シモーヌ・ヴァサス『ヒトとはなにか』
会場の皆様、本日は当シンポジウム、『人とヒト〜差異の中にある人類の絆〜』にご参加いただきまことにありがとうございます。わたくしは当シンポジウムの立案及び総轄、そしてこれから行う講演を務めさせていただきますシモーヌ・ヴァサスと申します、これからしばらくの間、どうぞよろしくお願いいたします。
まず第一に、講演に先立ちわたくしの紹介を始めさせていただきます、というのも今回の講演はいささか風変わりなタイトル『ヒトとはなにか』というものでありますから、もしかしたらピンと来ない方もおられるかも知れません。ですから自己紹介を導入として、私が何を研究しているか、私が何を求めているのかについてお話しさせていただこうと思っているのです。
まず、私はここソー大学人間科学部に籍を置く大学教授です。人間科学とは何か、それは字義を見れば明らかでしょうが、人間を科学する学問です。つまり、ヒトという存在を歴史学・人類学・医学・生物学・化学などさまざまな学知を用いて分析考察するのが私の仕事であります。
この人間科学部の中、人類学研究科においては4人の専門家が在籍しております。それぞれが専門とする学問分野は、人族を取り扱うキース・ウィッツジェラルド・スコット教授、エルフ族を取り扱うアラン・シュバリエ教授、ドワーフ族及びホビット族を取り扱うミシェル・ファブル-デュシャトレ教授、そして竜族を取り扱う私、このようになっております。
人類学研究科、このようなカテゴリー分けを行っている研究機関は当大学を含めても10に足らぬほどです。これは我が国のみでなく、各国を含めた数字でありますから、そもそも人類学研究科というのが『何を意味しているのか』『何故そのようなことを研究しなければならないのか』、理解していただけないことが多々あります――この会場を見回しても、不思議そうに顎をさすっておられる方が少なくありませんね。そう、あなたです、いえいえ顎をさすったままで結構です。今回の講演を通して私が願うのは、疑問に満ちたあなた方の頭からもやを払い、顎をさするその手を膝に置いてもらおうと考えているのですから。
わたくしはこの人類学研究科において、竜族の発展、文化、そして我々いわゆるヒューマンとの間における連関を眺めようとしております。残念ながら、この時点でつまずく方が多かろうと思います。その方々はこう思うことでしょう、『なんだこの女性研究家は、まるで人族と亜人族が人類としてくくられているかのように語るではないか!』
そうなのです、ヒトとは何か。それは『我々』です。亜人族という用語は既に時代遅れの概念となっているのです。本題に入りましょう。竜族とは何か、ヒトとはいったいなんなのか。今回の講演においてそれを伝えられたならばと思っています。
竜族とはなんでしょう。丈は人間の5倍、鉱物をも噛み砕く牙を持ち、その鱗は刃も通しません。瞳の色は鱗の色と同一で青・赤・黄・黒、極稀に白色の鱗を持つ竜が産まれますが、その場合瞳の色は金色を有します。寿命は長命、とはいえ物語のように不老不死という訳ではなく、平均300年前後、長命な竜でも500年の寿命です。我々はある時期まで彼らを、魔物の一種であると考えていました。それはその牙、鱗、巨躯ゆえに、人類であるとは考えられなかった為です。しかし、古代の人々は不思議に思いました。何故竜族は、人の姿をして我々の前に、しかも友好的に現れることがあるのだろう?
