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恋花  作者: 霜月黎夜
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【前編】

 大和真智やまとまち……どちらが苗字だか名前だかわからない、変わった名前。でも、私は好きよ。泣き虫で、争いが嫌いな、優しい優しい真智。おばあちゃんが大好きで、いつもかも纏わりついて、おばあちゃんがすることを真似ていた。

 私は、真智のおばあちゃんに育てられた。大切に、自分の子供のように育ててもらった。真智のおばあちゃんは、貴美子きみこって名前なの。温かい抱擁力のある人で、真智が貴美子さんを大好きだったように、私も貴美子さんが大好きだった。

 貴美子さんは、私に名前をくれた。その名前は妹の名前だそうで、とっても仲が良かったのだと説明してくれた。でも、妹は病気で亡くしてしまったと……助けてやれなかったと……悲しそうに微笑んでいた。私は、そんなに大事な名前を私が貰ってもいいのかしら…と思った。

美佳みか

 貴美子さんはいつも愛しそうに私を呼んでくれるから、いいんだと思った。とても…心がふんわりとなって、嬉しかった。だから、私も貴美子さんを名前で呼んであげることにしたの。

 貴美子さんが笑えば、私も笑った。私たちは一心同体、唯一無二の親友。

 真智という孫ができたとき、貴美子さんは幸せいっぱい歓喜した。私も、貴美子さんと同じ気持ちだったよ。

『みかちゃん』

 おばあちゃんっこの真智は、貴美子さんがするように、私を呼んでくれた。

『あのね、おばあちゃんに字を教えてもらったよ。これからちゃんと名前を呼ぶからね、美佳ちゃん。それに、美佳ちゃんの名前、漢字で書けるんだよ。すごいでしょ?』

 この至福がいつまでも続けばいいと願った………でも、貴美子さんは人間、真智も人間……私は、違う………

 貴美子さんが亡くなったとき、私、枯れちゃうんじゃないかって…本当の本当に思ったわ。柩の前で真智が泣きじゃくる姿も、見ていて辛かった。

 でもね、貴美子さんの安らかな死顔を見ていて思ったの。貴美子さんは苦しまず、眠るように逝ったのだから、幸せだったんだって。生きてて楽しいことばかりじゃないけど、貴美子さんは清らかに生き抜いたんだよって。

 お葬式の夜、真智はこっそり庭に下りてきて、喪服姿のまま私に話しかけてきた。

『ねえ、美佳ちゃんも、おばあちゃんは天国にいけたんだ思う?』

 痛々しいほど目が真っ赤に腫れていて、時々しゃくりあげていた。

《ええ、もちろんよ》

 私の声は真智に届かないけれど……貴美子さんにも届くことはなかったけれど……私は答える。二人が話しかけてきてくれれば私はいつでも答えてあげた。

《貴美子さんは天国で真智を見守ってくれているわ》

 真智は、頬に泪の筋を作り、笑った。まだ少し引き攣っていたけれど、強い笑顔だった。

『ぼく、おばあちゃんみたいな大人になるよ。天国のおばあちゃんを悲しませない……恥ずかしくない大人になるよ』

《まあ、とても楽しみだわ》

 私はくすくす笑い、届かない声を返してあげた。真智は、私の声が聞こえなくても、満足している様子だった。

 私は誓う。天国の貴美子さんに。

《真智を守るよ…真智に災厄が降ろうものなら、私が真智の身代わりになる。絶対、絶対だよ》

 だから、安心してね…貴美子さん。

『真智、お外で遊んできなさい』

 でも、災厄は私自身だった。私は、人間じゃない…それを、つくづく痛感した。

 貴美子さんが亡くなってから二年…真智が小学四年生になって初めて迎えた夏だった。真智のお母さんが、私に話しかける真智の後ろに立っている。真智にとって、私に話しかけることは毎日の日課となっていた。

 真智は首を傾げて、母親を見つめる。

『お外で遊んでいるよ…?』

『そういうことじゃないの…』

 真智のお母さんはかぶりを振り、真智と目線の高さを合わせた。

『家の外で、お友達と遊んできなさいと言っているの』

 真智はつんと唇を突き出した。

『美佳ちゃんはお友達だよ』

 真智のお母さんは苦い顔をして、真智の肩を揺する。

『よく見て! ただの花よ!』

 胸が、ちくりと痛んだ。

『美佳ちゃんは特別だよ』

 真智は怒っているようだったけれど、母親に声を荒げることはしない。

『普通の花よ。おばあちゃんが大切にしていただけ!』

 真智は私をじっと見つめてから、母親と向き合った。

『やっぱり、特別だよ』

『真智。お花に話しかけていると、お友達がいなくなるわよ。普通じゃないの』

『…普通だよ』

『真智!!』

 大きな声でぴしゃりと名を封じられ、真智は身を強張らせる。

 何てことなの……私のせいで真智が叱られるなんて。母親と喧嘩するなんて。貴美子さんとの誓いを、私が破ってしまうなんて……

《真智……》

 私は人間じゃない。ただの花。

《もういいよ。私は、花…人間じゃない。私とお話しするなんて、普通の子はしないのよ。私のせいで真智がお母さんと喧嘩するなんて、悲しい。真智が独りになってしまったら、もっと悲しい……だから、もう私にかまわなくていいよ。私は花、真智は人間…解るでしょう》

