第45話『第二小隊、初任務』
「見たわね」
「見てないです」
朝一番。
起きてきた他の皆が全員、俺たちの様子を面白そうにしながら通り過ぎていく。
フローリングに正座する俺を、上から鋭い目つきで刺してくる女がいた。
コハクである。
昨日のトイレでの攻防の末、俺は大敗した。
その結果がこれである。
「で、どうなの? どこまで見たの?」
「……何も見てないです」
「……はあ」
コハクは大きなため息をついて、顔を両手で覆った。
「……悪かった。いや、見てないんだけどな? ……でも、トイレの鍵はちゃんと閉めてくれ。……いや、ほんとに見てないんだけど」
「そうね……あたしも怪我人に悪いことをしたわ。まず鍵をかけなかったあたしが悪いもの」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、パンと手を叩いた。
この話はおしまい、とでも言わんばかりにそそくさと自室へと戻っていくコハクを見て、俺はあることを心に決めた。
ーーー
数分後、トイレの扉には『鍵を閉めよう』と書かれた張り紙が張られることとなった。
ーーーーーーーーーー
「はふ」
この家に住み始めて、一週間がたった。
自室の扉を空けて外に出ると、ちょうど隣の部屋の住人も目を覚ましたようだった。
「おはよう、シロ」
「……」
いつも通り、白い髪を揺らして無言でリビングへ消えていく。
俺も後を追うようにリビングへ入り、キッチンへ。
その壁に貼られた食事当番割り当てを見る。
「なるほど、アイさんとクロムか」
俺が当番でないことを確認し、顔を洗って外に出る準備をする。
鏡でだんだんと傷跡になってきた左頬を見て、自室へと戻った。
いつかの俺のように、薄手では外に出ることができなくなってきた。
自室の収納にしまってあった暖かいコートを着て、玄関の扉を開ける。
「――さむっ……」
朝では暖房のない家の中も冷えるが、外はそれ以上に冷え切っていた。
目に、鼻の奥に、骨に冷たい空気がしみるようだ。
星降る長夜の事件で空の雲は丸ごと霧散した。
そのため、つい昨日まで雪が降ることはなかったのだが……。
流石にそう甘くはいかず、結局、北大陸の冬と呼べるものが始まってしまった。
このグランベリアにおいては、雪が積もらないよう、常に地面下に魔石を使った熱供給が行われている。
そのため、ここに雪が積もることは冬のピーク以外に無いらしい。
「よし……」
俺は地面を蹴り、走り出した。
冷たい空気は俺の顔を、手を切り裂いていく。
冬のランニングはこんなに厳しいものだったのだろうか。いや、向こうでは雪が積もるからこの時期に走っていないんだったっけか。
一年、二年と昔を遡りながら、俺は30分ほど走り続けた。
「ただいま」
「……あぁ、おかえりっす、キバ」
家に戻ると、疲れたようなクロムがトイレから出てきたところだった。
食事当番、アイさんとクロムだったっけ。
普段は超がつくほど明るいクロムも、慣れないことをすれば人並みにまで戻るらしい。
この一週間で、アイさんは第二小隊の中で特別料理が上手いことを知った。
大方アイさんの手の速さに追いつけず、できることを見つけられなかったとかだろうか。
いや、彼女はそんな人じゃないな。たぶん、教えられて失敗でもしたのだろう。
「そろそろご飯できるし、一緒に食うっすよ」
「そうだな」
普段に比べて口数の少ないクロムを慰めるように、俺は笑ってそう言った。
ーーーーーーーーーー
「はい、はい……。分かりました」
その日の昼過ぎ。
聖裁ギルドから、きっちりとした服に身を包んだ女性が俺達の家を訪れた。
と言っても、中に入ることはなく、玄関で会話をすることに。
「念のためもう一度。場所は『赤龍神の背骨』四番目の尾骨。ある坑道の異常環境の解決です。期限は一週間。その間ならいつ行動に移しても構いません。それではよろしくお願いします」
