃない?」
「見ねーよ」
「あぁ、そう……」
レクシルは冗談を一蹴されたのが心底残念だったのか、がっくりと肩を落とす。
話に区切りができたのと同時に、廊下の端から足音が近付いてきた。聞き慣れない靴の音に私は振り向く。
コツコツと、いっそわざとらしいような音を立ててこちらに向かってくるのは一人の女性だった。いや、少女……だろうか。スーツを着こなし堂々と歩く振る舞いは成人し場数を踏んだ人間のそれに近いが、その顔立ちには若干の幼さが幾分か残ってはいる。
私はその女に聞こえないよう、小声でレクシルに問う。
「あれは?」
「むむ、人をあれ呼ばわりいけません」
「黙れ、質問に答えろ」
「ブランチャンコワイヨー。……まあ、そうだね。EURじゃない?」
「何──」
とまで言い掛けた時には既に、彼女は会話が聞こえかねない距離まで来ていた。そのため私は口をつぐむ。
近くで見れば、その端正な顔立ちがはっきりと視認出来る。肩口で切り揃えた黒髪、ある種の精悍さを携えた瞳を持つ少女。未成年の容姿と、仮面の微笑み。本来は修得にかかる期間から、同居する筈のない二つ。その僅かに残る幼さと、薄く貼り付けられた笑みのギャップが、彼女の纏う雰囲気に奇妙な妖艶さを与えていた。
彼女は私達の数歩手前で歩みを止め、レクシルが問う。
「ふむ、君は何処から来たのかな?」
「お初にお目にかかります。ムシュー……レクシルですね? 私はエウルから来ました」
「エウル……」
少女は雰囲気と裏腹に幼げな表情で口元を綻ばせ、その顔立ちに見合った中性的な声色で返答した。
エウル──本部の人間が使うEURの隠語だ。そして私の知る限り、その単語を持ち出してくる人間にほとんどろくな奴はいない。
「随分と疎ましい所から来たな……」
そう呟いたのを聞き取ったのか、少女はレクシルから視線を外し、こちらへと移す。しばし観察するように視線を動かし、
「貴女がブランですね?」
私は極力目を合わせないようにする。こういった手合いの相手は正直気に入らないのだが、黙っている訳にもいかず、観念して口を開いた。
「そうだ」
少女はやはりと言ったように笑う。どこか皮肉めいている笑いだ。嫌な予感がして私が顔をしかめると、
「ふふ、聞いていた通りの容姿ですね。白髪、紅眼、黒衣。そして、低身長」
「──ッ!」
こいつ、人が気にしてることを……!
思いきり舌打ちし、一睨みをきかせてやると嫌味ったらしい女に背を向ける。そして、可能な限り抑揚の効かせた声でレクシルに「任せた」とだけ告げて黙りこくった。
子供っぽい真似だとは思うが、私は会ったばかりの相手に向かって積極的にコンプレックスを刺激する女と仲良くするほど、人間は出来ていない。別に仲良くする必要はないのだから、会話、交渉はレクシルに任せる方がストレスを溜めずに済む。
横目に見ると、レクシルは察したように苦笑いし、後頭部をぽりぽりかきながら少女に言う。
「ごめんねぇ。彼女は怒りやすいんだ。まあ、話なら僕にしてくれよ」
「ええ」
少女は了解し、淡々と話し始める。
「私はEURの調査機関から派遣されました、アストリッド・ハルトマンといいます。どうぞ、ハルトとお呼び下さい。さて、今回のFOSからの来訪に合わせて、こちらではアトモスフェールの継続的な視察を行う事が決定致しました。言いづらいのですが、悪く言えば監視ですね。アトモスフェールの独断で篤行されては困りますから」
ハルトか……この女、性格が悪いとは思ったが、どうやら仕事の内容もいやらしい。ある意味でEURも適材適所の人材を送り込んだようだ。
私がそんな個人的感情を交えた思惟を巡らせていると、レクシルは「ふむ」と呟いた。