 声が、真智に届かないのがもどかしい。でも、真智なら大丈夫。賢いもの。

《話せなくても、私は真智を見守るよ。きっと、話さないほうが一番いいのよ。真智、あなたは私の自慢。だから、大丈夫ね?》

 私は優しく真智に呼びかけた。大丈夫……それは、自分自身に向けた言葉でもある。もう前のように真智とお話できない。でも、私は真智の側にいられる。それだけで幸せなのよ。

 真智はその日を境に、私と話さなくなり、学校の友達とよく遊ぶようになった。私の水遣りは真智のお母さんが、庭にある他の植物たちのついでにしてくれる。

『もう、あの子ったら、水遣りまでするなとは言ってないのに…』

 真智のお母さんは一度だけそう呟いた。

『でも、まぁいいわ。お友達と遊ぶようになったから』

 真智が普通になったと安堵している。私も、ほっと息を吐いた。淋しいけど、真智のためなんだ。私の淋しさくらい、真智の幸せを考えれば我慢できる。



 月日は流れ、真智も十七歳になった。身長もぐんと伸び、体つきもほっそりとして随分大人びた。艶やかな黒髪は肩先で揺れ、白い肌とよく合っている。瞳は、蜂蜜を流し込んだような色をしていた。美女に見紛うほどの美しさと、賢者のような聡明さを併せ持った美貌だ。

 美佳は相変わらず庭の隅にいて、唄を歌ったり蝶や小鳥たちと遊んだりしている。もちろん、真智を見守ることも忘れない。

 そんなある日、真智が女の子を連れてきた。女の子は美人とまではいかないが、愛らしい子だった。キョトキョトしている仕種がハムスターなどの小動物を思わせる。

 美佳は気が気ではなく、庭先からじっと二人を見つめた。

(お似合いだわ…)

 真智と女の子は、庭と接する部屋で談笑している。少しすると、真智の母親がお茶菓子を差し入れにきた。真智の母親は、微笑ましそうな顔をしている。

 美佳は苦々しい思いをした。

(人間の女の子なんて嫌いよ。真智の恋人になりそうな女の子はみんなみんな大嫌いよ!)

 美佳は太陽の光を縒り集めたような黄金の髪を揺らし、自分を叱った。

(だめよ、美佳。たかだか花の分際で人間に嫉妬するなんて…)

 美佳が悶々としていると、真智と女の子が庭に下りてきて傍に寄ってきた。

「可愛い花ね」

 女の子はしゃがみ、庭の隅にひっそりと咲く花を見つめて吐息した。真智は女の子の背後に突っ立ち、ぼんやりとしている。美佳は美佳で、久しぶりに真智を間近で見られて、女の子の存在も忘れて感激していた。

「ね、ひとつもらってもいい?」

「え…」

 真智の同意を聞く前に女の子が手を伸ばしてきたので、美佳はかっとなった。いや、もし女の子が真智の同意を得られたとしても、美佳は女の子を恨んだだろう。

《触らないで!!》

 怒ったが、女の子には声が届かない。それでも、美佳は治まってはおれず、声を荒げた。

《私に触っていいのは、貴美子さんと……今は真智だけ! 触らないでよ!!》

 美佳は、女の子を仇敵のごとく睨んだ。

 すると、女の子の肩に真智の手が置かれた。見ると、ニコリともしない真智の顔がある。

「それは出来ない。…大切な花なんだ」

「大切…?」

 女の子は不満げに瞳を揺らす。真智は淡々と答えた。

「亡くなった祖母の花だ」

「あ、ごめんなさい。そうだとは…知らなくて」

 女の子は俯き加減に謝罪する。

「当たり前だろう。誰にも話した覚えはない」

 冷淡極まる声だった。美佳もいつしか怒りを忘れ、真智の声に聞き入った。

 だって、真智の声からは女の子への愛が微塵も感じられないから……

「…もう帰るだろ? そこまで送っていく」

 有無を言わせぬ響きだった。女の子は仕方なく真智に従う。

 離れていく愛しい人の背中を、美佳はただ見つめ続けた。

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