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v.

 とにかく大人しくしていることだ、と高野は父にいわれてきた。

 魔物の気配を消し、人として生きるんだ。魔物に見つかってはいけない。魔物を攻撃してはいけない。一度でもやれば、元に戻れなくなる。人に戻れなくなる。

 高野は父の教えに従い、普通の人間として生きてきた。自分から魔物の気配が消えているのかどうかはよくわからない。ただ、今まで一度も、魔物に襲われたり、縄張り争いを挑まれたりしたことはなかった。こちらが先に見つけたときだって、何も見えない人間のふりを通し、ちゃんと通用した。魔物から魔物と思われていない証拠だ。魔物だってわからないのであれば──。

 そうだ。きっと、気づかれていないのだ。

 ここ何日かの間、重苦しく彼を覆っていた暗雲が消え去った気がして、高野の気持ちは急に軽くなった。やはり地味で真面目な努力は報われるのだ。普段は頭にない『神様』なるもの(母親が大切にしていた概念だ)さえ信じてもいいような気分だった。

 よし。このまま一年乗り切るんだ。来年には彼は卒業する。

 そこが学校のいいところだった。思春期でネガティヴな感情を抱えやすく、魔を呼び込みやすい連中が集まる場というリスクを差し引いてもあり余るのは、やがて彼らはいなくなる、という利点だ。高野は黙々と、人として教師の仕事をしていればいい。深く関わらずにいれば、すべては通り過ぎていく。気づかずに去ってくれれば、術者だろうが何だろうが関係ない。一年などあっという間だ。乗り切ってみせるぞ。

 高野の晴れやかな決意も知らず、術者の少年は答案用紙に記入を終え、再び窓の外をぼんやり眺めていた。高野は時計を見る。終了時間まで十分以上あった。残りの生徒たちは、揃って問題と格闘中だ。なるほど、さすがは学年トップである。

 それにしても、とっつきの悪い無表情さだ。慧を盗み見て、高野は思った。成績優秀な優等生にはあまり見えない。不良少年とまではいかないが、どこか得体の知れない生徒という感じがした。もっとも、術者と知っているせいで、そう見えるのかもしれない。彼がどのような生徒なのか、教師たちに確認しておこう。なるべく接触は少なくしたいし、トラブルも当然避けたい。性格は把握しておくほうがよさそうだ。

 密かに考えていると、終了時間となった。短い休憩の後、もう一種類のテストを行う。哀れな生徒たち。彼らは従順に試験をこなす。術者も然り。そして彼はまた、誰よりも早く解答し終えていた。

 ようやく二つ目の終了時間となった。終わりの合図をすると、途端に教室は生徒たちの解放感一杯の声で賑やかになる。皆、隣や前後の席のものと無駄話を始めているというのに、慧は誰とも話さなかった。周囲の騒めきも耳に届かぬ様子で、相変わらず外を見ている。どうにも変わったやつだ。高野は再び首を傾げた。それでもクラス全体の中で、特別浮いている感じがしないのは不思議だった。そういえば、容姿も雰囲気もどちらかといえば目立つ方なのに、実際には全然目立たない。それも奇妙だ。

 テスト用紙が最後尾の席から送られてくる。高野は術者の少年について考えるのを、一旦やめることにした。とにかく当面の身の安全は確保されたらしいのだ。後はひたすら用心するのみだ。

 最前列の机をまわってテスト用紙を回収する。今度こそ今日の課題は終わりだった。起立、の号令をかける日直の声も心なしか弾んでいる。半日で終わるのは今日だけだ。明日からは普通の授業が始まる。休み明け、最後のおまけみたいな一日だった。

 やっと終わった、と高野も内心息をつく。女生徒たちが、先生さよなら、と明るい笑顔を見せ去っていった。地味にしていても、このようににっこりしてもらえるというのは、本来なら喜ぶべきことなのだろうが、高野には幾分負担だった。あまり好かれるのは困る。しかし嫌がられるのはもっと問題なので、これでよしとしなければなるまい。

 高野は教室を出た。廊下で慧とすれ違った。少し緊張する。無表情無言のまま、慧は横を通り過ぎていった。高野を見もしなかった。おいおい、挨拶くらいしたらどうだ。一瞬、緊張も忘れて高野は思ったが、もちろん追いかけて注意したりはしなかった。

 教室から出てきた生徒たちが、先生さようなら、と口々にいう。元気のいい生徒たちに、少し癒される思いだった。慧を除けば、現時点では、大きな問題を抱えた生徒はこのクラスにはいない様子だ。あくまで勘に過ぎないが、高野はおかしなことはなるべく避けたい人間だったから、その手の勘は鋭いのだ。

 三年二組は、聞いていた以上によい学級らしい。要するに、なかなか順調な新学期の始まり、というわけだ。死まで覚悟していた今朝の悲壮な状況と比べれば、ほとんど僥倖といってもいいくらいだった。

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