11
結花は社長の浅沼の所に配属されてから、かごの中の鳥状態だった。
業務中は終始浅沼と丸岡の監視の目があり、サボることは出来ない。
「ひびきくーん、頼まれた書類できたんだけどー」
結花は浅沼が主催する社員向けの研修の案内を見せた。
ピンク色でまるでキラキラした宝石を並べたかのような背景と、研修の内容を長々と書いていた。
「ちょっとさ! 無視すんのやめて!」
頬を膨らませプンプンとアピールするが、浅沼は軽蔑するように一瞥してPCとにらめっこしていた。
「だーからー、ちゃんと書類作ったから見て!」
丸岡は「ちゃんとした言葉遣いじゃないと、話聞いてくれないよ。社長は。さっき教えた言い方を使って」と結花に耳打ちした。
「……し、社長、頼まれた書類出来たので、ご、ご確認、お願いします」
ほんと、こいつに頭さげるのマジ嫌! 何でこんなやつに……!
浅沼は黙って書類を受け取って見た。
「この文字だけ並べた紙クズはなんですか? すっごい無駄なんだけど? この案内さ、掲示するんだよ? 外に送るんだよ?」
「去年書いてある日付から、今年行う日に変えるだけですよ? テンプレは変えないでって言いましたよね! 君は日本語読めないのか? 何語なら理解できる? 英語? スペイン語?」
「いやー、これこそ独りよがりデザインですねぇ。見てよ、丸岡さん」
結花が作った書類を笑いながら見せる浅沼に、丸岡は「確かにちょっとこれは……」と顔をしかめる。
「これやり直しです。こんなの恥ずかしくって掲示できん」
にやにやしながら、書類をシュレッダーにかける浅沼に、結花は「ちょ、ちょっと待って! 一生懸命作ったのに!」と止める。
「一生懸命つくったとこで、結果が実らなかったら、ただのゴミに過ぎない」
そろそろ言い過ぎと丸岡が焦って止める。
「この人が今までやってたことをやってるだけですよ?」
「確かにこの書類は掲示したり外に出すのはふさわしくないですよ。ただ、あんまり言うと萎縮しちゃいますよ。色々言われてるなりにも頑張ってるんですから」
結花は浅沼の否定的な言葉に黙って泣き出していた。
「へー、散々人を追い詰めて萎縮させてた人間が、こんなことで泣いてるとか、なんのギャグかな? 出来ないのが悪いって言ってたのってだれだっけ?」
「昔は可愛かった人でも、こうやって泣いてる姿って醜いなぁ。自慢の見た目が台無しになって滑稽だよ」
憂さ晴らしの道具を見つけたように、浅沼はじろじろなめ回すように結花の泣いている姿を楽しむ。
「頼むからおばさんの泣き顔見るのきついからさ、とっとと顔洗ってくれる? 2分で戻ってきて」
浅沼の指示に結花は黙って頷いた。
顔を洗って戻ってきた結花に「随分遅かったねぇ」と浅沼は嫌味を飛ばす。
唇をかみしめて、浅沼の弱味を思い出すが出てこない。
こいつこんな性格悪かったっけ? なんでこんな嫌味しか言ってこないの! 昔の仕返しだからって、やっていいことと悪いことあんじゃん!
「これ以上追い詰めたらダメですって!」
「やり直そうとするのはいいけど、真面目は当たり前のことです。あなたはただでさえ《《前科》》が沢山ある。《《被害者》》がいる。信用されようとか、前途洋々《ぜんとようよう》な人生が送れると思ったら大間違いだから。前も言ったけど、僕はあなたへ《《昔の仕返し》》を存分にするから。せいぜい、仕事やるんだね。案内の書類はいいや。はい、じゃ、この書類打ち込んで」
バインダーを渡され、データ打ちを頼まれた結花は「いつまでですか?」と尋ねた。
「今週中に。できるだけ早く。あぁ、あとゴミ捨てもやってくれないか? これは今日中に」
あれこれ言いつけられる結花は「無理です!」と、顔を曇らせた。
丸岡が手伝いますよといった瞬間、浅沼は「呉松さんを甘やかさないで」と切り捨てた。
「いいか? 呉松さんはここにいさせてやってるんだから。仕事を選べる立場だと思ってる? 烏滸がましいね。それならやめるか? ここやめたって借金あるんだし、前科のある君に雇ってくれる物好きないと思うよ。ましてこの年でなーんもキャリアないんだからさ。短期間で仕事やめたという過去が残るだけ。それとも、ホームレスになりたいかい?」
浅沼は口角をあげて結花を追い詰める。
結花は「分かりました」と浅沼の顔色を伺うように、弱気で答えた。
浅沼は満足げに頭を上下した。
浅沼はますます結花に辛く当たった。
丸岡がいるときはまだフォローがあるのでましだ。
しかし浅沼と結花が2人きりになった時が地獄だった。
中学時代の仕返しと言わんばかりに、あれが出来てない、書類の日本語がおかしいだ、にらみ付けてるような態度で気に入らないと難癖つけた。
仕事で分からないことを聞いても、浅沼は自分で調べたらとか、わざと間違いを教えて、さらに怒られていた。
『お姫様扱いされて生きてきたから、出来ないのも無理ないね』
『あ、パワハラとか訴えても無駄だから。みんなに根回ししてるからね』
立場が逆転して、同級生に仕返しされるのが屈辱でたまらなかった。
顔色も悪く、寮に帰っても話相手が全然いないので、はけ口がなかった。
丸岡は出来たら褒めてくれるが、結局、浅沼に言われたことを思い出して、泣きそうになったり、寝れない日々が続く。
精神科のお世話になりはじめていた。
あれこれ薬を処方され、業務の合間を縫っては、服用してやり続けていた。
結花が借金を返し終わったのは、50代半ばだった。
返済後、浅沼から体よく退職を言われ、住む所が浅沼工場からほど近い安アパートになった。
やっと自由になった結花はすぐにスマホを普通タイプに変えた。
とはいえ、生活に余裕があるとは言えず、毎日もやしや納豆とか、毎食1品ずつ。
当然スキンケア商品にお金をかけられるはずもなく、髪はボサボサ、悪い意味での年齢不詳になってしまった。