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第8話『血の匂いとはじまりの風』

 次の日、キバは寝心地のいいベッドの上で目を覚ました。

 時間には余裕があったので、ノロノロ今日の準備を終わらせ、予定時刻より少し早めに宿を出る。

 

 今日はキバ・アクロセスが冒険者になってから初めての任務だ。


 にも関わらず、彼は一人じゃない。いいリーダーもついている。

 そのへんの新米冒険者に聞かせたら羨ましがられるんじゃないだろうか。


ーーーーーーーーーー

 キバは冒険者ギルドに到着して、すぐ2階に上がる。


(昨日と同じあたりで待ち合わせ、だったな)


 キバがその位置に目を向けると、2人はすでにキバと、まだ来ていないあと1人を待っているようだった。


「やぁ、早かったね」

「あなたたちに比べたら遅いほうです」

「それもそっか」


 待っていたのはキラトとチルドだった。


「ファイバ、遅いですね。昨日も遅刻してましたよね?」


 チルドが口を開いた。

 昨日、キバが加わる前の話だろう。


「5分くらいね。今日もそのぐらい遅れるんじゃないかな」

「そういう心の緩みが、戦場では命取りになるんですよ」


 チルドの淡々とした、容赦のない口調。

 だがその中に、たしかな仲間を思う気持ちが添えられている気がする。

 そう感じたキバがチルドに向けて視線を送ると、チルドはすぐそれに気づいたようだった。


「キバ君は冒険者になったばかりなんですよね? 気をつけてください。戦場は思っているより厳しいですから。」

「あ……。わかった。気をつけるよ」


(……あれ、俺いま敬語使ってたか?)


 良い印象を心がけていたので少し焦ったキバだが、タメ口を使ったときチルドが少し微笑んだような気がした。……ので、たぶん大丈夫だろう。


「治癒者として、もしも怪我してしまったなら治します。……命があれば、ですけどね」


 一切声色を変えず言うので、それがタメ口を使ってきたキバへの復讐のようなものなのか、それとも冗談なのか見当がつかない。


 昨日のほんの一瞬の自己紹介で中断されていたキバとチルドの関係が、どんどんとチームメイトから友達へと、姿を変えていく。

 今はまだそのはじまりにすぎないが、チームメイトとして過ごすうちに、良い友達になれるといいな、とキバは思う。


 そんなことを考えていると、今までとは違う、騒がしく階段をのぼる音が聞こえてくる。


「すまん!遅れた!!」


 遅刻したくせに元気に登場してきた真紅の髪の男、ファイバの顔は、ちっとも申し訳ないと思っていなそうだった。

 気の強そうなその顔つきが、そう思わせているだけだろうか。


「全員揃ったし、出発しようか」


 キラトは任務板の前で一瞬悩んだ素振りを見せ、すぐに選択した依頼紙をはがし、受付に提出した。


 キバの初任務は、今開始の合図を告げた。



 冒険者ギルドの扉を通って、約10分。

 その間、キバは自分のことについて、少しずつ明かしていった。

 記憶喪失であるという事実から始まり、記憶を取り戻すため冒険者になったというところまで。

 アイシャとの話は少し出したが、詳しくは語らなかった。

 もっと仲を深めてから存分に語ろう、という考えである。

 自身について語るのが一段落したところで、ファイバが口を開いた。


「お前の話は分かった。目が覚めたら知らない場所にいて能力も使えないようじゃ、マジで困っただろ? その記憶を取り戻すために冒険者になったのもわかる。だが――」


 ファイバは強い口調で言い放つ。


「無能力者が軽々とやっていけるほど、冒険者ってのは甘かねぇ」


 そんなことは、キバにもわかっている。

 だから彼は1人じゃない現状に、安心しているのだ。


「でも……!今俺は1人で任務に来ているわけじゃない!俺には3人の頼もしい仲間が――」


 仲間がついてる。そう言おうとして、踏みとどまる。


 チームを組んで、冒険者としてやっていく。


(なら、もし俺が1人になったときは?)


 そうでなくとも、この3人がキバに気を配れないような過酷な状況なってしまったら?


