ii.
幾分混乱したものの、目の前に存在しているものを否定しても仕方なかった。そういえば、物語には異類婚の話も多くある。それらは身分や人種の違う相手との結婚や儀式的な何かの比喩とずっと思っていたが、もっと即物的に、本物の『異類』との出会いを描いている場合もあるのかもしれなかった。自分が知らないだけで、幾らでも(とまではいかなくても)あることなのかもしれない、と慧は考えた。
何にしても、今のところ高野が何かよからぬことをし出す可能性は低そうだった。とてもそんな力があるとは思えない。始業式の後、教室に入ってきたときの彼の怖れようといったらなかった。慧に気づいたからだろう。本人は抑えているつもりだったろうが、慧には彼の動揺が手に取るようにわかった。あまりの怯えぶりに、少々気の毒になったくらいだ。
魔物とはいえ、特に害のないものに手を出すつもりはなかった。慧はとりあえず、高野を無視することに決めた。関わらず関わらせず、様子を見るのだ。大人しそうに見えても、こちらの力ではわからない何かを隠し持っているかもしれない。何しろ今まで会ったことのない種類だ。本性を見極めるには時間が必要だろう。
高野はといえば、慧の態度を自身の都合のよいようにとったらしかった。テスト中、彼の警戒が突然緩むのがわかった。自分は気づかれていない、と考えたのだろう。驚くべき悠長さだ。よくあれで今まで魔物に襲われず生きてこられたものだ。
魔物同士でも争いはある。獲物の奪い合いや縄張り争い、自分より弱い魔物を狙って喰い殺そうとする輩も見たことがあった。魔物は人よりもエネルギーがある。高野のような力のない半魔物は、弱い術者と同じだ。格好の獲物として、一番狙われやすい。それがよくまあ、生き延びてきたものだ。あるいはあの善良ともいえる悠長さこそが、魔物を近づけない秘訣だろうか。
普通の人間が魔物と出会わないためには、ネガティヴな感情に浸りすぎて闇の世界に入り込むことがないようにすればいい。もっとも、意識してそうしている人間はまずいないだろう。生来の資質や性格、周囲の環境といったもののバランスがたまたまよく、沸点を超えずにいられるという場合がほとんどだ。それでも大抵の人々は、生涯、闇の生き物と遭遇せずに済む。
しかし高野は、半分は魔物だ。幾ら大人しくしていても、人と同じにはいかないだろう。術者に気づいたくらいだ。魔物も認識できるはずだし、そうなれば当然、相手にも自分の存在を知られてしまう。あの弱さでいったい、どうやって切り抜けるのか。まさか、人のふりをして、見えないふりでやり過ごすのだろうか。そんな消極的なやり方が通用するとは思えなかったが、もしできるのだとしたら、それはそれで大した技術といえるのかもしれない。
何にしても様子見だ。慧は無視を決め込み、高野の慄きと警戒心は日ごとに薄れていった。時折、授業での指名や日直のため用をいいつけるなど個別に関わる際だけは、さすがに緊張して用心する。日頃があれでは今更用心もないだろう、と慧はいつも呆れたが、まさか指摘してやるわけにもいかない。あまりの呑気さに、慧の方も様子見をしているのが馬鹿馬鹿しくほどだった。こんなこともあるのか、と思う。このままお互い関わらずに一年が終了するなら、それはそれで平和だ。
とはいえ、慧は高野とは違って、簡単に警戒を緩めたりはしなかった。すべては、あくまで推測に基づいた判断に過ぎないのだ。何が起こるかはわからない。油断するつもりはなかった。