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第一話 嫌われ者の黒い竜

 ベルマの町は大きく三つの階層に分かれている。一番外側の城壁から大通りをまっすぐ進むと、二つ目の城門が見えてくる。外側の城壁と違い、二つ目の城壁はさほど高くなく、城門も開け放たれていた。城門の向こうは緩やかな上り坂になっており、やがて荷車や荷馬車の進む坂道と、人が歩く階段とに分かれる。斜面に沿って建てられた家々は、揃いの橙色の屋根に陽の光を受けていた。


 大通りは緩やかにカーブし、別の通りと交差する。交差点にある看板を見上げると、長々とした通りの名前の下に、小さく『中一番』と書かれていた。そのまま通りをまっすぐに進むと、次の交差点には『中二番』と書かれている。青年はそこで足を止め、あたりを見回した。

 中二番の通りは商店街だった。外側の階層と違い、店は色とりどりのオーニングを道へと張り出して、その下に商品の並ぶカウンターが置かれている。艶のいい果物から茶を一杯楽しめる出店まで、店は種々様々だ。


 人でごった返す市場の間を縫って、青年は青果店の前で足を止める。店主は青年の風体を見て、怪訝そうに眉宇をひそめた。


「その林檎をひとつ。お代はこれで」


 青年は、銀色の腕輪を店主に差し出す。


「ええっ? これなら、林檎が箱ごと買えますよ」

「ひとつでいいんだ。お前、クラウディアという女性はご存知か?」


 受け取った林檎を軽く手で撫でる。青年の問いに、店主は「ああ」と視線を横へ向けた。


「じき来ますよ。薬売りをしているんです」

「その女性は、麦の穂色の髪に、ヘーゼル色の瞳か?」

「ええ、よくご存じで」


 ふふん、と青年は鼻を上向かせた。


「彼女に何か?」

「ああ、ちょっと恋を」

「……ん?」


 林檎を片手に、青年は人込みに紛れていく。店主は頭を掻き、ふうむ、と息を吐いた。

 折よく、ふわりとした金髪が人の合間に見える。と、青年の黒髪が、一目散にそれに向かって行った。店主は娘を呼び、店を任せて青年の後を追う。

 薬売りの少女は、常連に薬の袋を渡し、世間話に花を咲かせていた。一つに束ねた金髪と桃色の頬。愛想よく笑う声は小鳥のようだった。


「クラウディア!」


 その横顔に、歓喜の叫びが投げつけられる。


「ああ、やっと見つけた!」


 驚いて振り返った少女に、手が伸びる。騒ぎにわっと人の波が割れると、青年はそこから飛び出して、少女の手を両手で握った。白い手袋ごしに、少女の小さな手が強張る。

 息が届くほどに近付くと、青年は少女より二回りも大きく、服から覗く筋張った腕は、少女が一歩退くことも許さなかった。


「探した。探したぞクラウディア! 我はルゥ・アドラスター・フォン・グロリアスター。人が呼ぶ名はチェルナボグ! 古き約束を果たすために、北の山からやってきた!」


 一息で名乗り、青年は眩しいほどの笑顔を見せた。片手を握られたまま、少女は青年を見上げて目を見張っている。


「ああ美しい眼だ。瑞々しい頬だ。どうしたクラウディア、あまりの喜びに声も出ないか?」

「……あ、あの」


 少女を見下ろすと、青年の髪がさらりと流れ落ちる。その髪の間から、天に向かって短い角が生えていた。大きく開いた口には鋭い牙が生えている。顔立ちは端正と言えばそうだが、その眉間から左頬へと、薄い傷跡が刻まれていた。

 そして極めつけのように、瞳孔は蛇や蜥蜴を思わせるように縦長だった。


「誰……ですか?」


 その全てをゆっくりと目で辿ってから、少女は絞り出すように問う。


「アドルと呼ぶがいい」


 首を横に振り、少女は片手を鞄へと伸ばす。


「私は、あなたを知りません」

「覚えていないだけだ。なに、じきに思いだすぉぶえっ」


 空いた手は、鞄から小さな瓶を取り出していた。少女はそれを、無防備な青年の口に突っ込む。薄緑色の中身が青年の口の中に流し込まれた。


「人違いです!」


 青年を突き飛ばし、少女は踵を返す。それを追おうとして、青年はその場に崩れ落ちた。


「ぶえええっ! にっ……あっ……おぐっ……」


 流し込まれたものを地面に吐き出し、青年はうずくまる。駆け付けた青果店の店主が、呆れたようにその背を見下ろした。


「うぶ……泥水と砂に草の汁を混ぜたみたいなあじがする……」

「水いるかい?」

「いる……」


 二度口の中をゆすいで、青年は大通りと路地の間で地面に座り込んだ。


「あんたさ、どういうつもりか知らないが、クラウディアに手を出すんじゃない。あの子は今いろいろと大変なんだ。あんな風に絡んだらそうもなるさ」

「ひっ……人の口に、毒を流し込む薬屋が、いるか」


 青白い顔で、青年は店主を見上げる。店主は苦笑いを返した。


「まあともかく、何か用があるなら俺が取り次ぐさ。あの腕輪に林檎一つじゃ少ないし。口直しに梨もどうだい」

「もらう」


 梨を三口で種まで飲み込み、青年の頬はようやく血の気を取り戻した。


「青年」

「オッサンなんだが?」

「伝言はないが、訪ねたいことがある」


 壁に手をついて立ち上がり、青年は口元を拭った。


「クラウディアの店はどこだ?」

「やめとけって」

「そうもいかない」


 店主はやれやれと首を横に振った。




 その店は、中三番の交差点にあった。二本の大通りに面した一等地、クリーム色の土壁とこげ茶の木組みに三角屋根が乗っている。一階は二面に大きな窓があり、店の中がよく見えた。その窓枠にも、店の中にも、所狭しと植物が吊るされている。煙突からは、うっすら煙が出ていた。壁面に張り付くように、円形のタレットが飛び出している。タレットの三角屋根は近くの人々の目印にされているようで、人待ちのような人が数人、手持ち無沙汰げに立っていた。


