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稲本家のリビングのテレビでは、朝から稲本琥珀と翡翠の行方不明及び脅迫事件が報道されていた。
「一部しか知らないのに、もうこんなのになってるって、マスコミはめざといね」
陽鞠のつぶやきは嫌味と呆れが含まれている。
事件の経緯や犯人像の推測、コメンテーター達の稲本夫妻を責めるコメント……見るだけでげんなりする。
ネットでも、稲本夫妻が川口を信じて、稲本家の別荘を連れて行かせたことに、責めるコメントがあれば、無事を祈るものもある。
一方で、ネット探偵気取りの人達が、誰が怪しいとか、自作自演説とか、見つけたと嘘を書きこんだものを、インフルエンサーが広めていた。
警察の捜査を混乱に陥らせていた。
本当に見つかったら、真っ先に稲本家に来るので、信じていない。
「ほんとまるで俺たちのことを楽しんでるみたいだな。こういうのって取り締まれないんだよな」
庄吾はネット探偵気取りのコメントを見て、吐き捨てた。
ここのところ、稲本夫妻のことが色々ネット上で広まり、極めつけがこの脅迫と誘拐だった。
マンションのエントランス前にはマスコミが張り付いていると警察から連絡が来た。
想像するだけで嫌になる。
矢継ぎ早に責められるような質問。
炎上を誘導するようなコメントや、変に切り取られたり、解釈されて、自分達の評判が下がるような記事が報道されるのかと思うと、マスコミって、言葉一つで、人の評判や人生や立ち位置をいとも簡単に変えちゃうんだなと思う。
だからネットで"マスゴミ"と揶揄される。
家族で決めた。ノーコメントを貫くと。
父も義理両親も叔母夫妻にも根回しした。
「買い物はしばらく無理ね」
冷蔵庫や冷凍庫には、普段から常備用野菜やおかずが保存容器に何種類か置いてある。
陽鞠は、全部人任せでろくに家事やってないくせに、自分でやったと装う母を反面教師にし、無理のない範囲で家事をやってきた。
家に料理の時短のために、全自動調理器と常備野菜とおかずを駆使し、弁当や食事を作っている。
夫の庄吾も家にいるときは料理をしている。
一時期料理番組のレギュラーとして出演し、それ以来家でもするようになった。元々食事や飲み物を本格的なものを知りたいとこだわりがあるタイプだ。
「お父さん、行ってこようか? なんなら、ゴミ捨てもいくよ?」
任せとけとどや顔をする悠真だが、陽鞠は「お父さんも名前知られてるからまずいと思う」と冷静な口調で返した。
稲本夫妻に比べ著名ではないし、SNSもやっていないが、悠真の名前を検索すれば、会社のホームページの役員一覧に載っている。
その中にはどこの会社で働いて、どんな役職だったか、出身大学や趣味までも載っているので、それはそれでリスクが高い。
社長の平井から先ほど連絡があった。
『大丈夫か? 琥珀くんと翡翠ちゃんの件。事態が終息するまで、陽鞠ちゃんのそばにいてやりな。家で仕事した方がいい。なーに、根回しは任せとけ。適当に腰痛で動けないことにしとくから。マスコミに居場所聞かれても、お答え出来ませんで通すから。2人は無事に決まってる。お前の孫だからな。なんか必要なものあれば届けるよ。じゃぁな!』
「平井さんが必要なものあれば届けるってさ。あるかい?」
陽鞠と庄吾は顔を見合わせて「強いて言うなら、お父さんの服だね」と答えた。
「腰痛でいけないことになってるんですね。なんか妙にリアルですね」
「そうだね。たしかにお父さん、たまに腰痛いって言ってるし。年齢的にもあり得る話だし」
陽鞠の声が少し明るくなった。
「た、確かに腰痛いなぁってあるけどさ。どっかの漫画家みたいに動けませんまでにはなってない。ちゃんと病院行ってるし、運動してるし!」
現に悠真は結花と離婚してから、毎日早朝に散歩するようになった。
長年結花のことで機が滅入っていたこともあり、気分転換かねてやっていた。それに年頃の娘にだらしない体型だと嫌われるだろうと考えたものだった。
数年前に庄吾にジム始めませんかと誘われ、会員制のプライベートジムなる場所に行っている。
曰く『筋トレすると気分が爽快し、体が引き締まるってネットで話題になってるんです。お義父さんぐらいの年代の方も沢山いらっしゃいます』と。
いつだったか、経済新聞のネットの記事で「会社の偉い人で頑張ってる人は、健康管理をきちんとしている」なるものを見て、決心がついた。
最初は庄吾と一緒に行っていたが、段々楽しくなり、今は週3回夜に仕事帰りに通っている。
「スーパーで働いてた時は、腰痛かったけどさ、今だいぶマシになってきたし。まぁいいや、そういう理由で休みとしよう。そうだ俺の服は……平井さんに買って貰うのも悪いから、通販で頼むよ」
「俺たちもしばらくそうするしかないですね。出前は……今いらないか。素人にやって貰うのも怖いし」
ネットの出前で配達員が雑に出前の品を置いたり、配達先の個人情報をもとに、ストーカーする輩や好意を寄せて告白する輩が出てるのが問題になっている。
今の状況ですると、もしかしたら変に騒ぎが大きくなるのが目に見えている。
陽鞠は、テレビをこれ以上見る気になれず消した。
今は全てが雑音に聞こえる。
「昨日川口さんがめっちゃ申し訳なさそうに謝ってたよね」
誘拐されたその夜に川口は勤に連れられて、稲本夫妻に謝ってきた。
――申し訳ございません! 琥珀様と翡翠様を見失いました!
いつもの淡々とした口調で、途中でコンビニに寄ってお手洗いに行った後に、2人が《《いなくなっていた》》と。
庄吾は何も言えなかったが、それ以上に勤がカンカンに怒っていた。
『もしそうだったら、警察に先に連絡した旨を庄吾と陽鞠さんに言うのが先でしょうが!』
あまりにも強い剣幕で怒る勤に、川口はただただ「申し訳ございません」と壊れた機械のように繰り返すだけだった。
勤は、川口の処分は警察の捜査に協力することを条件に、事態が収束次第処分を考えると通告した。
「父さんが怒るのも無理ないね。すいとはくのこと大事にしてたし、川口さんも可愛がってたから、余計ね。当然犯人は俺も許せない」
「うん。……あれ、あの人が絡んでそうよ。警察に言ったけど、どうなるかな」
父の復縁を条件、というのが明らかにあの人に有利な形だし、それを知っている人間の可能性が高い。
警察に話したら「分かりました」と短く返ってきた。
あの人は前科あるし、今までの言動や行動を考えたら、疑われるのは当たり前だ。
「あ、メッセージ来た」
庄吾のつぶやきに陽鞠と悠真はスマホをのぞき込む。
追加の要求を見て、庄吾は頭をかきはじめ、陽鞠はなんなのと思わず声が出た。
メッセージと一緒に、子供達の様子が送付されていた。
ぐったり気味の子供達。陽鞠は「もうやめて!」と顔を覆った。
昼になるとさらに追い打ちをかけるようなメッセージが来た。差出人は勤から。
――川口くんが頻繁にいなくなってる。