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現場に出るなと言われた結花は小さな会議室で待っていた。
向かいの席には、尾澤が澄ました顔で座っている。
「しばらく現場に出ないように、店長にも人事部長にも社長にも伝えている。これでとやかく言われないだろう」
「ど、どういうこと……?!」
状況が掴めない結花は現場に戻らせてと強く訴えるが、スルーされる。
「これはこちらの不手際なんだけど、まさか一から教えないといけないレベルだと把握してなかった。想像以上だった」
遠回しの嫌味に結花は気づいたのか「それってどういう意味よ」と机を叩く。
「まず、そういう所。今まで強気で行けば、チンピラのように恐喝するような物言いだったら、皆言うこと聞いてた。でも、内心は依田さんが面倒臭いから、はいはい従ってただけ。《《パワハラ》》です」
「パワハラって上の立場の人からだけでしょ? さっきのあんたの言い方の方でしょ!」
「それは違う。逆バージョンもある。そして、あんたと言うな。尾澤さんと言って下さい。タメ口はダメと言ったじゃないか」
キャンキャン吠えるような結花に対して、尾澤は怯むことなく、冷静に返す。
「思った以上に自分の世界だけで生きてきたんだな、って思ったよ。なまじ《《見た目だけは》》いいから、周りからチヤホヤされて、ご機嫌伺いされて、さぞ楽だったでしょうねぇ。みーんな傅くように、依田さんに頭下げてたんだから。随分大切にされてたみたいだねぇ」
自分の世界だけ。嫌いな人やものを排除して、ひたすら自分の居心地いい世界を作ってきた。自分のメンタルを保つために。
その方が楽だし、頭を下げてる連中を見てたら、私って大切にされているんだなと思ってた。
もしいま言われたことが本当なら、みんな気を遣いすぎていたということ? 私が面倒くさいということから?
結花は下に俯きながら握り拳をつくる。
なんでここまで言われないといけないの?
わたしが可愛くないとでも言いたいの?!
世界一可愛いゆいちゃんよ! みんなのアイドル!
「まだ納得できてないみたいだね。うーん、これは手強いなぁー……」
頭を掻きむしる仕草をして、尾澤は「悲劇のヒロインモードになってるなぁ」とボヤく。
現場にいきなりだすなと言われて、今ここで来たばっかのオバさんに説教される。
今日のメンバーは私に懐いてる子がいるのに。
「まあ、いいや。納得してないならしてないで。その状況を作ったのは自分だから。自業自得。勤務態度改めるまで入れないからね。はっきり言ってここまで非常識で問題児なんかはじめて見たから。お嬢様育ちというから、どんなもんか見てたら、ただの《《わがまま姫》》だったと。正直呆れたね」
「私、初めてだけど頑張ってます! だって、眠たいのに早くから起きて、フルタイムなんて……まして、オシャレNGで通勤用の服だけでも、モチベーション上げよとしたら、変なもん見る目だし! 店長はうるさいし! だーれも可愛いって言ってくんない!」
こういうとこで露出激しい服だめなんて知らなかったし、ジャージとユニフォームという組み合わせも嫌だし。なんか給食のおばちゃんみたいだし。
「ここは可愛さやオシャレは必要ありません。清潔さと礼儀正しさです。まずそこを履き違えてるね。まして、こういうとこでネイルはNGだ。色が商品に移るから。一体どんな仕事を想定してたの?」
結花は言葉に詰まる。
スーパーで働くどころか、大学時代はバイトを全くせず遊んでばかり、在学中も就活をせずにいかに卒業後すんなり結婚してもらうかばかり力入れていた。
結花の人生設計に働くという選択肢はなかったのだから。
働くのはデスクワークだとおもっていた。
「都会のOLみたいな感じ。でも実際は……」
結花は自分が今着ているなユニフォーム姿を見てげんなりする。
「呉松家のお嬢様がこんな見窄らしい格好なんて、みんなに笑われるわ……随分落ちたものね」
自嘲気味に呟く結花に尾澤は「制服が見窄らしくて悪かったですね。みんな同じです」と切り捨てる。
「それなら、もっといい生地使いましょ。デザインも……私の伝で出来ないかしら?」
ローカルスーパーよだの制服は私服の上に赤のエプロンで、胸元に社名が白で刺繍されているだけだ。
「……確かに制服のデザインは最後変えたのいつだっけ……?」
5年前か? 多分入った時からずっと似たようなデザインだったような。変わったとしたら、名前を刺繍してないとこだろうか。
「私が入った頃は名前つきだったんだ。今いる若い子達はないな。なんでか分かるかな?」
尾澤の口調が少し柔らかくなった。もしかしたら、これで話が続きそうか。
「ストーカー対策ですか?」
「そう! 凄い! そうなんだよ!」
尾澤に少し褒められて顔が赤くなる結花。
