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10月も半ばになり、秋風が吹いてる。
郡山と一緒に書類を詰める仕事をしていた。
この日は丸岡がいないので、結花はさぼっていた。
「呉松さん、仕事してくださいよ」
結花は鞄からポーチを取り出し、あぶらとり紙で顔を拭きはじめた。さらに化粧直しタイム。
郡山は結花の行動に言葉がでなかった。
どうせ言ったところで無理だろうな。また前みたいにやられるのも嫌だしなぁ。
でも、この仕事チェックしないといけないから、2人でやらないと間違えちゃうし……よりによって丸岡さんいないからなぁ。
あんな厳しい服部さんですら、呉松さんの横暴さに耐えきれなくって辞めちゃったんだよなぁ。
てかそこまで追い詰めた人間そうそういないと思う。
服部さんのかつての被害者としては、嬉しい話だろうけど。
そもそもこの仕事2人がかりでチェックしないと、間違えちゃう原因になるんだよね。
協力してもらわないと難しいんだけどなぁ。
「ねー、呉松さーん! サボってないでよぉー」
とはいえ、結花は「はぁ?」と言って無視。
まつげにコンシーラーを塗ろうとした瞬間、取り上げられた。郡山によって。
「ちょっとなによ? ゆいちゃん、化粧直し中でしょ? そんな姿見るなんてさいてー!」
「じゃぁ、家かトイレでしてください。今仕事中です」
「あんたみたいな陰キャには、ゆいちゃんが可愛く魅せるために、マメにスキンケアしないといけないのわかんないでしょうね!」
「ええ、わかんないですよ。でも、こういうとこでやっちゃいけないってのは知ってます。琴平さんも落合さんも絶対やってませんから」
「あの2人にそんなの必要なの? やったって、化粧道具が可哀想。どうせ遺伝で家族もブスなんでしょ?」
結花はクスクスと笑いながら、コンシーラー返してと続けた。
明らか芋っぽいし、おしゃれに無縁そうだし。そんなお金なさそうだね。あー可哀想。
その瞬間、結花の首根っこが捕まれた。
コンシーラーを力強く持ちながら、椅子に座ってる結花を片手で首根っこを掴む郡山。
その姿は目が据わっていた。
「いい加減にしてくれますかね? 俺を悪くいうのはいいけど、他のみんなの容姿とか家族を悪くのやめてください」
郡山の顔は赤くなり、顔が能面になる。
結花は「助けてー」と叫んでジタバタしていたら、椅子からひっくり返った。
「落ち着け! 2人とも!」
馬乗りになった郡山を同僚の吉岡がひっぺ剥がした。
「なによ! ゆいちゃんに怪我させたね? どうしてくれるの? 治療費払って!」
痛みがじんじんする。ちょっと大げさに痛がってたら、仕事サボれるよね?
倒れたままでいようと決めた結花は、起き上がれなーいとアピールした。
吉岡は「ゆっくりたてるか」と尋ねるが、結花はゆっくり立ち上がって椅子に座った。
一方、郡山は顔が興奮して鼻息が荒かった。
「お前も落ち着け。気持ちは分かるから」
「そうでしょ? 痛いんだけど」
話に割り込んだ結花に、吉岡は「呉松さんじゃない」と声をあげた。
「琴平さん、悪い、社長呼んできてくれますか?」
「は、はい……」
琴平は急ぎ足で社長である浅沼をチャレンジ枠の部屋に呼んできた。
「あ、ひびきくーん、おねがーい、ゆいちゃん助けてーぇ。腰いたいのぉ」
浅沼が入ってくるなり、結花は下の名前で呼んで「この人がいじめてきたぁ」と郡山の方を指差した。
浅沼は恐怖心と警戒心を持ちながら、結花と郡山と吉岡に聞いた。
それぞれヒアリングしている最中にも、結花は「私悪くない、被害者だ」とわめいて、吉岡が黙ってくれと何度も注意した。
「そうですか……ほんと、呉松さん昔っから変わってませんね」
浅沼は大きくため息をついた。
「まずあなたの非は2つ。まず、仕事をさぼって化粧直ししたこと。そして次は、郡山くんが注意したことに逆ギレからの、人格否定したこと。早いうちに素直に言うこと聞けば、このようにならなかったはず。郡山くんは、手をだしてしまったことがまずかった」
郡山は「はい、申し訳ございません」と壊れた機械のように、繰り返し頭を下げた。
「つい手がでてしまいました。僕だけでなく、他の仲間の悪口を言われたもんだから、どうしても許せなくって……」
顔が怖く見えるからこそ、誤解されやすい。
日頃の行いや言葉使いが全ていざとなったときに評価されるから。
見返りを求めるな。でも、仲間を侮辱されたら思い切り怒っていいと思う。
怒りは貧乏人の娯楽。
両親から口酸っぱく言われた言葉。
