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iii.

 高野の暗い心中をよそに二十四時間が平凡に過ぎ、翌日の放課後になった。

 日中、慧は特に変わった様子もなく過ごしていた。彼のことだ。授業を抜け出して何かする、といった真似はしないだろう。動くとすれば放課後か。しかしまだ一日目だ。今日で終わるくらいなら今週一杯とはいうまい。準備中というところだろうか。

 またも無駄な思考が、高野の中では展開していた。本人を捉まえて、大丈夫なのかこれからどうするつもりだ等々聞けば早いのだろうが、聞いたところで十中八九、無視されるに違いない。余計なプレッシャーを与えても、とも思う。慧が高野の問いかけをプレッシャーと感じるかどうかは、定かではないのだが。

 麻美のことも気になった。いわれたとおり大人しく学校に来ずにいてくれるかどうか。また記憶がない状態となって、ふらふらし出したら。といってまさか、監禁したり、一日中見張っていたり、というわけにもいかない。そもそも何の拘束力もなくやっていることである。それなのに失敗は??たぶん許されない。そんなことを慧一人でやろうというのだ。まったく、無茶というか無謀というか。そこまでわかっていながら、ここで溜息をつくことしかできない自分はいったい何だ、と高野は思った。学校で対応すべきことですら、結局何もできず仕舞いなのだ。

 廊下から興奮気味の声が聞えてきた。何ごとかと耳を澄ます。音楽担当の鈴木が喋っている。一緒にいるのは、二年二組の担任の高田と琴江だった。

「──前から、仲はあまりよくないようには見えましたけど、あれくらいのことで喧嘩なんて。しかもあんな集団で──」

「大西は気の強いところがありますからね。さすがに驚いてたし、少しは大人しくなるんじゃないですか。あまり大ごとにならなくてよかった」

「これでも充分、大ごとですよ。山岸さんのお母さんは、ことを荒立てる気はないようでしたけど」

 三人は職員室の前で、こそこそと話し続けている。高野は嫌な予感がした。鈴木は吹奏楽部の顧問でもある。琴江のクラスの山岸玲花は、確か吹奏楽部の部長だ。部活動中に何かあったのだろうか。何かあっても別にいいのだが(いや、場合によってはよくないが)、場所が悪い。吹奏楽部が使っているのは音楽室だ。今、あそこで揉めごとを起こされるのは困る。

 散会した三人が職員室に入ってきた。琴江が神妙な顔つきで席に座る。高野は、ぎくっとした。琴江から、微かに血のにおいがしたのである。いったい何があったんだ。動揺を抑え、小声で琴江に話しかけた。

「あの、どうかされたんですか」

 琴江は少し驚いて高野を見た。廊下で話していたことが聞えたのか、という顔だ。まずいなとは思ったが、構ってはいられない。

「あ、何だか皆さんのご様子が」

 一応誤魔化すと、琴江は困ったように笑った。

 ええ、ちょっと、という。彼女も話したいふうだ。

「生徒たちが何か」

 高野は促してみる。

「ええ、今さっき、吹奏楽部で──」

 琴江は小さな声で話し出した。

「来月の陸上大会で応援に使う曲を生徒たちに選ばせていたら、鈴木先生がいない間に、三年と二年の生徒が喧嘩してしまって。うちのクラスの山岸さんが部長なんですけど、彼女、大人しいでしょう。副部長の大西さんは活発な子だから、彼女が二年生と一年生をまとめちゃって、以前から三年生と対立しがちだったみたいなんです。今の吹奏楽部って、三年生少ないし、押されっぱなしらしくて。でも一応三年生ですからね、下級生のいいなりは面白くないだろうし、お互い好きな曲を譲らなくて、いい合いになって。ついエスカレートしたんでしょうね。大西さんが山岸さんをつきとばしちゃったみたいで。山岸さんが転んで、鼻血を出したりしたものだから、泣き出す子もいて、私たちが行ったときには大騒ぎでした」

「大変でしたね」

 高野は上の空でいった。案の定、揉めごとだったか、と思う。音楽室は大丈夫か。

「ええ。だけど、もう治まって──鈴木先生が、部活を中止にして、生徒たちを帰しましたから。山岸さんはまだ保健室ですけど、大西さんも高田先生が少し話した後、帰しましたし」

 琴江のブラウスの袖口に小さな血の染みが着いていた。さっきのにおいは、そのせいだったのだ。

「あの、袖のところに、血が」

 琴江が手をあげて服を見る。

「嫌だ、山岸さんに触ったときに着いちゃったんですね。落ちるかしら。ちょっと洗ってきます」

 彼女は席を立つ。高野は返事をして琴江を見送った。内心では、湧き上がる不安と戦っていた。僅かな量でも血は不吉だ。何ごともなければよいのだが。慧に知らせておく方がいいだろうか。高野は立ち上がった。あいつ、まだ残っているだろうか。

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