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i.

 晴れた暖かい日が続くようになった。五月も後半である。

 高野は自転車通勤を始めた。せっかく勤務地が近いのだから、何かそれなりのことをしてみよう、と思い立ったのだ。

 爽やかに自転車を走らせる高野の脇で、家々の庭の花が咲き乱れている。黄色、白、ピンク、オレンジ。高野は草花に疎かった。名前も知らない。花はチューリップとカーネーションしか見分けられない。いや、チューリップも、最近は多種多様でそれとは見えないものもあるので自信はなかった。

 花は嫌いではないのだ。むしろ好きな方だ。綺麗だと感じる。しかし高野家では花は育たないので、いつも余所の家のものを見て楽しむだけだった。母親は園芸好きだったらしく、高野が子供の頃はいろいろ試みていたが、あまりに育たないので仕舞いには諦めた。あれは父親のせいだったのだろうと思う。何しろ父は──いやいや、そのことは考えまい。単に、母の栽培技術の未熟さ故だったのかもしれないし。余計なことは考えるな。高野は自分にいい聞かせる。ただでさえ、このところ妙に気持ちが落ち着かないのだ。

 自転車通勤に切り替えたのは、そのせいもあった。身体を動かせば少しはさっぱりするかも、と考えたのである。闇の気配を引き寄せぬよう平穏な環境と平穏な気分を保たねばならないというのに、まったく困ったことだ。今までこんなことはなかったのに、どうしたというのだろう。高野は溜息をついた。いけない。しっかりするんだ。無駄なことは考えず、仕事に集中しろ。

 自分を励ましつつ、学校に辿り着いた。生徒たちはまだ登校しておらず、校内はひっそり静まり返っている。職員駐車場の脇に自転車を停めていると、車のドアが閉まる音がした。後ろから呼びかけられる。おはようございます、と声が続けた。振り返ると、若月琴江がこちらへ歩いてくるところだった。

「自転車通勤ですか」

 彼女がいった。色白の頬に陽の光が当たっている。

「気持ちよさそうですね。特に今日みたいな日は」

「ああ、はい。まあ、健康のためなんですけどね」

 高野は曖昧な笑みを浮かべた。朝から面倒なものに会ってしまった。職員室まで一緒に行かねばならない。溜息を堪え、琴江と並んで歩き出した。

「先生も早いんですね」

「ええ、道が車で混む前にと思って。自転車って、ほら、結構邪魔ですから」

「私も、家が遠いので、渋滞する前にと思って出てくるんです」

 感じのよい笑顔を浮かべて琴江がいう。高野は、そうですか、と返した後、とりあえず沈黙した。社交をどこまで通すべきか、と思う。あまり無愛想なのは問題だ。しかし、愛想をよくしすぎても後が怖い。他人と距離を置く冷静な感覚が、このところどうも狂いがちだ。用心しなければならなかった。

 廊下を歩きながらも、琴江があれこれ話しかけてくるので、高野は落ち着かなかった。適当に相槌を打ちながら、早く職員室に着くことを祈る。着いても彼女は隣の席なのだが、幸い、琴江の向いの木村も比較的早く出勤しているので、二人きりでない分、気は楽だ。このときばかりは木村のおっさん顔が仏に見える。後は山と書類を積み上げて仕事に勤しむふりをすれば、琴江も遠慮して話しかけてこなくなる。一時安堵するものの、これが延々続くのかと思うと憂うつになってくる。術者の件を乗り切ったと思ったら、今度はこれだ。いったい、どうなっているのだろう。

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