iii.
廊下に出ると、慧が後ろの戸口から姿を見せた。偶然会いましたね、ということは彼に限ってないはずだ。何か用があるのだろう。何だ。まさか、井戸の封印がもう破れましたよ、とか。それなら、さすがにこちらにもわかりそうなものだ。違うか。
さっさと訊けばいいのに、またも無駄に思考してしまう。やっぱり少し慧が怖いのだ。
「どうした」
怯えを面に出さないよう努めつつ訊く。慧は身振りで、向こうへ、と指示して、生徒で溢れる廊下から離れた。相変わらず、何を考えているのかわからない顔つきである。階段脇の目立たない場所まで行くと、彼は立ちどまった。
「何かあったのか」
高野は再び訊いた。
「早川のことですけど」と慧はいう。「加藤先生に話をしましたか」
予想外の問いに少し驚いた。闇の出現を警戒するのは彼も同じか、と思い至る。
「いや、それがな、加藤先生が」
いいかけて口ごもった。休みの件を早々に生徒に話してよいものか。まあ、じきに知れ渡ることだ。高野は声を潜めて続けた。
「その、今日から暫くいないんだ。それで詳しいことはまだわからない。おまえも気になるのか」
慧は質問に答えず、じっと高野を見た。慧に視線を注がれるだけで、高野は冷や汗が出る思いだった。その上彼の目が、やはりまた駄目ですか、といっている気までしてくる。しかし今回は駄目ではないぞ、と高野は思った。おれはちゃんと仕事をしようとしているではないか。怖れることはないはずだ。
「まあ、他に詳しいことを知っている先生もいないようだし、本人に直接会う方がいいかと思ってな。今日はまた欠席してたし、これから家に行ってみようかと思ってる。昨日の今日なら、心配して訪ねてもおかしくないだろう。倒れたところを見ているんだしな」
「あなたがですか」
「そうだ」
「一人で」
「うん、まあ──いや、男だと話しづらいかな、やっぱり。女の先生にも来てもらった方がいいと思うか」
いってから高野は自分に呆れた。こいつに訊いてどうするんだ。
「いや、いいんだ。すまない。それは、こっちで考えるから」
慌てていう。慧は高野の言葉は聞いていないふうで、
「一人で行くのなら、おれも連れていってください」といった。
高野は再び驚く。
「え、おまえも。何だよ、そんなに気になるのか」
「ええ、ちょっと」
まさか、麻美そのものが気になる、とか。あるいは。
「彼女、やっぱり危ないのか」
昨日はそんな気配はなかったようだが。
「それは、まだ何とも」
慧は高野から視線を逸らした。これ以上訊いても何も答えなそうである。
高野は少し迷ったが、顔見知りレベルの自分だけで行くよりも、一年間同じクラスだった慧が一緒に行く方が、麻美にとって気持ちの負担が少ないかもしれない、と考えた。慧の容姿なら、大抵の女の子は、なぜこんなものを連れてきた、という顔はするまい。見舞いの花程度には心が和むだろう。それにもし、彼女が闇を呼ぶ状態になりかけているとしたら、慧がいた方が安心だ。自分にはわからない前兆のようなものが、慧にはわかるかもしれないし──。
またしても慧に縋るようで嘆かわしくもあったが、使えるものは使おう、と思うことにする。魔の気配は関係ないとわかった場合には、こちらが教師としてちゃんと対応すればいいのだ。よし。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
高野がいうと、慧は視線を戻して頷いた。何だか仲のいいパートナーみたいだ、という恐るべき錯覚を、高野は慌てて打ち消した。




