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2.在りし日の思い出


あれはまだ私達の婚約が整ったばかりのことだったと思う。


『たまには外に移ってみないか。』


定例になったお茶会の折、滅多に自分から私に話しかけないフョードル様が珍しく提案をしてきて、私は驚いた。涼やかな青い目を私に向けた殿下の様子は今でもはっきりと覚えている。ブルーとシルバーで縁取られたホワイトのジャケットは、いかにも王子様といったように控えめに輝いていた。


『ええ、喜んで。この応接間も素晴らしいですけど、フョードル様の離宮のお庭も素敵ですものね。でも、先程まで雨が降っていませんでしたか?せっかく用意していただいたお茶を運ぶのも大変ですし。』


私は新調したドレスの裾が気になった。公爵令嬢になってもどうしても前世の貧乏癖が抜けないところがあって、高いドレスを着て水たまりのある庭を歩くなんて勇気は私にはない。あと目の前に広げられたティーセットを片付けて外で再開するのも、ちょっとメイドのみなさんがうんざりしそうで怖い。


『心配ない。』


フョードル様は短く答えて立ち上がると、私の手を取って椅子を立つのを手伝った。


無言のフョードル様の後を追ってそのまま回廊を歩いていくと、大理石の渡り廊下をせき止めるようにして、庭向きの肘掛け椅子が二つ置いてあった。間に小さなテーブルがあって、ティーセットが用意してある。


私は高そうな椅子が濡れてしまわないか心配になったけど、渡り廊下は雨が上がったあと掃除されていたみたいで、前世のモデルルームの写真みたいにキラキラと輝いていた。


『あらかじめ準備してくださったのですね、ありがとうございます。たまには外もいいですよね。フョードル様はたまにこうして屋外を眺めながらお茶を飲まれるのですか?』


私はまだ雲が残っている外でお茶をしたかったわけではなかったけど、せっかく万全に準備してくれたフョードル様にはお礼を言った。


『たまに。座って。』


フョードル様は私に座るように促して、私はちょっと上等そうな椅子に腰をうずめた。


『あっ・・・』


私が『曇り空も味があって興味深いですよね。』なんて社交辞令を言おうと目線を前に向けると、目の前に見えてきたものに思わず息を飲んだ。



大きな、虹。



『わあ・・・』


けっこうはっきりした、5色は見分けられそうな虹が、庭園の池からスッと弧を描いていた。


『きれい・・・』


本物のお嬢様ならこういうときに詩的な表現で虹を描写するのだろうけど、あっけにとられた私は幼稚園児並みのボキャブラリーしかなかった。


『フョードル様、虹を見せて頂いてありがとうございます。雨上がりの庭は避けていたので、こんなにはっきり見えたのは初めてなんです。とっても嬉しいです。』


虹に見とれていた私は、気がついたようにお礼を乱射した。横を見るとフョードル様自ら私にお茶を入れている。


『そんな、フョードル様、私が入れますから。王族の方にお茶をいれてもらうなんて、恐れ多いです。私、虹に気を取られていて気が効かなくて。』


『気にしなくていい。』


フョードル様はカップの温度を確かめるように底を撫でると、私のソーサーにカップを置いた。


『ありがとうございます。いただきます。』


私は思わずお茶をフーフーと冷ましそうになって、淑女教育担当の家政婦にはしたないと叱られたことを思い出して思いとどまった。


いつもはおしゃべりをしながら ―といっても私が一方的にしゃべるのだけどー お茶を消費するから、猫舌の私がお茶を冷ましていてもバレないのだけど、せっかく王子様が入れてくれたから、我慢して飲むしかない。


『ちょうどいいはずだ。』


覚悟をしていた私に語りかけたフョードル様。切れ長の目に初めて少しいたずらっぽいような、機嫌のいいような色を見た気がして、私は少し驚いた。


『あ、ほんとに、ちょうどいい・・・です。』


お茶は温かかったけど、ぬるいという程ではなくて、私は久しぶりにお茶の香りと味を楽しんだ。


『ベルガモット、入れてくれたんですね。嬉しいです。』


私はハーブやスパイスの入ったお茶が好きだけど、格式が大事な実家では邪道だって言われてなかなか飲ませてもらえなかった。


前回にそんな話もした気がするけど、私がペラペラと話しているだけでフョードル様は時折うなずくくらいだったから、覚えてくれているとは思わなかった。現世だとアールグレイはないから、多分特注の茶葉だと思う。私は感謝の気持ちを込めてフョードル様を見つめた。


