第30話 結婚式?
「祭りの後夜祭でおとぎ話の氷龍と炎龍の誓いの再現、ですって? それはもう実質的な結婚式ではなくって⁉ まぁ、大変! 私も参列しなくては⁉ 早速新しいドレスを仕立てて」
「ち、ちょっとタチアナ、落ち着いて! 結婚式って、そんな」
ライサは顔の前で両手を勢いよく振る。焦った自分の声が静かな部屋に大きく響き、ライサは二重の意味で顔を赤くした。
タチアナとその旦那様が過ごしている住居は、とんでもなく広い。中でもタチアナのお気に入りなのだという応接室は、どうしてここまでと思うほど広いのである。この部屋だけで、ライサの家がすっぽりと収まってしまいそうだ。
ライサは俯いて、ティーカップの中を見つめる。そこには、相変わらずはっきりとしない眠たそうな目をした女が映っていた。
「あら、違いますの?」
ライサが顔を上げると、タチアナが意外そうな表情で長い睫毛を瞬かせていた。相変わらずの、目鼻立ちのはっきりした美人である。
今日も彼女の趣味なのだという目立つ色のドレスを着ていたが、羽織物に紺色などの落ち着いた色が混じり始めたのは、彼女の旦那様の影響だろうか。
「違うわよ。後夜祭の儀式はあくまでおとぎ話の再現だもの。私とザックのけ、結婚式なんかじゃ」
「二頭の龍の鱗に見立てた祭具を交換し合うなんて、結婚式以外の何物でもありませんわ。それならもちろん、親友の私にも参列する権利はありますわよね?」
ふふと含むように微笑み、タチアナは紅茶を一口飲んだ。そして彼女は、爪の先まで磨かれた指先で優雅に甘い蜜のかかったスコーンを摘まむ。
その仕草を見守って、ライサは照れ臭そうに俯いた。
「もう。私たち、いつの間に親友になっちゃったのよ」
「あら? こうして頻繁にお茶会に招いて、楽しくおしゃべりをしている私を、ライサはただの友人枠に収めていくおつもりかしら?」
言葉と胸を張る態度は大きいが、タチアナのサファイアのような瞳は少し不安げに揺れている。
彼女と友人になって早数ヶ月。ライサは色々と正反対なタチアナの、こういうところを可愛いと思っていた。
「冗談よ。その……ただの照れ隠し」
口にした後で、ライサは頬の熱を誤魔化すために紅茶を口に含む。
タチアナの故郷の物だという茶葉は、柔らかくて優しい味がする。そう言えば、先日故郷へ向かい補充したばかりなのだと、タチアナが嬉しそうに語っていた。
「そうだ。後夜祭の話とは関係ないけれど、村の皆が、私の嫁入り道具を作ってくださっているそうなの。スノダールに住むようになって、もうすぐ一年になるし、今更のような気がしてなんだか申し訳ないんだけど」
「まぁ! 良かったじゃない。好意はありがたく受け取っておけば良いんですのよ。まして、ライサはあの村の方々に愛されているのですし。ライサには未だにそう言うところがありますわ」
そこまで言って、タチアナはハッと何かに気づいたような表情で、眉をひそめた。
「――まさか、ご主人様と『まだ』なんて言いませんわよね?」
『まだ』の言葉に含くまれる意味を想像してしまい、ライサは真っ赤になって言葉を詰まらせる。その表情で全てを察したタチアナが、懐から扇子を取り出して顔を覆い隠した。
「分かりましたわ、ライサ。もうはっきりしない態度は、誰の為にもなりませんことよ」
タチアナは顔を覆っていた扇子を畳むと、少し顎を持ち上げ命令するような口調で告げた。
「お祭りの儀式がおとぎ話の再現だろうが何だろうが関係ありません! もうバーンとそのお祭りの場でご主人様への永遠の愛を誓ってしまいなさいな!」
「え、永遠の愛⁉」
「そうですわ。それに、良い機会じゃありませんこと? 嫁入り道具も作っていただいてるんでしょう? 嫌でないなら、きちんと名実ともに夫婦だとはっきりしておいた方が絶対に良いですわ!」
「そ、それは、そう、だけど」
ライサは俯いて自身の指を絡ませる。不意にザックの暖炉の炎のような優しい瞳が浮かんできて、カッと体が熱くなった。
「いってらっしゃい」と「ただいま」の挨拶はあれからずっと続いている。
「ライサがザック様をお慕いしていることは、ちゃんと伝わってきますし、以前よりライサが素直になれたというのも分かりますわ」
一旦言葉を切って、タチアナは心配そうに眉をひそめた。
「でも、いくら明るくておおらかなザック様でも、時に不安になってしまうこともあると思いますわ。普段が控えめなライサですもの。たまには『お慕いしております』とはっきり言葉でお伝えして、旦那様を安心させてあげてはいかが? その為にも、皆さんの前で愛を誓っておくのは良いことですわ」
確かに、改善されたとはいえ、まだまだ自分は言葉が足りない。いつも明るくて温かいザックの顔を、自分の不器用さで曇らせてしまうのは嫌だった。
ライサは胸の前でグッと拳を握る。
「そうよね。せっかくの機会だものね……!」
「その意気ですわよ! やはり、後夜祭が実質結婚式になりそうですわね。ライサの分も含めて、新しいドレスを仕立ててもらおうかしら?」
「わ、私のは要らないわよ」
ライサが慌てて少し腰を浮かせると、タチアナは鈴を転がすように笑った。釣られてライサも笑みを浮かべる。
応接室が笑い声で満たされる中、遠慮がちに扉がノックされた。
「奥様。ご歓談のところ申し訳ございませんが、そろそろお時間でございます」
「あら、そう」
穏やかで楽しい時間はあっという間だ。ライサは思わず窓の外を眺める。明るさに変化は見られないが、ここからスノダールへ戻るとなると、そろそろ帰路につかなければいけない。
「今日も楽しかったわ。誘ってくれてありがとう。タチアナ」
「私もですわ。いつでもいらして。また、雪原伝書鳩を飛ばしますわね」
外まで見送ってくれようとするタチアナを断り、ライサは屋敷を出た。
タチアナはムロツィフスキー家の子息と結婚してから、更に上層の五層目に引っ越してきている。かなり温かい場所のはずだが、外気が鋭くライサの肌を突き刺した。まだ冬の名残が残っているのだろうか。それとも今まで部屋の場所にいたからだろうか。
「そう言えば、最近ますます寒くなってきた気がするわ。もうすぐ春なのに」
いや、そもそも物心ついた頃から、温かい春というものをライサは知らない。春とは言え、極寒の地であるシャトゥカナルは、そんなものなのだろうか。
ライサは疑問を覚えつつ、下層へ降りる昇降機へと急いだ。




