悪役貯金、始めました【コミカライズ】
家訓「触らぬヤンデレに祟りなし」と「最強の婚約者」は、設定のナマケモノが同じだけで、別々の作品となります。
よろしくお願いいたします。
アリアンジュはぐっすり眠って目覚めた時、何の前触れも予告も無しに前世を思い出してしまった。
机からノートを取り出し、記憶が鮮明なうちに一生懸命につたない字で前世のことをチマチマと書き連ねる。
自分は成長すれば7人いる悪役令嬢のひとりになるのだ、と。
11年後、登場するヒロインが7人の貴公子と恋愛をする乙女ゲームの、7人の悪役令嬢のうちでも最も影の薄い悪役令嬢になるのだ、と。
その時に小さな頭を占めたのは、悪役令嬢なんてムリ! それだけであった。
見た目だけならば前世の100倍は可愛いので、ルックスは大丈夫。しかし、能力に前世の1000倍の隔たりがあったのだ。
だってアリアンジュはナマケモノ系の令嬢だったのだから。
この世界は獣人と人間が混血し、獣人の強い身体能力と人間の高い魔力の良いとこ取りをした者が大半であった。
外見は人間の姿であるが、その特質は祖となった獣人のものがあらわれることが多かった。しかも混血が進むことにより、獣人の血の痕跡は同じ父母から生まれた兄弟でも、全員が別種の獣人の特質を所有するのが普通であった。
アリアンジュも、長兄が熊で次兄が虎でーーアリアンジュが大ハズレのナマケモノだった。
この乙女ゲームの設定を考えた人は間違っている、とアリアンジュは思った。
1日の睡眠時間が20時間で起きてもゆっくりとしか動かないナマケモノに、悪役令嬢になってヒロインをどうやって苛めろ、と?
セクシーな女豹や愛らしい兎は理解できるが、ナマケモノに何をどうしろと言うのだ?
歩く速度ですら兄の10分の1よりも遅いノロノロなのに。兄に小脇に抱えられての移動が常なのに。
このままだと、眠ったアリアンジュを抱っこした熊と虎の兄がヒロインを苛めることに? ガオーッ、て。イヤイヤ、ムリでしょ? ムリがありすぎる設定だとアリアンジュは思った。
熟考した末にアリアンジュは、未来での悪役令嬢はムリでも今から悪役を始めれば、悪役としての収支はトントンになるのではないか? と考えた。
現在のアリアンジュは5歳なので、ちょっとナナメ方向に思考が走ってしまったのである。
悪役って、悪い事をしたり不当な利益を得たり故意に違法な行いをすればいいのよね? と。コツコツと悪事を重ねて貯金すれば良いのでは、と。
前世は大人でも現世は5歳児。
私って天才! と悪事に向かってトコトコ歩き出したアリアンジュであるが、遅い。進まない。なにしろナマケモノだから。その上、歩くのが面倒になって、廊下でペタンと寝てしまった。
そして通りかかった兄にいつものように回収されて、自室のベッドで健やかに眠ったアリアンジュであった。
翌日、
「今日こそ!」
と決意したアリアンジュは朝食の席で家族に前世のことを打ち明けた。
アリアンジュの悪役貯金コツコツ計画には、どうしても家族の協力が必要であったから。
突然の話に父親も母親も兄たちも驚いたが、アリアンジュの話は理路整然としていて、5歳児が思いついた空想でつくられた話とは考えられなかった。
しかし。
「わーーーーッッ!!!」
「アリアンジュッ!!!」
ナマケモノのアリアンジュは話の途中で力尽きて眠ってしまったのである。スープに突入する寸前に、兄の手が小さな頭を受けとめた。
「しまった! 話に夢中でアリアンジュは朝食を食べていない!?」
「アリアンジュ! せめてスープだけでも!」
起きている時間が短いアリアンジュには、食事と水分補給は必須である。特質の基本にナマケモノがあるだけで、身体は人間であるのだから数枚の葉っぱで生きてゆける動物のナマケモノと同じではないのだ。
