第5話『目指す場所』
アイシャが死んでいた。
キバがその事実を知ってからちょうど20時間後である次の日の朝7時。
キバが昨日散々泣きながら見たその安らかな顔は今も表情を変えておらず、ただ冷たくなって固まっている。
「……やらなきゃいけないこと、やらなきゃ……」
キバは既に早めの朝ごはんを終えていた。
日課のランニングをするため、外に出る。
(アイシャさんは自分が死んでも俺がランニングをしていることに怒るだろうか)
頭の中に、彼女の、アイシャの顔を浮かべる。
(いや、きっとそうじゃない。アイシャさんはそんな人ではない。)
『自分の死』という出来事によってキバらしい生活が失われては、きっと悲しむだろう。
キバ自身も、最初からそう理解していた。
だからこそキバは力を振り絞って走った。
いつの間にか、いつもより速いペースで、ただ闇雲に走っていた。
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キバがランニングから帰って、家を覗いてもやはりアイシャは返事をしない。
……本当に、アイシャはこの世を去ってしまった。
そしてキバは人が死んだとき、しなければならいことを知っていた。
人が死んで3日放置されると、だんだんと大気中の邪の魔力がその死体に集まってくる。
時間経過でその魔力は集まる量が多くなっていって、これが多くなれば多くなるほど、魔物として動き出す可能性が上がっていく。
人としての形を留めているか、そうじゃないかなど関係ない。
それを防ぐために、どの街にも基本『死体処理部隊』というものが存在する。
これは冒険者ギルド直属の部隊で、各家庭にある魔石を使った連絡装置を使って依頼することができる。
料金はギルドが出すので依頼者は金を払う必要はない。
キバは事前にアイシャから教えてもらっていたその装置の閉まってある場所を開け、少し間を開けて依頼する。
(……これで死体処理部隊が何分後、何時間後かに……来てくれるはずだ)
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1時間と少し後、家の呼び鈴が鳴る。
死体処理部隊が、彼らが来たのだ。
キバは玄関を開け家に彼らを招き入れた。
死体処理部隊の一部の人がキバのまだ幼い顔を見て、哀れみのような目線を送る。
キバは彼らを死体のある場所へと案内した。
「衰弱死……か。これは君のお母さんかな?」
「いや……。……そうです。俺の母親です。血はつながってないですけど、それでも家族です。母親です」
キバは質問に対してそう言い切った。
部隊の人らはその大人びた口調と、必要な情報と心情の情報とを簡潔に話したことに驚いていたようだが、すぐに作業にとりかかった。
彼らの死体処理の手際は見事で、何年もこの仕事を続けてきたことが分かる。
だからこそ、彼女がもうただの遺体として扱われていることに胸が締め付けられた。
……あぁ。俺のことを拾ってくれたことから始まった家族としての生活は、とうとう終わりを迎えてしまった。
家族として一緒にいた時間は普通よりもはるかに短く、浅いだろう。
だけど、それでも十分だった。
キバにとって、アイシャは十分すぎるほど『母親』だった。
一緒に笑って、遊んで。くだらないことで喧嘩もしたな。
母親がいなくなった今になって、これまでの生活が、思い出が溢れ出てくる。
キバは泣いていた。
昨日散々泣いて、枯れたはずの瞳には潤いが戻り、溢れる液体は頬までもを濡らして地面に落ちた。
あの時言われた、子供としてのらしい生活という言葉。
……お母さん、俺はその言葉通り、あなたに甘えて、あなたを頼って、子供らしい生活が送れました。
ほかでもないあなただからこそ、拾い子の俺でも家族を知ることができました。
紛れもなく、アイシャさんは……俺の母親です。
あふれる涙をこらえることはせず、キバは泣きじゃくった。
アイシャと生活して、キバは大切なものを受け取った。
キバを拾ってくれた時のような優しさ。
十分すぎるほどの愛。
人と触れ合うことの温かみ。
キバにとって冒険者を目指すきっかけは記憶を取り戻すという単純な目標だけだった。
だけど今、その旅の行くところに……。目指す場所に、サブタイトルとして、アイシャのような、弱い人に手を差し伸べる、強く優しい人間になるという具体的な目標が追加された。
それはキバの人生の中でたしかな一歩を踏み出す瞬間で、彼が冒険者になるきっかけに少し変化が加わった瞬間だった。




