ii.
「あの、彼女の母親って、どんな人かわかりますか。お会いになったことは」
「私はないですね。離婚してからは、一回も学校に来てないって話でしたよ。仕事が忙しいとかいって、三者面談にも来ないらしい。別の日に約束しても来なくて、結局電話で話して終わり、みたいなね。話になりませんよ。いやあ、考えてみれば、加藤先生も大変だ。これじゃあ、自律神経やられるのもわかるね。彼のクラス、他にもそういう親がいるんですよ」
「はあ」
「早川は、母親のことを何かいってたんですか」
「ええ、あの、精神的な、そのストレスというか、そういうのが母親との関係で生じている気がしたもので。母親と喧嘩をするっていうんですが、どうもそれが激しいらしいんですよ。痣ができるくらいの──考えられますか。女性同士ですよ。実は喧嘩じゃなくて、その」
「痣? 見たんですか」
「ええ、はい」
「どこに」
「ええと、足とか、スカートで隠れてるとこですけど」
「よくそんなの見せましたね。まさか先生、無理に見たんじゃ」
「ち、違いますよ、そんな」
「だったら、いいですけど」
木村は非難がましい目で高野を見た。どうして自分がこんな目で見られなければならないのか。論点がずれている、と高野は思った。だが実際のところ、痣は同意の上で見せてもらったわけではない。半分嘘をいっているようなものなので、これ以上は触れられたくなかった。
「何にしても、やっぱり一度は母親に会った方がいいんじゃないでしょうか。もし、その虐待とか、疑いがあるなら──」
「虐待なんて、そんな簡単に疑うもんじゃありませんよ。早川が、そう訴えたというのでもないんでしょ」
「ええ、まあ。本人は否定していましたけど」
「訊いたんですか。どうも大胆だな、先生は」
「いえ、彼女から──そう思ってるなら違う。喧嘩だ、って」
「ああ、そう。なら違うんでしょう。喧嘩なんですよ、きっと。高野先生、独身でわからないかもしれないけど、女って結構怖いからね。うちの女房も相当乱暴ですよ。怒るともう、何し出すかわからない。怒鳴るわ、物は投げるわ。ま、いつもではないですけどね。おっと、これは余計な話でしたな。お恥ずかしい。とにかく、教頭には話してみますよ。後は向こうの判断次第ということで」
予想通りの反応だった。これ見よがしの溜息を高野は我慢する。こちらも隠しごとがあるので説明が不充分だ。できれば聞きたくないと思っている木村に、ことの深刻さを伝えるのは難しかった。確かに、母親に会いに行っても、今日のように出てこなければそれまでだ。待ち伏せのような方法では相手を怒らせる可能性も高い。その後の関係だってこじれてしまうだろう。いったい、どうしたらいいのか。
「じゃあ、私は今日はちょっと用がありますので、これで」
木村は、教頭への報告は明日以降にまわすことにしたらしく、素早く帰り支度をして職員室から出ていった。とっくに勤務時間は終了していたのだ。高野が戻るのを待っていただけでも上出来というべきかもしれない。
お疲れ様でした、と呟きながら、高野は今度こそ溜息をついた。