と言うわけで翌日に目覚めたアリアンジュは、栄養価の高い緑色の不味いジュースを飲まされることとなったのであった。
「「飲め、アリアンジュは細いのだから」」
肉食系の兄たちの迫力に、しぶしぶジュースを口にしたアリアンジュであるが、
「「飲んだご褒美にアリアンジュの悪役貯金に協力してやるから」」
と鋭い犬歯を剥き出しにニッカリ笑う兄たちの言葉に、すっかりご機嫌になったアリアンジュであった。
「「で、悪事って何をするつもりだ?」」
「あのね、ヒロインが11年後に成し遂げる成果を横取りしようと思うの。他人の結果を奪い取るのだから凄く悪い事だよね?」
微妙だな、とふたりの兄は目と目で会話をした。
確かに他人の実績を掠め取ることは悪辣な行為であるが、11年後の予知のような先取りである。搾取以前の問題では? と冷静に思考をめぐらせたが、可愛い妹がフンフンと両手を握って得意顔になっていたので何も言わなかった。
「「で、11年後にヒロインとやらは、どのような成果をあげるのだ?」」
「あのね、魔力肥大症の治療法でしょう。魔力過多による不妊の治療法でしょう。魔力循環不全の治療法でしょう。ヒロインは魔法特化だから魔力の問題をたくさん解決するの」
兄たちはゴクリと唾を飲み込んだ。
「「アリアンジュは、治療法を、知っている、の、か?」」
不自然なほど言葉を区切る兄たちに、アリアンジュは小首を傾げた。
「うん。大好きなゲームだったから設定とか色々読んだもの。あ、横取り悪事ではないけど来年ね、ひどい日照りが王国の西部にあるから注意した方がいいよ」
「「わァァーーーー!!!!」」
兄たちはアリアンジュを抱き上げると全力で駆けて父親の執務室へと飛び込んだ。
「父上、朗報です! 治療法がっ!!」
「父上、大変です! 日照りがっ!!」
兄たちはアリアンジュが告げる内容を欠片も疑っていない。可愛い可愛い妹なのだ。可愛いは正義であり、正義は独断と公正を欠く見識により正しくなるのである。自分にとっての正義が誰かにとって悪となるみたいに。
それに、魔力肥大症も魔力過多による不妊も魔力循環不全も不治の病である。特に魔力保有量の豊かな高位貴族に多い。肉体的にも精神的にも苦痛の果てに命を落とす者が絶えない病であった。
もし、アリアンジュの言葉通りならば。
王国は煌々たる光明を投げかけられたことになるのである。
扉を蹴って突撃してきた息子たちに父親である伯爵は厳しい声音で言った。
「アリアンジュに食事は食べさせたのか?」
伯爵家における最重要事項である。
「「あっ!!」」
そうしてアリアンジュは虎の兄に食堂へ慌てて運ばれ、熊の兄が父親への重大な報告をするために執務室に残ったのだった。
10日後、アリアンジュは筆頭公爵家の壮大な屋敷にいた。
麗しい四季の女神のレリーフの柱が並び、白を基調とした堂々たる大理石の装飾の床、高価な調度品の数々、華麗な客間の金塗りの赤いビロードの椅子にアリアンジュはちょこんと行儀よく座っていた。ちびちゃい身体をしゃんと伸ばして、余所行きのお澄まし顔をしている。
「本当に息子の、カイザスの魔力肥大症は治るというのか?」
絹のシャツに紺色のベストでたくましい体を引き締めた上質な衣装を纏う公爵が尋ねる。黒狼らしく髪は漆黒だ。声には何度も諦めた諦観と今度こそという希望が混じっていた。
「はい。わたしの友人に事情を話して治療法を試みました。友人の魔力肥大症の息子は数日で効果があらわれ、娘の言う通り1ヶ月後には完治する見込みです」
アリアンジュの父親である伯爵の言葉に公爵が熱心に頷く。
父親と公爵が熱く会話を交わす間に、アリアンジュは今日の活動時間を超えてしまっていた。
公爵家のお屋敷だと頑張っていたのだが、眠くて眠くて限界となりベッドを探して隣の部屋へ入ってしまう。「きちんとベッドで寝ろ。さもないと緑色のジュースを飲ますぞ」と兄たちと約束をしたのだ。