「10年前かな、かつて私がいた店舗で、お客さんでね、店員の女の子にしつこく追いかけてたアホがいたんだ。まー、あれは酷かった……めっちゃ苦労した」
当時アルバイトだろうが正社員だろうが、エプロンに名前が刺繍されていた。
ターゲットとなったのは高校1年のアルバイトの女性。
見た目が可愛らしく、くるくる働くので、お客様から接客態度いい人として、アンケートでも名前が度々投稿されていた。
本人も人生初のアルバイトで、自信を持つようになった。
「彼女のファンは老若男女問わずって感じかな。ただ、一人だけやばい奴がいたんだ。彼女にしつこく絡んだり、連絡先聞いたり、挙句の果てには、学校の門で待ち伏せしてた」
彼女をストーカーしてたのは当時40代の塩顔の男性からだった。
スタッフの間では“ソルト男”と呼ばれていた。
ソルトが来るたびにスタッフ達がガードしたり、家に帰る時は両親や彼女の兄が迎えに来ていたぐらいだ。
「通ってる学校ってなんで分かったんですか?」
「色々あるけど、名前が珍しかったことや、ソルト男が彼女が入ってた部活のコンクールの審査員で、個人情報を知れる立場だったことかな。今なら大問題ね」
結花は話を聞いて寒気がした。そんな人がいるのか。
「結局そのソルト男は出禁に出来たのですか?」
「出禁どころか、警察のお世話になっちゃったよ。彼女の件で。それ以来どっか消えたとか、死亡説あったけど、星の岳で強姦殺人あったでしょ? あれの主犯だった。他にあと2名いたね。だから今も塀の向こう。もう出てこないでほしいけど」
「そんなのあったっけ……? あ、思い出した!」
2年前の1月、女子高生が星の岳の山中で制服を着た女子高生が凄惨な姿で遺体として見つかった。
彼女は死亡する3日前から行方不明となっており、家族がネットや警察の力を借りて目撃情報の提供を呼びかけをしていた。
ネットでは女子高生の写真が出るなり、容姿の品評会をする輩、親に対して誹謗中傷の雨を降らせるなど、結構ひどい物だった。
というのも、ネットで行方不明になった人の情報提供の呼びかけをするのは、本人の意思でいなくなっている可能性があるからだ。
そのため、女子高生の両親に対して毒親説が流れていた。
女子高生は家族想いで、亡くなる5日前にはSNSで家族で日帰り旅行に行った様子を投稿していた。
遺体発見後でも両親に対するバッシングはやまなかった。
彼女はバイト先の男性スタッフ――ソルト男とその友人達(2人)に殺されたのだ。
ソルト男は「好意を寄せているのに断られた。無理矢理やったら少しは好きになるだろう」「女子高生の味が好き」と供述していた。
ソルト男と彼女は同じバイト先のスタッフで、彼の友人は昔からの悪い友達という関係だ。
「だから、あのニュースで名前見たとき、まだやってたんかって思った。しかも、ネットであいつの顔が出た瞬間さ、ソルト男ってあだ名つけられていたから、みんな考えるのって同じだなって」
乾いた笑いがにじみ出る尾澤。
「で、一部のまとめサイトやSNSではあいつを擁護するコメントや、女性からファンレターや結婚してくださいとか言ってる人が出てきてね……」
「そんな人いるの?! こわっ!」
顔がいい男性が好きな結花でも、逮捕された人や犯罪者に好意を持つ感情は理解出来ない。友達や身内でいたら止める。
「なんかそういう人達の名前があるんだけど、わすれた。でも、一定数そういう輩がいるんだ」
「あ、で、最初話していたストーカーにあった彼女はどうなりましたか?」
続きが気になる子供のように話をせがむ。
「話がそれたね。――もう怖くて嫌だと、高校を変えて海外に留学したよ」
さすがに外国なら追いかけてこないだろうと考えたものである。
彼女が海外へ行った後、今度は残ってる家族がターゲットになってしまった。彼女の家族は追いかけるように移住した。
彼女の父は元々親会社で働いていたが、子会社の海外の事業所へ異動した。残った家族連れて。そこは彼女の留学先と一緒の国だ。
「よかったですね」
結花は胸をなで下ろす。
「だからね、彼女が辞めてから、制服に名前刺繍するのやめたの。後から入った人はいいけど、その前からいる人は、刺繍の上に名前見えないようにゼッケン縫い付けてた。昔は私服そのままだったけど、出勤して着替えるようにしたのも、そのため。依田さんも変な人に絡まれたら嫌でしょ?」
「そうですね。小学校の時、変な人に声かけられたり、追いかけられたりありました。あれ、なかなか解決してくれないんです。逮捕してくれないんです。いくら親がお金積んでも。服装が普通だろうが、そうでなくても、私が悪いになるんです。ゆいちゃんが可愛いからって」
ポツリとつぶやいた結花の小学校時代。
それは彼女が自分の家の名前を喧伝してたからではと言いたくなったが抑える。
もしかしてその反動なのか?
