ミシェル・ファブル-デュシャトレ「火ってなんだ?」
「火ってなんだ?」
あんまりにも大雑把な質問で答えられない人が多いと思う。今朝出掛けに、嫁さんとのキスを済ませた後で「火ってなんだと思う?」と訊ねたら、「あ、熱い?」と答えてくれた。可愛いだろ、俺の嫁さんです。やらないからな。
さてまあ、冗談は休憩にして早速本題に入ろう。なんたって時間が限られているからね。「火」ってなんだ? 君たちは黙る、なんだろうな、肉を焼くのに使うもの、煙草を吸うのに使うもの、頭の中で「使用例」は考えつくが、火がなんなのかは説明出来ない。勿論、君たちの中に科学者先生がいれば「物体の激しい燃焼に伴う、熱と光を放つ事象」とでも答えるのかな。けれどまあ、それを咄嗟には思い浮かべられない君たちや俺は、とりあえずこう言うワケだ。
「そんな当たり前のことを聞くなよ、馬鹿らしい」
一方、ドワーフ族のじいさんをこの場に連れてきてみよう。筋骨隆々、酒と仕事が俺の命だとでも言いかねない、なかなかに頑固そうなじいさんだ。このじいさんに「火ってなんだ」って聞いてみる。そうするとじいさんは「下らねぇことを聞くんじゃねぇ!」と俺の頬を殴り抜け、そうして俺に叫ぶのだ。「火ってのはだな、火神サラーフが下さった命だ!」
はい来た、君らは手を打って喜ぶ。何故って君たちは、今や科学を知ってしまっているから、そのような『悪弊に冒された無知なじいさん』を放ってはいられない。真面目ったらしい顔をしてじいさんに語るのだ、『違う違う、火は純粋に科学なのだよ。そのような得体の知れない「神」なんてのは、君たちの先祖が頭の中で産み出したイメージに過ぎないんだよ』
しかし、じいさんは伊達に長く生きちゃいない。「そうか、なら神がいないって証拠は? 知ってるか若造、『いない熊は見つからない、けど山を焼くまで熊がいないかは分からない』だぞ。あんたらが言うのはまるで『神はいない』ってぇ神を信じてるみてぇだ。自覚がねぇ分、菜っ葉野郎よりタチがワリィ」
君らは、どう思うか。ある人はこう考える。「なんだこいつらは!せっかくの忠告を無視するとは!一生無知に浸っていろ!」そうして家に帰るわけだ。とはいえその人は、火がなんなのかについて理解することもなく、『科学』というお題目を信奉し続けるだけなんだな。はい、ムカついた人、これから10分くらい寝てた方がいいよ。俺の話は『科学の信奉者くん』に対する嘲笑で出来ているからね。
一方、「そういえばそうだな。俺は科学科学と言うが、物質の中にある炭素とやらを見たことがない。見たことのない炭素と、見たことのない火の神様と、そんなに違いがあるのかな。とりあえず俺は科学に対して『信頼をおいては』いるが、科学ってそんなに盤石な存在なんだろうか」こう考えた君たち、ようこそおいでなすった。これからしばらく一緒に考えていこうじゃないか。
まず言っておかなきゃならない。俺が第一に考えたのは「火の神様ってのがいるのかいないのか」ではなく、「なんで火の神様ってのがドワーフ族ではもてはやされてんの」ってことだ。科学による神の不在証明なんざ問題じゃないってこと。
ところでこの問題はすぐに片がついた。『ドワーフってのは鍛冶が盛んだ、火は大切なものだろう』うむうむ納得、さあて嫁さんといちゃいちゃするか、そんなんじゃあ俺は作家にも研究者にもなれなかったろうな。ちょーっと待った気づいたぞと。
『火は、人間にとって多かれ少なかれ大切な要素だ! けど待てよ、エルフ族は火に関して「何の霊的存在の関与をも」認めてはいないって聞くぞ。ホビット族は「悪魔がもたらしたもの」であり「けれど便利なもの」であり、使いこなすことによって火への優越を誇ってる』