アリアンジュはゆっくりゆっくり動くので、かえって関心を引きにくいのである。
隣室の豪華なベッドには少年が横たわっていた。
わずかに開いた窓からは、ほのかな薔薇の香りが風の吐息のように音もなく忍びこむ。射し込む日差しが、部屋の隅の闇と調和するみたいに明るかった。
「こんにちは。私もいっしょに寝てもいいですか?」
尋ねる形だがアリアンジュは返事を待たずにベッドに入ると秒で眠る。くぅと寝息がもれた。
「お、おい、誰だよ? おまえ、僕にくっついて平気なのか?」
少年は公爵家の子息であるカイザスであった。
魔力肥大症を患い、カイザスは人目を避けて部屋に籠って暮らしていた。それと言うのも魔力肥大症は魔力の多い子どもが罹患する病で、魔力が体外に上手く排出されずに体内に溜まり、溜まった魔力が体をデコボコに膨らませる病だった。
その外見のあまりの醜さに、感染を恐れられて人々から嫌悪されている病であったのだ。
「おいってば。僕は魔力肥大症だぞ、病気が伝染するかも知れないんだぞ」
アリアンジュはむにゃむにゃと寝惚けた状態でカイザスに抱きついた。
「うつりゃないよ、にゃおる病気だもん、治療法がありゅもん」
「えっ?」
カイザスは困惑したものの、腕の中で安心したようにすやすや眠るアリアンジュの可愛さに笑みを浮かべた。あたたかい。久しぶりの人の肌だった。
長年仕えていた侍従たちや乳母でさえカイザスの姿を嫌忌して、最後には侮蔑の言葉をカイザスに投げつけて辞めていったのだから。
これがカイザスとアリアンジュの初めての出会いであった。
1ヶ月後、魔力肥大症を完治させたカイザスはアリアンジュと婚約を結んだ。
公爵家と伯爵家の家族だけのささやかな婚約式であるが、アリアンジュの公爵家から贈られた衣装が凄まじい。
ヘッドドレスのヘアアクセサリーは、ダイヤモンドの花である。花びらの1枚1枚に至るまで芸術的に仕上げられたダイヤモンドの花は光を編んで、きらきら輝く極上のレースの花の如く髪を飾り。
華奢な首にもダイヤモンドの花が流れ星の如く連なり。
銀糸金糸の刺繍が施されたドレスの裾には、光彩を放つエメラルドの葉が煌めく。
エメラルドの葉とダイヤモンドの花で、アリアンジュを1本の花として工夫を凝らせて美しく装わせていた。
「アリアンジュは5歳なのに。早すぎる、反対だ」
「カイザス殿だって10歳だろ、早いよ、婚約なんて早すぎるよ」
シスコンの熊と虎の兄たちは地団駄を踏んだが、筆頭公爵家の威光には敵わない。
「「アリアンジュ、カイザス殿と婚約していいのか!?」」
往生際が悪く兄たちがアリアンジュにすがるが、
「大歓迎。乙女ゲームの攻略対象者の貴公子と婚約するよりカイザス様となら安心安全だもの」
とアリアンジュにすげなく返され、がっくり項垂れる兄たちであった。
ふぁぁ、アリアンジュが雛鳥のように口を開けてあくびをした。
すかさずカイザスは、幅広い袋状の布でスリングのようにアリアンジュを包みこんで抱っこをする。
「これならばアリアンジュが眠ってもいっしょにいられるだろう?」
銀狼のカイザスは、すでにアリアンジュを番と決めて離す気も離れる気もない。
「うん……」
カイザスに背中をポンポンされてアリアンジュは夢うつつだ。
「何て幸運なんだろう。番をこの手で育てられるなんて」
眠ったアリアンジュには聴こえていなかったカイザスの呟きは、兄たちにしっかり拾われて、カイザスと兄たちは密やかに火花を散らしたのであった。
その頃、カイザスの父の公爵とアリアンジュの父の伯爵は、今後の11年間に王国で起こると予測されるアリアンジュが書いたノートを見ていた。
「これは宝そのものだ」
「価値が計り知れませんね」
ふっふっふっ、と父親たちはニヤリと笑ってガッシリと握手をした。