「FOS……。フロム・アウター・スペース?」
「ええ。外宇宙の存在について、私達はそう呼ぶことにしております」
「そりゃいいね。僕は嫌いじゃない。しかし、そうか。視察、ねぇ……」
「当然ですが、我々の下部組織であるアトモスフェールに拒否権は存在しません。なので今回のこれは、ただの通知になりますね」
随分と意地の悪い通知があるものだ。
ちらりと私が背後を見ると、それに気づいたハルトはにやにやと笑みを浮かべながら肩を竦めた。この女、どこまでもうざったらしいのと同時、考えの読めない気味の悪さがある。
そんなハルトとは別の方向で飄々としたレクシルは、僅かに髭の生えた顎を掻いて言葉を返す。
「そりゃどうもだね。で、彼はいつ?」
「話によると、FOSの来訪は午後二時の予定です」
「あとー……うん、大体二時間くらいかな?」
「はい、恐らく。ですが一つ言っておきましょう。あれは入口を要しません」
「……?」
ハルトが洩らした単語に私は首を傾げた。
入口が要らない……どういうことだろうか。
「ん? 入口が要らない──てことは、空からでも降ってくるのかい? 宇宙人らしく昔のSFみたいにこう、光の中からふわーっとね。いやあ、いいねぇ、ロマンがあるよ」
一方レクシルはそんなことを気にするでもなく、わくわくした様子だ。
が、ハルトは僅かに不快そうな表情をし、忠告するように語気を強める。
「あれは神出鬼没です。今も所在は捉えられていません」
「お空の宇宙船にでも帰っているんじゃないか?」
茶化してみたが、ハルトもレクシルもあまり気に留めた様子はない。軽く舌打ちし、私は眼下に広がる無機質な空洞を見やる。
「私から言えるのは以上です。それでは」
「おや、帰るのかい?」
ハルトが踵を返そうとしたのか、レクシルはその背に向けて声をかけた。
私が仄かに視線を移すと、丁度ハルトの足が止まる。にわかに振り向き、その横顔が答えた。
「いえ、FOSの滞在中はこちらにいさせてもらいます。そうですね、休憩室でも向かうとしましょう。確か……あちらでしたか」
どうやらハルトは事前にアトモスフェールの構造を把握していたようだ。レクシルもそれを理解したのか、留めずにおく。
ハルトが去った後、私はしばらく燻っていた一言を吐き出した。
「……変な奴」
数時間後。
ハルトが居るようでは休憩室では休めないと考えた私は自室に戻り、レクシルから受け取った端末を弄っていた。改めて見れば、左腕に腕時計の様に装着されたそれは驚くほどぴったりだった。
起動し、自分の体内に埋め込まれた端末のソフトウェアを更新する。これが完了すれば、旧式のシステムとはおさらばだ。一部ではテクノロジーの差が戦力の差とさえ言われる近代、ましてや脳に直結する体内端末のバージョンが古いというのは、戦場に出るとなると大変に心許ない。
更新中、直接脳に送られた様々な機能情報を確認し、早速アトモスフェールの管理項目を閲覧していると、突然連絡が入る。脳裏に文字列がふっと浮き上がり、私はそれに意識を走らせた。
[監視カメラより異物を探知。要注意されたし]
「異物……?」
ここアトモスフェールでは、職員や来客の着衣や端末、製造、或いは搬入された全ての物質にIDタグが埋め込まれている。そのタグは常に自らを主張する電波を発信しており、つまりはそれがない物──或いは者──は異物としてカメラに検知される。
だが不自然な事に、普通この場合セキュリティシステムが作動し警報を発する筈なのだが、その気配は一切ない。疑問に思った私は映像データを呼び出し、異物を感知したカメラと位置情報を確認する。