 彼はそこを考えていなかった。

 冒険者としては、完全に良いスタートダッシュだと、思い込んでいた。

 そこには、キバ自身の実力は伴っていない。


 キバがチームを組むのを承諾した。その決定紛れもなくキバ自身の決断である。

 だがそれは、キラトの厚意によるものだともわかっている。


「自分の身も自分で守れねぇようじゃ、キバ。お前まじで死ぬぞ」


 何も返す言葉がなかった。

 チルドが言いすぎだ、とキバを庇ってくれた。

 が、頭の中ではファイバに言われた言葉が、何度もしつこく繰り返されていた。



ーーーーーーーーーー

「このあたりだね」


 グランベリアの門をくぐって外に出てから、30分ほど歩いただろうか。

 キバがグランベリアに来たときとは違う方向にある、山の手前。奥に行くにつれ木が多くなっているのが見える場所で、キラトは歩みを緩めた。


「今回の任務は近頃異常発生しているE-級の魔物、『ゾンビ』の討伐任務だよ。出現するであろう数はおよそ8体。ちょうど僕らの2倍だね」


 任務についての説明は、今初めて聞かされた。

 相手はゾンビ。

 冒険者として最底辺のE級。その彼らでも比較的簡単に討伐することができるもの、少し難しいもの。

 そんなランクを区別するため、魔物の最底辺はE-級とされている。ゾンビはそこに位置していた。

 そう、この世界ではE級の魔物をE級の冒険者一人で倒すのは、少し難しいことなのだ。


 キバは任務内容を聞いたとき、自然とその選択が無能力者でE級冒険者の自分に対する配慮なのだと感じた。


(体が脆い特徴を持つゾンビなら、俺でも少しは戦える……はず)


 そうこう考えているうちに、キバ以外の3人はすでに身構えていた。


「来るよ!」


 キラトがそう言うと同時に、8体のゾンビが一斉に、木々の影から姿を現した。


「っし!んじゃ、やるか!」


 ファイバが拳と拳を合わせると、その足元と手全体から炎が揺らぎ始めた。『炎』の能力だ。

 その炎を噴射して、加速しながら一気にゾンビ2体を蹴り飛ばした。

 ゾンビの脆い肉が焼け、焦げた匂いが広がる。

 その柔軟な体と凄まじい速度から来る一連の動き。

 それはキバに圧倒的な差を感じさせ、そこに到達することは一生ないのではないか、と感じさせられるものだった。


「キラト!」


 そう言って、ファイバは自慢の炎噴射で高く飛び、3人のもとに戻ってくる。

 ファイバが飛んだ瞬間。キラトが振るった鉄製の剣の剣筋をなぞるように、魔力で構成された斬撃が、振るった方向へと飛んでいった。

 ズシャッ!と豪快な斬撃音とともに、先ほどまでファイバの後ろに迫っていたゾンビ2体を斬り捨てる。


 (……すごい。)


 そのたった一つの単語でしか、表すことが出来ない。


 (俺も……。俺も何か活躍するんだ……!)


 キバの横には、ゾンビが迫ってきていた。数は一匹。

 直視する。E-級の魔物であるはずのそれは、キバが恐怖するのに十分な存在感を放っていた。

 

 (……怖い。それでも……動かなきゃ……!)

 

 そう思っているのに、キバの足は動こうとしない。

 鉛のように、金縛りにあったかのように、重く、固まっている。

 道中、キバがキラトからもらった短剣も、構えているだけで動かなければ意味がない。

 その瞬間、キバの後方からゾンビが倒れ込んできて、体勢を崩したキバとともに地面に転がった。

 ファイバの炎の拳が、キバの後ろに迫ったゾンビに背後から叩きつけられていたのだ。


「おい、動けなくなるのはまだ早ぇぞ!」


 ファイバは笑う。


「ゾンビは怖がってる奴を優先的に狙う。心臓が素早く動けば動くほど、そこに命があるってわかるらしい」


「……そ、そんな仕組み……」

「覚えとけ。死にたくなきゃ、立て」


「でも――」


 ファイバは戦闘に戻ったようで、キバの声はもう届いていなかった。


 息を吸い、その震える足で立ち上がる。

 いつの間にか周りのゾンビたちはほぼいなくなっていて、8体いたうちの最後の1体が、うめきながらキバのもとへ歩いてくる。

 キラトの声が飛ぶ。


「やってみようか、キバくん」


「え……?」

「僕たちが援護する。恐れないで。狙うのは――」


 キラトはキバに迫るゾンビの、その頭部へと指を指す。


「頭、僕たちの脳があるあたりだよ」


 ファイバとチルドが距離を取る。

 ゾンビがよろよろと、腕を伸ばす。


 キバは短剣を握り直した。


 (……できる。俺にも……!)


 踏み込む。


「うっ」


 足がもつれる。それでも止まらない。

 短剣を思い切り振り上げ、渾身の力で振り下ろす。


 ――ぐしゃ。


 ゾンビの頭に刺さり、衝撃で潰れ、体が崩れ落ちた。

 その血の匂いとと腐廃臭の中、キバは立ち尽くす。


「……やったね」

 

 キラトの声がやさしく響く。

 

「初討伐、おめでとう。キバ君は立派なE級冒険者だ」


 キバは息を荒げながら、剣を見下ろした。

 震える手で握った短剣、その刃が血と泥にまみれている。

 先程まで刀を振る音、打撃音に斬撃音で溢れていたこの林からは、風の吹く音だけが聞こえてくる。


 何もできない。この人たちを見て、そう思っていた俺でも、出来た。

 ちゃんと俺にも、出来たんだ。

 たったそれだけの事実が、キバには涙が出るほど嬉しかった。


 血と肉の焦げる匂いの中でキバは今、この先の人生で長く続いていく戦いの、とても小さな始まりの一歩を踏み出した。

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