ヤケクソになって男に好かれる自分をやってるのか?
――彼女のわがままに拍車をかけてる根源は、母親。末っ子ということ、自分に似ていることから、かなり甘やかしていた。彼女の兄と姉とでも見えないところで差別化していた。
尾澤は社長と人事部長が言っていたことを思い出した。
いや、まて。彼女が今“演技”している可能性もある。ここで変に判断するのはだめだ。
話半分で聞かねば。
「ここに来て、みんなの態度が厳しいことが日に日に痛感しています。今でもこの格好して働くなんて信じられません。中学時代から宣言した夢が破れたんです」
それってと尾澤が話を促す。
「――専業主婦です。中学時代に、将来の夢として書いたんです。先生にはめっちゃ超怒られましたけど」
「専業主婦?!」
尾澤はおうむ返しして目を丸くする。
「いや……こ、個性的な夢ですね……うん。私は高校の英語の先生だったな……大学で実習は行ったものの、結局両親に反対されたんだよねぇ。4つ上の兄が先に先生やっててさ、病んじゃって2年で辞めたからさ、余計ね」
専業主婦って将来の夢でいう人いるのか?
だいたいみんな、幼稚園の先生とか、美容師とか、家が医者だからそれを継ぐとか、公務員とか……その中で実行した人はいるかどうか分からない。
内心苦笑いするしかなかった。
「尾澤さんがせんせーなら良かったなぁー。女子にモテそうだもん。ああいう年頃はね、ちょっと大人な先生に憧れるよ。私なら絶対彼女いるかどうか聞いてる」
鼻息荒くして語る結花に対して「依田さんならやってそうね。実際されたけど」答える。
やれ年はいくつだから始まり、彼女彼氏はいるのか、好きな芸能人はいるのかとかとにかくプライベートなことを聞いてくる女子達にうんざりした覚えがある。
「連絡先くれってすっごい言われてね……あれ、やっちゃうと怒られるからね。逆もしかり。生徒からはわざと受け取って報告して、後で先生から注意してもらった。今はもっと厳しいだろうね。下手すると警察捕まるから」
「そーなの! 断られたの! だめだって。そっか、未成年と関係もつと、場合によっては捕まるんだね。最近知った。だからあんなに断ってたんだ……」
しょげながらも、今になって断られた理由を理解する結花。
「だからね、相川くんが逃げてたのはそういう所があるんだ。だっていきなり年上の人から好意寄せられてさ、付き合ってくださいなんてって怖いじゃん? それこそ、小学校時代の依田さんと同じだ」
尾澤に相川の事を話すことで、結花の立場を理解してもらおうとする。
多分彼女は「ダメだ」と言われても反発するのは、周りにきちんと理由と結果を教えてもらう機会がなかったとか、尻拭いを見えないところでしてもらって、自分で学習する機会がなかったのだろう。
「相川くんもそうだけど、男性スタッフに馴れ馴れしいのは、女性から反感を買う。ぶっちゃけ、同性の友達いないでしょ?」
尾澤の指摘に結花は天を仰ぐ。
何で知ってるの! そうよ、昔からいないの!
だってみんな意地悪してくるもん! 冷たいもん。
優しくしてくれる女性なんて、おばちゃんぐらいよ!
「やっぱりそうか……」
「い、いや、います。《《従姉妹だけ》》です」
必死に否定するが事実である。
「それ以外は? プライベートでの」
結花は下にうつむいて「いい、いないです。べ、別に同性の友達なんて必要ないじゃないですか」とムキになる。
「確かにそう。でも依田さんの場合、女性からじゃなく、男性からも煙たがられている。まぁ、巷では、同性の友達がいない、極端に評判悪い人は要注意人物って有名だからねぇ。若い男性スタッフ達から依田さんの馴れ馴れしい所にうんざりしてるって、クレーム来てるよ」
「嘘でしょ?!」
机をドンと叩く。そんなはずない。
みんな私の可愛さにイチコロよ。
ちやほやしてくれたじゃない。
「えっと、長見くん、東浦くん、鮮魚スタッフの山中くん、宮里くん……誘いがしつこいとか、ベタベタ触ってくるとか、ほら、これ、野崎店長へ送られたメッセージなんだけど」
尾澤が見せたのは野崎がスクショしたものだ。




