3.いつものルーティン
フョードル王子の寝室は、本人の見た目に合わせたのか青とシルバーを基調としたシンプルな作りの部屋で、凛として涼しげな雰囲気がある。
「・・・んっ・・・ぁ・・・はっ・・・きもち、いい・・・」
今日も熱っぽい吐息を吐いているフョードル様。いつもは真っ白な肌がすっかりピンクになっていて、いつもは本人と同化しているはずのインテリアとミスマッチが生まれていた。
「温度はいかがですか。」
耳かきのし過ぎは良くないから、たまにこうして温かいタオルを使った耳のマッサージで代用している。
「・・・っん・・・ちょうど・・・いいっ、よ・・・あっ・・・」
切れ長の目をぼんやりと細めて気持ちよさそうにしるフョードル様。それでも耳かきされているときよりは人間度を保っているから、こうしてマッサージに切り替えていけばフョードル様もゆっくりクールさを回復するかもしれない。
「そういえば、弟のイヴァンが大蔵省でインターンをしたいそうなのですけど、フョードル様から担当の方に一言いただけたら」
「(ソフィア様、国王陛下がお呼びです!至急とのことです!)」
ご機嫌な王子に私がロビイングをしようとしていると、部屋の外から鋭い声が聞こえた。王子の耳かきを始めたから防音や人払いを強化してもらったから、この人はかなりの大声をだしたと思う。
「えっ、私?フョードル様ではなくて?」
フョードル王子ではなくて私が呼ばれたことは少ないと思う。一度だけ、王子が耳かきに夢中になったばかりのときに、私が怪しげなことをしたのかと疑われて呼ばれたときがあった。でもあのときはイヴァンを連れてきて陛下の前で耳かきを実演したから、結局一人じゃなかったし。
「あのう、殿下はご一緒しないのですか?」
廊下に向けて声を上げてみたけど、返事はこない。防音を強化してもらった後だと、私の声じゃ部屋の外に届かないと思う。
あまりいい予感はしないけど、言われたとおり一人でいかないといけないみたい。
「フョードル様、私は陛下のところに参らないといけません。」
「・・・そんな・・・つ、つづき・・・」
殿下は捨てられた子犬のようにうるうるした目で私を見つめてきた。切れ長の目なのに子犬に見えるのってなかなかの難易度だと思うけど。
「謁見が終わったら戻ってきますから・・・ほら、裾を掴まないでください。」
耳かきに夢中になってから退化が進んでしまっているフョードル様。私はため息をつくと、懐から特製の梵天を取り出した。本当はマッサージで終わりにして、これは使わない予定だったけど。
でも陛下を待たせるのは気まずいし、『フョードル王子殿下が離してくれませんでした』と報告するのももっと気まずい。
「・・・そ、それは、まだ、はやいから・・・」
フョードル王子はこの梵天が大好きだけど、私の梵天テクニック(?)にかかればひとたまりもない。耳のケアを長く味わいたい王子としては、フィニッシュで使ってほしい代物らしい。
でも私にそんな余裕もなかった。
「はい、すぐ終わりますからねー。」
「・・・待って、まだ・・・」
王子は口では断りつつも、ごくんと息を飲んで期待が抑えられない顔をしている。もちろん力づくで抵抗したりはしない。
「大丈夫ですよー、怖くないですからねー。」
「・・・まっ・・・ぅあっ・・・っふ・・・・っ・・・」
私の梵天術(?)はベテランの域に達していて、もう王子の弱点はすべて分かっている。更生を目指している王子をさらに中毒にするのは気がすすまないけど、でも耳かきと違って梵天はプライドを捨てたおねだりがないから、いくらかマシだと思う。
「具合はいかがですか、フョードル様?・・・もう聞こえてないですね。」
「・・・ん・・・っく・・・ぅあ・・・っはあっ・・・」
本来は鋭い視線がどこに向いているのか分からなくなっていた殿下がトサっとベッドに倒れたのを確認すると、私はドレスを整えて扉に向かった。
防音機能のある重い扉を開けると、私を呼んだ侍従の他に、メイドさんが数人と小姓が二人控えている。いつも耳かきをするときは控えないでもらっていたのだけど。
「メイドさんたちは下がってもらってください。私は陛下に謁見させていただいてから、また戻ってきますので。」
「いえ、恐れながら殿下はこの後ノヴゴロドの大使と会談予定でして、できるだけ早く正装に着替えていただく必要があります。殿下はお疲れのご様子ですか。」
そういえばそう聞いていたかもしれない。それを口実にして耳かきを断って、引き下がる王子との交渉でマッサージになったのよね。
「そうですね、ちょっとまってください。殿下にその旨お伝えするのを忘れて折りましたので。」
私は慌ててドアを締めると、ベッドに倒れ込んでいるフョードル様に駆け寄った。
「フョードル様、しっかり・・・」
これは、まずいわ。
「・・・ぅ・・・ぁ・・・」
王子はお腹を撫でられて夢見心地のワンちゃんになっていた。王子本来のキリッとした顔つきはドーベルマンとかハスキーに近いはずなのに、どちらかというとパグに近い感じに見えるのは、ほっぺたが赤くなっているからかもしれない。目が感動しちゃってる。
耳かき直後のふやけたお顔は誰にも見られないようにしていたのに、このままだと着替えに入った人たちに晒されちゃう。
「フョードル様、せめて目を閉じてください。」
「・・・ふ・・・ぁ・・・」
まだかろうじて私の声が聞こえる様子の王子様は、ゆっくりと目を閉じた。すごく気持ちよさそうな顔だけど、やっぱり威厳がなさすぎる。
「口もちょっと開いているので、しっかり閉じてください。」
「・・・んっ・・・」
口を閉じたおかげでワンちゃん度は低下した。でもやっぱり感じ入っている雰囲気が出てしまって、メイドさんが部屋に入ったらきゃあきゃあ言われそう。
「フョードル様、ドアに背を向けるように、斜め45度に寝転がってください。枕で顔を隠・・・じゃなかった、枕に顔をつけて、呼吸が苦しくなったら壁側に顔を上げて息をしてください。」
私はお願いする体を取りながら、殿下の体をアレンジした。体は全然太くないのに筋肉質だからけっこう重くて、転がすのも少し大変。
「ふう、なんとかごまかせそうね。ではフョードル様、陛下との会談が終わり次第戻ってまいります。」
「・・・ぁ・・・」
枕に顔を押し付けたまま返事をしたフョードル王子を置いて、私は陛下の台座のある部屋に向かった。