元々怖く見られやすくって、子供の頃は逃げられることが多かった。
それでも諦めずに、困っている人がいれば助けて、丁寧な言葉使いを心がけ、絶対に手を出さないようにしてきた。
同級生達はもちろん、先生達や名前の知らない先輩・後輩達に名前を覚えてくれて、いつも挨拶してくれた。
あんまり怒らないのをいいことに、からかってきたり、喧嘩売ったりする人ももちろんいた。
それでも、同級生達が先生達が友達が、止めてくれた。
みんな言う。
『郡山くんはめったに怒らないし、思いやりがあって面白い子。でも優しすぎて騙されたり、利用されたりするのが心配』
今回は《《どうしても》》許せなかった。
桃花ちゃんも有里波ちゃんも恭弥くんも、仕事はもちろん、就職する前から寝食を共にしてきた仲だ。
呉松さんは、昔から容姿や環境に恵まれてきたんだと思う。
自分で世界一可愛いって言うぐらいだし、いつも天下の呉松家のお嬢様がどうのこうのって言ってるし。
僕たちのような人のことは、《《他所の国の人》》にしか見えないんだろうね。
でもその異国の人が大切にしているものを、いとも簡単に否定した。壊してきた。
どうしても許せなかった。きっかけは業務上の注意だけど。
「うん。郡山くんは許せないのは無理もないと思う。手をだしたくなる気持ちは分かる」
うんうんと吉岡も頷く。
日頃から吉岡も結花の横暴さにうんざりしている。
自分自身が暴行事件で解雇になったことがあるから、それを律するために必死になっている。
結花も分かっていて、反抗的だったり、吉岡に挑発した発言が多い。
「呉松さん、ほんと、いつまでも若いね。昔からのままで」
「それどういう意味?!」
早く病院に連れて行きなさいよと大きな声で喚く。
「言葉通りさ。メンタルがいつまでも女子中学生のまんまってこと」
本当はこのままほっといて、郡山のケアをしたいとこだが、放置したらしたで、後々面倒くさいな。
仕方ない。大人しく連れて行くか。
「後で病院連れて行くからさ。その前に郡山くんに謝ろうよ。あんだけ酷いこと言ったんだからさ」
「え? ゆいちゃん、これ謝んないといけないパターン?」
結花は大げさに目を丸くして「何、この流れ……」とキョロキョロ見渡す。
たかだか事実を指摘してやっただけなのに、なーんでこんなことになんの?
そもそもあの陰キャが、ゆいちゃんの化粧直し邪魔しなかったら、こんなこと言われなかったのにねぇ。
ほんとこういう優等生じみたやつ大っ嫌い。
でも、ゆいちゃんは世界一可愛いから、そっちが負けになるよ。
己の容姿の醜さとか頭の弱さを呪えばいいのよ。
結花の顔がだんだん口角が上がってきた。
一方浅沼をはじめ他のスタッフはあんぐり顔になったり、開いた口が塞がらなかった。
「どーかんがえても、呉松さんの発言や態度に問題あると思うんだけど……」
「もしかしたら、謝ったら負け系?」
「まー、昔っからあの人頭下げたことないのが自慢ですし……頭下げて貰うのが《《当たり前》》みたいな環境でしたから」
「うわぁ、悪いことしたらごめんなさいって言うもんじゃないですかね」
スタッフ達の視線が結花に向けられる。
どーしよー! 今ここで大人しく謝った方がいいの?
だって、ゆいちゃんを不愉快にさせた方が悪いんだし。だいたい、ゆいちゃんは被害者よ?
あの陰キャが先に手をだしたんだからさ。
それに腰痛いし。どうしよう? 早く病院いきたい。
「呉松さん、謝ってくれますかね? あなたの言動はさすがにないと思いますよ?」
浅沼が強い口調で詰める。
眉根をよせて、鋭い目つきで結花を制した。
結花は言葉に詰まった。
昔からかってきた同級生が、大人しくやられてばかりだった人が、こんなに厳しく言ってきて、視線を思わずそらしたくなる。
「わ、わかったわよ。す、すいませんでした」
「僕じゃなくて、郡山くんに向かって、きちんと言って。ふざけてるのかい?」
結花は不承不承で郡山の方に顔を向けて「すいませんでした」と抑揚のない声で謝罪した。
とりあえず謝ったからもういいよね?!
済んだことだし!
「分かってくれたらいいです。二度と僕たちの悪口言わないでください。注意されたら素直に聞いてください」
郡山はいつものニコニコした顔に戻った。
はーくだらねぇ茶番。なーんでゆいちゃんが頭下げないといけないの? まじ屈辱過ぎる。
「じゃぁ、呉松さんを病院に連れて行きますので、皆さんは休憩に入ってください」
結花は浅沼に連れられて、近隣の病院に向かい、転倒の状況を説明して検査となった。