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秋の始まり

「課長、最近機嫌よくないすか?」

「ああ?」

孝介は咥えていたタバコを外して部下の小出を睨みつけた。その眼光は鋭い。

小出は自身を抱きしめながらぶるりと震えた。

「やだ怖い!殺されそう!可愛らしく質問しただけじゃないすか!」

「くそ忙しいのになんで俺の機嫌がよくなるんだよ! バカかお前は!」

そう。今現在は喫煙室でのんびりとタバコをふかしているように見えるだろうが、現状の営業部は再び繁忙期と化していた。

先日は大修羅場とも言える商談の嵐が去ったが、その処理と、前回規模ではないにしろ新しい商談が被っていた。

最近だと繁忙期じゃない日の方が稀だ。

よって今日で10勤目である。それで機嫌がいい人間などいるものか。そう思っての睨みであった。


「でも小出の言うこと分かるよ。なんか前より話しかけやすい雰囲気あるし」

会話に参加してきたのは営業部ではなく、販売企画マーケティング部課長の森川だ。

スーツを着ているのにチャラい印象の小出とは違い、森川はストライプのスーツを着こなす紳士然としたイケメンである。

森川と孝介とは高校からの友人だったが、腐れ縁の友人の言葉に孝介は顔を顰めた。

対して小出は我が意を得たりと身を乗り出す。

「っすよね!?ぜってーそうだと思ってたんすよ!」

「おいバカ。営業部以外で話す時はその喋り方すんなって言ってんだろうが!」

「いてえ! そういう課長だって森川さんと話す時は崩れてんじゃないすか!」

「まあ俺は気にしないけど」

小出を殴る孝介を見て森川は苦笑した。


「あ、そういえば小出くん、総務の木田さんが探してたよ。領収書出せって鬼のような顔になってたけど」

「げえっ忘れてた! ちょ、失礼しまっす!」

慌ててタバコを消すと、小出はバタバタと喫煙室を飛び出した。

その様子を孝介は呆れたように見送る。


「あいつには落ち着きってもんがねーのか」

「えーでも、あのチャラい感じで辞めないで頑張ってるんでしょう? 根性はあるんじゃない?」

「まあそうだけどなあ……もう少し落ち着けば残業減るぞあいつは」

「ああ…」

孝介の言葉に森川は苦笑する。

同い年で同時出世の森川も部下がいる身だ。思うところもあるのだろう。

「そっち、また忙しいんでしょ? 大丈夫なの?」

「この間ほどじゃないからな。あの時は流石に窓ガラス割って暴れたくなったが」

「やめて。コウちゃんが言うとシャレになんない。でもあの時はほんと酷かったねえ」

森川もまた地獄の繁忙期の犠牲者だ。

思い出したのか、森川は遠い目になって渇いた笑いを漏らした。

販売企画マーケティング部の中でも森川は取引先との調整役を担っていた。

孝介も大概だったが、森川もまた上から下から外部から、と様々な場所からの不満に奔走していた。

達成感は素晴らしい、思い出せばいい思い出、などと考えるのはマゾ思考だと孝介は断言できる。

精神を壊しかけるほど忙しいなど、何一ついい事はない。

それが終わってホッとしたのも束の間、すぐに仕事が押し寄せるのだからこの会社も大概ブラックだ。

給料がいいのだけがメリットではあるが。


「俺のところもだけど、お前んとこも忙しいんだろ?」

「でも俺の方はまだマシだよ。販促部に雑務を投げれるしね。ただ…すごい怖いけど…」

「あの課は怒らせると怖いのがいるからな…」

「うん……すごい冷ややかに対応された。この俺が……」

森川は思い出したのかブルっと震えた。


見目も良く仕事が出来て物腰が柔らかい森川はかなりモテる。

会社の出世頭だから女子社員がこぞって狙っているが、それがまったく通用しない女がいる。

鉄仮面の鬼と呼ばれる孝介にもひるまない、恐ろしい女だ。


『また、ギリギリですか?』


声音どころか表情まで浮かんで、孝介はゾッとする。

『事前に依頼をかけてほしい、と再三言っていたのが聞こえていなかったのでしょうか。きちんと仕事をしていれば、依頼が必要になる事は分かっていたかと思いますが。ああそれとも、うちの課は雑用を放り込んでいいゴミ箱とでも思ってらっしゃる? 必要性の有無と内容をはっきりさせて出直して頂けます?』

