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iv.

 授業を終えた慧は、親戚の祈祷師、村川祥子の家に向かった。自宅と別方向、街の中心部へと繋がる道を歩く。緩やかな坂を下り、家々が立ち並ぶ小路を抜けた。

 兎の件は、その後は特に情報を得ることはなかった。詩織たちは、今朝の話は忘れたかように、その他の話題を楽しんでいた。少女たちの興味関心の対象は移ろいやすいのだ。他には誰も、その話をするものはいなかった。

 二十分ほど歩いて、祥子の家に着いた。街中を流れる大きな川の縁に建つマンションの一室である。今日は悩みを抱えた不幸な来訪者はおらず、彼女は暇そうにしていた。

「あら」

 祥子は形のよい眉をわざとらしく顰め、慧を見た。

「もう、なくなっちゃったの。最近ペースが速いんじゃない」

 慧は黙って宙を仰いだ。

 祥子は、慧が子供の頃から見た目が少しも変わらない、という不思議な人物だった。本当の年齢は推測が難しかった。当然のことながら、本人も絶対に教えない。二十代半ばに見えるものの、見たとおりではないのだろう、としか慧にもわからなかった。

 魔物については、気配を僅かに感じられる程度の力しかない。依頼された問題の本質を見抜くには、それで充分だった。本物の怪異か、人間が原因で起きているトラブルか。対応がうまいのは、人が原因の方だ。祈祷師というよりは、仲裁屋かカウンセラーのように依頼を片付けることもしばしばある。腕がよいという噂が密かに流れているのは、手に負えない問題を見抜いて手放すタイミングが的確なためでもあった。

 近頃では、霊符のことで慧に相談してくることもあるほどだ。既に祥子から教わることはなくなっている。それでも慧は、たまにこうして彼女を訊ねていた。

 訪問の目的は、煙草を得るためだった。喫煙はあれからずっと続いていた。血のにおいに悩まされて吐くことがやはり時折あって、その度に吸わずにはいられなかった。中学生の身で煙草を購入するのは危険な行為だ。お父さんのお使いで、という言い逃れは通用しない。父からくすねるにも限界があった。つきあいのある大人といえば祥子だけだ。無茶なのは承知で切り出してみたのは、中学に入ってすぐのことだ。

 祥子は呆れて慧を見た。

「慧ちゃん。あなた確か中学生よね」と彼女はいった。

「しかも、なったばかりのような気がするんだけど」

「ええ、まあ」

「ちなみに、いつから吸ってるのかしら」

「??去年の冬くらいから」

「慧ちゃん」

「ちゃん、はやめてください」

「煙草を吸うと背が伸びないわよ」

「それ、よく聞くけど、事実なんですか」

 喫煙を咎めているのか、それとも単に自分の偏見を述べているだけなのか、と訝しみながら慧はいった。

「どうやって調べたんでしょう。煙草を吸うのと吸わないのと、それ以外を同じ条件にして比べるなんて無理だ。まさか、大勢の成長期の子供に吸わせて調べたわけでもないだろうし」

 祥子は、それもそうね、という顔をして上を向いて考えていた。それから黙って煙草を渡した。

 こうもあっさり寄越すとは正直思っていなかったので、慧は少し面食らった。空箱かと疑ったが本物だった。どのみちどこかで入手して吸うと考えたのか、自らも喫煙者であるが故、厳しいことをいえなかったのか。わからなかったが、とにかく助かった。

「背の低い男の子はもてないわよ」

 煙草を渡しておきながら、祥子はいう。それも怪しいものだ、と慧は思った。どうやって比較するのだろう。身長のみを純粋な要素として抜き取ることは不可能だ。

 いえばどうせ次は、理屈っぽい男の子はもてないわ、とか何とかいうに決まっているので、慧は黙っていた。彼女に口で勝つのは難しい。別に勝つ必要もなかった。そもそも身長がどうでも、もててももてなくても、当座どうでもいいことだ。背が高ければ、それだけ遠くが見えて便利かもしれないが。

 そして実際のところ、約二年後の慧の身長は決して低い方ではなかったのである。

「煙草のにおいがするのは、よくないわ」

 二箱寄越しながら、祥子はいった。

「毎日じゃないから、大丈夫ですよ」

「確かに──全然わからないわね」と祥子。

「よかった。今どき煙草くさい男の子なんて、もてないものね」

 相も変わらず、彼女の興味関心はそこにあるらしい。

「もてないのは困るわ」

 どう困るのか、慧にはよくわからなかった。

「特に困らないと思いますけど」

「何いってるの。大事なことなのよ。人生を楽しみなさい。せっかくの美形を生かさないでどうするの」

「そんなこといって、自分だって未だに結婚もしてないじゃないですか」

「慧ちゃん。あなた、目上の人に対する口のきき方を勉強した方がいいわ」

「そうですか? これでも学校の先生たちの間では評判がいいんですよ。大人しい優等生ですから」

「みんな騙されてるのね。馬鹿ね、教師って」

 まあ、それはそうだ。けれど大人は──いや、人は皆似たようなものだ、と慧は思った。本当のことなど、知っても意味はない。

「じゃあ、帰ります」慧はいった。

「あ、そう。おもてなしもしませんで」

 急に親戚の顔になり、祥子はいう。

「お母さんによろしくね」

 慧は煙草の礼をいい、祥子の家を出た。

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