「はい、お願いします……」
バタンと扉が閉まって、少しの沈黙が流れる。
俺達第二小隊、その初任務。
赤龍神の背骨は、北側を頭とし、南側を尾骨と呼んでいる。
つまり、今回、任務にあたる場所は南側から四番目の山。ある坑道、と言われたものの、一応地図は渡されていた。
「ついに、だな」
「そうね」
地図を持つアイさんとアレクさんの会話を聞いて、クロムとコハクと目が合う。お互い、少し真剣になった顔を見て実感する。
俺は今まで、任務の経験をあまり積んでいない。
この聖裁ギルドにはいるために山に籠り、その後は長期間の任務。
俺がやってきた短時間でこなせる任務はどれもランクの低いものばかり。
だからこそ、ネオン街の長期任務では笑い合っていたこの二人の顔が、今では真剣になっていることに少し恐ろしさを覚えた。
集中。集中しなければいけない。
今回は長期任務じゃない。
あのときの調査の段階のようにはいかない。
常に気を張らなければすぐに命を落としてしまう。
「いつにしようか」
アレクさんのそんな問いかけに、クロムとコハクはいつでも構わないと答えた。
ただ、俺はそうもいかないらしい。
「明日がいい」
この感覚を忘れるわけには行かない。
すぐにやらなければまた、気が緩んでしまうかもしれないから。
ーーーーーーーーーー
「出発!」
クロムを先頭に、真ん中には地図を見ているアイさん。最後尾は俺である。
グランベリアから出て西へ。
森を越えて遠くに見える、最南の山から四番目。
まだ遠いが、それほど気にならないな。
もともとあの山脈のあたりに住んでいたのもあるだろう。
森に差し掛かって少しすると、俺の目の前にいるコハクの白い息が出るペースが上がってきた。
息切れか。
確かにこの森を歩くには、足場の悪い場所を歩き慣れているか、体力があるかじゃないと厳しいものがある。
冒険者といえど一概に他の職の人より体力が多いわけじゃない。
前線で戦う役ではなくても、俺のように普段ランニングなどをしていればまだマシだろう。
「ちょっと、口呼吸でお願い」
「……ん?」
後ろを振り返ったコハクにそう言われ、意味が分からずに思考が止まる。
「……あたし、その、汗臭いかもだから」
「別に気にしないけどな」
「あたしが気にすんのよ。ふっ」
少し大きな岩をぴょんと飛び越え、ビシッと俺に指をさす。
「あたしの……その――下着を見ておいて、こんなことも聞けないわけ?」
「……悪かったよ」
言われた通り口呼吸をして、またペースを戻す。
前方でクロムたちが話す声が、この森ではよく響いた。
木々の密度は変わらないまま、段々と傾斜がきつくなってきた。登山が始まったのである。
でこぼこの道、上り坂。木の枝などで普通に歩くことはできない。
俺もさっきとは違って、自分の足元に注意するようになった。
息は上がらないが、少し身体があったかくなってきた。
「あ――」
すぐ目の前からそんな声が聞こえて、自分の足元から前へと視線を動かした。
目の前に広がっていたのは上へと続く景色ではなく、コハクの頭だった。
「おっと」
「……ごめん」
足を踏み外してよろけたようだった。
支えるために肩を抱いたが、その服は湿っていた。
コートは脱いでいたらしく、かばんは膨らんでいた。
体が熱い。息も上がっている。
「水飲みながら歩いてたか?」
「ううん、飲んでない」
脱水気味だな。
一度支えるのをやめると、コハクの足元はふらついていた。
危険だ。
俺は自分の鞄を前へかけ直した。
「乗れ」
「……嫌」
「死ぬのとどっちが嫌なんだよ」
「……」
渋々といったように、コハクは俺の背中に乗った。
やっぱり熱い。
「大丈夫っすか?」
「あぁ、気にすんな」