相手はこちらがどれだけ切羽詰まろうと動じない効率の鬼だ。

大抵において彼女は正しいし、結局はやってくれるのだが目つきが怖い。

お前などいつでも捻りつぶせるんだぞと目が語っている。

大人しい外見からは想像のできない威圧感なのだ。

過去のやりとりを思い出して身震いをした孝介は、話を戻す事にした。


「まあとにかくあの時ほどじゃねえし、明日は休みだから今は平気だ」

諦めたように笑う孝介に、森川は首を傾げた。

「小出くんじゃないけど、ほんと最近ちょっとだけ丸くなったよね」

「ああん?」

「なんで睨むのさ。いいじゃん。前より気持ちにゆとり出たように見えるって話」

言われて、孝介はああ、とタバコの火を消した。

「最近辞めてもいいって思ってるのもあるな」

「えっ!?コウちゃん辞めんの!?」

「いや、そういうわけでもない。ただほんとに駄目だと思ったら辞めるって決めただけだ。縛るとストレスだからな」

「ああ、そういうことか。すごい焦った。でも辞める前には言ってね!俺も辞めるからさ~」

「なんでだよ」

「コウちゃんいないとつまんないじゃん」

「まさかお前…付いて来る気じゃねえよな?」

「えっ行くけど!」

当たり前のように言うからドン引きである。


「来んなよ気持ち悪りぃな」

「友情をキモいって言われた! ひどい!」

「ひどくねえ!」

叫びながらも孝介は話半分で聞き流す。

この付き合いの長い友人は、どうも自分の反応を見て楽しんでいるように思えるのだ。

「まあそれは半分冗談として、それだけ? なんていうか、前よりも張り詰めた感じないよ。趣味でも見つけた?」

問われて、孝介はふと言われる原因に思い当たる。

とは言っても、周囲に分かるほどの変化をもたらしていたとは驚きだった。

確かに、あの喫茶店に行くようになってからは、前よりも考え方がルーズになった。もちろんいい意味でだ。


「あー…行きつけの店ができた」

「行きつけの店!?コウちゃんが!?嘘だろ!?」

目を剥いた森川に、孝介は半眼する。驚きすぎだ。

「悪いかよ」

「いや、悪かないけど、常連とか一番似合わない。だってあの短気なコウちゃんがだよ…」

孝介はなにも言い返せなかった。短気の自覚があったからだ。

考えるのも面倒くさい事が多い孝介は、店も近さで選ぶ。

すぐに行けるのか、待たされないか。

仕事に追われていた頃は短気を極めて完全にコンビニと一緒に生活していた。

24時間ともに生活してくれてありがとうコンビニ。

孝介はコンビニには感謝しか抱いていない。

だからそんな孝介が、わざわざ特定の店に行こうとするの本当に稀な事なのだ。


「安いし、とにかく飯がうまいんだよ。コーヒーも悪くない。それに……」

「それに?」

「……犬がいるんだ」

「なるほど」

森川の納得は早かった。森川はもちろん孝介の実家を知っている。

愛犬達を可愛がっていた孝介を間近で見ていたのだ。

「でも本当に飯はうまいぞ。今日の晩もそこに行くんだ」

「え、いいな。付いていってもいい?」

「常連に絡まれていいならいいぞ」

「えっ絡まれんの? てかコウちゃん喧嘩したの!?」

「2発しか殴ってないから大丈夫だ」

「大丈夫な要素ないけどそれ」

「俺は殴られてないしな」

「よりダメだよね、それ」

自信有り気な孝介に森川は呆れたような視線を投げるが、瞳の奥に好奇心を隠せていない。

腐れ縁だが、結局のところ馬が合っているから付き合っている。

孝介が気に入っているあの店も、森川なら気に入るだろう。


「で、ほんとに来んのか?」

問いかけた孝介に、森川はにやりと笑う。

「もちろん。俺も明日休みだし、久しぶりに飲みたいな。って酒あるの?」

「ある。喫茶店のくせ常連のせいでやたら充実してるからな」

「それは楽しみだ」

笑う森川に孝介も気が緩んだ。

目先でも、楽しみがあれば頑張れる。

とりあえず今日は、友人をあの店に連れて行く事と食事を楽しみに頑張るか、と喫煙室から出たのだった。

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