その後、公爵家の夫人と伯爵家の夫人は、繊細な問題である魔力過多による不妊に苦悩する家々を救った。これによって夫人たちの社交界における地位は爆上がりしたのであった。
ついでに魔力肥大症と魔力循環不全の治療法は王家に献上したので、公爵家と伯爵家の立場もこれ以上はないほど爆上がりである。
笑いがとまらない公爵と伯爵だった。
けれども、そんな中でも最優先されるのがアリアンジュの食事である。
起きている時間が少ないので、あの手この手でアリアンジュの食事量を増やそうと企てた。
至れり尽くせり、アリアンジュのお世話にかけては百戦錬磨の達人となったカイザスが、目を細めて果実を食べたアリアンジュの唇を絹のハンカチで拭く。
けぷ、と満足の息をはいて、
「おいしかったです、カイザス様」
と笑顔のアリアンジュにカイザスはメロメロだ。果実1個に金貨を払っても惜しくない。それに王国有数の資産家であった公爵家は、アリアンジュのノートにより財産が急激に増加中である。はっきり言って公爵家と伯爵家は王家よりも金持ちになってしまった。
王家に目をつけられた伯爵家の熊と虎の兄たちは、王女を押しつけられかけて出奔したのは2年前のことだ。
冒険者になって楽しく戦闘しているようで、生き生きとした手紙がアリアンジュのもとに毎日届く。シスコンは健在である。
「庭を散歩しようか」
カイザスはアリアンジュを抱き上げて庭園へと向かう。
アリアンジュは16歳になった。
やっぱり動きは遅いし、1日に20時間も眠っている。
攻略対象者の婚約者にはならなかったが、11年間悪役貯金コツコツ計画は継続させた。
それによって多くの人命が助かった。自然災害からも病気からも。
「アリアンジュは悪役令嬢ではなくて天使だよね」
と優しく笑うカイザスの言葉が身贔屓だとしても、アリアンジュには嬉しかった。
予定通りにゲームのチートなヒロインがあらわれて攻略対象者とイチャイチャしているが、もうアリアンジュには関係がない。
関係ないが、やはりゲームの製作者はナマケモノのアリアンジュを悪役令嬢にしたのは大間違いだと、アリアンジュは思った。
何故ならヒロインにたどり着く前に、動作の遅いアリアンジュは眠ってしまうからだ。
今も眠い。
けれども、スローモーションのようにゆっくり歩くアリアンジュの隣で、アリアンジュにあわせてゆっくり歩いてくれているカイザスともう少し寄り添って歩きたい。
庭園の花の香りを乗せた風が、アリアンジュの髪をくすぐる。
華やかな配色のつる薔薇のアーチが何重にも連なるトンネルと花の回廊のような薔薇の花壇が連なり、音楽を奏でるように芳香を醸し出していた。
赤色の、黄色の、黒色の、白色の、紫色の、ピンク色の、オレンジ色の、緑色の、あらゆる花の色がガラスのモザイクのように色彩美を織り成して絢爛たる薔薇が咲き誇る。
ここは薔薇の花園。
眠り姫を尖る茨の園で守るみたいに。
カイザスがアリアンジュのために作ってくれた、誰にも手折られることのない無垢な薔薇が蕾の封印をとく庭園だ。
「眠い……、カイザス様」
アリアンジュが両手を広げる。カイザスが抱き寄せた。
「おやすみなさい」
悪役貯金を始めてわかったことが、ひとつある。
ゲームの婚約者だった貴公子が絡んできた時も、アリアンジュの本当の番と宣った貴族が訪ねてきた時も、アリアンジュを誘拐しようと近付いてきた貴族の時も、たくさんの問題が眠っている間に解決してしまうのである。
だから今回の王家からの横やり縁談も、目覚めた時には消滅していることだろう、とアリアンジュは思った。
そしてナマケモノの令嬢は悪役令嬢とはならずに眠り姫となって、茨の貴公子に守られて今日も安らかに眠るのだった。
同じ王国で、カイザスの従兄弟のジグルドと婚約者のコアラ令嬢リリジェリンのお話「棚ぼた式悪役令嬢の幸せな日々。by コアラ」もよろしくお願いいたします。
読んで下さりありがとうございました。