『なんでだ? まあエルフ族は分かる。ドワーフ族と仲悪いしな、むしろ「神とか何言ってんだよバーカ」と言いかねない。けどさ、ドワーフ族と仲がいいハズのホビット族が、火に関して恐れを抱くのって、おかしくね?』
もうね、昔からの悪癖なんだけどさ、分かんないことがあるととりあえず人に聞くんだよ、俺って男は。だからさ、聞いてやった。ドワーフ族の洞窟へさ、嫁さん置いてきぼりにして行ったんだよ。
「なんでアンタらってそんな火が大切なんだ!?」
「アンタらにとって火ってなんだ!?」
とまあ、こうして聞いた所、頬殴り抜かれて言われたのが先のセリフさ。ぶっちゃけ、んなのは知ってるっつー話だ。アンタにとっての火が何なのかについて、ではなく、どうしてアンタにとっての火がそれなのか、何ではなくどうしてが疑問な訳だ。そういう訳で、そっから暫くドワーフ族の洞窟に泊まってさ、いちいち聞くわけだよ。「どうしてそうするのか、何を考えてそうするのか」やっぱりさ、俺もその時は慣れてないからダメダメだよね、毎回殴られちゃった。挙げ句の果てにはさ、じいさんも殴り疲れたみたいで「いちいち聞いてくるな!知りてぇなら、テメェが俺らになって考えろ!」って言ったんだよ。
ピッコーン、だね。やるじゃんジジィって言ったもん。その日の内から俺は洞窟内での仕事に片端から首を突っ込んでいったよ。手伝うよ兄ちゃん!うっせぇ黙れ!と、怒られに怒られたけどさ、なんとなしに距離感はあったけどさ、段々とじいさんどもにもおっさんどもにも気に入られていったの。それからしばらくして、ふとした時に、ハッって気がついた。
ある時、外で一週間くらい嵐が続いた時があったんだよ。まあ洞窟の中だからさ、雷が落ちてもヘッチャラな訳だよ。それどころか酒飲んでみんなで騒いでさ、むちゃくちゃ楽しかったんだ。けれども朝になって、嵐が去り、洞窟の入り口から光が射し込んできた。その射し込んできた朝日を見たらさ、たまらなく寂しくなったんだ。それまではなんともなかったはずの暗闇が、たまらなく怖くなった。ふと周りを見れば、さっきまで笑っていた奴らが黙って朝日を眺めてる。神妙な顔付きで朝日を眺めてる。その時に気がついた、ああ、彼らは寂しいんだって。
こんなにも光が恋しくてたまらないのに、こんなにも火が愛しくてたまらないのに、彼らにはそれがあまりにも遠いものなんだ。石炭を燃やしてやっと火を見つけた彼らには、火は親しいものや支配すべきものではなかったんだ。そっと抱き締めて、柔らかく温もりを感じるものであり、取り込んで共に生きていくものなんだ。それに気がついて、無性に悲しくなってきた。周りを見渡せば、低く唸る声で彼らは歌っていた。聞いたこともない歌だったのだけれどもさ、彼らが光を見つめていたのは分かった。俺も歌ったさ、俺の故郷で歌われていた、晴れの日に歌う底抜けに陽気な歌を、泣きながら歌い抜いた。そうして、俺はここで感じたことを、言葉にして抜き出してしまわなければって考えた。そうして書かれたのが、俺の代表作でもある『火の行方』ってわけだ。
そんな訳で、こんなもんでいいかな。さっきの二人が堅苦しいまじめぇな話をしてくれたからさ、俺は俺の体験談でも話そうかなって考えた訳だ。二人に続いて、まとめや提言なんかしちゃうとすれば、君たちの信じてることなんて、もしかしたら只の偏見や誤解かもしんないぜってのと、他人の考えってのはそう馬鹿に出来たもんじゃないし、意外と本当の意味は分かりにくいもんだぜってところかな。まあ、そろそろお役目も果たせたってことで終わろうか、楽しかったよ、聞いてくれてありがとう。
さあて。お次はアラン・シュバリエ大先生のお話だ。俺も寝ないで謹聴することにしようかな?