 アドルがドアを押し開けると、からんころん、と遠慮がちにドアベルが鳴る。強い草の匂いが満ちていた。外から見た以上に中は薬草が多く、身を屈めないと触れてしまいそうだ。

 入り口から一段上がった板の間に商品棚があり、その奥に薄緑のカウンターがあった。カウンターの奥にはクラウディアが、手前には男が二人立っている。


「ク」

「ですから」


 アドルが声をかけようとした瞬間に、刺々しいクラウディアの声がそれを遮った。


「棚のお薬は出来合いなので、軽い症状にしか使えないとはお買い上げの際に説明したはずです。九割は傷薬、あとは虫下しのようなものです。病気を本気で治されたいのでしたらまず医者に行ってください。処方箋がなければちゃんとした薬はお出しできません」

「いや、医者に行くほどじゃないからここに来たんだよ。だけどちっとも効きやしない。それにしちゃ高いんじゃないのかって聞いてんだ」


 男の一人がカウンターに肘をつく。クラウディアは表情を変えないまま、首を横に振った。


「適正な価格です。効かないからタダにしろ、とおっしゃるのでしたらできません。もう一度言いますが、症状を本気で改善されたいのでしたらまずお医者へ」

「医者に行くほどじゃないって言ってるだろ。わかんねぇ娘だな」


 カウンターを指先で叩き、男はイライラと眉根を寄せた。もう一人の男は腕を組み、憮然とした表情でクラウディアを見下ろす。二人とも、クラウディアより一回り大きい。覆いかぶさるような見下ろし方をすれば、十分威圧的だ。


「なんだなんだ、肩ひじ張って大人げない」


 そんな二人とクラウディアの間に、アドルが割り込んだ。カウンターに両腕を乗せ、ぐい、と男をカウンターから引き剥がす。


「急ぎなんだ。薬を一つ調合してくれないか」

「え……あの」

「おい、今はこっちが先客だ」

「何だやかましい。医者に行けない坊ちゃまはそっちで縮こまっていろ」


 煽るように舌を出し、アドルは手をひらひらと振る。かっ、と、話していた男の顔が赤くなった。


「割り込みしておいて何だてめぇ。俺達はこの嬢ちゃんに用があるんだ。お前こそそっちで待ってろ。診療所に担ぎ込まれたくはねぇだろ?」

「医者に行くべきなのはお前ではないか? それでしょほーせん? とやらをちゃちゃっともらって来ればいいのに」


 男の拳が、カウンターを叩いた。クラウディアが息を飲み、身を引く。アドルはしかし、心底見下したようにその拳を見下ろした。


「あのなあ」

「無礼な拳だな」

「なん」


 アドルの指が、拳を弾く。と、男は言葉を切り、目を白黒させた。一瞬大きく開かれた口からは掠れた声が漏れ、拳を抱えてその場に崩れ落ちる。


「ああそうか、分かった分かった。医者に行くほどでもない病で医者にかかるのが恥ずかしいのだな! 安心するといい。これで晴れてお前は『医者が必要な怪我人』だ」


 アドルは男の前にしゃがむと、男の太い二の腕をつかんだ。

 ぐしゃり、と、その腕から嫌な音が響く。


「ぎゃああああああ!」

「おお、喉は元気なようだ。よかったではないか。右腕以外はまるっと健康そうで」

「ひっ……、ひっ……」

「離れろ!」


 もう一人の男が、アドルを突き飛ばそうと腕を振る。アドルはその手をひょいと避けると、前のめりになったそのうなじに指を当てた。分厚い皮膚ごしに、骨の感触がある。

 頸椎。人間の絶対の急所。そこに、骨を握りつぶす手が触れている。


「店の中で暴れるんじゃない」


 首の骨が軋む音が、確かに聞こえた。男の顔からざあっと血の気が引き、死の予感に身体が強張る。


 破裂音が、そこに割り込んだ。


 一瞬の意識の空白の後、はっとアドルは首を振る。その一瞬で手から力は抜け、二人の男が折り重なって転がった。一人は腫れ上がった右腕を押さえ、もう一人は自分の首がまだ繋がっていることを必死に確かめる。


「……あ」

「どきなさい!」


 アドルを押しのけ、クラウディアは骨折した男の傍に片膝をつく。その手には、薪と包帯が握られていた。男の二の腕に薪を添え、包帯で固定する。口と両手で包帯を引き締め、クラウディアはキッとアドルを睨んだ。


「医者! 呼びなさい!」

「えっ、あ、はい!」

「あんたはそっちの戸、外して! 乗せるから!」


 アドルと男を怒鳴りつけ、クラウディアは骨折した男を座らせたまま、肩を支える。アドルは店から飛び出し、もう一人の男はカウンター横のスイングドアを持ち上げて外す。ギリギリ男が乗れるだろうかという大きさだ。


「絶対動かさないで。人呼んでくる!」


 脂汗を垂らす男を仲間に任せ、クラウディアも店から飛び出した。

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