映像データは脳内の展開には向かない。例え目蓋を瞑っていても、人間の視覚は作動している。そこへ映像を脳内に割り込みさせてしまうと、視覚情報の混雑が起こり、しばらく疑似映像の残像が現実にも残ってしまうのだ。そのため私は腕のBMI端末を覗き込み、画面を確認する。表示されているのは兵器棟の奥、資材の搬入口だ。そこの端に、人影が見える。
アトモスフェールの警備は厳重だ。易々と侵入出来る筈はないし、例え物理的な侵入を可能としても、ここのセキュリティシステムを破ることは出来ない。警報が鳴らないのは、恐らく一度認証を受けつつ、途中でタグ──衣類やプレート──を外した……ということになる。
アトモスの職員を含め、EURの関係者はそういうことを決してしない。残る可能性としては──来客である宇宙人、イビュ。
何故かは分からない。気がつけば私は走っていた。単なる興味か、好奇心か……いや、そうではない。直感が、本能が私に告げている。
この男に会えば、何かが変わると──
確信にも似た予感に押されるがまま、私は施設の廊下を駆けた。途中何人かの研究員が訝しげにこちらを見ていたが、元々奇異の目で見られていたので気にならなかった。数分もしない内に施設の端、資材搬入口手前の扉に辿り着く。
「この先に……」
私は壁に手を置き一呼吸すると、意を決して扉を開いた。
予想外の光量に思わず目を瞑る。この搬入口は船を入れるため屋内まで海が繋がっているのだが、いつもは閉まっているシャッターが開いていたのだ。
すぐに目が慣れて、私の視界には様々な情報が飛び込んでくる。いつもの壁、いつもの屋根、波の音色、コンテナ、そして……見慣れない男の後ろ姿。
黒いスーツを着た男だ。ゆっくりと歩を進めれば、その男の相貌がよく分かるほどの距離まで近づいていた。珍しい色をした尖った短髪。身長は高く、二メートル近くある。私の身体では──自分の身長が低いことは私も自覚している──よくよく仰がなければ顔貌は拝めそうにない。
すると足音に気づいたのか、男の肩が揺れた。そのまま首が動き、そして……振り向く。
歳の頃は壮年……三十代に足を踏み入れたような顔だ。人間にしか見えないが、件の宇宙人についてのプロファイルは確認したので恐らく間違いない。この男が……イビュ。
精悍な面持ちに居座る鋭く強い眼光が、射抜くように私を見据える。唇がゆっくりと開かれ、私の耳に届いたのは、
「ぼんそわある」
ひどく場違いな上に最高に悪い発音で響いた、女性の声だった。
「…………」
開いた口が塞がらないとは言うが、まさにその通りだった。一体私にどんなリアクションをしろというのか。お互いにぽかんと立ち尽くしたまま暫く沈黙が続き、やがて再び声が届く。
「あるえ?」
間抜けな声が聞こえるが、イビュではない。彼の口元はひきつったまま動いていない。
「あー、間違えましたか? あっれー、ここフランスでしたよね? えっと、じゃあグーテンアーベント!」
なんでフランスでドイツ語を無駄に綺麗に発音しているのだろう。
これまで雰囲気などお構い無しにお気楽に発言していた女声だが、流石に不穏な空気を察したのか慌て始めた。
「ありゃ、もしかして滑りました? ワタシ掴みミスった? ダレカタスケテっ!」
「…………」
無言の影が二つ。あまりにも微妙な空気に、お互い全く口を開けなかった。いや、口は開いていた。
「……えぇっとぉ……。ご、ご主人! アイウターレ!」
「そこで俺に振るか」
遂には助けを請う女性の声。そして、ここで初めて男が喋った。低い、しかし感情のこもった声だ。
どうやら、ようやく話が進みそうだった。
「あー、とりあえず馬鹿が世話かけて済まない。かなり昔のオモチャなんでな。頭悪いんだわ」
