iv.
二人は音楽室の窓に近づいた。澱んだ空気が彼らを圧迫する。
これほど大きく広がった闇の気配には、慧も遭遇したことがなかった。しかも奥の方には別の気配もある。技術棟や麻美から感じた、あの妙な重苦しさだ。これまでより、はっきりとわかる。これは闇の生き物の気配だ。間違いない。なぜ、こんなところに。いったい何者なのか。知るためには、中に入り、それを見つけるのが一番の早道だろう。
「これか、おまえがいってた妙な重苦しい感じって」
高野が囁くような声でいった。今は彼にも、あの気配が感じられるらしかった。
「奥に何かいるな。それの気配か。そいつが昼にも闇を呼んだのか。こうして、今みたいに」
「おそらく」
「調べに行くんだな」
高野は絶望に囚われた口ぶりだ。
「あなたは来なくて結構ですよ」慧はいった。「中の様子が知れない。危険過ぎます」
「危険なところに一人で行く気か」
「あなたが来ても、あまり意味はないでしょう。魔物が出たらどうします」
「それはそうだが」
高野が黙った。不意に暗闇が下りてきたからだ。結果はわかっていたが、一応振り向いてみる。松林は消えていた。というより、何も見えなかった。完全に取り込まれてしまったらしい。
「選択肢がなくなった」高野がいう。「二人で行くしかないな」
「仕方ないですね」
慧の胸元が輝き出し、暗闇に光が生まれた。行く手を照らそうとする白い光に、高野がたじろいだ。
「おまえ、それ」
「霊符ですよ。灯りの代わりに使うだけだ。気分はよくないでしょうけど、実害はありません」
「そんなもの、いつも持ち歩いていたのか」
「ええ。いけませんか」
「授業に関係ない。不要品だぞ」
嫌そうに高野がいう。
「では取り上げますか。お守りや何かの類と一緒だと思いますけど。風紀指導では、そういうものも回収していましたっけ」
「そんな罰当たりな真似はしないさ。だいたい、おれはそれには触れない」
「そうですか」
「おまえ、わかってていってるだろ」
「あなたの実態の正確なところは、おれにはわかりませんから」
「半魔物は珍しいか」
「今まで会ったことがありません」
「おれもだ」
高野は肩を竦める。
「しかし、魔物の立場からいわせてもらうなら、それは今は使わない方がいいぞ。奥にいるものが何なのかわからないが、闇の生き物なのは確かだ。光を怖れて消えてしまうかもしれない。何者なのか、確かめなくちゃいけないんだろ」
気配の感じからして、相手が高野のように気弱とは慧には思えなかった。むしろ侵入者に気づいて迎え撃ってくるのでは、という気さえした。そうなれば探しにいく手間も省ける。が、高野のいうことにも一理なくはない。慧は霊符の効力を一旦収めた。暗闇の中を進むのは危険だが仕方ない。幸い、辺りに他の魔物はいないようだった。この重苦しい気配を怖れているのかもしれない。
光が消えると、辺りは信じがたいほどの暗さとなった。
「あっちだな」
溜息混じりに高野がいう。その姿も慧にはよく見えなかった。高野が歩き出したことは気配でわかった。慧も後に続いた。
下は大きな石があちこちに転がっている感じで、かなり歩きにくくなっていた。高野は鼻だけでなく目もよいらしい。怖がってはいるものの、歩くのに迷う感じはなかった。
「結構でこぼこしてるな。足元、気をつけろよ」
山登りでもしている調子でいう。慧は密かに息をついた。夜目は利く方だが、それでも何も見えない。高野の動く気配だけが頼りだった。これではそのうち転ぶな、と思う。這って進んだ方が、まだしも安全かもしれない。
「空気が重いなあ。ここはもう、人の世界と闇の世界の境界域かもしれないぞ。まったく、何だって日に二度もこんなものに」
高野は落ち着かないらしく、ずっと喋っていた。
「なあ、広沢」と呼ぶ。「おまえ、仲間はいるのか」
「仲間って何です」
「他の術者だよ。半魔物も珍しいかもしれないが、おれだって術者に会ったのは初めてだ。
そう簡単に会うものじゃないと親父もいっていた。術者と一口にいっても、だいぶ力の幅はあるらしいが」
聞いてどうするつもりだ、と慧は思った。術者対策でも練ろうというのか。それなら今のところ必要ない。慧は祥子以外に魔物の気配を感じとれるものを知らなかったし、祥子の力も術者というには弱すぎる。
「他に同じような力のある人間を見たことはありません」
仮にそういうものがいたとしても、仲間といえるかどうかは不明だ、とも思う。
「そうか」高野はいう。