『虹を見ておくといい。今しか出ていないから。』


フョードル様は表情を変えなかったけど、いつもより長いセリフに少しだけ照れたような雰囲気を感じ取ったのは、私の気のせいだったかもしれない。


今更私の椅子が虹の見えやすい位置に置いてあったことに気がついたけど、虹を堪能した私はフョードル様をずっと見ていたかった。すこしだけ強い風がふいて、シルバーブロンドの髪がさらりと揺れていた。


少し冷ましたベルガモット入りの紅茶を飲みながら、虹を見つめただけ。その後大した会話もなかったけれど、私にとってはとっても、とっても素敵な思い出だった。




― ― ―




「ソフィアの好きな虹がでているから、あの場所に行こう。」


私が二回目にあの渡り廊下に誘われたとき、まっさきに心配になったのはフョードル様が虹を見ながら耳かきされたいと言い出さないかどうかだった。


あの渡り廊下だとフョードル殿下が蕩けるところを目撃する人が発生すると思う。庭は全部チェックできないし。


「屋外で耳かきはできませんよ?」


「見返りは求めていないから・・・耳かきはまた、後で・・・」


フョードル王子は結局ご褒美を期待していることを隠そうともしなかった。昔、私をスッとした涼やかな眼差しで見つめていた王子は、今は悪いことをした子供のように私の顔色をチラチラ伺っている。


素直になったといえば聞こえはいいけど、『今までいえなかったことを素直に言えるようになった人』って別人だと思うし、素直さが全てじゃないと強く思う。


「行きましょうか。せっかくメイドの皆さんに準備してもらったのでしょうし。」


「ああ。そういえば今日はまだ言えていなかった。とっても綺麗だ、ソフィア。」


私の手をとって先導しながら、甘い目で見つめてくる王子。耳かきをしてあげてから、綺麗と言われ続けて、『綺麗インフレ』が起きているからいちいち喜べない。


「ありがとう、ございます。あら、カーペットまで・・・」


前回は渡り大理石の廊下に革椅子が置いてあっただけだったけど、今回はカーペットやら何やら、装飾が多くなっていた。デザインとレイアウトは私の部屋を参考にしたものだと思うけど、あれはどちらかといえばお母様の趣味なのに。


「ソフィアの足を冷やしてはいけないから。」


フョードル様は褒めて欲しい飼い犬のように胸を張った。別に靴を脱ぐわけではないから、そんなに変わらないとは思うけど。


「お気遣い、痛み入ります。今日の虹は・・・綺麗ですね・・・」


虹より先に、扇子やランプに隠れてさり気なく配置された耳かきセットが目に入って、私は少しげんなりしながら虹を見た。


大きな虹だけど、前回よりぼんやりしている気もする。


「綺麗だろう。」


「ええ、フョードル様はご覧にならないのですか?」


フョードル様は前回と同じ位置に陣取っていたけど、あの位置からだと建物が邪魔で虹が半分くらいしか見えないと思う。


「ああ。虹よりも、ソフィアの方が綺麗だから。ずっと見ていたい。」


「・・・あ、あはは、フョードル様ったら・・・ちょっと寒くなってきません?」


前回もフョードル様はあの位置にあの角度で座って、目つきが少し違うとはいえ同じように私を見ていた。でも私はもっと温かい気分だった。今、寒いのは決して北風が吹いているせいではないと思う。


「マントを羽織るといい。とてもあたたかい生地だ。」


殿下のマントを掛けてもらったことはこれが初めてではないけど、耳かき以前だったらアナウンスがなくて、ちょっとした嬉しい驚きがあったのに。


「ありがとうございます。肌触りのいい生地ですね。」


「肌触り・・・肌触りといえば、ソフィアの耳かきのほうが・・・」


フョードル王子のスイッチが入ってしまったみたいで、期待したように私を見つめる青い二つの目を避けるように、私は虹に目を向ける。


なんだか無機質に見えてきた虹をみながら、私は決意した。



フョードル様には耳かき前の状態に戻っていただくわ!



元凶は私だから、なんとか方法はあるはず。


私は心のなかで、「原状回復、原状回復」と二回唱えた。


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