テンプレばかりにするな!を【モノ語り骨子症(こっししょう)】と名付けたい
オラ、アミーゴ!三屋城です☆
みなさん、書いてますか?
いえーい書いてるぜ☆
という声が聞こえてきそうです。
私ですか?
書いていますが、大抵ここへ投稿する以外のものだったり、裁縫をしていてろくすっぽ書いてなかったり、色々です。
なろうに投稿し始めて、ゆうに一年を越しました。
後もう一ヶ月ちょいくらいで一年半経ちます。
その間、繰り返しじゃが警だの★1だのテンプレだのと季節も話題も巡り巡っていき。
ここにも四季があるのかしら?
ぶつくさにも流行ってあるのかしら?
面白いなぁ。
と思う日々です。
そんなこんなで、とある考えについて、もしかして?と思ったことがありました。
思ったからには書いてみたい。
そう思ってこれをカタカタしています。
ここで正直に白状しておくと、私ざまぁに眉を顰める勢だったのです。
何を勘違いしたのか、まぁなろう処女作が幸運にもするりと完結と同時にブクマ100を越しまして、どうにか最低水準を越したのかなと思ったのです。
そしてざまぁばかりとか、昔に書籍化決定したとある作品(未書籍化)の文章の粗を見て、文章力ガーだの、しっかりと初心者が至る病にかかりまして。
そんな青臭いエッセイは消さずに取って置いてますが。
ある種のマイナー作が埋もれるのは〜とか手前勝手に色々考えてたんですよねぇ。
んで、なぜ目が覚めたかというと、その青草エッセイ(敢えての表記)になろうの成り立ちとかを書いて下さった読者の方がいたんですよ。
なろうは、出発点が会社ではない、と。
調べてみたら事実で、個人サイト時代の検索エンジンとかリングからの出発だったそう。
現になろうは出版業界と提携こそしているものの、出版社を立ち上げたりもせず、広告の収入となんらかの手段(そこは面倒で調べていない!←)で会社を回している。
なろうは、昔からただただプラットフォームなのです。
たくさんの小説を、好みだったり読みたいお話だったりの単語を駆使して探す場所。
使う側が与えられた範囲の中で、自由自在に使う場所。
そこに集う一人ひとりの、意志の集合体。
たまたま出版社が目をつけただけで、ユーザー側はプロを目指す人もいれば、趣味で、エンジョイするつもりでという人もいる。
種族の坩堝。
単純明快なことで。
ある創作者にとっては初めての創作であり、投稿場所。
ある創作者にとっては慣れ親しんだ創作であり、昔に存在した投稿場所と近しい場所。
思い返せば、私にとっての最初の創作は、スト2だったり他の創作物からの継ぎはぎだった気がします。
それを友人の創作物と見せ合いっこして、キャラキャラと感想を言い合ったり、笑い合ったり。
私の時代はリアルがその場だっただけで、現代においてはネットがその、創作初心者がキャラキャラを求める場でもある。
その可能性を私は失念していたなと気付かされました。
誰かひとりが、プロの場にしたいからと喚いても、多数の趣味勢には何言ってんだろうですし。
誰かひとりが、趣味の場にしたいからと喚いても、多数のプロ志望勢には何言ってんだろうです。
意思表示は自由です。
けれど、その、そうしていきませんかの提案に、貶す言葉がくっつく、腐す言葉がくっつく。
それはもううんこ投げてるのと同じなんですよね。
うんこの中に胃の中を通ってきたどんなに輝かしいA5ランクの牛肉が混じってようとも、くそはくそ。
とまぁ私のうんこ投げの黒歴史の前提はさておいて(?)
