第4話『いつも通り』
時は飛んで。
キバの母親的存在、アイシャは病気である。
キバがそう知ってから、約三年。
彼は十二歳になり、この世界での成人まであと四年となった。
キバは変わらずの元気さで、もう公園で『遊ぶ』ことは少なくなったが、代わりに『鍛える』ことをしている。
公園でなくとも二日ランニングをして、一日休憩してを繰り返している。
アイシャはというと、容体が良くなる、なんて都合のいいことは起こらず、もう走ることすら難しくなってしまった。
普段の生活、つまり料理や階段の上り下りなどでもたまに吐血するようになってしまい、悪化の一途をたどっている。
「おはよう、キバ」
「おはようアイシャさん」
アイシャが眠そうに起きてくる。
あの日から……いや、キバが事実を知るそのもっと前から、アイシャは少しずつ痩せている。
キバはこんな状態のアイシャを支えるために、体を鍛えているのだ。
今日はキバが料理を作る日だ。
「今日はアイシャさんがよく作ってくれる和食。作ってみたんだ。もうできてるから食べてて」
「すごいね! ……うん、でもさすがに味は私のほうがおいしいかな〜!」
料理にありつきながらアイシャは軽口を叩いた。
「勘弁してよ。参考元の味を超えれるわけないって」
「まだまだ教え甲斐があるね」
キバはあの日から、アイシャの負担をなるべく減らそうと地道にアイシャから料理を学んでいる。
それでもまだまだ本家の味には近づけそうにない。
焼き鮭の風味を潰さない絶妙な塩加減。
ふっくらとした艶のある白米。
この2つに合うように調整された質素で香りのいい汁物。
この3点セットがアイシャの味。彼はここを目指して頑張っている。
「毎日ありがとね」
アイシャはキバが料理を作ったり洗濯物を代わりに処理したりするとき、毎日のようにそう感謝を述べる。
「俺がやりたくてやってるんだ」
毎回、キバはそう返しているが、一向にやめる気配はない。
(この会話、飽きないのか……?)
一瞬、キバの頭の中にはそんな疑問が浮かんだ。
いや……飽きるとか、そういうモノじゃないか。と、キバは考え直す。
拾われた後すぐの俺のように、言わないと気がすまないのだろう。と、キバは結論づける。
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ご飯を食べ終わって、キバはいつも通り外に出る準備をする。
その間にアイシャもご飯を食べ終えたようで、キバが外に出ようとすると、見送りに玄関まで出てきた。
「じゃあ、行ってくるね。アイシャさん」
「行ってらっしゃい! 気をつけてね!」
そう笑って、キバを送り出した。
「ふぅ、ふぅ、」
ルーティーンとなったランニング。
キバがいつも走る道を、今日も走る。
今の季節的には夏も終わり、秋が始まろうとしているところだ。
ここ北大陸では冬が長く、夏の気温も他に比べてそんなに高くない。
それは別の大陸と比較したときの事実。
同時に、別の大陸から来た人たちの感想でもある。
ここに住むことに慣れてしまったキバたち北大陸民は、そんな涼しいと言われている夏も暑く感じるものだ。
だから冬が始まる前、短い秋の序盤中盤あたりが1番良い気温。走るのにも暑くも寒くもない。ちょうどいい気温だ。
だんだん周りの木々も色づいてきて、緑を着飾っていたものもだんだん暖色の色へと変化を始めていた。
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日課のランニングを終わらせ、家に戻る。
キバは洗濯物やなにやらを終わらせ、昼ご飯を作る。
(……昼は何にしようか。涼しくなってきたし久々に薄味のうどんでも作るか?)
悩みながらも、キバは料理を開始した。
和食をよく作るアイシャだが、実は彼女は和食よりも薄い味付けのうどんが好きだ。
キバはそれを目指すことにしたのだ。
作り始めて二十五分ほどで料理が完成し、キバはアイシャと共に席に着き、食べ始める。
「おいしい!」
「お気に召したようで何よりです」
「ふふ、何その口調」
アイシャは笑って、おいしそうに食べていた。
体が弱っていく中でも、幸せそうな顔をしてご飯を食べるアイシャが一番、キバにとっては素敵な人だ。
もちろん、『母親』として。
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次の日、朝起きると、リビングから激しい咳が聞こえてきた。
(……嫌な予感がする)
急いで階段を駆け下りると、キバの視界には料理中で壁にもたれかかっているアイシャがあった。
「アイシャさん!!」
キバは駆け寄って、体を支える。十二歳で身長はまだ追いつけないものの、鍛えている体はすでに弱ったアイシャよりガッチリとしていた。
「キバ、大丈夫……だから……」
息を切らしながらそう言うアイシャの目には、いつものどこか楽しげな色は消え失せていた。
「大丈夫って……なわけないでしょ。今日の料理当番変わるよ。必要なら明日も、明後日だって変わる!」
「……ありがとう……」
アイシャは辛そうにしながら椅子に座った。
そんなアイシャを見るのは、キバも辛かった。
いつもの調子でおかわりなんてできるはずもなく、アイシャは料理を残した。
悲しいわけじゃない、キバの心はアイシャへの心配でいっぱいだった。
「日課のランニング、行ってきなさい」
思わぬ言葉がアイシャから飛び出した。
「……え? ――いやいや、さすがに今日は休むよ」
それが当たり前だと主張する。
「私のせいでキバの生活が崩れてほしくないの。キバはキバらしく、いつも通りの生活をしてほしい」
約3年前、アイシャの口から出た言葉。
『らしい生活』という言葉を思い出した。
昔から変わらないその方針と意志の堅さに、キバは思わず言葉に詰まる。
「……っで、でも――」
「お願い」
短くそう言ったアイシャの顔は、昨日までの元気な笑顔を取り戻したようだった。
だが、実際は違う。
体調が戻ったわけではない。
わかっていたにも関わらず、キバはアイシャさんの顔を見て日課のランニングを決行することを決めた。
……そして、これは最後に交わす言葉となった。
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キバがランニングから帰ったとき、やけに家は静かだった。
アイシャは基本独り言が多いタイプではない。
今まで帰ってくる時も静かなときが多かった。
だけど、今日の静かさは今までのそれとは違った。
キバもなんとなく、音以外の何かでそれを察知していた。
「ただいま」
返事はない。
ランニングでかいた汗とは違う。変な汗がキバの額ににじむ。
中を覗いてもアイシャはいない。
リビング、風呂、トイレ……。
そうして、アイシャの部屋を開ける。
「……あぃ……しゃ、さん……?」
そこには、布団で眠ったように息絶えていたアイシャの姿があった。