そう言ったが、アレクさんが俺の荷物を預かってくれた。
お礼を言って、コハクになるべく負担がないよう、慎重に歩いていく。
「重くない?」
「全くな。ちゃんと飯食ってんのか?」
「食ってるわよ……。ありがと、キバ」
傾斜はきつくなるばかりだが、慣れてる。
人ひとり背負ったところで、俺は能力なしで丸太を担ぐ訓練もファイバとしていた。
支障はない。
ーーーーーーーーーー
「きっとここね」
「そうみたいっすね」
アイさんとクロムの会話が聞こえて、俺たちもその視線の先を見る。
坑道、と言われたがそこは手入れのされていない洞窟のようで、少し身構えた。
「なんか……暑い?」
俺がそう呟くと、周りのみんなもそれに同意した。
なるほど、異常環境、ね。
俺も道中でコートを脱いで長袖一枚となったが、それでもこの付近は暑く感じる。
俺の背中でくつろいでいたコハクをおろして軽く動いてもらい、無事を確認する。
どうやら脱水のような症状はおさまったようだ。
「ごめん、迷惑かけて」
「いい筋トレだった」
そんな会話をして、俺たちはその洞窟へと足を踏み入れた。
「あっついっすね」
「中に入るとより感じるね」
アレクさんの言う通り、洞窟内は異常環境というのに相応しかった。
外で感じていたそれとはレベルが違う、ほぼ夏のような暑さ。
全員が半袖を持参したからマシだが、どうやら奥に行けば行くほど暑さは増すらしい。
こんな暑さでも、冒険者は足元の脅威を警戒するため、ズボンは長い丈のまま、靴もずっしりとしたものをはいている。
原則、冒険者が半袖を着ることは少ないが、こういった場所では長袖を脱ぐこともあるらしい。
俺たちは今その状況というわけだ。
ぱきぱき……
前方から音が聞こえると同時に、暑さが和らいだ。
シロの氷の能力だった。
シロは自ら先頭に立ち、彼女が歩くのに合わせて周りの地面が凍っていく。
これはありがたい。
みんながお礼をしたが、残念。それに返事をすることはなかった。
しばらく奥に進んで、ついに全く人の手が入っていないであろう場所まで踏み込んだようだ。
「上っす!」
クロムの声と同時に全員が戦闘態勢に入り、上に注目する。
キラリと紅く光ったかと思えば、そこから一瞬後、液体のような何かが降ってきた。
警戒して損はない。全員がそれを避けると、着弾した地面はジュッと音を立てて溶けた。
シロの氷でだいぶ楽に進めてこれたが、それもどうやらここまで。明らかに気温が上がった。
となれば、今の液体はおそらく溶岩のようなものだろう。
「一体だけとは限らない。周りを警戒しててくれ!」
そう言って、パンッ! という音とともにアレクさんは高く飛んだ。
上でもその音が鳴って、すぐにアレクさんは戻ってきた。
「爬虫類のような見た目だった。熱い装甲に身を包んでいたよ」
その装甲を避けるようにして持ち上げられたベビのような死体は、これから先の道のりの過酷さを感じさせた。
大型の魔物じゃない。比較的小型の魔物は群れる可能性が大きい。
大型の魔物が群れないというわけではないが、その可能性がぐっと上がってしまったのだ。
全員が口を閉ざしていると、シロはひとりでに走り出した。
「シロさん!?」
「シロちゃん!」
コハクとアイさん、クロムの呼ぶ声は虚しく、この洞窟に響く。
(氷の能力だろ……? それにしちゃ足が速すぎる)
「キバ、行ってくれないか。追いつけるのは君しかいないだろうし、何より彼女一人では危険だ」
「……確かに。行ってくる」
アレクさんに頼まれて、俺は能力を発動して走り出した。
シロは相変わらず周りを凍らせて進んでいく。
全力で走っているわけではないが、これで追いつけない、か。
(シロ、お前は何者なんだ? 突然一人行動なんて、何考えてる? あの調査みたいに危険がないとでも思ってるのか?)
