ii.
「昨日、その話をした後に倒れたな。気になっていたんだ。早川、おまえ本当は、兎のこと何か知っているんじゃないのか」
麻美は怯えた目をして、慧の視線を逃れるように俯いた。彼女が発していた僅かな気配が少し強くなる。高野が溜息を抑えた。
麻美は俯いたまま、小さく首を振った。
「私、知らない。わからないの。お母さんと喧嘩した後、外に出て──気がついたら、そばで兎が死んでた。怖くなって、どこかに隠さなきゃって思って。あちこち歩いてたら、何か井戸みたいなのがあって、そこならわからないかなと思ったの。それで中に兎を──。後で、骨が学校の松林にあったって聞いて、すごくびっくりして」
「井戸のところまで行ったのか」
高野が、また驚いて訊ねた。
「先生、あれ知ってるの」
麻美は顔を上げて高野を見た。
「何か蓋がしてあって──簡単に持ち上がったけど。場所がどこだったのか、よくわからないの。帰りも、歩いてたら、いつの間にか家に着いてた」
麻美は再び俯いた。そういうことだったか、と慧は唇を噛んだ。それほど簡単にあの井戸まで行ったとは思っていなかった。母との諍いのせいで抱え込んだ麻美の心の闇の深さは計り知れない。呪符が古びて効力が弱りつつあったところに、そんな彼女が近づき、たまたま中のものと波長が合ってしまったのだろう。
それでも井戸を見ただけで戻って来たなら、話はまだ簡単だった。しかし──兎だ。彼女は中の魔物に兎を与えてしまった。
兎は供物だ。麻美にそのつもりがなくても、魔物はそうとったに違いない。兎を食べつくし、魔物は力を得た。それ故、呪符の効力は一層弱まり、あの重苦しい妖気が漏れ出て闇を呼ぶまでになったのだ。
それだけではない。自分に捧げ物をした麻美を、井戸の魔物は離さないつもりかもしれない。だから彼女は、こうして重苦しい気配を纏っているのではないか。
心の奥底に深い闇を抱えたものが、魔のものに供物を渡す。しかもおそらくは、自ら手にかけた供物だ。魔のものは、それを受けとった証に骨を捨てる。彼女の無意識の内にある、暗い破壊的な想いを読みとって──。
そんな図式が成り立つとしたら、この先何が起こるか。
慧は、髪の毛で半ば隠れた麻美の横顔をじっと見た。まずは魔物の影響をどの程度受けているか、確かめなければならない。
「ちょっと、いいか」
慧は麻美にいい、制服の胸ポケットから霊符を取り出した。運転席で高野がぎょっとする。こんな狭い場所でそんなものを出すな、という顔になった。
「すぐ済みますから」
慧は小声で高野に伝える。こちらがその気で使わなければ、直接的な害はないのだ。少し気分が悪いくらいのことは我慢してほしい。高野はできるだけ距離をとろうと、ドアに背を押しつける。慧は白い紙に包まれた霊符を麻美に差し出した。




