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「あ、神田さーん、来てらっしゃったのー。お会いできて嬉しい!」
咲羽はさりげなく神田の腕を触る。
まんざらでもなく、少しにやついた表情を浮かべた。
咲羽と一緒に接客しているのは、ヘルプで3ヶ月前に入ったばっかの、朝霧夕芽華だ。
夕芽華は比較的時間に融通効くタイプで、少しでも彩羽のようになりたいからと、ヘルプで入れる日はできるだけ出勤するようにしている。
「ちゃん、久しぶりだな! 1ヶ月ぶりだっけ?」
「それぐらいですね。会いたかったです!」
「そうか。そうかー! 咲羽ちゃんにも会いたかったよ」
神田は豪快に笑いながら焼酎を口につけた。
その姿を咲羽はフフと心の中で笑う。
咲羽――結花にとってある意味《《天職》》だ。
少し男の人に媚を売ればあっさり言うこと聞いてくれる。
興味ない分野でも知っておかないといけない。
カナリアに来るゲストは、会社で地位のある人が少なくない。
そのため幅広い教養が求められる。
最近はアニメや漫画も"履修"しておかないといけない。
子供達や孫達の影響ではまった。または昔っから好きという人が少なくないからだ。
それに最近はアニメや漫画の作品と会社がコラボすることが多い。その中にはゲストの勤め先や関わっている会社も少なくない。
たまにコラボ商品をゲストから貰うこともある。
ホステス達はみんな出勤の度にSNSで今日の様子や、いつ出勤するか定期的に投稿しなければならない。
そしてゲストから貰った商品も大事にしてますアピールをしないといけないので、それはそれで大変である。
咲羽も指名客からブランド品からコラボ商品まで、定期的にSNSにあげている。
カナリアの中でも咲羽はトップであるため、色々もらい物が多く管理に悩まされている。
いらないと思ったものは、密かに質屋や転売して、お金に回している。
家も常連客の1人が買ってくれたもので、都会でも人気ある閑静な住宅街のマンション。支払いは常連客にやってもらっている。
家事は専門の業者を呼んでやってもらっている。
見た目も以前のように、くるくる髪の毛巻いたり、高いスキンケア商品、エステに行く余裕が出来た。
服や鞄もブランド商品が多く、咲羽は見窄らしい格好から、以前のような華美な服装に戻った。
――これでまた《《前のような生活》》に戻れた。
やっぱりお姫様扱いされるのが一番。世界一可愛いんだから。
あとは、娘と元夫を取り戻すだけ。
お金ないと困るから、指名客に今のうちに貢いでもらわないと。
やっぱり可愛くないと、世の中損するね。
だって態度が全然ちがう。
お店のナンバーツーの女が、上にいるか理解できない。
可愛いとは思えないけど、まー、セクシー路線で人気あるかな。胸大きいし、目立つし。
なんとしてでもさらに落としてやる。
今対応してる男が彼女の指名客。
「あれ? 今日美音ちゃんは? さっき夕芽華ちゃんに聞いたけど知らないって。今日出勤して知ったってさ」
ナンバーツーの名前を聞かれ、咲羽は「最近《《体調悪い》》みたいですよ。大丈夫かしらね」と笑みをつくる。
白咲美音は2ヶ月前から休みが増えた。
最初はきちんと前日に「体調わるくって」と、あやめママに連絡していた。どんな遅くても、当日の朝だった。
しかし今日初めて開店1時間前に連絡が来た。
『ごめんなさい、今日出勤出来ません』と。
あやめママはゆっくり休んでねと返事した。
「そういえば、この間見たときなんかちょっと上の空っぽかったなぁ。大丈夫なんか? 様子見に行きたいんだけどなぁ……」
「彼女、資格の勉強してるそうですよ。多分それで疲れたんでしょうね。稼がないといけないみたいで。他何か飲まれますか?」
「おー、さんきゅー咲羽ちゃん。気が利くねぇ。よし、ウィスキーのお湯割りにしよう」
夕芽華は「ウィスキーのお湯割りお願いします」と、ボーイにコールした。