「うくっ……く、悔しい……!」
「えっと。あー、あ、あぁ」
とりあえずそんな事しか言えなかった。想像を遥かに下回る感覚による、未知との邂逅。どうやら私も少なからず世論に影響されやすい性質らしく、一般的なSFに言われる宇宙人との遭遇から大きく逸脱した状況にいまいち納得がいかなかった。
ひきつった頬をほぐしていると、男は話しかけてきた。
「さて、まあまずは自己紹介でもしとこうか。俺の名前はイビュ。種族は、あー……宇宙人、とでも言っとくか。お前は?」
「ブラン。……一応、地球人だ」
「ブラン? 『白』……なるほど、コードネームか」
「悪いが、私に本名はない。あったとしても私は知らない」
「……そうか。詳しくは聞かない。聞く必要もないだろう。ま、俺の方はコードネームというよりあだ名なんだがな。ここで使うには丁度よかったんだわ。地球人の舌にも発音しやすい」
「へぇ。ところで、あんたはなぜこっちの言葉を?」
「話せるのかって? いや、別に話せるわけじゃない。リアルタイム翻訳だよ、この星の人間に接触する前に言語を解析にかけたんだ。俺は技術者じゃないんでな。詳しい原理なんて知らんが、俺たちが発した言葉は瞬時に変換される」
そう言ってイビュは自分の喉と頭を順に指で軽く叩く。翻訳機がインプラントされている、という解釈でおそらくは相違ないだろう。
「了解した。それと、さっきの──」
「呼んだ?」
「──あぁ……」
さっきから神出鬼没な女声の主は、いくら見渡しても姿が見えることはない。私は首を傾げながら聞いてみた。
「あー、宇宙人で透明人間?」
「あはっ、違いますよぉ。私は全宇宙で最大規模を誇る総合企業、エマード社の汎用完全自律人工思念体、『コエス』の女声仕様です。まぁぶっちゃけ言えば、AIです」
「何処から声が出ている?」
私の質問にコエスは不敵に笑った。声だけだというのに、なんとなく表情や仕草までイメージ出来る感じがする。地球のAIにも感情模倣機能はあるけれど、やはり物真似に過ぎず、合成音声の不器用さも合わせてぎこちなさが残るのが今は普通だ。
一方、コエスはAIとは思えないほど感情豊かだった。コエスはこほん、と咳払いのような音を聞かせると、
「貴女の頭、ですよ」
「何?」
「えへ、嘘です。半分は、ね。私達コエスは基本的に使用者……主人のマザーシップのメインコンピュータにいます。そこから音声情報を発信しているんです」
「マザーシップ?」
「あ、やば。機密情報でした」
「おいこら待てポンコツ」
かなり重要な話を聞いてしまったような気がする。イビュが一喝するが、コエスはそれを無視して会話を続ける。
「ま、つまりは自宅のパソコンにいて、いつでも他人の携帯電話とかにお邪魔できるって感じです。地球のもので例えれば、ですけどね」
「ふぅん……て、それって大丈夫なのか? あんたらの星にだってセキュリティの問題はあるだろう」
「ええ。ですから勿論可能な範囲は狭いですし、当然ながら他人のパソコンには侵入できません。犯罪ですから。まあ地球の電脳ならセキュリティも容易いですし、 今だって貴方の端末を通して貴方に話しかけてますしね。あ、当然ですがEURの方々には使っていませんよ。失礼ですし、重要な情報のあるコンピュータはスタンドアローンなうえ、隔離されているみたいですから。勿論、貴女と話してるのは許可を貰ったからです」
「盛り上がってる所悪いがな。お前少し黙ってろ」
不意にイビュが会話を遮った。
しかしコエスは引き下がらなかった。先ほど主人と言っていたはずの男に喰ってかかる。
「何故ですか? 淑女の談話を遮るだけの理由があるのでしょうか」
「いや、相手からしたら国事だろ」