なろうに初投稿する→調子に乗る→他人のアラが気になり出す→更生
この調子に乗ったり他人の粗がなぜ、気になり出すのか。
そこの部分を端的に表そうと思います。
「先輩風」
……いち単語で終わってシマッタ……。
慣れてきた頃に、知ったかぶりたくなってしまうアレです。
創作中ってわりかし厨二的な思考にアプローチしてると個人的には思っていて。
そこと非常に相性がいい。
これに創作し始めると見えすぎちゃって困る、物語の骨子が合わさるとまぁ大変!
あっちもこっちもテンプレ(骨組み)が似通ったものだらけ!!
という色眼鏡が完成するのではないか??
今回気づいたのはそんな感じです。
え?
見え過ぎる骨子ってなんのこっちゃ?
それはですね。
書いてると、欲が出てきませんか?
もっと求心力のある話が書きたい!!と。
そう思ってるとですね、自分が素敵(はぁと)と思ったお話をスケルトンにして話の筋を分解し出すんですよ。
職業病、趣味病です。
これは勝手に発症します。
止まりません。
場合によっては自分がそうしてることに気づきません。
無意識の場合もあり。
視点が変わるのですよ。
創作物の骨も筋肉も内臓も脂肪も皮膚も外形も見て愛でて、うっひゃー!してたのとは違う目です。
第三の目と言ってもいいかもしれません。
そんな第三の目と。
人が心地よく感じる物語の型は決まっている。
とか。
テンプレートは二十八種しかない。
とか。
いやテンプレートはなんとか通りある。(もうちょい上めの数字、を忘れました)
とか。
流れてくる色々な情報の中で、見かじったことと合わせると。
テンプレばかり!!
ってなんで言ってんだろう??にも、説明つきませんかね?
読書オンリーの人に少なくて、書き手に多い(三屋城感じた調べ:ほぼ調べじゃない)気がするのもあって。
結構当たってるかもと思ってます。
要約すると。
・書き手になると視点が切り替わり、読者視点ではなく書き手視点となる。
・自分の読書時、鑑賞時にも視点の切り替えがないまま創作物鑑賞等するので骨のみ見える。
・人が心地よく感じるストーリーラインの骨組みはそう多くないので、似通って感じる。
・テンプレばかりーと鳴く機構の完成
ざまぁも、なろう系も、多分SF考察沼なども、その視点から抜け出せなくなるからかなと。
全能感とか優越感とか、脳みそらんらんるーで楽しいですよね。
その状態否定はしたくないです。
私にだって、何かを完成させた日にゃそりゃもうどっばどば出てます。
ワテやるじゃーん?状態です。
ただ、そういう状態である、ということも知っておきたいです。
自分の状態をちゃんと見ていたいです。
その状態であるからって、他人へ攻撃していい理由にはならないのです。
問題点があるなら、どういう理由か、その根拠だったりを示すとか、貶さないとか。
在るということを許容する、その上での危険なボーダーがどこなのかを文章化言語化させるということ。
冷静にできる人が増えたらいいなぁと思う次第です。
深刻な問題があるとするなら、色々な人の知恵が出た方が解決策も固まるかもしれませんから。
さて。
骨子症の話どうなった?!
ってなりましたよね、私もなりました。
創作初心者あるあるなのですけれど。
沼に入る一歩目って、何かに憧れませんでしたか?
なろうだと、多分その時よく読まれた作品になると思うのですけれど。
そのまま新規参入したら、その憧れのまま似通った作品がぽこぽこと煮る水の如く出てくるよなぁって、思ったんです。
こういう物語を作ってみたい!
そういう熱が、生まれる場所。
小説家になろう、はそういう場所ですし。
というのと、初心者あるあるで話の骨組み研究しちゃうよねっていうのを、自覚できる言葉があるとテンプレガー魔人にならずにすむかなぁとか。
思ったので勝手にこうして文字にしております。
それで【モノ語り骨子症】単に【骨子症】とか単語にしてみたり。
単語が浸透するとは思ってませんが(ぷちダサいのではないかと字面を眺める私)。
陥りがちな穴を埋める、小石の一つにでもなればとは考えている私です。