iii.
昨日より更に重い足取りで学校へ行く。空の青さも陽の光も眩しすぎた。溜息がもれそうになるのを堪える。幸い、吐き気は治まっていた。
朝のホームルームが終わると、高野が声をかけてきた。
広沢、と呼ぶ。
「ちょっと来てくれ」
クラスメイトたちが見ている前だ。無視もできず、慧は立ち上がった。高野について教室を出る。高野はそのまま教室から離れ、職員室方向へと向かった。
どこまで行く気だ、と慧は訝しんだ。じきに授業が始まる。一限目は国語だ。担当の若月が、すぐに教室へやって来るだろう。
「何の用ですか。授業が始まりますよ」
足をとめていう。高野が振り返った。
「大丈夫だ。この時間は空きなんだ。授業はない」
自分のことをいっているらしい。慧は呆れた。
「おれが、あるんですけど」
「それも大丈夫だ。おまえは抜けると若月先生には断った。今は授業より大事な話がある」
「勝手に断らないでください。昨日の続きをするつもりでしたら、もう話すことはありませんよ。おれは戻ります」
「駄目だ。来るんだ」
高野とは思えない強引な態度だった。慧はうんざりして相手を見据える。高野は幾らか怯んだものの、いつものように震え上がったりはしなかった。慧は溜息をつく。逆らうのも面倒になっていた。
「わかりました」
「よし。生徒指導室へ行こう」
高野は、ほっとした様子でいった。
「おれの父親も、ときどき魔物とやり合っていたよ」
生徒指導室に入り、慧を座らせた後、高野はいった。
「父親というより、あれは、おれを狙って来ていたんだな。おれは長いこと気づかずにいたんだが。おれは人間として育てられたから、魔物を攻撃する力はまったくない。父親と同じ力はあるのかもしれないが、使ったことはない。おまえがいったとおり、自分の身ひとつ守れないんだ。父はおれに、魔物の気配を消して生きるよう教えたよ。子供の頃は意味もよくわからなかったし、そううまくもできなかったけどな。その分、父が身辺に気を配ってくれていた」
高野の口ぶりは、どこか昔を懐かしむふうでもあった。ここまで来て、あなたの身の上話は結構ですよ、といった皮肉をいう気は慧にはなかった。まさか、そんなことのために呼び出したのでもないだろう。慧は辛抱強く続きを待つ。高野が何をいおうとしているのか、見当がつかなかった。
「だけど、親父は相手を殺さなかった。きっと、幼いおれに魔物の屍骸を見せたくなかったんだな。相手のオーラを吸いはしたが、命がなくなるほどは奪わず、弱らせただけだった。弱らせてしまえば、相手は怖気づいて自分から闇の世界へ戻る──親父は、そういっていたよ」
ようやく、高野のいわんとすることが見えてくる。
「もしかして、おれにもそうしろと」
慧は、高野から視線を逸らしたままで訊ねた。
「そうだ。場合によっては脅しつけるだけでもいいんだ。それで逃げ帰る相手だっている。敵わないとわかれば、向こうはそうするさ。魔物のほとんどは、ただ??その、食糧補給に来ているだけだからな。なるべく楽にやりたい。危険な相手とやり合うくらいなら、逃げ戻る方がましだと大抵は思うものだ。もちろん、やつらが人の世界に現れること自体は問題だ。防がなきゃならない。おれだって連中は怖いよ。でもな、別に肩を持つつもりはないが、人が闇を引き寄せて通路を開かなければ、あいつらだってこっちに来られないんだ。追い返して通路を絶つっていう方法だって、あるとは思わないか」
「昨日もいいましたよね」
慧はいった。
「やらなければ、こちらがやられる。おれはそう思いますけど」
「親父はそうやってた。おまえにもできるはずだ。相手の程度を見極めて、おまえの力を調整すればいい」
「簡単にいわないでください。そんな余裕はありません」
「それは──おまえに怖れがあるからだ。怖れる気持ちを抑え込んで、気づかないようにしている。だから何も考えられず、力任せになってしまうんじゃないのか」
慧は目を上げて高野を見た。高野は続ける。
「いいか。おまえの力は、大抵の魔物たちよりずっと強い。おまえを見ただけで逃げ出すやつだっているくらいだ。怖いのは当然だ。考えたくないのもわかる。見たくない、手痛い現実だからな。それは、おれにもよくわかるよ。だけどな、向き合わなくちゃいけないんだ。そうしない限り、何も変わらない。このまま、ずっと苦しむことになるんだ。やってみろ。大丈夫だ、おまえならできる」




