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iv.

 木々の間を抜ける風の音が聞える。この辺りは海に近く、大抵いつも風が強い。細く降る木漏れ陽も頻繁に形を変えた。

 忘れていたい現実だった。それでも──と高野は思う。きちんと向き合わなければいけない。でないといつまでも、もやもやと苦しむことになろう。おれの生き方だって自分の選択なんだ、と自身にいい聞かせる。選択の幅が狭いことを嘆いてみても始まらないぞ。

 よし、と高野は決意した。これで琴江と話しても平常心だ。まあ、そう簡単には変わりはしまいが、気分の制御はしやすくなるだろう。

 気持ちは幾らか軽くなっていた。高野は扉を開け、校内に戻る。非常口に背を向けた。歩き出し──直後、背筋を貫く寒気に襲われた。

 はっとして立ちどまった。扉の方を見る。見るべきではなかった。思ったときには手遅れだった。闇の気配がそこに広がっていた。

 高野は立ち竦んだ。まったくの不意打ちであった。考えに沈んでいたせいで気づくのが遅れたのかもしれない。落ち着け、落ち着くんだ、と頭の中で繰り返す。まだ大丈夫だ。魔物さえ現れなければ。さっさと遠ざかるんだ。

 早くしろ、と自分を急き立てる高野に、闇の異様な圧迫感が迫ってきた。身体はなかなか動かない。怖ろしくて背を向けることが躊躇われるのだ。じりじりと後退し、澱んだ空間から離れる。背中に鳥肌が立っていた。

 こんなことでは駄目だ。背を向け、一気に駆け出すんだ。思うものの、踏ん切りがつかない。必死の思いで身体の向きを変えようとしたとき──黒い闇の塊と見紛うものが目の前に現れた。小さな獣の形をした魔物だった。

 高野は思わず、うわっ、と声をあげた。恐慌を来たしかけていて、またしても、とってはならない行動をとってしまったのだ。騒いだせいで、魔物も彼に気づいた。金緑色の目が燃えるように輝く。じっと高野を見据えた。

 高野は蒼ざめた。まずい。彼には魔物を追い払う術がないのだ。何とか逃げ出して、後は気配を消して切り抜けるしかない。だがこの状況で、どうやって逃げ出せるというのだ。見えないふりを通せれば、簡単に誤魔化せる程度の魔物だ。こんな小者に喰われて人生が終わるのか。相手は今にも飛びかかろうという様なのに、高野の身体は硬直して動かなかった。

 と、黒い獣が突如姿を消した。高野は動けぬまま、背後に別の気配が近づきつつあるのを感じた。魔物に気づいたときより、もっと蒼くなる。振り向かなくてもわかった。それを見て相手は逃げ出したのだ。小者の魔物に術者とやり合う気があるはずもない。

 今のを見られたか。どこまで見られたのだろう。

 ぎこちなく振り返ると、果たして広沢慧が立っていた。いつもの、冷たさも通り越した無表情な顔だった。

「逃げましたね」

 魔物がいた場所を眺めながら慧がいった。高野は返事をしそうになる。それから愕然とした。

──逃げましたね。

 普通の人間には見えないあれについて、何ら確認の言葉もなく、当たり前のように彼はいったのだ。

 高野は言葉を失った。見られた、どころの話ではない。こいつはもしや──知っている? 

 もしかして、以前から自分に気づいていたのだろうか。いつからだ。いや、それより、この場をどうしたらいいんだ。

 恐る恐る、慧を窺う。彼はまだ黒い獣が消えた場所をみつめ、何ごとか考えているふうだった。高野は口を開いたものの言葉が出てこない。身体も竦んでいた。

 闇の気配は、既に跡形もなく消えていた。高野がまともに動けるようになる前に、慧は誰もそこにいないかのような態度で、静かに立ち去った。

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