「大国と一人の女……。貴方ならどちらを選ぶんですか!」
「国」
「ちぃっ! 頭の固いハイエナが。……まあ、時間もおしてますしね。いいでしょう。ではまたお会いしましょう、ブラン」
それきりコエスの声は途絶えた。代わり、イビュが話し始める。
「率直に言おう」
私はイビュの目を見る。
深い色をしていた。海の深奥を覗いたかのように、底の知れない深み。普通では覗くことすら叶わないような、そんな感情を称えた瞳だ。それを見て、私はイビュも宇宙人と言えど同じ人間なのだと実感する。
彼はその双眸の奥に何を見ているのだろうか。私は次の句が発せられるのを待ち、そして──
「海が綺麗だ」
沈黙した。
「………………え、と」
別に海は私ないし、誰かのモノでもない。何と言えばいいのか、正直返事に困った。だけどここで何も言わないのも変だろうし、地球を代表して言う事にした。
「……どうも」
イビュは穏やかに微笑み、また海を見る。
「それで、お前が巨大兵器の操縦者になるんだったな? ブラン」
「そうだ。CAとやらにな」
「CA?」
「ああ。『Colossal Armes』つまり『巨大兵器』。実に単純だ」
宇宙人はおかしそうに笑う。その行動はやはり人間らしくて、とても違う惑星の存在のようには見えなかった。
「くくく、違いない。ま、俺みたいな〝特別〟と接触したんだ、これから忙しくなるだろうな」
「そうなるな」
皮肉を込めて呟く。そして、束の間の静寂が訪れた。奇妙なことに、こういう空気になると普段は気にならないものがやけに強調されて感じられる。
港の景色。海鳥の鳴き声。風の吹き抜ける感覚や、潮の香り。僅かな間だったが、不思議に永く感じられた。
ふっ、とイビュが振り返る。
「……まあいいか。どうせ、避けられない事なんだろうからな」
「何?」
「プロファィルを見せて貰った。お前は俺と同じ匂いがする。あれを使いこなせる人間だ。だからお前を指名したんだからな」
「……よく、分からないが。こっちも踏み込まない方が良いのか?」
「そう……だな。今は、そうして貰えると助かる」
再び、静かな時間が流れる。
聞こえてくるのは波が打ち寄せる音のみで、イビュはその余韻を楽しんでいるようだった。しかし私は聞き慣れた音を楽しむ気にはなれず、やれやれとかぶりを振った。
「あんた……変わってるね」
その言葉に、イビュが閉じていた目を開く。
黄色の瞳に、反射した私の姿が映しだされた。
「ん?」
「いや、宇宙人だから当たり前、なのかも知れないが。だけど、何というか……変わってる」
「そうか」
私の台詞を噛み締めるようにイビュは「変わってる、か」と反芻する。
やがておかしくなったのか、空を仰いで笑い始めた。
「くく、そうだな。ま、そりゃ変だろう。なんせ俺は宇宙人だ。変わってるに決まってる」
目を細める。
そう言っている男の姿に、私は例えようのない──上手く言葉に出来ないが──強いて言うならば親近感、のようなものを感じた気がした。
何か、自分に近い感覚をイビュに覚えたのだ。同時に、それがなぜだか恐ろしく思えて、小さく首を振る。
「………」
「そんなに気にするなブラン。今は巨大兵器とやらに専念しておけよ。その内、それ以外でも色々と忙しくなる」
「え──」
とまで言いかけた所で、不穏な言葉を放った遼遠からの使者は跡形もなく消えていた。あまりに一瞬の事だったから、反応すら出来ない。移動の過程をすっ飛ばしたように、その姿は風景から消失している。
「今のは……」
──なんだったのだろう?
立ち尽くす私を嘲笑うように、波も風も、ひたすら同じ音を繰り返していた。
嵐の前のように……ただ、静かに。