竜族が人の姿をして現れることは古くから知られていました。我が国の伝承では、始祖バルテルミは竜族アイレームと契約を結び魔を払ったとあります。けれども長い間、我々、竜族と人族とは、個人的な連関しか取り結ばなかったのでお互いを深く理解することがありませんでした。ですから人間は、竜族が人間の姿をして現れることを『人間の姿に変化して』現れている、そのように捉えたのです。その把握は正しかったでしょうか。
答えを言いましょう、誤りです。実のところ竜族は、竜という特徴の中に人を含んでいます。つまりエルフが人であるように、ドワーフが人であるように、竜はそのまま人なのです。理解を容易くするために、竜族という語を竜人族と置き換えて考えてもらって構いません。竜は人です、それこそバルテルミとアイレームの事例のように、子を成すことも出来る、ほぼ同一と見なしてよい種であります。
亜人とは、彼らを『ヒト』であるとは認めない、排外的な用語です。しかし現代の科学は我々を人類としてくくることが出来ることを証明しています。人族は、他の人類と子を成すことが出来ます。この子供たちは生殖機能を有しており、更に子孫を結ぶことが出来ます。現に当研究科のアラン・シュバリエ教授はエルフ族と人族とのハーフです。プライベートを語ってよいものかは分かりませんので先に謝っておきます、すみません、シュバリエ教授はエルフ族の奥方との間に2人のお子さんがおります。このように、人類は決して別個の種ではなく、むしろ同一の種として捉えられるのです。
こうして『ヒトとは何か』という問題について、『ヒトとは我々人類である』という解答を得ました。さて、次に考えることといえば『何故そんなにも近しいはずの人類が、これほどの差異を有しているのか』という疑問でありましょう。確かに私たち人族は、エルフ族の見識や長寿も、ホビット族の強い脚も眼の良さも、ドワーフ族の手先の巧みさも強靭な肉体も、竜族の牙も鱗も持ち合わせてはいません。何故こんなにも我々は違うのでしょう。
実のところ、それはまだ分かりません。どのような経緯があってヒトが分かれていったのかはいまだ議論の尽きぬ問題であります。ただ一つ、こうではないかと考えられていることとして、エルフ族や竜族は、人族を起源として、そこから分派していった存在ではないのかと、そのように言われております。
そもそも、エルフや竜、ドワーフにホビット、他にも長翼族などの呼称がいつ頃から語られていたのか。ご存知の方も多いとは思いますが伝承の中のアイレームはバルテルミから『果てしなき人、アイレーム』と呼ばれていました。このように初期の連関において我々の祖先は、正しくも人類としての絆を意識していたようです。『賢き人』はエルフ族を、『優しき人』はホビット族を、『強き人』はドワーフ族を意味し、『果てしなき人』は竜族を意味していました。それらの意味するところは、恐らく彼らはみな人族から分かれていったのだろう。そのような仮説を立てたのが人類学の祖であるリチャード・S・バーロウ博士であります。彼はその根拠として、ドワーフ族とエルフ族とが子を成すことが出来ないのに、ドワーフ族と人族とのハーフと、エルフ族と人族とのハーフとが子を成しうるという事例を上げています。ドワーフ族とエルフ族とは、現代の科学に基づいて語れば種として少しばかり距離が離れていますが、同一の起源である人族とは等しく近い存在であり、それゆえに生殖が可能であると。
あくまでも以上の考えは現在仮説に留まっております。しかし、この仮説に基づいて考えるのであれば、我々は『人類』であり、いさかいを続ける必要性はない、という考えに行き着くのではないかと、私は考えます。例えて言うならば、あなた方の友人が、それぞれ塩気の強い料理を好む人もいれば甘いお菓子に目がない人もいるように、様々な『個性』を持っているように、人族と竜族とが個性という差異を持つ、同じヒトであるということです。甘いお菓子に目がない人は人間ではないと考えるのであれば、あまりにもおかしな話ではありませんか。
少なくとも我々人類学者は、そのような信念を抱いて研究を続けているのです。
このようにして、私はヒトとはなんなのかを、おおつかみにではありますが説明させていただきました。勿論話足りない事柄、特に私の専門である竜族と人族との連関については話を発展させることが出来なかったのは残念ですが、次のように今回の講演をまとめさせていただきたいと思います。
ヒトとは我々人類であること。人族と亜人族と、そのような区別は科学的にも正しくはないだろうということ。
そして最後に、我々はお互いの差異を認め、理解し、差異を多様性として捉えることにより新たな視座を設けることが重要なのではないか。この提言を皆様に投げ掛けた上で、わたくしからの講演は終わりとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。