「資格かぁ、大変だなぁ。俺も昔簿記だフィナンシャルだ勉強したから、よーく分かる。嫁さんに無理しすぎって叱られたよ」
神田の苦労話に咲羽と夕芽華は耳を傾ける。
さりげなく咲羽は神田の腰を触った。
美音が出勤できなかったのは、資格云々ではなく、精神的に追い詰められているから。
プライベートなことを聞かれた時に答える、《《方便》》のようなものだ。
あやめママは、美音が休む度に気遣う連絡をしているし、彼女が勤務している最中の様子が変だと真っ先に気づいた。
普段しないミスや勤務終了後の顔つきをみていたら、ほっとけなかったからである。
1ヶ月前、しばらく休むか出勤回数減らしたらどうかと提案したが、彼女は頑張りますと続けた。
『こうでもしないと稼げないから。ほんとは、もう少し増やしたいぐらいです』
あやめママはこれ以上増やさない方がいいと止めた。
美音は入った3年前から、週4で来ている。それで段々人気が出たものだから、長時間拘束されるため、体力的に負担かかっていた。
「体が資本だからね。ああいう頑張ってる子応援したくなるんだな」
「えー、私はどうなんですか?」
ホームレスになっちゃうし、家族の居場所は分からない。お金も全然ないんです。
働いても勤め先の人にみんなに嫌われて、生きていくのに精一杯。
病気の母がいて心配だから、一緒に住みたいけど金銭面がね、大変なんです。
母は唯一私の味方なんですよ。だからね、大事にしたいんです。
咲羽は少し泣く演技をして、神田に上目使いする。
「そりゃ、大変だな。よし、今日おじさんがご褒美に買ってやろう! 夕芽華ちゃんもな」
「じゃぁ、これがほしいなっ」
咲羽は高額なスチーム美顔器をスマホで検索して見せた。
「私はこれがほしいです」
夕芽華が欲しいと申し出たのは、同じく美顔器だが、こちらは電動で洗顔出来るタイプだ。
「いいよーいいよ。おじさんすぐ買っちゃう」
次いつ来るのと聞かれたので、2人はそれぞれの出勤日を答えた。
ボーイから神田の注文の品が来た。
神田は「ありがとうな!」と陽気にお礼を言って、一口つけた。
「ねぇ、あのさ、聞きたいんだけど、神田さん、長谷川ひかるって作家、ご存知ですか?」
「今やってるドラマでしょ? "母親もどき"って作品。俺の嫁さんが観てるんだ。主役目当てで」
「あれ、面白いですよ。元々小説が原作なんですけど、ハラハラするんです。私、長谷川先生のファンなんで、他の作品持ってます」
夕芽華の声が高くなった。
咲羽の目が変わり「ほんと? 面白いらしいから、読んでみようかと思うの」といつもの口調に戻る。
「娘が他の作品持ってたな。なんていうんだっけ、異世界ものって言うんかな。この間調べたらさ、全然違うジャンル書いててびっくりしたよ。雰囲気違うからさ。色々やってるみたいだな。ただ、謎の多い作家なんだよな」
「そうですよ。名前と過去の作品だけ公表して、あとは全て謎。表に全然出る方じゃないみたいです。サイン会もないですから。出版の告知は全てそれぞれの出版社の公式サイトまたはSNSですね」
「え、本人のSNSはないんですか?」
「ええ。今時珍しいタイプですよね。みんなやってらっしゃるのに。あぁ、でも本人の公式サイトがありますね。それも全部いつ何が出版されるだけですから」
もし、室井のおっちゃんが言っていたことが本当だったら?
あの子は作家になってるってこと?
早く動画観ないと!
「俺の知り合いが出版関係だけど、長谷川ひかるのことは一切明かさない方針なんだってよ。SNSも変な人多いし。今はどこで炎上するか分からないからな。やらないに超したことはないな。なりすましが既に出てるみたいだけど、公式サイトで偽物ですって載せてるんだよ」
へーと咲羽は夕芽華と神田の話に頷く。
「で、長谷川ひかるが気になるのか?」
咲羽はうんと頷いた。
もしかしたら自分の娘かもしれないとは言えない。
まだ確証はないから。