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v.

「そういえば、早川麻美だけど」

 暫し黙った後、彼は話題を変えて話し出した。教師らしく、麻美のことは気になっていたようだ。

「あの痣、本当に暴力によるものだと思うか」

「わかりません。可能性の話です」

「休みがちと聞いているけど、それ以外の問題は特に上がっていなかった。まあ、把握していないだけかもしれないな。子供が誰かから暴力を受けていて、それを隠しているとしたら、考えられるのは──まずはいじめか」

「いじめは、違うと思います。繰り返し暴力を振るうような暗い感情の持ち主が近くにいれば、たぶんわかる。少なくとも今の三年には、そこまでのものはいませんよ。彼女が他の学年や学外の人間ともつきあっているなら、わかりませんけど」

「派手な交友関係があるとも聞いてないしなあ。と、なると、まさか──」

「家族による虐待」

 慧は呟いた。

「彼女の両親は離婚したと聞きました」

「詳しいな」

「一年のとき、同じクラスでしたから」

「そうか。今は母親と二人で暮らしているらしいが──後はおれもよくわからない。とにかく、もし誰かに暴力を振るわれているのだとしたら、放ってはおけないな。明日、加藤先生に話を聞いてみるか」

 高野は半ば独りごとのようにいう。その後、思い悩むふうで沈黙した。

 加藤に話をきいても無駄だろう、と慧は思った。麻美はきっと何もいっていない。いっているなら、あの痣だ。どれほどやる気のない教師でも、問題として取り上げるはずだ。状況把握はおそらく困難だ。彼女自身が本当のことを話さない限り、誰にも何もわからないのだから。

 それにしても麻美は、なぜこの妙な気配を纏っていたのか。慧は首を傾げた。闇の気配というのならまだ納得がいく。あの痣からして、何かしらの辛い目に遭っていると考えられる。そのストレスから暗い感情を抱いて、というのは充分あり得ることだ。しかし、この気配となると──彼女は魔物の妖気に近いものを纏っていることになるのだ。

 空気の重苦しさは進むほどに強まっていく。奥には、いったいどんな闇の生き物が潜んでいるというのか。

 考えに気を取られたせいで、ほんの一瞬だったが注意が逸れた。直後、慧は何かに躓いた。予想していたこととはいえ、思わず息を呑む。闇の中でバランスを崩し、上下もわからないような浮遊感を味わった。が、それきり身体の動きはとまった。

 咄嗟には、何が起こったのかわからなかった。転んでいないことだけはわかった。右腕の付け根辺りを強く掴まれている感触がある。ごく近くで声がした。

「大丈夫か」

 高野だった。彼に腕を掴まれ、支えられたのだと気づいた。慧は戸惑う。幾らか驚いてもいて、すぐには声が出なかった。

 前を歩いていた高野が、この暗さの中よく慧の異変に気づいたものだ。しかも、支えたのは相当素早い動きだったはずだ。いずれも人の力では不可能だったろう。

 思いがけず高野の魔物としての力に触れたせいだろうか。慧は妙に落ち着かない不可思議な気分になる。慌てて体勢を立て直した。

「すみません」

「だからいったろ。足元、気をつけろって」

 やけに勝ち誇って高野がいった。

「無茶いわないでください、こんな暗闇で」

 慧は淡々と抗議する。

「こっちは普通の人間なんですよ」

「普通の人間ねえ」

 含みのある口調だ。

「何ですか。あなたこそ、普段は随分抑えてたんですね。苦労が絶えなそうだ」

「あのなあ、おまえにいわれたく──」

「しっ!」

 大声をあげかけた高野を慧は制した。闇の先にぼんやりと浮かぶ何かが見えていた。

「何だ、あれ」

 慧の視線を辿って、高野がいった。

「あれは──井戸か」

 そうらしかった。二人は用心しながら近づいた。重苦しい気配の源はここのようだ。古びた井戸は長いこと使われていない様子だった。蓋がされている。その上に灰色がかった和紙が二枚貼られているのを慧は認めた。ところどころ千切れ、破れかけた紙に描いてある図柄には見覚えがある。右側は、魔を封印するための呪符だ。それもかなり強力な。左は水害避けだった。どちらも慧自身は使ったことがない。祥子の家にあった資料で見たことがあるだけだ。

 この蓋の下には、何かが封印されているのだ。何か、外に出してはいけないものが。

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