いろいろな考えが頭に繰り返され、俺は走るペースを速めた。
ーーーコハク視点ーーー
シロちゃんが一人で走っていって、キバもそれを追っていった。
ここにいる四人はみんな、しっかりしてる人達だ。
クロムも普段はおちゃらけてるけど、それは場を盛り上げるため。
任務中の彼は至って真剣です。
「……とりあえず、俺達もキバ達を追おう。幸い、シロが凍らせてくれたおかげで、行く道には困らない」
「そうっすね。二手に分かれた、って考えもあるっすけど、向こうで何があるかわからない。シロさんの実力も分からないっすし、後を追ったほうがいいかもしれないっす」
アレクさんの意見にクロムが補足し、アイさんとあたしもそれに賛同した。
きっと、キバの速度でいけば魔物にかまっていることはないはずよね。
だから、ゆっくり、慎重にキバ達の後を追おう。
案の定、歩き出してすぐ魔物に遭遇した。
さっきと同じヘビみたいな魔物に加えて、ヤモリみたいな魔物も。
「標的が小さいのは少し苦手なんだけどな……」
そんな独り言を言いつつ、あたしは自分の手を使って方向を定め、尖らせた岩を形成し、飛ばす。
「やった! 一発!」
あたしが喜ぶ間に、みんなも戦闘を終わらせたみたいだった。
一発で倒せたことで喜んでたのに、みんなそれと同じくらいの速さを、当然に……か。
ちょっぴり悲しくなる。
あたしの能力は岩石。
飛ばしたり、地面とか壁から生やしたり、道をふさいだり。
シンプルだけど使い方は様々で、割と自分でもお気に入りの能力。
あたしに生まれてよかった。才能がない自分にピッタリの簡単な能力だから。
この小さな胸だけはどうにかしてほしいけど。
ーーーキバ視点ーーー
「シロ! ……っはぁ、はぁ、おい!」
一向に振り返らず進んでいくシロを、何度も呼びとめる。
「シロ!」
目の前のシロはゆっくりと速度を下げて、俺に目線をやった。息が上がりながらも、俺はシロに問う。
「なんのっ……つもりだ?」
気づけば、気温は相当に高くなっていた。
シロをみれば、身体に氷を張って暑さを凌いでいるようだった。
「なんで追ってくるのかしら」
「……一人じゃ危ないだろ」
正気? と返され、頷く寸前、首に冷たいものを感じて動きを止める。
俺の首筋には、一本の氷柱が当てられていた。
「あなたが来たところで、私の助けになるかしら?」
「それは……」
今の一瞬で、俺は負けたようなもの。
魔物を警戒するために常に気を張っていた。
それでも、この状況になるまで気づけなかった。
「あなたは普段私に言うわよね。みんなと仲良くすればどうかって」
「実際その方がいいだろ」
「それは自分の価値観じゃない。……まぁ、いいわ。この奥にいる魔物をあなた一人で倒せたら、人並みには仲良くしてあげる」
シロの内心ではそんな気は全くないんだろうが、表面上だけでもそうしてくれるならそれは大きな一歩だ。
乗らない手はない。
「……やってやるよ」
「そう」
シロは壁に手を当て、氷を無理やり壁に押し当て、破壊した。
その奥には広い空洞があった。それが見えると同時に、温度はさらに上昇していく。
「あっちぃ……」
「じゃあ」
その空洞へと突き飛ばされ、目の前を見上げる。
さっき遭遇したヘビのように、爬虫類のような見た目をした魔物が、そこにはいた。
ヘビとは比べ物にならないほど大きく、手には鋭くとがった爪を持っている。
「……っし」
ハナさんのバフに頼らない、真剣な戦闘。
自分の実力はどれくらいだろうか。
覚悟を決めて、俺は能力を発動した。




