vi.
狭い空間で慧と二人きりになった高野は、やけに落ち着かなかった。
雨模様だったため車で出勤していたのだ。麻美が家にいなかった場合に待機することを考え、都合がよいかと車を出したものの、中の狭さとお互いの距離の近さが思いのほか動揺を誘った。運動をさぼった罰だろうか、と恨めしい気持ちでハンドルを握る。
「事故を起こさないでくださいよ」
呆れたように慧がいった。
「随分と落ち着きがない。いつもこんな運転なんですか」
誰のせいだと思ってる──と罵るのは内心にしておいた。実は高野自身のせいである。慧は、今のところ(ではあるが)何もしない、といったではないか。昨日からの様子を見ると彼は、目つきは怖いし無礼なやつだが、中身は意外に律儀で自分のいったことはきちんと守る人間だと思えた。優等生だし、根が真面目なのだろう。何もしないといったからには、そのとおり、何もしないはずだ。
頭ではわかっているのだが、本能は本人より懐疑的らしく、やはり術者を怖れていた。自分はこんなに魔物寄りだったか、と悲しくもなる。そうかといって魔物たちに勝てるわけでもないのだ。どうしようもない。
溜息をつきたくなったが、こんな中で溜息をついたら酸欠になりそうだ。ぐっと堪えて注意深く車を走らせる。この上事故まで起こしたら目も当てられない。
じきに麻美の家に着いた。三階建ての洒落たアパートだ。入口で写してきた住所を確認する。
「ここだな。202号だから、二階か」
階段を上がり、左から二番目のドアの前に立った。呼び鈴を鳴らす。部屋の中でチャイムが響いた。小ぎれいなのは見た目だけで、そう立派な建造物ではないらしい。音がやたらと大きく聞えた。人の動く気配があったようなのに、誰も出てこなかった。高野はもう一度ボタンを押す。チャイムが鳴る。誰も出てこない。
後ろに立つ慧を振り返ると、彼はじっとドアを見ていた。
「誰かいるみたいだ」という。
高野も頷いた。しかし刑事ドラマや借金取りではないのだ。こんなところで呼び鈴や扉を連打したり、大声で名前を呼んだりはできない。いるけど出たくない、という気持ちを尊重するしかなかった。
「仕方ないな。一旦引き上げて、車で待機するか」
二人で階段を下り、車に戻った。
中にいたのは麻美だろうか。女の子一人で留守番となると、不用心だし、いちいち訪問者に応じたりしないのかもしれない。やはり出る前に電話してみるべきだったか、とも思う。電話を入れれば、大丈夫だから来なくていい、といわれそうな気がして敢えてしなかったのだが。もっとも、こんな形の訪問だって、迷惑といわれればそれまでだ。いったい、どういうやり方がいいのか。わからない。たぶん誰にも答えられないだろう。結局はケースバイケースなのだ。同じやり方でも、うまくいくときもあれば、いかないときもある。難しい。
車で待っていても何の当てもなかった。麻美が出てくるか、もしくは、彼女は中におらずどこかから戻ってくる、という偶然を待ってみるしかない。それこそ刑事ドラマの張り込みのようだ。こんなことまでやるとは、と己の勤勉さに感心してみる。しかも慧と一緒にだ。信じられない話である。
慧はといえば、当てもなく待たされているのに苛立つ様子もない。ぼんやり窓の外に目をやっていた。その大人びた横顔を見て、高野は自分の中学時代を思い返した。
十年以上も昔の話なのに、昨日のことのようでもあった。秘密を抱え、苦労を感じていたと思う。けれど、何かあれば父親が守ってくれるという安心感は強かった。周囲とのつきあいに深入りせずに過ごし、孤独でもあったが、家では両親に大事にされていたから、さほど寂しいということもなかった。
こいつの家族ってどうなっているんだろう、と高野は思った。他の術者は知らない、と昨日いっていたから、親たちは術者ではないのだ。慧の力については知っているのだろうか。




